日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

自給自足を目指す中で。

今年はコロナのおかげで、生活パターンがガラッと変わりました。

 

学校に行かないムスコはコミュニティのような幼稚園にムスメと通いながら、同じ小学生や小さな人、共に通う大人と関わって過ごしてきたけれど、この春はそのパターンがピタッととめられて、自分たちの力で今をどう過ごそうかと考える時間をもらったような気がします。

 

街の中での暮らしは大変だろうな、と想像しつつ、山に住む我が家は基本的に、誰に会うこともないのでいつもと同じように外に出て走り回れて、今の環境について子供達といろんな想いを巡らせては話をした気がします。

基本的に運転のできない私と一緒にいる時間の長い子どもたちは、買い物に行く用があると、歩いて山を降りるので、最寄りのお店まで5キロ、2時間はかかるのです。

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なので雨の日は足元と熊に遭遇する危険を想像すると、基本的に買い物にはいけない。自然現象を自分たちの力でコントロールできないことを知ってるので、そんな時は、目の前を受け入れるしかないんですよね。

 

そんなことも学びだと捉えているので、ストレスではないけれど、基本的に日常は不便ではあると思っています。

町で暮らしていると、そこらへんはとても便利でコンビニもあるし、季節も天気も関係なく容易に用を足せちゃう暮らしではありますよね。

 

我が家、一応自給自足を目指してはいるので、今年はどうせ外に出れないなら畑をがんばろーなんて、子供たちも私も畑を頑張りました。

ムスコもムスメもそれぞれに耕してタネを落としたっけ。

芽が出ては喜んで、育っては喜んでいるすがたをみて、暮らすことに時間をかけることを今年の学びにしようって私はやんわりと思っていました。

 

かなチョロと出会ってだけで、友達に出会ったような気持ちになったり。。

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時間は思う存分あるから三日かけて麹をつくったりしたよね。

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この工事で、ムスコは自分だけじゃなく、家族みんなが喜ぶように、美味しいおやつも作ってくれました。

 

 

山の季節の移り変わりをじっくり感じて、毎日違う景色を眺めて、カエルが卵から孵るまで観察し続けたり、山菜を採りに山奥に入ってみたり。

 

ひさびさに大雪が降って、外の景色をきれー!!!!!ってじかんをかけて味わったりもしたよね。

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そばにいるので、旦那さんがうちを作るところも一緒にみたり、手伝ったりもしてきて、電動工具などの道具を使うことも覚えています。

 

みんなで薪割りにひと月。

周りのおじいちゃんたち三軒分を私たち家族でやりました。

寝ても覚めても、薪割り。

おじいちゃんたちの喜んでくれる顔が見たくて。

ありがとう、っておやつを頂いたりしながら。

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一見楽しそうな斧での薪割り。

でも、実際の丸太は、絵本の世界のように斧で割るのはほぼ不可能。年輪は本当にしっかりと巻いていて、小さな巻きが中まで入り組んでいることもおおいから。

それに北海道での三軒分の冬の量は半端なくて、笑。

 

おじいちゃん手作りの、機械の部品をかき集めて溶接して作った薪割り機。

ガソリンで動くこの機械は便利だけど、手を挟んだら取り返しのつかないことになる。自分の衣服が機械に巻き込まれないように、パパの手が機械に巻き込まれないように配慮しながら、レバーを動かす。

 

便利を選んでも不便を選んでも、メリットデメリットがある。

 

薪割り機を使ったこの経験が、他のことをするときの危険回避力と集中力、配慮をうみだします。

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丸太がこんなに重いことを知ったことで、土木作業をしている方の大変さを想像できるようになりました。

道を行くたびに、あんなことしてるー。大変だねーって興味を示します。

たくさん手伝ってくれたムスメ、ありがとう。

女の子なのに腹が割れてるくらいの腹筋の持ち主、だいぶ戦力になってくれます、笑。

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流石に布を織ることはできないけれど、私がお裁縫大好きなので、服を作る。

どんなに安い市販品でも、アジアのどこかで人の手で作られており、それがあんなに安いなんてどうなっているのだろうって、疑問に思う。

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それを旦那さんに話しているのを聞いてる子供達。

自分がきているものも、今手にしているたったひとつのものも、簡単にはできないことを想像できる力を生む。

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私が今生きているのはたくさんのもの、人、の支えがあるから。

それを親子で染み入るように知っていく。

 

そんな時間を経て今ふっと思うことは、暮らしを知る、って大切なことだなあっていうこと。

 

