日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

自分の持ったものを受け入れること。

旅とムスメのアレルギーのこと。


アレルギーをたくさん持つムスメ。
血液検査でわかった。
禁忌なものは結構数値も高い。


肌は綺麗なのにどうなってるの??って思うこともあるけど、アレルギー対応するようになって、気持ちのモヤモヤが減ったみたい。
やっぱりどこかしら、不調をきたすのがアレルギーのいたずらのようです。


そんなムスメとタイにもいくし、こうして旅に出るのが当たり前になりました。アレルギーがあるから誰かと出かけられない訳じゃあないんですよね。
丁寧に彼女に寄り添いながらここ2年半ほど過ごしてきてね。


アレルギーに影響を与えるものを、その都度、血液検査の結果を一緒に見ながら、食事を選んできて、選び方を彼女が自分で理解してくれて、いまはもうわたしがお友達のお母さんに食事の相談せずとも、一人で泊まりに行くこともできるし、こうして旅に出ることもできるようになりました。


数値の低いものは体調を見て、いつもは避けてるけど、今日はこれ食べてみたい、ということもある。
そうして試してみる。
美味しいということもあれば、いつもの方が美味しいっていうこともある。
自分が食べれるものの中にも、たくさんの美味しいものがあるということも感じてくれています。


そうして今、私はおもいます。
アレルギーは性格などと同じ、個性なんじゃないか、とね。
アレルギーがあっても、その人自身が身体の感覚を研ぎ澄まし、自分で今食べれるものを見つける力をつければいいだけだ、と私は最近思う。


そこに私のように強いかゆみや痛みを伴う場合、その間はそれを取り除いていく必要はある。
けれどもアレルギーが綺麗にまっさらになくなる必要もないんじゃないかともおもって。


ムスメのアレルギーへの対応と、私たちの暮らしから思ったことがあってね。
そもそも今の世の中は(特にまた日本人は素晴らしい感性があり、どんな国の料理も美味しく作れるシェフが多い。)食べれるものが多すぎる。
そりゃ、人との相性が全てにおいてマッチしないように、食べ物との関係もマッチしなくなるのは必然的なのでは?と。


アレルギーが変わって行くことは祈ってるし、気をつけてる限り、必ず変わって行く。


けれども。。なくならなくても大丈夫なんじゃないか、と。
本人がが体と食べ物とどうおつきあいして行ったらいいかを知り、アレルギーを持った自分の人生との付き合い方を見つけていけばいいだけだと。


自分で選ぶという感覚をすでにつけているムスメ。
そんな彼女を見て、自分が親としてすべきことをしりました。
7歳に近づき、自分の足で歩こうとする彼女の足元を邪魔しないように、「アレルギーを持った今の自分でどう楽しめるかという選択ができる」ということのたいせつさ。


娘が自分の今の身体を愛せるように、アレルギーがあることを否定しない。アレルギーであること、それも丸ごと受け入れてみたらなんでも自分の身の丈に合わせて、挑戦していけるようになるんだ、と。


だから今は、私がちょっとなーって思うものを彼女が選択したとしても、経験してもらってます。
それを食べてみたら自分にとってどうだったか、ということを。
本当に小さなうちは親がしっかりと気をつけてあげる必要がある。
けれども、少し大きくなったら自分で経験して身体の感覚を知って、選べるようになってどんどん私のそばから手放していくことが親としての私の仕事なのだろうな、と。


何にも邪魔されない彼女の人生をたくましいなって思います。
アレルギーが教えてくれた今の自分でまっすぐに生きること。


人生は可能性に満ちてるねー。。