日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

新しいブログ、はじめました。

新しいブログを始めました。

今度はnoteって媒体に挑戦してみることにしました。

 

読んでくださってありがとうございます。

これを始めた頃、我が家のあり方も過渡期で、私自身どう生きていこうか、家族一人一人とどうあったら気持ちがいいか、病を抱えて自分とどう向き合っていったらいいか。

 

自分の内面と向き合う必要がありました。

ですので、誰かに見ていただくためのものではなく、自分がしたい事、いきていきたい方向性、家族とどうありたいか、自分の育ちがどうであったのか。。。

 

全て「自分」を見つめるために始めた自分のための記録でした。

 

私のこの5年ほどの変化の記録が記されており、それがあって今の私がいます。

 

虐待家庭で育ってきた自分を受け入れざるを得なかった時の苦しみ、自分の病の原因がわかった時、自分の人生であるのに、自分の意思があまりなく、自分の人生を生きていくことに不安しかなかったところから歩き始め、5年かかって、全ての自分の人生のストーリーに意味があり、だから今の自分に出会えたんだと感じることが、できました。

 

全ては自分が悪いとせめ、落ち込み、家族に当たっていた自分にハッとして、自分の問題を1つずつ整理して、自分を知っていったその過程。

虐待家庭で生きてきたことさえ、自分に必要なことであり、自分の人生のストーリーだったんだって腑に落ちた時。

 

私の人生は全て良しだったんだと今は思わさります。

 

心も頭も爆発して、自分の行動が矛盾していた頃もあったけれど、全て仕方のなかったことであり、それを責めるよりも、これからはどうしていきたいのか少しずつ自分の整理を重ね、自分の人生に誠意を持ち、好きになるようにいきていきたいと気づかせてもらったのもそこを1つずつ受け止め、超えられたからなんですね。

 

矛盾の中を生きてきたころにいてくださった方には申し訳ないという気持ちは正直にありますが、あの頃の私には気づくすべもなく、どうしようもなかったことであり、人は自ら気づいて成長していく存在なんだって、あの頃の苦しみや、それを受け入れる時の苦しみを超えて気づくことができました。

 

この過程を寄り添ってくれた旦那さん、こどもたち。私はようやっと、こんなお母ちゃんじゃ子どもの人生の足を引っ張るだけだと後ろめたさの中で生きていた自分を手放すことができました。

 

今でも間違えることはあります。言い訳せず、逃げずに、ちゃんと謝ったらいい。

間違えてみるまで、じぶんできづけなかったんだから仕方ないじゃない、今、気づけてよかったね、と、腹をくくって。

いつも素直な自分でみんなと向き合ったらいい。

 

生きる日々に起こることは全て意味があり、自分に誠意を持って、今大事だと思うことを大事にしていきたいと思いながら、今の私がいます。

 

自然の中で生きるようになって、私たち人はいつだって恩恵の中で生かせてもらっていることを感じています。

今度はそれを思いながらどんな日々をつくっていけるかな、そう自分に期待しながら、新たなブログを始めることにしました。

 

生かせてもらってる日々を、どんな風に自分でワクワクや学びに変えていけるか、自分の人生を、豊かだな、幸せだなって感じられるように生きていきたい。

 

私たち夫婦に日々の土台はそれであり、いつもそんな会話を重ねてはお互いも想いを共有しています。もちろん家族とも。

 

パーマカルチャー研究所。

私たちの生業です。

 

いろんなことがあってここまできた私たちの人生。

私にとってパーマカルチャーとは自分の今を受け入れ、生きたい方向にむかって、日々を穏やかに優しい気持ちで生きていこうとするその志と生き様だと思っています。

小さなタイのライフラインのない村でなぜみんなが笑顔なのかをずっと考えながら一緒に暮らして、えた私の答え。

自分に素直に、やさしい気持ちで生きていく。私の好きな生き方です。 

 

いろんなことを超えて、見えてきたもの。

「大切なのは自分の人生に希望を持つこと。

どんな過去であってとしても、今の私は私として生きていく事しかできないのだから、自分を愛せるように努力くして、自分を好きになっていくこと。我が子や旦那さんなど誰かに期待するのではなく、自分を信じ、好きなことに向かっていく勇気をつけて自分を信じどんな時も素直に生きていくこと。」

