日々は当たり前ではできてないから
便利さの中にある不便さ。
要するにどっちもどっちなのよ。
自分がどっちで生きたいか、だけ。
〜便利な暮らしをあえて手放した〜
〜私の生きてきた暮らしが当たり前だと思ってた〜
〜生きるための不便さ〜
〜毎朝、ご飯と味噌汁、漬物の暮らしが貧しいの?〜
〜日々は当たり前なんてなにひとつないときづくこと〜
〜便利な暮らしをあえて手放した〜
高度経済成長の中で生まれた私たち。生まれた時からコンビニもあって好きな時にいつでも必要なものが手に入る習慣だった。
その便利さでしか生きたことがない、ということが、災害レベルになった時の不安要素の1つになってる気がします。
自分の生活をあるもので工夫してみる習慣がなかったから。
その感覚が今は外側からリアルに見えて来るようになりつつあります。
そしてそれと向き合って1つずつ、暮らしを自分たちの力で変えてきたひび。
今、街のパニックを見て思うことは。。
ティッシュがなくても大丈夫。水があればトイレは困らない。水で洗えばいいんだよ。
タオルがあれば鼻水も吹ける。それを水で洗えば何度でも使える。
紙オムツやナプキンがなくても暮らしてはいける。
布おむつにすればいいし、ナプキンだってタオルを半分に切ってまめに変えれば大丈夫。
ラップなどの消耗品もタッパーを使えるし、ふるいTシャツを切れば、便利じゃないけど皿も洗える。洗濯は洗剤がなくても、当面は水洗いで汚れは落ちる。(半年もすれば黄ばみは出て来るけど、そんなにこの事態が続くわけでもないかな、と。)
100均で手軽に買い足してきた生活が当たり前じゃないと気づいて、自分の生活を工夫してきました。
原発が稼働して欲しくないから、自分ちでできることを探して、冷蔵庫やドライヤー、オーブンをなくしてみた。照明も必要なだけ落としてみた。
それによる効能も感じてきました。
冷蔵庫のない暮らしは地震が起こった時に、食べ物が腐って行く不安を持たずに済んだ。冷蔵庫がないゆえに漬物や根菜、必要最低限の保存可能な調味料(味噌、しお)を家事短縮のために常時持っていたから、食べ物がなくなる不安は当面は持たずに済んだ。
そしてジャングルでのバックパック1つでの暮らしは、そこから何を生み出せるか常に考える力を養ってくれたので、自然の中から食べ物を見つけたり、枝を拾って火を起こしたり、お皿やはしを作れることを知ってた。
今あるものを最大限にかすという知恵は思考の訓練。日々の暮らしの中でそれを繰り返し、力をつけて行ったんだよね。
私にとっての最低限のレベルはぐっと下がったんだ。
「私にとってこの電気で十分だから、他の電気は病院や電車、必要なところで使ってください。」
そうして原発が必要のない暮らしを自分でしてみたら人を責めることなく、必要ないからやめようよ、ってなって行くんじゃないか、ともかんがえるようになってね。
〜私の生きてきた暮らし方が当たり前だとおもってた〜
いくらテレビで違う国の様子を見てもよくわからなかった。
でも、実際に、今の暮らしと違う文化で暮らしたこと。
それは私に「当たり前って何か、」ってことを教えてくれた。
そして自分の欲や家族にとって必要なことと向きあいながら、必要最低限を知り、自分がどう生きたいかもしった。
便利な暮らしは楽になっていくように見えて、さらなる困難も生み出していると日頃みていておもう。
例えば電化製品。
これを使えば楽になってしあわせになると思った。
でもちがったよね。。
電化製品で楽になったら結局旦那さんの仕事も増えた。なぜか旦那さんは安心して仕事をふやしちゃうんだよね。
電化製品で楽になったらわたしの手が空いて子どもたちの行動に目がいってうるさくなってた。
楽になった分、家族との時間が増えるということはある。
けれどもその時間が豊かになっているか、といえばそうでもない。
子どもとの時間の使い方に悩むお母さんが多いよね。
夫婦の顔話の時間が増えるかって言われたら、日頃話す習慣がなければ、歳をとるにつれて話すこともなくなって来るよね。
そして家事をするということは生きていく上で必要で、皿の洗い方、服の手洗い、の方法を知る。あとほかに、炊飯器ではなく鍋でご飯を炊くことを通してひのきけんさや、火のありがたさ(火を悪いことに使わない感覚はここから育っていくんだと思う。)を、子どもたちに伝えていかなければ、災害レベルの非常事態になった時に、生きていくことはこんなんだろうとおもう。
不安が膨れ上がる。
先進国の暮らし方は、当たり前じゃない力をたくさん与えられてる。
機械がたくさん手に入るし、お金を払えば誠意を込めて頼まなくても物を売ってくれる人がいる。
でもそれはさ、それは自分が生きるために必要なことを考える力を育ててはくれない。
〜生きるための不便さ〜
生きるための不便さは私は必要だと思うんだー。
畑をして自分の食べ物を得る方法を体得すること、どこに行けば水を得られるかを探せる力、自然の中で火を使うために必要な火の始末や扱い方。
誰かが作ってくれた便利なものがないと不安になる感覚とまっすぐに向き合って、自分がどう生きていくのが自分にとって、家族にとっていいのかを考えていくこと。
