日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

鶏が卵を産むということ。

スーパーで買い物をしていた頃は考えたこともなかった。

やはり、目の前にあるものしか見えない、そんな時代を生きてきているから。

本当のところはよくわからないしこんなことを言うと、悪く言ってる様な感じになってしまうけど、ここで70歳を過ぎるおじいちゃんたちと暮らして、昔の暮らしの方が、相手を想像する力が育つ暮らしだったんじゃないかな、って仮説がわたしの中にある。

 

生きていくために手足を使って生活すること。

隣近所の暮らしが見えることは助け合う優しさを自然に生み出してくれる。

トトロのお話の様に、めいちゃんがいなくなったとみんなでさがし、傘を忘れたさつきたちにカンタが傘を貸す。

田植えをするカンタ家族をさつきたちが目にする。

どんな思いで生活を営み、田畑を育て、背中で伝えながらそれをさつきたちをお世話しながら見守っているおばあちゃん。

 

それをおじいちゃんたちの会話からおもうのです。

 

そして私たちの暮らしにはめてしまう自分がいます。

どこからきたかわからないものたちが並ぶスーパー。

それをお金で買い、レジでありがとうも言わずに受け取る関係性。

 

ライフラインのない村での暮らしは助け合わないと生きてはいけません。

でも、コロナになって改めて思うのは、こんな便利な時代でだって助け合わなければ人は生きていけ人じゃないかっていうこと。

理性や知性、頭と感情が豊かだからそれは切っても切り離せないことなんじゃないかと思います。

 

手間がかかる暮らしは想像力を育てます。

それは豊かなことだとわたしはかんじています。

そんなわたしのかちくへの考察。

 

ジャングルにいるコッコさんが卵を産む場所。

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それはバナナの木の根っこにあるベットのような場所や台所の七輪の後ろ。

 


あったかくて外敵から身を守れる場所。

卵を産むという行為は子孫を残す行為で、安心できる場所をおかあさんコッコは選ぶんだってことをこうしてここで目の当たりにしました。

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ちなみに卵を産む瞬間を見たことありますか?

生まれる近くになるとじっと座り込み、生まれるぞって時に、よっとたちあがり、全身に力を込め、肛門からキュッと卵を生み落すんです。

 


初めて見た瞬間、自分のお産のシーンと重なりました。

コッコは毎日卵を産むことができるかもしれません。

 


でも産む、という行為は、決して簡単なものではなく、一つの命を生み出す凄いことになのです。

 


我が家は時折卵もいただきます。正直言ってそれに罪悪感はありません。

命をいただくことで人は生き延びてきたのです。

どの動物の間にもある生き延びるための行為です。

 


なので感謝をして命をいただきます。

どこかのお家でいただくときは別として、うちでいただくときは感謝をできる卵しか頂きたくないなって思うようになりました。

 


産み落とすって大変なことだから。

暖かいばしで産み落として我が子をあたためる。

 


その行為にむやみやたらに産ませた卵をいただくのは申し訳ない、ただそういう気持ちだけがあります。

 


大事に思えない命の頂き方はしたくないって思うのです。

 


家畜とペットの境目が私にはわかりません。

毎日卵を産んでくれる鶏も可愛いし感謝だし、けれども生きるために卵やお肉をいただくときもある。

 


でもあまりに愛しくて食べれない時もある。

 


ベジとかビーガンとかっていうよりも、共に暮らしてみて、食べるのが辛いなって思うことが多くなってきただけなのです。

 


同じように恐怖感を抱ける生き物の命をいただく、その裁かれる瞬間が何とも痛ましい気がしてしまって。

食べられるために生まれてくる。

何とも複雑な気持ちになります。

 


せめてそれをたくさん味わいながらいきて時々お肉をいただく。

ごめんねとありがとうとともに。

 


それが我が家の動物をいただくという価値感です。

頭でいい悪いではなく、共に暮らして感じたことが行為になった。

 


ただそれだけなんです。

ムスメは生まれながらのベジ体質らしく動物性をほぼ食べません。けれどもタンパク質を何で補う??とかはあまり考えていません。

 


必要な時は彼女自身が何かを欲するだろうと思っています。

 


その時に考えたらいいかな、と。

何でもそうなのだけどタンパク源がお豆や雑穀などに偏ってしまったらやはりキャパオーバーになりアレルギー数値が上がっていくのを血液検査の数値を見てきて知ってるので。

 


狩猟の時代に、いつでも満足なタンパク源があったか、というと、そうでもなく、それでも生き延びてきたのだと思うのです。

それに今はそのころほどの運動量もないでしょうから。

 


なので、先を見越して必死に代わりのタンパク源を考えるより、彼女の欲する時を見極めて考えた方がいいかなと思っています。

 


ちなみにジャングルのコッコさんたちは人と同じものを食べて生きています。

ムスコが残してきたお弁当をこっこにあげます。

ここでは廃棄は一つもありません。

 


共に生きていく中で感謝しながら命をいただく。

 


それが今私ができる最大限のあり方です。

 


いただく命にただただありがとうのおもいです。

そうやっていかせてもらってる。

生きてるだけで恩恵を頂いている日々に感謝の思いがやみません。

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