 

私の日々はそのためにあるんだと思っています。

人生を大事にして生き抜きたい。

 

新しいブログでは少しずつわかりやすい言葉で整理できるように文章力もつけたいな。

自分の人生をもっと好きになれるように、日々をまた積み重ねていきたいと思います。

 

新しいブログのリンクをこちらのはっておきます。

宜しかったら覗きにいらしてください。

 

たくさんの感謝を込めて。

https://note.com/thai10_mori236/n/nc31ea3b87aaf

 

 

新しいブログの準備をしています。

 

ブログを読んでくださってる方、ありがとうございます☺️

 

このブログ、実はわたしの気持ちを整理するためにはじめたもので、どなたかに読んでもらうつもりもなく記録してきました。

 

1つずつ、自分の育ち、生き方を整理して「今を楽しく生きる」自分になっていけるよう歩んできた道のりを記録してきました。

自分のために整理しているブログでしたが、いつの間にやら気づきや喜びからどなたかの気づきのきっかけになれることもあるかもしれない、なんて小さく思いながら記録するようにもなってきたんですね。

 

たくさんつぶやいてだいぶ整理できて、「今目の前を受け入れられる自分でありたい」というところに少しずつ近づいてこれた気がします。

 

なので、ここで一度ブログの整理を兼ねて新しいブログを開設しようと準備し始めています☺️

 

今は家族で山で暮らしています。

助け合って、自然の中で生きる日々。

街の中で育ってきたわたしにとって、自然の中で生きる子どもたちから学ぶことがたくさんあります。旦那さんからもたくさんの気づきをもらい、支えてくれる日々に毎日ありがたいなって思えるようになりました。

たくさんの気づきをくれる家族に感謝、自然に感謝。

自然の恩恵に感謝が溢れるからこそ、なるべく不可のない暮らしを自分のペースで続けながら暮らしています。

 

ライフラインのないジャングルで暮らした経験、家族で協力しあって言葉の通じない場所への旅をしてきたことから得た家族関係の話、山の中で暮らしてただただ自然への感謝からオフグリッド で細々と暮らしている日々。。。

 

ちょっと変わった暮らしの中から感じた日々のことをもう少し整理しながら綴っていきたいと思っています。

 

準備の時間を少しいただいて始めようと思います。

 

わたしの小さなブログに共感してくださる方がいらっしゃることに心からの感謝とともに。

 

 

洗濯ネットもコットンで。

更新途絶えておりました。

新しいブログを立ち上げようと思い立ったものの、はてなで複数を持つことができなくて、滞っております。

 

なのでここに記録。

 

洗濯ネットも木綿の巾着でいけちゃいますよ、って話。

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洗濯で出るマイクロプラが多いそうなので、これプラゴミも気をつけてみようかと。

日々の積み重ねが習慣になります。

習慣になれば、結果も変わって行きます。

 

でも自分に合わないことはこれまた、全然できない。

だから色々行動してみて自分に合うものを残して、習慣にして行ったらいいなっておもうんですね。

 

私はお裁縫好きなこともあり、仕立てる時の扱う布はどうしてもの理由がない限り天然素材にこだわってます。

服はもちろん我が家は綿かリネン。

 

 


リネンはガラガラ回すと引っ掛けちゃったりするので、ネットに入れるんですね。

 


脱プラを考えて綿で巾着を作ってその中に入れて紐をキュッと結んで洗うのですが、普通に問題なく洗濯できますよー。

100均の化繊のネットを卒業して随分経ちますのでこれ、オススメでございます。

 


私は服を作るのが好きで気づけばパンツまで作るようになりました。ゆくゆくは靴下まで行きたいんですけどね、笑。

 


その理由はジャングルから帰国する際、化繊の服を燃やしたことが数回あって、臭いがきつい上に燃やした後も灰にならず、土に帰らないであろうドロドロの液体が地面の土とくっついて散々なことになるのを体験してるんですね。

うっかり触ろうものならそのドロドロがべったりついて厄介な火傷になります。(結構イタイ)

