日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

自分の力で何かをできるようになるということ。

インスタにも書きましたが、改めまして。

 

山で暮らすようになり、自分の力で何かをできるようになるということの尊さを感じています。

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(すきまをうめないとなりませんが、お風呂の天井を作ってみました。

やってみて、それがどれだけ難しいことなのかを痛感しながらも、やってみてできないことはないんだって自分に希望を持てました。

ああ、わたしにはむり、って諦めてきた人生だったけど、何をやるにも、やってみたら出来るかもしれない、って今は思えます。

自分の力でできるかもしれないことの可能性の大きさをこの暮らしでかんじています。)

 

生まれた時から、だれかが立ててくれた家にすみ、誰かが作ってくれたお野菜をいただき、服を着ていたわたし。

 

 

 

暮らしのことで自分ができることの少なさについて、この暮らしを始めてきづくことがふえました。

自分が飲んでるお水もどうやってきたのかイマイチわからない。

車で便利に移動できるけど、壊れたって直せない。

 

そう考えだすとほぼ全てがそんな状態だということに気づいてしまったのです。

 

なんでもお金を出してすぐ買えることが、豊かさなんだろうか。

広告に煽られ、次から次へといろんな食べ物を食べて、美味しい美味しいっていうことが、豊かさなんだろうか、って考え始めてしまったのです。

 

ほしいものをコントロールするのではなく、お金をたくさん求めることで、忙しい暮らしになっていくことって、自分にとって幸せなのだろうかと、問うようになりました。

 

 

そして気づけばこんな暮らしをしています。

自分で色々やってみたくて仕方がないのです。

自分でやってみたらなにがわからないのか、自分はなにができないのかわかるから。

 

そしてね、できることが一つずつ増えていくって面白いのです。

そしてそれがつもりつもって、暮らしの安心感につながっていくことを知ったのです。

停電したらこうしたら大丈夫、水道管が壊れたらこうしたらだいじょうぶ。

非常食にしてもそう、お味噌を作ったりも長期保存可能な漬物を作ったり、常に非常食をスタンバイしておける暮らしをすることができます。

 

冷蔵庫のない暮らしは慣れればなんも不便ではなく、むしろ、突然の停電でもなんの焦りが起こることもなく、ラッキーなんじゃないか、とすら思える、笑。

もともと保存する生活であれば、食べるものもしばらくは得られるし、解凍されて腐ってゆく心配も必要ない。

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(はじめてのキムチ風漬物にトライ。不便さに慣れたので、100均やコンビニにいかずに、とりあえず必要なことは自分の身体を使ってなんでもやってみようって気持ちが芽生えました。そうしたら、自分で出来ることの多さにびっくりと同時に嬉しくなりました。漬物の種類も増え、豊かな冬を迎えさせてもらっています。。)

 

便利と不便はきっと、紙一重なんですね。

 

 

そうしてわたしは以前よりいくらか、「自分で出来ること」を増やすことができました。

服を作ること、お漬物をつくること、麹を作ること。

子供達に寄り添うこと。

自分が大事にしているものは何かを常に自分の感覚で考えていくこと。

 

人のせいにしなくていい日々は楽です。

期待して思うようにいかなくてイライラしたり、せめるひつようもない、心の穏やかさがあるって幸せです。

何かが壊れた時、自分で直せれば、無駄にクレーマーにならなくてすみます。日本のサービスはすごいから、なんでもやってもらってることに慣れてるけど、そのクレームの処理をしている方のストレスを思うと、なんでも頼るのってどうなのだろう、っておもうのです。

 

ついでに言うと、電化製品とか耐久性の悪いものを作るのが現代の流れらしいですが、そこまでしてお金を回すよりも、人々が誰かのせいにして文句を言うのではなく、助け合って直せる世の中の方が気持ちいいのかもしれない、とも思いますが、笑。

自分で出来ることが増えるって希望だなって最近すごく思うのです。

 

 

だからね、子供達をみていてしみじみと思う。

何かが自分の力でできた時、ああ、うれしいね、よかったね、って。

少し大きくなったムスメは自分で出来ることがぐっと増えました。

 

 

「ポーチに紐を通すこと。

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かなチョロをさわれるようになったこと。

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ジャックヲランタンを作りたくて、自分の手と頭を使って彫刻刀を操り、好きなものを作ってみるこ

と。

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大きな丸太を自分の力でどう動かせるか考えて私たちを手伝ってくれたこと。

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最近、ムスメのできるようになったことのうちの一部です。

 


数ヶ月前から紐通しにチャレンジしてたムスメ。

今朝、わたしの仕事を横取りするのでみていましたら、小さな安全ピンを操って、小さな紐通し道にゆっくりと紐を通してくれました。

 


「はい、できたよ。」

 


あんなに時間がかかってたのにすっとやってのけたムスメ。

 


ちょっと前まで、ずっと、両手の動きが難しくてうまくいかないっていっていたのに。

 


スッキリした顔でやってのけた様子をみて、興味のあったことをやり遂げた安心感と、自分でできた満足感を味わっていたのだろうなと、ふと思いました。

 


今日もまた一つ、自分の手足を使ってなにかができるようになったムスメ。

 


それってすごいことだと思うのです。

 


自分でできるということは、自由度がぐっと上がります。

 


自分でできるということは、好きな時に、好きなように、何かを満足のいく形にしていけるということ。

自分を信じていく土台になっていく。

 


彼女は今、読み書き計算ではなく、暮らしに時間をかけています。

 


読み書き計算に興味を持つようになったら、そこに気持ちを向けていくのでしょう。

 


冷静にみていて、これも全て学びだなってつくづく感じています。

 


そして、こうして自分のペースでできるようになっていくのもいいな、ってこどもたちをみていておもいます。

 


誰かと比較して焦ることなく身につけた経験は、大きくなっても誰かを待つ、という行為につながっていくのだろうなと想像しています。

 


いまの彼女が小さな人のやりたいに寄り添ってくれているように。

 


こんな時間を大事にしたいと思います。

 

自分で何かをできるようになるっていうのは素晴らしいことです。

大人になってもそこにはかわらないよろこびがある。

そうして、自分がどう生きしてもらっているかをしる、って素晴らしいことだと感じています。

お陰様で、わたしは今、自分がいただいている恩恵に、24時間ずっと、感謝の思いを抱き続けています。

 

家族が元気でいてくれること、水が凍結しないで朝を迎えられたこと、昨夜の大風で、木が倒れてこなかったこと、朝からストーブに火を入れられること。

 

そんな恩恵をいただいてるわたしの体だから、その命を大事にしながら生きていきたい。

子供たちがいきることをたのしんでいるようにわたしも、自分の身体も存分に使って生きることを楽しみたいと思うのです。

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(ムスメとのふたりだけのじかん。人と一緒にいると、ちょっと緊張しやすい性質を持ってるので、こうしてたまにムスコからも邪魔をされない静かな時間をもっています。この時間がムスメは大好きなので、わたしが特に大事にしてる彼女との時間です。心地よさをたくさん味わいながら生きていったら、彼女は日々を安心の中で生きていけるし、成長してわたしの元を離れても、「自分が安心できる場所」を自分で見つけられるようになっていくだろうから。)

 

 


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