どんな相手に対しても「その人の全てを否定しない」ということのやさしさ。
ムスコ、薪を集めて火起こししてご飯を作ってくれます。
ナタを使って竹細工もできます。
バナナの葉っぱの上に転がせられた赤ちゃんを抱っこし、大人と一緒に農作業をしたり、家を建てる手伝いをしたり、木登りして大好きなナッツをとったりします。
世界中の人に興味があり、お友達になるのが楽しいそうです。
これまでは勉強ではなく、暮らす知恵を身につけるのが楽しかったムスコ。
算数だけは好きで、歩く電卓並みの速さで計算をしてくれます、笑。
これからはまた興味が移っていくかもしれません。
そんな息子を見ていて、いいな、って思ったことがあります。
今は日本におりますが、そんな毎日の中でも日々をワクワクして過ごしているそうです。
毎日「楽しい」んですって。
今日は何をしようってワクワクするんですって。
もちろん日々の暮らしのその中には不安になったり、悔しかったり、もどかしかったり色々な瞬間があると思うんです。
ただ楽なことだけではないということもそんな日々の中で味わってきたのだろうと想像しています。
旅に出ることもあるので学校に行かない日々もあります。
けれどもね。学校に行かない正当性を主張したくて書いてるわけではありません。
いっても行かなくてもいいって思ってます。
学校の良さもありますから。
友達に会う楽しみもあるでしょうし、勉強が好きな人もいて、学校が本当に楽しい人もいるでしょうからその気持ちも大事です。
それだけの人が出入りすると恋バナで盛り上がることも楽しいでしょう、😆。
大人がいい場所、嫌な場所と決めることでもないと思っています。
ただ、それぞれの大事にしたいことを大事にできる心の余裕が持てる生き方ができたらいいなあって思います。
暮らしを楽しめる人からその楽しみを学び、勉強ができる人からはその楽しみを学ぶ。
得意なことと不得意なことがあっていい。
それに秀でた人をたたえ、学び、逆にその人ができないことを自分が伝え喜び合えたらいいなって思います。
多分、「みんな」、すごいんだと思うんです。
そこからワクワクが生まれてくるのかな、って。
お互いを尊重しあえる空気が生まれてくるのかなって。
それを息子がわたしに教えてくれました。
わたしができないことが劣等感で、できる人をすごいと思って憧れてみたり、できない自分をごまかすために、自分のできる部分を主張して体裁を保ったりしてきたけれども、ムスコの行為を見て、ハッとしたことがあります。
ムスコは年齢を問わずお友達になるのが上手な人です。
年齢の下のお友達もたくさんいて、その子達が、これできるんだ、すごいでしょーって「みてみて」をしてきた場面がありました。
それを見たムスコ、「すごいね!!僕が7歳の時、そんなことできなかったわー!!いいねえ!!」って感情を込めて話していたんです。
そのお友達のお母さんも、あんなに自慢げに言われたら自分だってっていっても普通なのに、ちゃんと立ててくれて、感動したよ、ありがとう。と、そのあとムスコに、こっそり。
ムスコ、ことも投げに、「だって本当にすごいと思ったからさー、僕できなかったからー。」と。
思えば、彼はいつもそう。
自分の苦手なタイプの人ができることに対してもきちんと自分の中にしまえる人なのです。
「あの言い方はやだけどね、あれができるのはすごいんだよねー。」
いろんなことをごっちゃにせずに人をみているようなのです。
それぞれの得意なことを認める。
その人の全てを否定しない。
何よりも大事なことかもしれない。
そう感じました。
わたしは今だにできていないなあって感じます。
羨ましくなったり、あせったりして、今の自分は今の段階であるけれども、それでも、自分のペースでステップアップしてきているから十分なんだ、っていう気持ちが弱くなる瞬間があるのです。
自分を認めること、自分に満足をすることが、なかった子ども時代がありますから仕方のないことですね。
それでもいつもそんな時でもないですからゆっくり行けばいい。
たくさんの気づきをくれる子供たちに感謝をしています。
自分の児童時代を考えても、お互いを認め合う、尊重しあう。
比較することが多い学校生活では、少し苦手な分野である気がします。
でも、学校が悪いわけではなく、これはお家で認め合う、尊重しあう、ことを積み重ねていけば、ベースはいつでも家族ですよね。。
そうしてやりたい、そうしたい、ことは学校に期待するのではなく、自分でしていく必要があること。
学校で人のうちに電話をかける方法を教えるのもちょっと不思議だなーって思います。
もうちょっと生活がゆっくりならば、伝えていける気がするのにな。
広告のない環境、順位をつける必要もない環境で暮らしてみて、先進国は、誰かと比較し続けることや、習い事やいろんな「新しいいいもの」の情報がありすぎて、大人だけでなく子どもたちも心がちょっぴり忙しい毎日になってる気がするんです。
自分も含めてそれぞれの持つ「いいもの」に気づける生き方をしていきたいな。
ふとそんなことを思いました。
それに気づかせてくれた森の暮らしと、家族と共に暮らした仲間たち。
スローライフの深い意味を感じています。