 


それがリアルに嫌な経験だったので、そんなうちの庭でもやせないような物を、ゴミ処理場とはいえ、ゴミとして出すのもいやになっちゃったんです。

 


体験って大事です。

体験は身に染みて行動を変えます。

 


安いショッピングセンターのTシャツなんかはほぼ化繊ですね。

日本ではこうした安く作られた服は36億着輸入され、一年以内に31億着が捨てられるとか。(アースおじさんより)。

 


クリーンなエネルギーって原発を使ってるのに、こうして化繊の服を燃やして空気を汚していちゃ、意味がない気がするのは私だけかなあ。

 


原発は今この瞬間の便利をくれるけど、そこから出た廃棄物は何十年も消えません。

私たちの便利が未来に負担を背負わせるよね、って思うのです。

それとね、地震の度に原発は大丈夫だろうか?ってみんなが不安になるようになってきてるんじゃないかな思うんです。

そんな不安になるようなものを動かさない方がいいと私はやっぱり思うのです。

 


自然災害の中での原発事故はヒトにはなすすべがありません。

不安ばかりが広がっていく。

けれども、原発のない暮らしをできないかっていう日常の中での挑戦は頭を使って考えながらここのペースでやっていけるんじゃないかと思うのです。

 


今すぐできること。。

自分のうちに必要な電気はどれくらいだろう、って考えて動いてみませんか?

電化製品もみんなと同じように揃える必要もないし、家の中の照明もあんなに明るくたくさん照らす必要は私はないと考えますが、あなたはどう考えますか?

それぞれができることを暮らしの中で積み重ねてみたらいいと思うのです。

 


そうして電力量が目に見えるくらいに減って数値として表せたら政治家男子の皆様も動く「かも」しれないじゃあないですか。

 


署名やデモ、いろんな意思表示も大切ですが、なかなか伝わらないことも知っています。(それとね、原発産業で暮らしている方々もいます。命の方がもちろん大事です。でも生活を成り立たせることと命を天秤にかける方もいるでしょうし、そちらにも思いを馳せてます。変わるっていうことは自分の思い込みだけで怒っていては成り立たない、厳しいことですよね。)

 


だから変わって欲しいと思う側にも覚悟が必要なんだろうなと思います。

私たちが個々の生活の中でもどんな風に電気を使うか見つめ直し、現実に変えていく、じぶんのちからでうごいてみる覚悟が。

それを持っての説得力なんじゃないかな、と近頃思います。

 


そんなわけで色々盛り込みましたが、不安を増やさない生き方をしていけたらいいなって願いながら歩んでいきたいな。

 

ハギレをだーってぬって紐をつけただけ。

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まっくろけが当たり前の暮らし。

我が家はライフラインのない村で暮らしておりました。

 


今は日本でオフグリットライフ。

 


ジャングルにいた頃、真っ黒になって暮らしていました。

みーんなくらすための生活をしていますから真っ黒です。

でもその感覚が心地よくて我が家は今でも土の上で暮らしています。

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暮らすための仕事を一日する。

畑を耕し、家を建て水道管を修理する。

山に入り竹をかりだし、稲わらを運び土壁を作る。

もちろん真っ黒けになった服は、毎日洗濯をしてお天道様にあてていますが、真っ黒けは落ちません。

 


ついでにご飯を食べるのもほとんど地べたに座って食べます。

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子どもたちも地に足をつけて遊びます。

おもちゃもないですから、森と大人が使う生活のものがおもちゃなのです。

木登りをし、猫と遊び、葉っぱを延々に並べ続ける。

 


葉っぱの上にお花を並べておままごとをしている後ろで籾殻の薫炭を作っている写真がありますが、あの中には焼けた炭が入っており、危ないこと、ともとなりあわせです。

子どもたち同士で気をつける感覚を身につけます。

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サラリーマン家庭で育った私はアウトドアくらいでしかキャンプをすることもなかったですから、真っ黒になることもなかったけど、真っ黒になるっていいです。

 


汚すと洗濯が大変、っていうのは街に住む人の感覚なのだと知りました。

そんなことどうでもいいことだったなって気づいちゃって素足を地面につけて暮らす方がよっぽど気持ちいいことを知りました。

 


