日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

自分を知る方法。その1。

自分を変えたい。

そのためには自分を知ることがまず基本なんじゃないかな。

ブレインダンプとか、みんな自分の中で知ろうとするけど、それって1つの方法であるけど、私だったら行き詰まってたと思う。

 

私の小さな方法の1つだけど、ガンガン変わっていけていいな、って勝手に思ってるので記録しておこう。

いつものように、だいぶ回り道の文章。よみにくくてごめんなさい。

 

自分が変わりたい。

私はずっとそれに苦しんでた。

何かがあった時に、じぶんのせいにしておちこんでるのがつらかった。すす自分のせいでは??って思っちゃうんだよね。

日々人からじぶんはどんなにんげんなのか見られてるようで怖かった。

自分が何をしたいのか、どう生きたいのか、そもそも何が変わりたいのか、わからないもどかしさが嫌だった。

 

まあ、多々あったけどね、そこらへんの自分のモヤモヤが時間をかけて解消され、生きるのが楽になったなあーって最近、うれしい。

 

あの頃の自分の何が問題だったか、ってね、それは自分を知らないことだ問題だったんだといまは思ってる。

 

自分を見つめる時間を持つ習慣がなかったから、自分の時間を自分の感情を味わいながら楽しむ習慣がなかったから。

 

いつだって生きることだけが必死で、不安があるときは、その不安はどこからくるのかと向きあえばいい、ということを知らなかったから。必死で、いつも細い糸を辿るだけで生きてきたんじゃないか、って極端だけど思ってる。

 

今はね、何かが起こって心が悶々とした時。

 

自分を責めない。だってね、私、悪い人間じゃないって知ってるから。

私の中の優しさってなんだろうって向き合う習慣を得たおかげで、自分の今あるすべての優しさを持って、この行動をしたってことを知ってるから。ただ、それで相手が不快な思いをしたなら、謝るしかないよね。相手の背景は私にはわからない、もしかしたら相手の悩みのツボをついちゃったのかもしれないし、お互いのオッケーゾーンは違うわけで、その範囲を超えちゃったのなら、不快な思いをさせたことを謝り、必要なら相手を知る努力をするし、時には、そっと離れようって思うこともある。

自分が悪くない、って思うんじゃなくて、自分の誠意の上でした行動なので、あとは、相手を知り相手によりそった行動をするように心がけた上でのことなら仕方ないよね、って今は考えてる。

 

子どもとのことでも、状況を見て、相手がかなり怒ってるなら、相手に冷静になってもらうために、まず謝ることもある。

それから話を聞いていく。今の相手を理解する、その行動が大事なんだと思ってて、自分を責めることではないよね、って(反省することはあれど)今は考える。

 

自分がどんな人間に見られてるのか、怖かった。

 

うん、今でもそのくせはたまにかおをだす。不安になったりそわそわしたりして、これをしたいのかしたくないのかわからなくなる。

でもね、不安の原因を探りたくて、昔だったらやっぱりやめておこうって思ってきたことを、やってみる、という選択肢を取れるようになったから、そういう時は、それも1つの方法としていまは、ストックしてる。

迷ってことをやって見て、それが終わる頃には、自分のメンタル状況も変わってて、あー、やっぱり自分に合わないわ、って確認できたね、あの頃の自分は迷うことに時間使うすぎやね、だから不安になるんじゃん、ってわらえるじぶんがいる。

 

そんなこんなで、いま思うこと。

なんで、人の目が怖かったのかっていうとやっぱり自分をしらなかったからなのさ。

自分はどんな人間でどういうことを考えてて、どういうことが苦手で、そういうことが好きで、そういう癖があって、どういう優しさがあって、どういう親子関係で生きてきたかってこと、などなどを。。

今は以前よりは何が気持ちよくて何が気持ち悪いか、だいぶ知ってる。

それとね、自分は日々変化してるから、今の自分を全て知ってる、とは言えないし、今のこの考えも変わって行く可能性もあるから、今のベストであって、いつでもベストではないんだってことが心の片隅にある。

