日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

自然療法と好きなこと。

水引とまき玉を合わせて、こっくりとした色にしてみました。

f:id:yurukkosae:20210128043322j:image

 


日本の伝統手法、飾り編みを水引で編んだらとても素敵になりました。

 


左、日本の自然から生まれた表現では「ナス紺」と呼ばれる色。ナスのようなツヤのある色です。

それに着物のように鮮やかな紫のまき玉を編んでみました。

 


右は蘇芳色。

くすんだ赤っぽい色で元々はマメ科スオウの樹皮から色をとって染めたそうです。

 


日本固有の名前で表現される色がたくさんあることを知って驚きます。

 


そしてね、昔はこの繊細な色表現を草木染めで出していたんですよね。すごいです。

 


ちなみに蘇芳色には昭和の飴玉のような優しい色に編んだまき玉を合わせてみました。

 

手仕事もないわいにしたくて、せっせと身体に刻んでいます。

人様への贈り物、という意味ではすでに生業。

あとはこれでお金が巡るといいなあ。

パーマカルチャーといえど、日本で暮らすにはある程度のお金が必要です。

そう、あったらそれもまた豊かです。

それも受け止めながらこの暮らしをした方が、経済社会と戦わなくて楽ですから。

経済社会も自分たちのご先祖様が望んで向かった方向。

みんなそれに夢を見たんでしょうね。

 

食べ物までもが変わりつつある現代だけど、それをあくにしてしまうと苦しくなるのは自分。

でも食べ物は伝統的なものを支持したい派なので、自分たちのスタンスは変えないですけれどもね。

 

 

 


以下、小さなつぶやきです、笑。

「自然療法と好きなこと」

 


このイヤリング、昨日お世話になってる方に贈ったら早速つけてくださってとっても喜んでくださって嬉しかったな。

 


ただ漠然と「大人の期待に答えること」「褒められること」がいつも念頭において育ってきたわたしの子ども時代。

 


けれども、だから自分はダメなんだと責め続けた私に、自然療法の我が家の恩師は、「何も責めることはないんだよ。あなたはそう生きてこざるを得なかったのだから。身体を治して、ゆっくり自分らしく人生を歩めるようになったらいいよ。」と言ってくれました。

 


ムスコの喘息でおとづれたクリニックで「ムスコさんが具合が悪いということはお母さんも何かあるってわけだ。」そう言い、血液検査を勧められ、ハテナマーク全開で検査を受け、その解析を聞いたらどんぴしゃり。

 


だるいことなんて当たり前だった日常、すっかり忘れていましたが、あの頃の私、橋本病、低血糖、身体の痒みという症状で日々悩まされてました。

 


まだ完治ではありませんが「排泄がきちんとされる身体に」、それを念頭に置いた食事療法などのおかげで日々生きる私の身体は今、とても軽くなりました。

 


「大丈夫。病は治すと自分でちゃんと決めること。その覚悟が決まったら、身体を整えると、自然に心も整っていくから。」、先生がいつも言ってくださった言葉。今は我が子にもシェアしている言葉です。

 


「心が整っていく」、そんな時期に入る頃には、私の体の辛さはだいぶ抜け、幼い頃に経験した辛さと向き合う準備もできておりました。

そうして自分が向かいたい方向と実際の自分の言動の矛盾を丁寧に擦り合わせながら生きてきたこの4年。

 


今は起こったことは全てわたしの人生のストーリーだと思っています。

嬉しいことも辛いこともわたしのストーリー。

どんな時も自分です。

そしていろんなことがあるんです。

 


虐待家庭で育った過去を笑って話せるくらいになり、自分のストーリーとして整理されて、胸にあります。

両親を許すとか許さないとかそういう事ではなく、彼らもそうせざるを得なかった育ちや人生があったんだと解釈しているのです。仕方のなかった事、そう思えるようになって楽になりました。

そんな家庭で育ちましたから、大人の目を気にしすぎるし、自分の考えはあまり持たないし、の人生でしたが、病で自分と向き合ってきた事で、全てが自分のものだと思うようになりました。

 


私の生き方が少しずつ自分の感覚に寄り添って営めるようになってきて思います。

 


過去の自分、今の自分の未熟さを抱えながらも、私はどう生きていきたいか、それだけなんです。

 


私にとって自然療法は、恩師が身をもって体験させてくれたように、自分の身体と思考が自分から発せられるものとなり、自分らしくいきられるためにあるものだと感じています。

 


地球上の他の生き物たちのように、自分の足でいきていく。

個性のある中で調和しているのが自然です。

 


私にとって食事療法も、ふんどしおぱんつで血流を良くすることも、「術」です。

 


自分らしく優しさを使い、楽しみ、落ち込み、そんな山あり谷ありを、いろんなことを経験しながら積み重ねていく。

 


自然に生きていく。

私の人生にとっても大切なエッセンスを教えてくれた先生、寄り添ってくれた家族、耐え抜いてくれた私の身体に感謝がつきません。

 


そんな積み重ねの日々の中、見つけた大好きな手仕事。

自分を思い切り喜べる大好きなこと。相手を思い作ったものが喜ばれたことは私にとってこの上ない喜びです。

自分で生み出した喜びを一つでも多く感じられる生き方をしていけたらいいな、と思います。

 


好きなこと、好きな人、好きな場所、好きな音。

それを日々の中に一つでも増やしていける日常を。

 


「身体を楽にして自然な流れにのせる。あなたが自分らしく生きられるようにお手伝いするのが私のお仕事です。」

先生ありがとう。

そんなことに意識を向けられるようになり、病になったことすら私が自分の人生を受け止めるためのストーリーだと捉えることができるようになりました。

病と共に生きる今日も私の大切な1日です。

楽しもう!