隣近所さんがどんな人かを知るために関わること。それがないから虐待も止まらないんだろうな。大丈夫?たいへんよねえ。って1日に一回でも笑っていってくれる人がいたら母は救われるよね。そんなつき合いがあれば子どもも逃げみちを持っていられる。
お付き合いをするという煩わしさの中にも希望がある。少なくともごろうさんの奥さんのむかし話はそんな話が多い。
〜毎朝、ご飯と味噌汁とつけものの暮らしが貧しいの?〜
学校給食のバラエティに驚く。
カレールーから手作り。ケチャップも赤ワインもソースも塩も醤油も油も入った上に具もたくさん入る。毎日揚げ物、デザートがつき、週に2度はパン、一度は麺。レストラン顔負けのメニューだなっておもう。
子どもたちの残食をなくすために一生懸命作っています。
そう言って一生懸命作ってくれるけど色々考えさる。
こんなに色々食べるから食材がたくさん必要で、でも安い値段で得るしかないからアレルギーのきっかけになるのかなあとか。。
私たちの時代より格段に美味しくなった。けれども、時代は変わって、おうちの食事もおやつもがいしょくも美味しいものばかりになったよべ。
だから、給食は質素でいいよね、そうおもう。ちゃんとお腹をすかせれば、粗食がご馳走。あるものをいただく。
それを学べる機会が必要だと思う。食育の土台に来るのは、目の前にあるものをおいしいといただけることだとおもうから。
便利な社会が当たり前だと思ってた。
便利な世の中が素晴らしいと思ってた。
けれどもタイのお尻を水で洗う文化が災害時の私の不安をなくしてくれた。
森で暮らす経験が自然の中にはたくさんの解決手段があることを教えてくれた。ここには食べ物があり、道具も生み出せると。
バックパック1つの旅の経験が、私にとって最低限必要なものは何かを最終的に絶対手放せないものは食べ物と水と火と仲間、だと。
不便であることと便利であることは紙一重。
質素であることと豪華であることも紙一重、その人の受け入れ方次第だと思う。
どちらがいいかはその人それぞれだけど、私は不便の中にもたくさんの希望と癒し、人を思い合う気持ちを育ててくれる豊かさがあることを知ってる。
今はそれを感じる機会が少なめで、でもそれって幸せをもっと増やす感覚だ、ともおもう。
ご飯と味噌汁と漬物だけの質素な食卓を日頃から囲むことは、自分の欲をコントロールする力をつけ、知恵を生み出す。何より、身体も家事もらくなんだよね。
正直、こどもたちは、〇〇ちゃんのお弁当いつもチーズ入ってるの。いいなー。っていうこともある。でも、お昼になれば、おかかおむすびもおいしいもんねー、痒くなるよりいいよねー、っていいながら頬張る。
カラダと食事、排泄物の関係も我が家では日常会話なので、どんな食事をすれば身体が楽か、ってことも子どもたち自身が実感してるので、他のうちと違う、ってことは私自身も気にしてない。
質素な食事でも、家族で納得してれば貧しくないんだよね。
実は質素なものの中にもおいしいものはたくさんあり、豪華で好きなものはたまに食べるくらいがちょうどいい。
〜日々は当たり前なんて何1つないときづくこと〜
私たちの生き方はマイノリティ。いろんな文化があって、いろんな生き方をしてる人と会わせてもらったし、自分たちも森で、屋根と床だけの家で暮らして想像力を働かせる生き方ができるようになった、わたしたちのじんせいけいけん。
街でしか暮らしたことがなければ、人に流されて不安になるんだろう、っていうこともこの経験から感じるようになった。
我が家がおとづれた国の小さな村で、土の上で暮らす人は、とても穏やかだった。生きることがシンプルだった。
生きていたら何が起こるかわからない。
経済が正しいのかも昔ながらが正しいのかもとうつもりはない。
けれども2つの震災とコロナパニックでわかったことは、経済の中で不安になること多々ある。ならばそんな土の上で生きる感覚を残していくこともとても大事なんだろうな、ということ。
この状況で我が家は旅するフリースクールをどうしていくのか、いまはわからない。
けれども、自分たちが生きてきた道が当たり前なんじゃない、ってことを体験し続けようと思うし、一緒に経験したい人がいたらいっしょにできたらいいとおもう。
人生何が起こるかわからないから、当たり前なんてないんだと親子で知っていくことが今の時代は必要なんだろうな。
まず、日々はありがたいことで成り立ってるわけだし、それは当たり前じゃない。
子どもたちが大好きって言ってくれること。
旦那さんが今日も面白いことがあってね、って笑ってること。私が爆発した時には子どもたちを守ってくれるあんしんかんがあること。
穏やかな気持ちで今の自分を受け入れられるようになったけど、あんなに否定的だった頃から私を見捨てずにいてくれた家族がいること。
過去をごまかさずに、あの頃はごめんね、きょうもありがとう、と言える自分がいまいること。
日々成長してる一人一人の家族。
ともに暮らせるいまがあることがありがたいことでこの日々は決して当たり前じゃないんだ。
どんな時でも日々を大事にしよう、こんな時でも変わらず、そう思います。