今できること、今本当にやりたいことを、行動に移してみること。
うまくまとまったのでインスタより引用しています。
これから4記事ほど引用して記録します。
この夏はコロナのおかげで思ってもいない時間を過ごした。
大人はいいけれど、子どもたちにとっての一年を無駄にしたくなくて、人との接触を減らしながら今の最大限の挑戦をした。
歩いてキャンプ場をめぐる、という旅。
仕事の集中したい旦那さんを置いて、母子でのサバイバルライフを。
あえて旦那さんのいない旅を選んだ。
わたしも子どもたちも一番頼りにしていた存在を持たないで旅に出た。
バックパックの中身は登山用の1人テント。寝袋。
一口バーナとお鍋一つ、ナイフと弁当箱とお皿兼ねてのタッパー。
アレルギーのムスメのため、外食ができないのでお味噌と塩。そして着替えとタオル。
歩いて背負う荷物はこれ以上増やすことはできない。
帰る日は決めない。子どもたちの希望に合わせて移動しながらその日の寝床に向かう。
彼らが決めたことに一緒に挑戦していこうとだけ決めた。
地図を片手に子どもたちの希望するキャンプ場に向かいながら公衆電話を見つけ、やっているかどうかを確認する。
コロナで閉鎖も多かったキャンプ場、電話を持たないわたしにどこまでできるかわからないけれど、うちを出た。
わたしを頼りにしても、目的地につけるかわからない。
それを理解していた子どもたちは、それぞれが自分のできることをフルでやって、まさしくサバイバルなひと月を過ごした。
農道を延々と歩く。
この途中に何があるのだろうと思うを馳せながら。
歩いた距離は100キロを超えた。
徒歩での移動は1キロ間違えて引き返すのも容易でない。
目的地に3時までにつけなければ日が暮れていくことを覚悟して動いた。
ナビだけは持っていたけれど、充電がままならない徒歩移動。
道に迷い充電が切れ、なぜか持ってきた地図帳もそこだけ破れていたこともあった。
途方にくれたわたしは子どもたちにその日の行方をゆだねた。
時刻は2時。
子どもたちは相談して、もう1時間歩いて見つからなければ日が暮れる前に引き返して駅に向かって、自宅に帰ろうと決めた。それならば夜中までにはうちにつけると。
わたしが12キロの荷物を背負い、農道で膝を痛めてそこから動けなくなったこともあった。ムスコがわたしの荷物をもち、ムスメが息子の荷物を持ち、わたしが小さなムスメのカバンを持ち、びっこをひいて地図にあった公民館を目指して電話を借りてパパに助けを求めたこともあった。
本当にサバイバルな日々だった。
帰ってきて第一声がパパいつもありがとうね、だった。
パパの存在がとても大きいことに感謝の日々だった。
支え合うってかけがいのないことだと心から感じた。
キャンプ場に泊まり、野営場に泊まり、山に泊まり、湖に泊まり、海にも泊まった。
このバック一つでわたしと子どもたちはひと月を暮らした。
セミの羽化を見た。
自然の中で暮らしたから見えた奇跡の瞬間。
暮らしの道具は対して必要ないことを知った。
その代わりにわたし達は心にたくさんのお土産を詰めてくることができた。たくさんの人に優しさをもらい、寄り添ってもらった豊かな時間だった。
そんな年を過ごし、最近ふと気づかせてもらったことがある。
子どもたちにとってわたしは頼ったり任せたりする存在では、ないらしい。
支え合う存在だと思ってくれてるらしい。
彼らはいつでもわたし達を助けてくれてる。
ここ数年積み重ねた時間で、関係が変わったらしい。
こんな旅ができたのは彼らのおかげだ。
彼らがいて、ここ数年の時間の積み重ねがあったから。彼らは自分の力で考えて動いてくれた。
生きていく、ということの厳しさをライフラインのない暮らしでお互いに感じ、経験してきたことが生んだこの年の経験。
いつでも本気で生きていかねばならないことをわたし達母子はこうして再確認した。
自分の人生は誰の責任にもできない、自分で目の前のことを判断し、いつだって決断をしていくしかないということを。
ライフラインのない暮らしの話はまた次回にでも。
生きて行くということは支え合うことなのだと確認したこの年の終わり。
いろんなことがあるけれど、豊かさを感じられる生き方ができた一年に感謝をしています。
家族に。
想ってくれる方々に。
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