自分たちのうちがどうやってできて、自分の食べ物がどうやって口に入るまできて、自分のきているものはどうやってここまできているかを知る。

電気も、水も、水道も、どうやってここまできているのかを暮らしの中で自然に知るという暮らし方。

 

自給自足を目指して未だ手探りのの我が家だけど、私がここまでやってきて思うことは、自給自足にたどり着くまでの過程は、たくさんの感謝に気づく過程なのだっていうこと。

 

便利な中で生まれて生きてきた私たち夫婦にとって、畑に作物がなるということは奇跡なのです。大変な思いをして耕して、タネを落として雑草抜きなどのお世話をして、実がなるまで育ってもらう。

 

それは一見簡単なことに思うけれど、その年の気候や、野生動物の動きで私たちの口に入らないこともあるし、ほぼ実らないこともあり、まずは育つということが奇跡。

そしてね、野菜を育てる習慣のなかった私たちの世代にとって、育て方を教えてくれる人がいるからこそできる、本当に全てが感謝でなっていることだと気づいてしまったのです。

そうでなければ、私たちは食べ物を得ることができません。

 

今でこそ、わずかに野草の種類を知ったので、自給できるけれども、それだけじゃあ生きて行けない。

人への感謝も自然への感謝も、自分の体力が持つ我が身への感謝も、本当にただただ感謝で暮らしは成り立っているんだってことに気づいて、日々はありがとうございます、しかないのだと感じています。

 

それが食べ物だけではなく、住む場所、住む家、着るもの、履くもの、電気、水道、水、ガス、教育、お天道様、誰かの思い、、、、、、もう全てが、私のために動いてくださっているからなることで、ただただ感謝なんですよね。

 

自給自足は自分だけで足らすことはできなんだってことを、ずっしりと感じています。

 

我が家は家族で日々を過ごすことをえらんだ。

暮らしの中に男の人がいて女の人がいる。

男の人にしかできない仕事があり、それをする姿を我が子は小さい時から見て、女の人だからこそできることがあり、それも小さな頃から見て。

 

ああ、こういうことをお父さんはやってくれてるんだなあって、しばらくして見えないことまで想像できるようになってくれました。

ああ、こういうことをお母さんはやってくれてるんだなあって想像できるようになってくれました。

 

大きくなって、言葉が出るようになり、「疲れているのにやってくれてありがとう、今は、遊ぶことが忙しくて手伝えなくてごめんね、」なんて我が子が言ってくれて。

 

ああ、子供が遊ぶことなんて当たり前なのに、わざわざ感謝してくれてありがたいし、言葉にしてくれる優しさを持つこの人はなんて素敵な人間なんだろうと、敬意をもつ。

 

そうしていつもありがたい思いで家族の暮らしがある。

 

ムスコ作のチャーシュー麺

麺もチャーシューも手作り。

おなかいっぱい食べたいだろうっておもって、たくさんうってくれました。

小麦アレルギーのムスメにために、扱いの難しい米粉をいつも使ってくれます。

お肉好きのパパのためにチャーシュー多めで煮てくれました。

この一杯にたくさんの優しさが詰まってるなあって胸がいっぱいになります。

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今の我が家はそんなかんじです。

だから、私の機嫌が悪くて暴走して子供達に怒りまくったら、ああ、大人の権力使っちゃったな、って気持ちを整理してちゃんと謝ります。

ちょっと前まで、大人同士で捨て台詞や暴言なんてあまり吐かないのに、子どもには吐いてしまう自分が情けなかった。けど、彼らの優しさを感じるに連れ、そうできなくなっていきました。

我が子に対して、敬意という気持ちが湧いたから。

 

彼らの配慮に私はかなわない。

だから偉そうな態度なんてできないよね。

素直になれた私は自然とそう思えるようになり、いまでも敬意の念を積み重ねています。

 

泣きたい時は泣いて疲れた時は疲れたから休ませて、ってお願いして、楽しい時は一緒に楽しんで、間違えたら謝る。

自分がしたくないこと、されたくないことはしない。

そんな素直な大人で私は居たいと思います。

 

感謝の思いが自然にめぐる暮らしは、自分も相手も大事にしたいと思う気持ちが自然に湧いてきます。

私にとって自給自足はそれを知るために向かっていた道なのかもしれません。

 

自給は全然できてないけど、すでに十分すぎるほどの学びをいただいています。

もう感謝しかなくて。

これが私たち家族のパーマカルチャーの形。

パーマカルチャーはそれぞれがよりよく生きるための生き方です。

誰かの形を否定するのではなく、自分が今よりもっとよりよく生きていけるようにするために時間をかけたいな。