豊かな暮らし
インスタより引用してます。
一家4人ワンルーム暮らしの我が家。
この時期の朝は、キッチンの窓から入る光が、もみじ色に染まるということを知りました。
うちの中まで紅葉色。
四季の移り変わりが本当に心震えるくらい美しくて冬支度で大変だったことしも、豊かに過ごせてありがたいなあって思わさります。
我が家の薪も満タンになりました。
丸太の重さが答えて1週間も頭痛でほとんどねれなかったけれどこうして冬を安心して迎えられることに自然にも、動けた自分の身体にもありがたいなって思うのです。
あとは三人目のおじいちゃんの分が一軒分、もう少し頑張ろう。
北国に欠かせない二重窓も手作りです。
今年は旦那さんが頑張って断熱と二重窓をこさえてくれたので、私も意を決してお風呂の壁と天井を作りました。
どちらも冬までにしなければならなかったことだから。
こうして自分たちの手で冬支度をして冬を迎える。
自分のしたかったことがようやっと形になった気がします。
3、11の震災で原発事故が起こったあのあと、まだ電気の恩恵も対して受けてきていない小さな我が子に核のゴミという負債を負わせることに愕然として、私は、責める先のない悔しさを抱えました。
何がいけないのか?
誰がいけないのか?
起こってしまったことを目の前に私はどうしたらいいのか?
そうしてたった1つだけ確かな答えを見つけてしまったのです。
そういうものに頼ってることを知らなかった自分のせいだ、と。
便利な中で生きてきた私は、電気の恩恵も、石油の恩恵も、自然からの恩恵も、当たり前のように使ってきたんだよね。
どこからこの恩恵がきてるのかを知らず、食べ物を食べ、旅行をし、好きな服を買ってた。
どんな風に、どんな思いで、どんな人がそこに携わって目の前のものが存在していたのかをこれっぽっちも知らなかったから、それを止めることができなかったのかもしれない、と。
そんな自分にまた愕然としながらも、いきていく方法を考え始めていました。
自分だけではなくこれから生きていく小さな人たちの未来に希望が注ぎ込むようにするにはどうしたらいいかと、見えない糸を手繰り寄せるかの様に探し続けてた。
そして言葉よりも行動と思いが先立ち、ことが進み始めていたようなのです。
「自分がどう生かしてもらっているかを知っていく。」ということを知らず知らずのうちに追い求めていたらしいのです。
それに気づいた頃も、自分でここまで暮らしを作ろうとは思っていなくて、どう生かしてもらってるのか知りたいだけだったのにね。
どうやらそれを知るためには、自分の手足を使う必要があったらしくて、それ以外の方法がわたしには思いつかなかったようなのです。
ライフラインのない村で家族で暮らし始め、そうしてはじめた暮らしはいつの間にやら自給自足へと向かっていました。
でもはっきり行って、今でも全然自分で足らせる(=自給自足)ことはできていません。
わたしの下手くそなお風呂の壁だって、知恵をくださった方と廃材をゆづってくださった方がいてはじめてできたことでな訳で全然自足してません。
そうしてきづいたきと。。
自給自足らしきことができる、というのはたくさんの人や物、こと、があってはじめて成り立つことなんですよね。
寒さも窓が少ないゆえに(なかなか窓をつける工程までたどり着けない、笑)明るさが足りないことも、専門業者さんに頼むことに比べたら、足りないことだらけのお家だけど、わたしたちの手作りのお家には、私たちのもがいてきた故に得た人生の希望が詰まっています。
自分たちで苦しんで動いて試して、こうしていきたいんだってことを家族で確かめ合った全てがここに形となっていて。
私たちが学んだ一番のことは、日々を過ごせることに対し、家族をはじめ、たくさんの人や自然、もの、ことに感謝が湧いてくる、ということ。
自分の人生は感謝とともに成り立っているのだということを3、11よりも前に知っていたらなにかが世界の埃1つ分くらいは変わっていたかもしれない、そうちょっぴり思います。
でもね、今更でも仕方がない、学んだことを生かす人生を送ろうと思うのです。
感謝がまず先にある日々、それは、わたしにとってそれ以上の豊かさはないだろうなあってじんわりと感じています。
自分たちで何かを直せる、暮らしを作っていける、その経験から得た安心感はとても大きくて、そして「そんな自分で在れること」は日々自分を信じる力を生み出していくことができ、穏やかな自分にますますなれていくような気がしています。
それを言葉にしたくて綴りはじめたインスタ。
今日もいい朝が迎えられていることに感謝しながら。
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