日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

我が子に怒鳴っては寝顔を見て泣きそうになりながら反省してるお母さんへ。

あけましたね。

なんだか私のつぶやき日常ブログをとっても読んでくださってる方がいらっしゃいます。

ありがとうございます。

自分の思考のために書いているブログですが、自分らしく日々を積み重ねていけることを目指して、生き方を整理していくために書いております。

7年かけて、私自身虐待母返上いたしました。

虐待過程で育ち、自暴自棄だった過去の自分も、隠すことなく自分の一部として今は私の地層になっております。

それがあったからちょっと変わってると思われるのが怖い、とも思ったけれども、こうして人様に力を借りて、エンジンかけて、今は自分の力もフルに使って自分の生を楽しめるようになりました。

自分が消えてしまいたくて、どうにかなってしまいそうだった過去も今は、それがあるからこそ、自分の誠意がきちんと見え、整理する力がついたように思います。

 

自分が楽しくいきていきたいし、自分の子どもや家族には幸せでいてほしい。

 

そう思うと誠意無くして日々を営むことができなくなり、そうしてるうちに自分がどうにかなってしまいそうだと思うことは全くなくなりました。

生を終えるその時まで自分の誠意を持っていきていく自信がつき、生きやすくなりました。

自分がなりたかった姿は優しい人で、そんな自分で楽しく生きていきたいということ。

親にもらえなかったほしい愛の形を求め続けてきたけど、自分が優しい形でそれをそれを求めて行ったら今からでも十分にかなうことも知りました。

だから私は今思います。

生きているだけで限りない恩恵を受けており、何をせずとも、今私の体が軽いことが奇跡なのだと。

日々は恩恵の塊であり、感謝に尽きないことを、苦しかった過去があるから感じられます。

 

親もずっと苦しみを抱えてきており、いまだに抱えているんだと思います。

幼い頃から私が支えてきたけれど、私には支えきれないほどだった。

それと、親自身がそんな自分と向き合う努力ができなかったんでしょうね。

親を対等に思うようになりました。

苦しかったよね、って涙出ることもあります。

 

わたしの親は家を出た私と会うことを避け続けてきました。

幼い頃から、家庭内別居、怒鳴りまくるのが日常も親の苦しみを思いよりそってきたつもりでしたが、ある時、ふと思ったのです。

私は生まれた頃からずっと寄り添ってきたのです。

親を怒らせることも心配させることもしないように細心の注意をはらい(実際はそれでも怒鳴っていたけれど)、どこに行っても褒められる子にてっし、親の自己肯定感を保ってきた。

 

けれども結婚をしたいといった私も許せなかったのです。

一年の説得の末、何かと理由をつけて応じない親に私は意を決して出ていく旨を伝えました。

そうとはいえ、出た後もなんども顔を合わせに向かいました。

けれども、ウチの娘は死んだから、と言い続け、贈り物も全て送り返されました。

孫の顔も見たいかもと会いに行きましたが、受け入れられなかった。

 

ある時、恩師にアドバイスをいただき、母の過去を調べたことがありました。

そこで母が幼いうちにある期間預けられたことを知りました。

思い返せば、母が唯一私に話してくれた自分の過去の話がそれでした。

母はどうやらそこで心を閉ざしたようなのです。

多分過去のことをあまり覚えていないがゆえに私に過去の話をしたことがないのでしょう。

過去のことを忘れたかのように語らない母、ご近所トラブルもおおく、私はいつもすみませんという役でした。

 

母を喜ばせたくておどけてみたり、パーティをしたり、うちをでたのもだいがくをでてから、ひたすら母と父に寄り添いました。

大学へは往復5時間の道のりでした。

それでも私は母を守ると決めた。

だから父にも寄り添いました。ここのバランスをどうにか保とうとした。

けれども無理でしたねー。

 

うちを出た後、私が会いにいくたびにむすめはしんだ、と伝えてと、兄弟にいい、ふと出てきたら孫のいる前で冷たい顔でそう答える。

自分が置いていかれた悲しみだったのだと想像しています。

でも、私は四六時中母を支えてきており、孫の前で、彼が怖がるような冷たさで答える母に、もう十分に支えてきたと感じ、距離を置くことにしたのです。

 

新しい家族との関係を築きたいこと、でも、家族らしい安心感を知らない私は、その時に愕然としたというのもあります。

とにかく必死で自分の人生を歩かなければ、我が子まで、ひきづり込んでしまうと母の冷たい顔を見て思ったのです。

 

もう十分に寄り添ってきた以上、この先は母自身の問題だと、私は気持ちを切り替えました。

何年もわたしを自分の分身ではないと受け入れられない以上、母にとって私が寄り添うことは、彼女を混乱させ続けることにもなるとも考えたのです。

もう私の手には負えない、母の幸せを願うからこそ、距離を置く。

そう決めました。

 

幸せになったことがない、と母は言います。

けれども私は自分も母にさせてもらって親孝行なんていらないくらいの幸せを我が子にもらいました。

生命の誕生、愛されるということ。

旦那さんからも同じ。どんな過去を話しても静かに聞いてくれて、私は過去を整理してきました。

こんなブラッキーな過去を話すのは怖い、とおもいながらも話しましたがありのままを聞いてくれました。

 

全てを話しおえ、じぶんはいまのかぞくとどんなかんけいでいたいのか、私自身はどう行きていきたいのか、整理し続けながらすうねんたってようやっと自分の身体と心がぴったりあって心地よくなりました。

 