 

だから私も、他の人にこうした方がいいと思うよ、とは言わない。

それぞれの状況が違うから、私のやり方なだけで、その人にとって幸せである保証はないもの。

ただ相手が辛そうな時、関係が近い時ならば、相手の話を聞いてみることはある。自分の思いを話してるうちに自分が見えて、ああ、こうしてみようって糸口を私は何度も掴ませてもらったから、そうなったらいいのかな、っておもって。そして話の流れで、私はこんな風に捉えるけどなあ、って私の場合の話をすることも時々ある。

 

でも、人の目って自分で勝手に傷ついてみたりするよね。

それも自分次第だって思うから今は、いつも自分の誠意を軸にして、受け止めるようにしてます。

そしてどうしてもいま噛み合わないならばいまは諦めることも大事というか。。それでも相手が迫ってくるのは、私の状況とあなたの状況は違うんだよ、っていうことを理解できない、相手さんの問題、というか。。

 

その不安はどこからくるのか。

これはいまだに向き合う作業が多々おとづれます。

怒る時って、身体が疲れてる時は身体の問題だけど、あとは不安からくるものが多いよね、とおもう。

喜びはいいけれど、負の感情については、怒りはすべて自分の問題だとすら思っていて、伝えたいことに怒りの感情を乗せたら、本当の思いは伝わりずらいよね。

 

これ、家族関係で特にやりがち。

未だにやってしまうことも多く、大抵、数分後に謝るのが私のお決まりパターン。でもね、昔は2時間かかってたけど、今は15分で謝れるようになった。

ごめん、伝えたいことと感情は別にすべきだった。

あなたの思いをちゃんと聞かずに思い込みで起こってごめん。

 

少し大きくなった大ちゃんは、ああ、わかってるよ😀、という。

こっこは涙目で隠れた布団から出てくる。

 

ああ、反省。。。昔よりマシになってけど、まだまだだよねえ、、、、、。

って、呟くと、大丈夫大丈夫、昔は参ったけど今はとっても優しい、って言われてなきそうになる。

 

大ちゃんにはああ、すまない、ほんっとうにすまないねえー。。

ほんとは私はこうして欲しかったんだよね、っていうと、、ああ、大ちゃんもこうしようと思ったらうまくいかなかったんだよねえ、って言われて、さらにすみません。。。となる。

 

こっこにはひたすら謝る。ナイーブだから、もろに落ち込んでるので、こっこ悪くないのにねえ、思うようにいかなくてイラっとしてごめんねえ、って。私もそうして自分が悪いと思って子供の頃傷ついてきたから、気をつけてるのに、まだまだ行動が及ばなくてねえ、ごめんねえ。こっこみたいに自分の考えをちゃんと表現して、素直に思ったことをこうどうにうつすってとても大事なことなんだよ。だからこっこがそうしたい、って思ったことはこれからも大事にして欲しいって、いうのが本当のおもい。

 

私も小さな頃からそれをずっとしていたら、こんなふうにせずにすんだんだけど、変わってく努力つづけるからゆるしてね。

そしてぎゅーして、っていわれてぎゅーする。

 

 

その不安と怒りがどこからくるのか、その都度整理してます。

したくないことをしてしまう、っていう習慣が習慣のままでは嫌なので、そんな自分ととことん向き合って落ち込んで、自分に叩き込む、笑笑。

でも、そこから1つずつすっと上がっていったときの、気持ち良さ、きらくさ。

この感覚があるのでそこを目指して進んでいく感じ。

成長にゴールはないよね。

 

まだまだ時間かかる覚悟で素敵な50代、いつかはすてきなおばあちゃんになりたいっておもう。

 

私なりの自分を見つける方法、記録しようと思ったら、こんなに長くなったので次に書きまーす。