アーシングが流行ってるのはそういうことなのでしょうかね。人も動物なんだーって気付かされます。

 


私はお洋服&ふんぱん作家、和アート手仕事を生業にしていますから、日本での暮らしでお出かけするときは自分の1番のお気に入りを着て出かけます。

 


でもそれと同じくらい、私は真っ黒けの服も大好きです。

一年のうち、5ヶ月も雪に閉ざされてるので、冬の間は大好きなリネンのワンピース、土が顔を出し始める時期になると私は真っ黒けの服に着替えます。

 


真っ黒けの服にを着ることで、私はこうしなくちゃならない、という染み付いた感覚を手放せちゃうんですよね。

真っ黒は私の今の精一杯の生き様だって思えてくるんです。

 


身体が動くのだから日々を精一杯生きる。

 


私の好きな生き方です。

 


真っ黒けの感覚を知らなかった頃の私は、人の目を気にする人でした。人の目を気にしての身なりを作ってきました。

 


でもね、こんな体験をしたことと、自分の大好きな服を仕立てるようになって思うんです。

 


身なりから人なりがあらわれるといいますが、だらしがないことと、日々自分が決めた仕事をして真っ黒けになっていることとは全然意味が違うよね、と。

 


農家さんのつなぎが汚れているように暖かくなると私の日常着もこうして汚れていきます。

だから子どもの日常着も真っ黒なんだなーって今更ながら思います。

たくさん遊んで嬉しい気持ちがこの真っ黒の中にこもってる。

真っ黒の子どもたちの服を洗うのは幸せなことです。

 


綺麗な身なりが好き。

それが本当に好きなら、それは素敵なことです。

きっと、その人の生き様がその中にあるのでしょうから。

 


でもそうでないなら見かけに時間とお金をかけるより、自分の日々を一生懸命生きるのが心地いいと思います。

 


情報の溢れた現代、物欲はうまいことコントロールされがちです、笑。でもそれではお金を稼ぐこと、に沢山の時間を費やしていきます。

サザエさん症候群を抱え、「しっかりとお給料のもらえる仕事につく」よりも、ちょっぴりお給料は減っちゃうけど、空いた時間で好きなことをしたり、好きな人に会える方がワクワクと生きられる気がするんですよね。

 


そしてね、私もハッとししたことばがありました。

 


これから先を心配してくちうるさくなりがちな母だった私。

先の心配するより、いまを楽しくいきたらいいじゃない、って言われてハッとした。

 


もう、ぐーの音も出なくて。

そう言えばそうじゃんねって、大笑いした。

それ以来やめました。

まあ、子どもたちに言わせたらそれでもまだあるかもしれませんが、笑。

 


我が子の人生は自分で経験して作っていくものですからね。

伝えたいことはタイミングを見て一回言えば十分。

それで必要なら吸収していくし、タイミング違えたら入っていかないし、本来はきっと、ただそれだけですよね。

 


今の日々を穏やかに楽しく過ごした方がよっぽどいいです、笑。

 


自分が生きてきた世界で起こったことは自分にとって当たり前すぎて、そのままされてきたようにしちゃうんです。

 


けど、このちょっと変わった暮らしが「綺麗な身なりをなぜするのか」を考えさせてくれて気づいたことは数知れず。

あとね、旅。私のちっぽけな常識は世界の非常識だって自分の中であっさり斬られてます、笑。

 


自分は何が当たり前だと思っておるのかを丁寧に調べていこうと胸に止めながら生きております。

 


その当たり前で自分が幸せになれたのだとしたらいいんですけれどもね。

 


それくらい暮らしていける事がなんとなく当たり前の時代を生きていきてきているので、その作業を丁寧に行いながら感謝に気づく心を持ち続けたいです。

 

歩いて降りる山もあたり前に気づかせてくれます。

自分の見てこなかった景色の多さ。

歩いてみると沢山の美しさに心震えます。

心震える時間が少ないことも当たり前だった。

これからはたくさん心震わせながらいきていきたいな。

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私の暮らしに安心を与えるものを知るということ。

今年も家族でお味噌を仕込みます。

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仕込んだ量は36キロ。

醤油、塩、お味噌、油、酢。

ケチャップなどもない我が家の調味料はこの5種類、だからお味噌は大事。

 


