自分を知る方法、その二。
わたしを知る方法は、完全に自分流なんだけどね、結構いいんでは??って最近思ってるのでつぶやいておきます。
本屋さんの本と同じ、どれが自分の参考書になるかわからない。
だからこれがどなたかにヒットして、ご自身と家族のハッピーにつながったら嬉しいな、という、小さな私の小さな願い。
四年前に発覚した橋本病、これを克服するには自分の力が必要だとおもった。この病を抱えていく覚悟と、それをいつか克服していくための作業。ストレスから発症しやすいという橋本病さん。それって自分の思考の癖、行動のくせを変えて生きる荷が楽になったときにもう必要がなくなって離れていくかなあっていう私の完全な妄想で自分の生き方の整理を始めました。
ついでにそんな私がが丸ごと変わらなければ子どもの人生の足を引っ張る、って気づいてドンっと落ち込んで前に進み始めるしかなかった。
何もかもを責めて言い訳してたこの思考が四年で緩んだ。
そうして気づいたらたくさんのものが変わっていった。
思考も、行動も、橋本病の症状も、友人も、住む環境も。
今は生きるのが楽になった。
自分を責めなくていいから。
そうしてふと気づかせてもらった。
ああ、私、変わったのかな。
気持ちがハイの時に、自分がこんな感情でああ、これがわかった!あれがわかった!!って思ったがあるけど、それはまだ本当にわかったということではなかったんだろうな、といまおもいます。
だからこうしていまでも自分の思考を整理してる。
今、自分が気づかないたくさんのことに数年後ふと気づいて、また、わかる=ふにおちる、ことが増えているんだろうな。
表面だけが変わっても意味がない。
気づいた時点から変わり始めている、けれどもそれを十分積み重ねた後に、はじめてじぶんで、ああ、変わったかもしれないって思えるようになる。
変わったというのは、自分の願っていた行動が自然に湧いてくるようにできるようになる状態。
それが変わった、ってことなのだろうな、ってさいきんかんじています。
その感覚を経験できて、変われる自分、の入り口にやっと立てたかな。
これからもまたまたゆっくりゆっくり変わっていくよ。
さてさて、前のブログの続き。
自分を知る方法にブレインダンプってのがあるらしい。
私はやったことないけどやり方は一応知ってる。
これで見えてくるものがあるし、これで変われた、ってかたもいるとおもう。それならオッケーー。
でも私はそれだけじゃ無理だなって今改めて思う。
たぶん、その次に来るのが、アウトプット。
自分の気づいたこと、経験したことを口にして腑に落としていく作業。
これも大事だよね。
自分のくせ、言動一致率、物の見方、、、にいくらかきづく。
私はこれに一気に救われた。
でもね、これも時々じゃ、自分を変える底力はなかった。(なんどもいっちゃうけど私の場合ね。それで足りてる人もいるのかもしれません。)
私は人生の先輩で、そういう話ができる人がいたので、何と無くその方とそういう話をするようになったんだけど、それだけじゃ全く持って時間が足らなかったの。
自分の35年近くの人生を時々聞いてもらうだけじゃ、見えてこなくてね。
日々成長する子供達を見て焦った。
このままじゃ、私は、鬼母のまま彼らが大人になっちゃう。。。橋本病も辛い。。
そんな思いを旦那さんに打ち明けてからがかわった。
ああ、旦那さんにとことん聞いてもらったらいいのでは??