2人目の我が子が生まれて数年は、旦那さんも忙しく私も虐待母状態。

必死にそこから這いずり出て、自分に必要なことを求めて、えて、自分が本当にありたい姿をようやっとイメージできるようになって。

 

幸せになったことがない。

 

私はちょこっとたりともそうは思いません。

母の心の闇の深さをそうぞうします。

 

あんたも幸せになんかなれない。

そう言いながら子育てをするしかなかった母を思うと切なくなるけれど、我が子がくれる幸せと向き合うことができなかったんですよね。

 

虐待をせざるを得ない人の苦しみを私はいくらか想像できます。

いや、だいぶ想像できるかもしれません。

もうどうしようもない自分がいるんです。

 

母もそうだったのでしょう。

私は母にたくさんの心からの優しい言葉をかけてきたつもりです。

いまでも母が幸せを感じらることがあるといいなと祈ります。

私は母に祈るという形で寄り添うことに今はしています。

そしてもうできることは十分やったから、次は自分と我が子に注ぎたいとはっきりと思います。

 

母にもらえなかった愛をずっと母に求めるということをすっぱり諦めました。

 

もうスッキリと経過した母との話をひょんなことから誰かにすると半分以上の確率で言ってくださいます。

「血が繋がってるんだもの、いつか分かり合える日が来るわよ。」

と。

そういう親子関係もあるのだろうと思います。

けれどもね、そうはならない親子の形もあるだろうなと私は想像しています。

 

それを心の中でうっすらと感じた私は母ではなく、助けてくださる方に甘えさせてもらって私は自分を立て直しました。

人生をやり直すくらいの覚悟で、親子関係の苦しみを我が子には引き継がないときめた。

 

それから私は母からもらえなかった愛をくださる方にたくさんであって、生きてるだけで恩恵を受けてきた自分がいることに気づかせてもらいました。

全ての神経を集中させていただける優しさと愛をたくさん感じられる中に身をおくことにしたのです。

 

そうして数年たって、自分の感覚が変わり始めた感じをえました。

こんな自分が愛されるんだ、というところから、自分にもしっかりとせいいがあることをかんじられた。

そこから完成はどんどん柔らかくなり、食べ物があり、景色を見て綺麗だって思えることの奇跡をしった。

そして思い出した。

辛かっただけに思えた自分の子ども時代にもほんの一瞬でも楽しいと思えることがあったことを。

そうして、おもった。

もしかしたら、そんなわずかな幸せの自分の子ども時代だって、周りを静かに見渡せたら自分を助けてくれていてかたがいるはずだと。

それに気づけなかったことだけが、ちょっぴり、ちょっぴりだけ、もったいなかったね、って自分の過去に思いわらいました。

今でもそう笑いながら自分の過去を思い出します。

 

全てが自分の人生で今があるから。

たくさんの愛に気づき、それが一致して過去の辛い記憶から逃げる必要も無くなったので、私は今の自分の幸せをあえてたくさん感じるようにしています。

頭でおもう以上に傷ついてきているはずだから、これからも私は愛と幸せはいつまでも感じ続ける必要があるとおもっているから。

 

そんな人生を送ってる私が、少しでもどなたかのお役にたてたら、いいなと思いながら綴り始めた記録。

自分のこと。

親とのこと。

旦那さんとのこと。

我が子とのこと。その他諸々。

 

もちろんカウンセラーではないので、人様の深い悩みの相談に私は乗れません。

それと、私は今でもまだ自分と家族との関係づくりに集中していく必要があるので、ここで言葉でお伝えしていくしか方法は持つつもりはありません。

でもこうして綴っていくことで、虐待を受けてきた人がご自身の心の傷を癒す方法を見つけるきっかけになってくれたらいいなと思います。

それと犯罪を犯さねばならない心になってしまう人が減ってくれたらいいなと、小さく願っています。

 

虐待なんて信じられない、こんな犯罪信じられない。

そういうことが起こるのは、きっと育ちの過程で起こったその人の苦しみです。

そんな苦しみを抱えながら生きてる子どもが、1人でも優しい大人に出会えていたら、そんなことは防げるんじゃないかと思うのです。

学校や児童館でだれか1人ハグして迎えてくれる先生がいたら、自暴自棄にならずに済むかもしれません。

毎朝、ゴミ出しついでにおはようって声をかけてくれるだけでもいい。

ひとをしんじられるようになるかもしれません。

誰かに相談するという術を身につけられるかもしれません。

自分の闇を自分の中に押し込めずに済むかもしれません。

 

 

それぞれにいろんなことがあるから、苦しいのは自分だけじゃないんだよ、って知ってもらいたいなとも思います。

みんな苦しみも抱えながら生きてきてる。

今までの苦しみからはい出すことができる力を持ってるということも知ってほしい。

 

我が子に怒鳴っては寝顔を見て反省してるっていうお母さんもいました。

一つずつ自分の育ちを整理していったらいいと思います。

ゆうきをもって旦那さんにたすけてもらって、過去を思い出して整理して、自分がいやなことは子どもにもしないと自分の身体に染み込ませていく作業をする。

旦那さんは聞いてくれるだけで1番のよりそいびとになってくれるとおもいます。

 

家族で超えていくこと、自分の問題は子孫まで引き継いでしまうこともあるから丁寧に丁寧に自分の嫌なことと向き合って行ってください。

 

どんな方が読んでくださってるのかわからないけれど、ちょっとおもったこともしたためておこうとおもいます。

 

どんな方も希望にみちたいちねんになりますように。