私は2年くらい熟成させたいのでもっと仕込んでもいいくらいかもしれません。

 


これが「我が家の暮らしに安心を頂けるもの」のひとつです。

 


ある程度の野菜とお米と手前味噌。

それがあればなんとも言えない安心感。

そんな豊かさが手作り調味料がある日々の中にあります。

 


そうして、多分、日々はその積み重ねで、暮らすことにおいてどのくらい揺るがない安心感が持てるか、ってことが大事なのかもしれないと感じています。

 


お金の出入りはあまりにも忙しすぎて、その安心を満たすことができないように感じています。

 


生きるための最低限のものはもっとどっしりと「ここにある」ことを感じられることが大切なのだろうと思います。

 


お味噌は買いにそとにでなくても大丈夫、家の修繕はとりあえず自分でできるから大丈夫、毎日お風呂に入れる安心とありがたさ。

 


昔のお風呂の意味は、毎日身体を洗うため、だったと思います。けれども私にとっての位置付けは違うんです。

 


長年負担をかけた神経の緊張による胃腸の弱さ、それを改善して緩めてくれるいわばお薬。

私にとっては欠かせないものなので、家でお風呂に入れると言うことは大きな安心感なのです。子どもたちが雪まみれになっては足湯で温めてあげながら、2日に一度だけお風呂を借りに行く。そんな時期が半年以上もあったのでそれをしみじみと思います。

 


当たり前にお風呂があって車を使えてコンビニに行ける。ケータイひとつでなんでも出来る。そんな当たり前とは違う暮らしを数年して見えたこと。

 


それぞれの生きるための必要なものは違うんです。

いまはほとんどの人が同じように家電を持ち、家を持って暮らしているけれども、それぞれ必要なものは全く違うんじゃないかと自分達で作る暮らしをして感じるようになりました。

 


その話はまた次回にでも。

 


さてと、話を戻します。

我が家のご飯はお味噌汁とご飯とお漬物の日が多いです。

お魚とお肉や他のお野菜のおかずが時々つくけど、ほんとうにおんなじものばっかり食べてます。

 


でもね、私たちはここ数年そんな暮らしを普通にしている文化の残るおじいちゃんや人力で暮らす村で一緒に暮らして感じてきました。

 


我が家の暮らしは質素なようで豊かなんだと思います。

昔はこんなにお腹いっぱいお米も食べれなかったし、美味しい野菜なんてなかったから。

進化してきた技術の力です。

 


粗食であってもごちそうなんです。

 


たった60年前は車がなく馬を使って暮らしてきたそうです。

たった60年前まで。

雪の降り積もる厳寒期、寒すぎて馬にはのっていられず、引きながら歩いて移動したそうです。

 


こんなに簡単に暮らせる、それだけで私たちは恩恵を受けており、有難い日々を歩ませてもらっています。

 


今の時代を経験して私は、「昔の暮らし」にとても興味があります。

豊かに見える私たちの「楽チンな暮らし」は本当に私にとってゆたかだったかをずっとずっとこんな比較を通して検証してきました。

 


旦那さんが多忙でたくさんの便利な家電に家事をしてもらいましたが解決し得ない問題がありました。

 


その大事な話も書ききれないのでまたにしますね。

 


ただ簡潔に言うと、家事をどうにかしたいと言うより、顔を見て話がしたい、今日1日どんなことがあって、あなたがいま何が好きなのかをしりたい。ってことだったんですね。

家族のいまを知り、それぞれが幸せにいまを生きてることを知るって大事です。

 


それも揺るぎない安心感につながっていきますから。

 


暮らしが回ることも大事ですが、暮らしに安心することの方が大事なんだと知りました。

 


共働きの方々でさえ、老後の不安は尽きないそうです。お金はいくらあって不安は尽きないのかなあ?なんで?ってクルクルと考えています。

 


暮らしに安心感を得るにはどうしたらいいんだろう。

大事な問いだと思うのです。

 


