日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

感性は感覚によって育って行くもの。命の輝きに触れる日々を。

命の輝きに触れる。

この言葉がふっと湧いてきました。

 

私たちが暮らしを変えてから、変わったことがたくさんあったな、って最近ふと思うのです。

それをインスタ等にしたためていたら、自分たちの変化が見えてきた様に感じています。

何かに気付いた時、わかった!って思うことがある。

けれどもそれはわたしにとっては気づきの一歩。

気付いた瞬間で、そこから何度もその気づきを思考して、それについて考える癖がつき、行動になり、いつしか変わってる。

変わるってとっても時間のいることで、思考も行動も変わって、それについて自分が生きやすくなっていたと、そんな自分の変化に気付いた時を「本当にわかった」とか、変われた、っていうのかもしれないと思うのです。

 

たとえばわたしにとって「何かがあった時に誰かに否定された」と感じた時。

それは自分の問題だと今は感じています。

自分が誠意を持って表現に変え、言葉や行動にしたことは、誰からも責められる必要のないことだと思うのです。

 

組織で働いている時にこれを当てはめるのはちょっと苦しいこともあるかもしれません。

けれどもそれは今の自分が持っている誠意や優しさ、経験の全てです。

間違えていたね、ごめんね、って自分で思うことはその部分をあやまって変えていけばいい。

けれども間違っていなければそんな風に感じる必要はないんじゃないか、と思うのです。

 

ムスコに小学生の男の子の友人がいます。

彼が低学年の時、小学生アルアルのからかいにあいました。

けれどもいつも彼の好きをもち、凛としている彼はそれに言葉で立ち向かうわけでもなく、黙っていつもの自分の遊びを続けたそうです。

 

彼のお母さんがなんか言い返せばよかったのに、という言葉に、「僕は何も間違ったこともおかしなこともしていないから。言い返す必要もないんだよね。」、と答えたそうです。

そのからかいの状況はあっさりと去って行きました。

言う方がかんねんしたようです。

 

自分を信じる、そんな日々を刻む。

時折わたしは彼のそんな姿を思い出します。

そうして自分がまっすぐに生きてやっていることが自分にとって誠意であるかをとうようにしています。

子どもに怒鳴りちらす自分が嫌でそれを変えていける様に積み重ねた日々。

旦那さんに愚痴る自分も嫌だった。

 

自分にとっての嫌な自分を手放していく、その作業を今でもしていますが、だいぶ気持ち良く生きられる様になった自分にも気がつかせてもらっています。

 

暮らしが変わって、見えてくるもの、かんじることもかわりました。

今は人も虫も植物も対等に感じています。

彼らを殺虫剤でやっつけるのは基本的にはフェアじゃないって思ってます。

どうしても自分たちの暮らしに侵入され、お互いに生きるか死ぬかの必要な時だけのものだと思っています。

スズメバチの巣を玄関にくっつけておいたら私たちが攻撃するつもりはなくてもあっさりと刺されます。

そうなったら薬を使うのもやむを得ないことだと思っていますが、基本的に攻撃しないくもなどの生き物は冬場は結構同居しています。

 

彼らのテリトリーで彼らがいるのは当たり前の感覚がついたので、たたかってもしかたがないんです。

自分たちもここに住まわせてもらってるんです。

そうして他人様が、虫が、植物がくださった命の輝きには大きな感謝と敬意をしています。

 

命の輝きとともに生きている日々が今はあります。

昔、街に暮らしていたころとは違った感覚がわたしにはあり、それに気付いて面白くて、したためた記事です。

ここからは、インスタより転載してまーす。

記録用に。

 

この夏初めてセミの羽化の瞬間に出会わせてもらいました。

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バックパックに登山用テントと寝袋をつめて母子で歩いてキャンプ場を巡った時の一コマ。

 


ハルゼミはなき始める頃にはごくごく普通の茶色の身体になります。

けれども羽化してたった一晩、この透き通った身体を持ったハルゼミは透き通った深緑色の身体で、羽を七色の光り輝かせその輝きを刻々と変え続けながら羽を伸ばししゃんと整えていくのです。

 


まさに息を飲む美しさであり、土から出てきた彼らが2度目の人生を生きる瞬間でした。

 


