日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

誰かの背景を想像できるようになるために、家族での暮らしをつみかさねてゆく。

こちらもインスタより。

記録のために。

 

ライフラインのない小さな村での暮らしは手作業。

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だから助け合いも基本。

一年分の大事な主食、もち米を収穫するときは、みんなでします。

 


狩るのも手鎌で、それを束ねて中央に集めてそこだけ小さな機械で、もみ落とし。

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そして村で一つの脱穀機を持った家で脱穀してもらいます。

 


もちろん籾殻は、その中に焼いた炭をいれて、一晩がかりで燻してくんたんに。

牛のウンチと混ぜて肥料にします。

 


小学生の息子は戦力に、小さな娘は他の子達と遊んだり手伝ってみたりしながら作業の日を過ごします。

 


こうして一緒に生きるための仕事をしてきたことで我が子たちは、たくさんのことに気づいてくれる人になりました。

ありがたいくらいにたくさんの感謝と優しい気持ちを私たちに向けてくれるのです。

 


日本に帰っても暮らしのことに目を向けてくれます。

私たちが薪を割っているとき、自分たちの遊びがひと段落すれば手を貸してくれ、遊びで忙しい時は「今、遊びが楽しくて。手伝えなくてごめんね。やってくれてありがとう。」と気持ちを寄せてくれるのです。

 


タネ落としのシーズン、畑にずっとでてる私に、ムスコはお腹すいたからなんか作っておくね、そう言ってお昼ご飯を家族分作ってくれます。

お腹すいたー、なんかないの??とかまだできないの?っていう言葉もないのでそう言ったお互いのイライラもない、「ご飯作っとくね」っていう息子に「ごめんねー、やってくれるとありがたいよ。ありがとうね。」っていうと、「うん。こちらこそ畑してくれてありがとうね。」という言葉がでてくるのです。

 


夕方になり、洗濯物取り込まなくちゃー、なんて言いながら何やかややってると、ムスメが一生懸命背伸びして洗濯物を通り込んできてくれます。

 


何かが調子悪くなれば見にいき、いじって直そうとしてくれ、洗濯機(手動)の水がたまればいつの間にやら終わるまでお世話してくれていて。

 


口ではなく、行動をしてくれてる、というか。

 


私たちがどんなことをしていて、どんな状況で、どんなことを想っていて、、、、っていうことをとても想像してくれているようなのです。

 


出てくる言葉も態度もとっても優しい。

自分が幼い頃と全く違う彼らの配慮にただただすごいなあ、ありがたいなあって思うことの方が多くて、わたしは大きな顔できなくて。

 


ありがとうで暮らしが回るって本当にありがたいことで、これも不便な暮らしからいただいたゆたかさなんじゃあないかな、って思っています。

 


別々に場所で暮らしていたら気づかないけれど、一緒にいろんな経験をしてきたから、その背景や気持ちが想像できるようになる。

 


そしてその優しさを家族の中で使う日常を積み重ねて外にも向けられるようになって行く。

そんな流れの中で私たちはいきていて。

 


私たちも、子どもたちが私たちに向けてくれた想いと行動がありがたくて、いつもありがとうねっていう気持ちで一緒に暮らしていける。

そんな彼らへの想いで、私たちも彼らをもっと大事にしたいと思う。

 


親から子へ、子から親へ、不思議なくらいにありがとうの想いが一日中循環してるなって最近気づいて嬉しいきもちになりました。

 


そんな循環が産んでくれたよさがもうひとつあって、わたしが彼らをコントロールしたいと思わなくなったこと。

 


「ーしなさい。」ではなく、「ー  してくれる??」って大人にいう時と同じ、対等な関係でお願いできるようになったこと。

 


大人は子供よりちょっと生まれたのが早いだけで偉いわけでじゃあないし、わたしが彼らに身につけて欲しいと思うことは、本当に彼らの未来に役にたつか、って言われたら曖昧なこともおおく、わたしの価値観で推しつける必要もないことだよね、って最近とても思っていて。

対等におつきあいしようと大事にすることの中から生まれた関係の中で、我が子の素直さや優しさをこうして知っているからこそ、どこにいくにも信頼して送り出せる。

 


曲がった育ち方をしてきたわたしにとって、わたしよりも、子どもたちが、大切なことを教えてくれてる割合の方がずっと大きいのです。

子どもとの関係の中でも謙虚な気持ちであれるようになった。

 


師匠が言ってたっけ。

「大人は子供に素直でありなさい、というけれど、大人はちゃんと素直に生きていますか?」

と。

 


それを聞いて7年。わたしはずっと心にその言葉を抱き続けています。

 


今、家族が気持ちよく回っているのは身につけたことを素直に言葉にしてくれる子どもたちのおかげ。

私たちの自己満足でこの暮らしをしないように私たちもいつも心を研ぎ澄まし、時には素直に聞いてみるようにしています。

 


「心の通いあう家族関係をきづいていこうよ。」そう言ってくれた子育ての師匠の言葉が、今やっと理解できるような気がしています。

 

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手伝いしてくれながらも好きなことも抜かりなく。

この日はお魚焼いていたっけ。

 

先日もお昼ご飯作りながらも、部屋ん中で野球してて、上手にバランスとってるなあって笑えました。