いろんなことが次々と起こる世の中だからこそ、それを自分に問う。

そして習慣にしていく。

時には揺れることだってたくさんあります。でも、起こったこと全てに揺るがない強さ少しずつつけていくことが必要だと思うのです。

その土台はたぶん暮らしと家族。

 


そしてその思考は習慣になればいつだってそれは自分を助けてくれます。

 


私はそう思います。

 


何が自分に安心を与えるか、自分はどうしたら安心して生きていけるのかを丁寧に丁寧に考える日々を送っていこう、近頃そんなことを考えております。

 

袋に入れて踏む。

大変だけどそれがいいんだと思います。

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こうしてて大変さと引き換えに安心いただく。

人は身体を動かさなければどこかがさびつき、具合が悪くなっていく気がします。

自分の手足を動かして作り上げたもの、という喜びは生きる力に直結することをこうして知りました。

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精一杯生きる記録として。

大事なことだと思うので記録していく。

我が子がいつか必要になった時にそっと開けるように、記録しておこうと思います。

 

インスタと被ってることもあしどうしようかと思ったけど、やっぱりここには丁寧に残そうと思います。

我が子が自分の人生と向き合い、ちょっぴり私の人生も反面教師にもしながら自分に希望をいきてくれるように。

精一杯生きることを大事にしてきたことが伝わるように。

 

そうして私も言葉にしてまた心に落として今日をさらに丁寧にいきていけるように。

 

家族間のこんなこと言わなきゃよかったな。ってことをもう言わなくて済むように。

したくないのにしてしまう行動、未だ時折あらわれる攻めたくないのに攻めてしまう自分の思考、「しっかり自分で味わって変わっていく」成長していく人間でありたいからね。

自分の過去を憎んでも変わらない、変えていけるのはそれを受け入れて経験に変えて、じゃあどうしたらいいかに向かっていくこと。

 

苦しかった過去があったから今の幸せを感じられる。

 

そう思えた時点で苦しみはだいぶ消化されます。

乗り越えた自分にハグしたくなるし、そんな自分が希望に変わります。

自分が変わっていくってそう言うこと。

自分に期待し、もっと好きになっていく作業。

 

幸せは作るものではなく、感じるもの。

そういう素敵な歌があったけど、わたしも日々の小さな幸せをたくさん感じられる人でありたい。

でもね、幸せを感じる心は自分だけのもの。

もっと生きるのが楽しくなっていく自分に期待しながら生きていく、という幸せを生み出すことなら自分で作っていけるとも思ったんです。

でも感じる方、と言う、与えてもらってることの方がはるかに多い。

 

感謝がつきません。

 

 

自然療法と好きなこと。

水引とまき玉を合わせて、こっくりとした色にしてみました。

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日本の伝統手法、飾り編みを水引で編んだらとても素敵になりました。

 


左、日本の自然から生まれた表現では「ナス紺」と呼ばれる色。ナスのようなツヤのある色です。

それに着物のように鮮やかな紫のまき玉を編んでみました。

 


右は蘇芳色。

くすんだ赤っぽい色で元々はマメ科スオウの樹皮から色をとって染めたそうです。

 


日本固有の名前で表現される色がたくさんあることを知って驚きます。

 


そしてね、昔はこの繊細な色表現を草木染めで出していたんですよね。すごいです。

 


ちなみに蘇芳色には昭和の飴玉のような優しい色に編んだまき玉を合わせてみました。

 

手仕事もないわいにしたくて、せっせと身体に刻んでいます。

人様への贈り物、という意味ではすでに生業。

あとはこれでお金が巡るといいなあ。

パーマカルチャーといえど、日本で暮らすにはある程度のお金が必要です。

そう、あったらそれもまた豊かです。

それも受け止めながらこの暮らしをした方が、経済社会と戦わなくて楽ですから。

経済社会も自分たちのご先祖様が望んで向かった方向。

みんなそれに夢を見たんでしょうね。

 

食べ物までもが変わりつつある現代だけど、それをあくにしてしまうと苦しくなるのは自分。

でも食べ物は伝統的なものを支持したい派なので、自分たちのスタンスは変えないですけれどもね。

 

 

 