幸い旦那さん、話を聞くのは好きな人だった。
しばらく無給でくらす覚悟をしてとってくれた育休。
お金ではないものを確実に得たいと思っていた私たち夫婦。
私が子どもたちに虐待寸前だったのもあった。
それの修復と、私は夫婦の関係を見つめ直したかった。
愛して結婚したのに、いまはいてもいなくてもかわらないきがする、という自分のかんじょうがさみしかった。
旦那さんはどう思ってるのかしりたいな、っておもってたときに、育休を取ってくれて、ああ、私たちのことを大事にしてくれてることをしり、彼の気持ちをきちんと聞いて大事にしたかった。
そんな一年にしたい、と思ってた時に、橋本病になって寝込んだ。
先生ってば、血液検査の結果を夫婦で聞きにきて、って言うから、かなりあせったけど、死に関わる病ではなかった。明日から鬱になりそうだから何もしないで身体休めて、って言われて寝込んだ半年、命拾いしたな、っておもった。
今でも突然だるさが襲ってくるので、身体が普通に動く奇跡をひびかんじていて、それから四年、いつだれかがともにくらせなくなっても、それぞれがこの家族でよかった、って思ってくれるような自分になろう、ってあの時に思って以来、今も毎日のようにおもう。
突然動けなくなる苦痛と、日々が当たり前じゃないってショックは、私の原動力。必要があってなった病、この病をしばらくは抱えることを覚悟しながらいきてます。
自分が変わるためには自分を知ろう。
もっと自分のことを腑に落としたい。
そう思って旦那さんに話を聞いてもらおうって決めた。
今の話、旦那さんが多忙になってからの状況や心境、子どもたちの様子。
そこまではよかった。
けれども私がカウンセラーのように慕ってる人生の先輩は、私の育ちを突いてきた。
思い出せない自分の過去を紐解くことも始めた。
自分の嫌な気持ちも湧いてきて、旦那さんに話すのが怖くてちょっとたちどまった。
これを言ったら引かれるかもしれない。。
けれどももう十分に話してきてる、伝えてみよう。
そうして話したら、それがさっこの経験でしょう、って受け入れてくれた。
どれだけのことをはなしただろう。
もう覚えてる限り、私の全てを聞いてもらって自分の中でふに落としてきたし、その作業は今も時々おとづれる。
両親の育ちも調べたよね。
私の場合はパートナーに自分を知る作業を徹底的に手伝ってもらった。
そのことによって自分のことをしれたり整理できただけでなく、自分の苦しんでた最中、彼自身も苦しんでたことをしれた。
旦那さんのこともたくさんしった。そうしてね、今沸いてくる感情はまあ、どんな時も彼は頑張ってたし、私たちを思ってくれてたんだな、って思いでいっぱいで、感謝しかない。
だから、ママ友さんの旦那さんの愚痴にも参加する気にならないし、世のお父さんは頑張ってるじゃあないか、とすらおもってる。
旦那さんに変わって欲しいなら自分がかわったらいい。
そして自分の接し方が変わっていった。
人は恋愛感情はずっと続かない。でも大事に思う、一緒にいたいと思う、気持ちは続けていける。
私にできる限り大事にしよう。そうして今までのごめんねとありがとうを伝えていくしかないよね。
もちろん感情が先に立つこともある。それでも大事な人であることは変わらない。
旦那さんに聞いてもらい、じぶんのきづきをせいりし、まずは目の前の行動を変えていく。
家族に対してその想いや行動を形にしてみる。
それって本音の中での関係なので、頭で理解しただけでは感情がついていかないことも多く、たくさんのぶつかりも生む。そうして日々、自分で切磋琢磨を繰り返す。
ごめんねなんて悔しくて言えないこともおおかった。
厳しかった。
けどね、この効果は私を引き上げていくのに絶大。
家族のために変わるって決めてた。(結果的に自分のためだと気づいたけど)。
立ち止まってはいられない激動の4年間。
夫婦関係も親子関係も日々のトレーニングで変わらさった。
四年前よりは変われたし、私もここまで生きてこれた。
大ちゃんはこのうちの子で幸せだよーって言ってくれることが奇跡。
こっこが自分の気持ちを素直に表現してくれることが奇跡。
かなり苦労させちゃったけど、彼らの生きる道を少しは支えられただろうか。
そろそろ締めないとね。
はい、最短で自分が変わる方法を私は見つけられてありがたかったと思います。
パートナーを思う努力をする。パートナーが自分をどれだけ思ってくれてるか知る努力をする。
そうして自分を知る作業をお手伝いしてもらう。
そして自分を知り、自分がどうしていきたいかを知る。
それをもって、ありたい自分の姿で家族に関わることに挑戦して、じぶんにそのかんがえがあうのかを試し、自分に合うものだけを残していく。いつだってトライできるこの方法は強制的に自分をありたい方向へかえていってくれる。
それと同時に家族が愛しくなっていく。どんな私の時も一緒にいてくれた家族にただただ感謝しかなく、そう思うから誠意のない自分ではいたくない、いつだってせいちょうしていくじぶんでともにいたいとおもう。
ここは私の居場所だから、まずはここを大事にしたいんだって私は気づいた。
コロナで激動の時だけど、これだけはそんなことに変えられないものだと思うのです。
ここを基本にしてどうにかいきていこう、わたしはそうおもっています。
自分の本当に大事にしたいことは何か、それを誰にも揺るがされずにふにおとすにはたぶん、自分を知ること。
自分のことを他人より知ってくれてるのは家族。家族に話すときびしいけどたくさん見えてくる。
夫婦療法。
私の苦しいけど、多分、本気で変わるのに一番時間のかからない方法です。