羽化するという瞬間に立ち会って、命の輝きに感動し、心震わせながらワクワクしたことを私たち母子は一生忘れないと思います。

 


それ以外は我が家の雪のない時期の日常です。

 


夏になるとアオダイショウが遊びにきます。

完全に子どもたちは友人だと思ってその姿を見つけると大喜び。まん丸の目が可愛いのです。

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かなチョロ(かなへび)の日向ぼっこに出会ってその小ささに心をくすぐられる。畑をしていると1センチほどの鶏と同じ形の卵を見つけることもあります。小さな小さな幼体からその卵をおもいます。

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オオサンショウウオ。綺麗な水を好む天然記念物です。卵からこの大きさになるためにかなりの試練を生き抜いてきたんだろうね、と子供達と話をします。

卵もおたまじゃくしも見かけるけど大きくなったサンショウウオに会える確率はがくんと減るのです。生きていくのが厳しいのは人だけではありません。

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五月になるとエゾアカガエルのの産卵が始まります。

生まれたばかりの卵はタピオカのようにプリプリです。

時間が経って水分を含んで大きくなっていくのです。

けれども水たまりに植えつけられた卵は水が枯れ果て死んでしまうこともあります。

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子どもたちは毎日水を入れてあげていましたが、自然の力には敵わない生きていく厳しさを目の当たりにしました。地面の吸収され、蒸発して乾いていく水たまりを救うことはできませんでした。

悲しさと自然界の大きさもこうして感じている日々。

 


けれども、無事に育った卵は人の胎児と同じ過程を辿り成長していきます。

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ひと月ほど経ったある日、小さな卵の中でクルクルと回り始めるのです。

そうなると卵から出てくるまでのカウントダウンが始まります。

1日半から2日ほどでこの卵から出てきます。

おたまじゃくしになれたね、おめでとう!

私たちの春の喜びです。

他の命が誕生する瞬間を子どもたちと一緒に喜べることの豊かさ。ただただ心震える瞬間です。

 


そしてね、私はこうしておたまじゃくしが羽化する過程でお腹の中で人が育っていくときのことを、こどもたちに話したくなるのです。

こうして形になって動き始めるのが命だということ、違う存在、しかもお魚がお腹の中にいる不思議、それが意思を持っていくなんとも言葉にできない不思議。

でも毎日が楽しみで仕方がなかったことも口から溢れてきます。

そうして生まれた命は我が子でなくてもかけがえなく愛しいと私は思ってることも。

 


今年はひよこも生まれてきてくれました。

ぴよぴよ言いながらお母さんから離れない姿に、大好きな存在がいて、守られて安心感の中で大きくなる大切さも子供達と自然にかいわになります。

 


ムスコが人の赤ちゃんはどこからくるの?

って四年生の時に疑問を持ちました。

 


その話は次に。

 


命の輝き、命の終わりに触れる日常があります。

そんな我が家の子供たちはいつしかこうして出会った生き物をカゴに入れることをしなくなりました。

 


忘れてしまったら、もしお日様の向きが移動して直射日光になったら、申しわけないもの。

2人、口を揃えて言います。

 


そう、2年ほど前かごに入れたむしが死んでしまったりよわってしまったきとがありました。その時のムスコの顔をわたしはずっと覚えています。悲しみと自分に対する悔しさと取り返せない申し訳なさをでいっぱいの顔を。

 


自然の中で生きていく厳しさを目の当たりにしているから傷つけた状態では生きていけないこともわかってるから。

 


ムスメは羽根のちぎれた蝶々を捕まえてきたことがありました。カゴに入れない彼女が珍しく連れてきた蝶々。

大事にお世話していましたがに日に日弱り、ある日パタリと動かず息だけしてる状態になりました。

その晩ムスメは自分にはどうしようもできないんだ、ごめんね、ごめんねと泣きながら眠りにつきました。

次の日、蝶々が無事に天国にたどりつめるようにムスメは取れた羽根も大事に抱えて埋めました。添えたお花は数ヶ月、ムスメが時折お参りしていたようで通るたびにそこに飾ってありました。

 


彼らの優しさは皆さんからいただいた優しさと自然が教えてくれた厳しさからできている気がしています。

 


命の輝きと自然の厳しさをわたし達はここで暮らすことで心で理解するようになりました。