以下、小さなつぶやきです、笑。

「自然療法と好きなこと」

 


このイヤリング、昨日お世話になってる方に贈ったら早速つけてくださってとっても喜んでくださって嬉しかったな。

 


ただ漠然と「大人の期待に答えること」「褒められること」がいつも念頭において育ってきたわたしの子ども時代。

 


けれども、だから自分はダメなんだと責め続けた私に、自然療法の我が家の恩師は、「何も責めることはないんだよ。あなたはそう生きてこざるを得なかったのだから。身体を治して、ゆっくり自分らしく人生を歩めるようになったらいいよ。」と言ってくれました。

 


ムスコの喘息でおとづれたクリニックで「ムスコさんが具合が悪いということはお母さんも何かあるってわけだ。」そう言い、血液検査を勧められ、ハテナマーク全開で検査を受け、その解析を聞いたらどんぴしゃり。

 


だるいことなんて当たり前だった日常、すっかり忘れていましたが、あの頃の私、橋本病、低血糖、身体の痒みという症状で日々悩まされてました。

 


まだ完治ではありませんが「排泄がきちんとされる身体に」、それを念頭に置いた食事療法などのおかげで日々生きる私の身体は今、とても軽くなりました。

 


「大丈夫。病は治すと自分でちゃんと決めること。その覚悟が決まったら、身体を整えると、自然に心も整っていくから。」、先生がいつも言ってくださった言葉。今は我が子にもシェアしている言葉です。

 


「心が整っていく」、そんな時期に入る頃には、私の体の辛さはだいぶ抜け、幼い頃に経験した辛さと向き合う準備もできておりました。

そうして自分が向かいたい方向と実際の自分の言動の矛盾を丁寧に擦り合わせながら生きてきたこの4年。

 


今は起こったことは全てわたしの人生のストーリーだと思っています。

嬉しいことも辛いこともわたしのストーリー。

どんな時も自分です。

そしていろんなことがあるんです。

 


虐待家庭で育った過去を笑って話せるくらいになり、自分のストーリーとして整理されて、胸にあります。

両親を許すとか許さないとかそういう事ではなく、彼らもそうせざるを得なかった育ちや人生があったんだと解釈しているのです。仕方のなかった事、そう思えるようになって楽になりました。

そんな家庭で育ちましたから、大人の目を気にしすぎるし、自分の考えはあまり持たないし、の人生でしたが、病で自分と向き合ってきた事で、全てが自分のものだと思うようになりました。

 


私の生き方が少しずつ自分の感覚に寄り添って営めるようになってきて思います。

 


過去の自分、今の自分の未熟さを抱えながらも、私はどう生きていきたいか、それだけなんです。

 


私にとって自然療法は、恩師が身をもって体験させてくれたように、自分の身体と思考が自分から発せられるものとなり、自分らしくいきられるためにあるものだと感じています。

 


地球上の他の生き物たちのように、自分の足でいきていく。

個性のある中で調和しているのが自然です。

 


私にとって食事療法も、ふんどしおぱんつで血流を良くすることも、「術」です。

 


自分らしく優しさを使い、楽しみ、落ち込み、そんな山あり谷ありを、いろんなことを経験しながら積み重ねていく。

 


自然に生きていく。

私の人生にとっても大切なエッセンスを教えてくれた先生、寄り添ってくれた家族、耐え抜いてくれた私の身体に感謝がつきません。

 


そんな積み重ねの日々の中、見つけた大好きな手仕事。

自分を思い切り喜べる大好きなこと。相手を思い作ったものが喜ばれたことは私にとってこの上ない喜びです。

自分で生み出した喜びを一つでも多く感じられる生き方をしていけたらいいな、と思います。

 


好きなこと、好きな人、好きな場所、好きな音。

それを日々の中に一つでも増やしていける日常を。

 


「身体を楽にして自然な流れにのせる。あなたが自分らしく生きられるようにお手伝いするのが私のお仕事です。」

先生ありがとう。

そんなことに意識を向けられるようになり、病になったことすら私が自分の人生を受け止めるためのストーリーだと捉えることができるようになりました。

病と共に生きる今日も私の大切な1日です。

楽しもう!