私の暮らしに安心を与えるものを知るということ。
今年も家族でお味噌を仕込みます。
仕込んだ量は36キロ。
醤油、塩、お味噌、油、酢。
ケチャップなどもない我が家の調味料はこの5種類、だからお味噌は大事。
私は2年くらい熟成させたいのでもっと仕込んでもいいくらいかもしれません。
これが「我が家の暮らしに安心を頂けるもの」のひとつです。
ある程度の野菜とお米と手前味噌。
それがあればなんとも言えない安心感。
そんな豊かさが手作り調味料がある日々の中にあります。
そうして、多分、日々はその積み重ねで、暮らすことにおいてどのくらい揺るがない安心感が持てるか、ってことが大事なのかもしれないと感じています。
お金の出入りはあまりにも忙しすぎて、その安心を満たすことができないように感じています。
生きるための最低限のものはもっとどっしりと「ここにある」ことを感じられることが大切なのだろうと思います。
お味噌は買いにそとにでなくても大丈夫、家の修繕はとりあえず自分でできるから大丈夫、毎日お風呂に入れる安心とありがたさ。
昔のお風呂の意味は、毎日身体を洗うため、だったと思います。けれども私にとっての位置付けは違うんです。
長年負担をかけた神経の緊張による胃腸の弱さ、それを改善して緩めてくれるいわばお薬。
私にとっては欠かせないものなので、家でお風呂に入れると言うことは大きな安心感なのです。子どもたちが雪まみれになっては足湯で温めてあげながら、2日に一度だけお風呂を借りに行く。そんな時期が半年以上もあったのでそれをしみじみと思います。
当たり前にお風呂があって車を使えてコンビニに行ける。ケータイひとつでなんでも出来る。そんな当たり前とは違う暮らしを数年して見えたこと。
それぞれの生きるための必要なものは違うんです。
いまはほとんどの人が同じように家電を持ち、家を持って暮らしているけれども、それぞれ必要なものは全く違うんじゃないかと自分達で作る暮らしをして感じるようになりました。
その話はまた次回にでも。
さてと、話を戻します。
我が家のご飯はお味噌汁とご飯とお漬物の日が多いです。
お魚とお肉や他のお野菜のおかずが時々つくけど、ほんとうにおんなじものばっかり食べてます。
でもね、私たちはここ数年そんな暮らしを普通にしている文化の残るおじいちゃんや人力で暮らす村で一緒に暮らして感じてきました。
我が家の暮らしは質素なようで豊かなんだと思います。
昔はこんなにお腹いっぱいお米も食べれなかったし、美味しい野菜なんてなかったから。
進化してきた技術の力です。
粗食であってもごちそうなんです。
たった60年前は車がなく馬を使って暮らしてきたそうです。
たった60年前まで。
雪の降り積もる厳寒期、寒すぎて馬にはのっていられず、引きながら歩いて移動したそうです。
こんなに簡単に暮らせる、それだけで私たちは恩恵を受けており、有難い日々を歩ませてもらっています。
今の時代を経験して私は、「昔の暮らし」にとても興味があります。
豊かに見える私たちの「楽チンな暮らし」は本当に私にとってゆたかだったかをずっとずっとこんな比較を通して検証してきました。
旦那さんが多忙でたくさんの便利な家電に家事をしてもらいましたが解決し得ない問題がありました。
その大事な話も書ききれないのでまたにしますね。
ただ簡潔に言うと、家事をどうにかしたいと言うより、顔を見て話がしたい、今日1日どんなことがあって、あなたがいま何が好きなのかをしりたい。ってことだったんですね。
家族のいまを知り、それぞれが幸せにいまを生きてることを知るって大事です。
それも揺るぎない安心感につながっていきますから。
暮らしが回ることも大事ですが、暮らしに安心することの方が大事なんだと知りました。
共働きの方々でさえ、老後の不安は尽きないそうです。お金はいくらあって不安は尽きないのかなあ?なんで?ってクルクルと考えています。
暮らしに安心感を得るにはどうしたらいいんだろう。
大事な問いだと思うのです。
いろんなことが次々と起こる世の中だからこそ、それを自分に問う。
そして習慣にしていく。
時には揺れることだってたくさんあります。でも、起こったこと全てに揺るがない強さ少しずつつけていくことが必要だと思うのです。
その土台はたぶん暮らしと家族。
そしてその思考は習慣になればいつだってそれは自分を助けてくれます。
私はそう思います。
何が自分に安心を与えるか、自分はどうしたら安心して生きていけるのかを丁寧に丁寧に考える日々を送っていこう、近頃そんなことを考えております。
袋に入れて踏む。
大変だけどそれがいいんだと思います。
こうしてて大変さと引き換えに安心いただく。
人は身体を動かさなければどこかがさびつき、具合が悪くなっていく気がします。
自分の手足を動かして作り上げたもの、という喜びは生きる力に直結することをこうして知りました。