日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

子どもにやめてほしいことを伝えるとき。

いろんなお子さんと接していてふと思ったことがありました。

それぞれの特性や個性からの気づきで、学ばせてもらうことも多々あります。

 

私の日々は子どもたちと過ごすこと、なのでその中から気になったこと、気づいたことをいろいろ考えて自分なりに整理して、じぶんのこれからがまたよりよく在れるよう、かんがえていきたいとおもうのです。

 

親御さんが、これやめて、って言ってもずっとやり続けていたことがありました。

上手に言葉が出ないというのも1つの理由だと思います。

でも、私は、嫌だよ、って言われてもなんどもやり続けているのがとても気になりました。

なぜ、彼はそういう表現になってしまうのだろな、と。

いろんな事情があると思うので私の考察にすぎないけれども。

 

 

そして、我がこの場合はどうだったかな??って思い返しました。

そうしてふと、わたしとムスメの関係の中でどうしてもやめてほしい気持ちが伝わらないことってなかったな、って思いました。

 


疲れていて本人自身が整理できない時を除いて、本当にそれはわたしにとって嫌だからやめてほしい、ってことは結構小さな頃からムスメには伝わってきた気がするのです。

 


わたしが余裕がなくてムスコの話を聞かず、彼の気持ちに時間をかけず、自分の都合を優先してきたあの頃は、たくさんの伝わらないもどかしさを抱えていたきがします。

 


それに比例するかのように、いざという時ですら気持ちは伝わらず、ムスコは爆発しては誰かを泣かせたり、困らせたりしていたんですよね。

 

 

 

……今日は気持ちがスッキリしなそうだなっていう日や時期は、幼稚園を休んだり、都合も取りやめてゆっくり親子の時間を過ごすようになりました。どこかに出かけたり、集団の中に入ることで、気持ちがみだれるのは本人も辛いかな、と考えたのです。……

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あれから5年。

わたしは自分がされてきた育て方が本当に好きではないことにきづいて、そこから成長するために努力して行動をするって決めました。

 


亀さんよりも遅い歩みで、それでもいいから我が子の人生を邪魔しない人間になりたくて、成長したいと思いながら、我が子と暮らした時間。

 


そんな時間がこんな風に形につながっていったことが嬉しくもあります。

自分が少しはかわれたのかな、と。

 


とは言っても、未だ成長過程の中にいるわたしの想いを、ありがたいくらいに理解してくれるムスコとムスメ。

そう思えるのはそんな彼らの器の大きさなのだとも思っていますが。

 


そんな彼らとの時間からわたしが学んだこと。

何かを伝えようとするとき、その子が小さいから伝わらないってことはあまりないんじゃないかなあっていうこと。

 


顔に興味を持った赤ちゃんがバシバシ顔を叩くは仕方ないけれど、笑、3つを過ぎた人であれば大切なことは伝わっていくような気がしているのです。

 


だから、それくらいを過ぎても聞いてくれないということであれば、わたしは自分の行為をふりかえります。

 


わたしはこの子の気持ちを時間をかけて聞いているのだろうか??って。

その子が過ごしている時間に幾らかでも寄り添ってその子が何を感じているかを共有できているのだろうか、と。

それとね、その子が私を理解してもらうための時間を私はかけているかな、と。

 

話を聞いて自分のことを理解しようとしてくれない人の話なんて、そもそも聞きたくないから、聞かない習慣がつくよね??って冷静に考えてみたのです。

 

我が家の場合は一緒に時間を過ごす、という選択をしました。

幼稚園も一緒に通うかたちを取り、彼らがもう母ちゃんいなくても遊べるよーっていうとこまでお付き合いをしてみましたが、

それが(私たちの場合は)良かったのだと思うのです。

 


いろんな状況があると思うので、私たちみたいな関わり方がベストかどうかはわかりません。

 


けれども、共に過ごす中で丁寧にこの子を理解すること、わたしを理解してもらうことに時間をかけたこと。

 


それは私たちの場合は、とても良かったのかな、って思うのです。

一緒に過ごす時間がたくさんあったから、なるべく思いを聞いてこれたこと、わたしに余裕がなくてそうできなかった時も、しばらくしてちゃんと謝れる大人にわたしがかわれたこと。

 


大人はいかんせん自分の都合を優先しがち、、、(←わたしの育ちの中での大人たち)、、いえ、わたしもちょっと前までそういう大人でした。

忙しいんだからしょうがないでしょ???って決めつけて、じゃあその忙しさから脱するにはどうしたらいい??なんて考えもしなかったし、小ささゆえに、何かをしてやる存在だって思いを抱いてる時間も長かったし。

 


親としての成長に時間がかかって申し訳ないけれど、本当に対等に思えるようになったのはつい最近なのかもしれません。

 


それでも「努力してる」わたしをみて、ムスメがわたしを理解してくれていたのかな、って感じています。

ありがたいことだなあとおもいます。

 


自分の気持ちを伝えたいなら、まずはその子の気持ちを聞く習慣を大人の側がつけること、そこではじめて伝わっていくのかなあってなんとなく思います。

思春期になって意思疎通が取れない関係にならないように、小さなうちこそ、丁寧に関係を積み重ねていくことが大切なんだろうなっておもいます。

我が子は成長を続けていくわけで、それに合わせて自分がどう寄り添っていくかを見つけて行かなくちゃいけないわけで、私も常に成長していく覚悟で行かなくちゃなっておもいます。

いつでも成長過程の中にいるけれど、そうして少し成長できてる自分に気づけたとき、また、努力を続けていく勇気をもらえるんだなって改めて思います。

 

 


写真はお友達家族と徒歩キャンプに行った時の一コマ。

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お友達の子がムスメ大好きで片時も離れず、自分のペースも大事にしたいムスメは困って逃げ出しました。

「今は嫌だよ、って言っても伝わらないんだよ。」

 


逃げても逃げても追いかけてくる。

 


しばらくして、もう仕方ないからしばらく遊ぶことにしたよ。

と、いうムスメ。

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ちょっとお疲れモードになりながらも最後まで時折もう嫌だよ、って言いつつも最後まで意地悪な表現をしなかったムスメの姿も見せてもらいました。

 


彼女の優しさに触れる中で、ああ、この子の気持ちを大事にしたいなって思ってくれる瞬間がいつか彼にも来るかもしれません。

 


好きって気持ちは大切な気持ちで、そこから相手に対する配慮が生まれてくるんじゃないかと私はなんとなく思うのです。

ムスメはちょっと大変そうでしたが、お友達くんに対しては、そんなに好きな人に出会えてよかったね、とも思います。

 


わたしが引き離すのは簡単だけど、あえてそれをせずに娘に任せました。

 


生きているといろんなことがあるから。

経験から自分がどうしたいか、自分には何ができるか、1つずつ学んでいくしかないんだよね。

 


ムスメもお友達も、寄り添いたいと思っているわたし自身も。

人に言われたことはその人の方法であって自分の方法ではないから。

こんなときはどうしたいか、自分で思考錯誤しながらみつけていったらいいのだとおもいます。

それに寄り添うのが今の私のやりたいこと。

必要で在れば私を逃げ場にしたらいいと思うのです。

なんども試してもう大丈夫って自信をつけて、私から離れていくのだろうなと想像しています。

 

おたがいにゆっくり行こうね。

子どもとの時間は私にとっての学びの時間でもあります。