日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

家族はまた夫婦ふたりにもどってゆく。

そうリアルに気づいた日。

家族のこと。

 

先週、毎月農家さんにお願いしてるお米を受け取りに行った後、別の農家さんに会いに行った。

オリジナルの自然農法してるそのご夫婦は植物に毎日ありがとうって声をかけて育ててらっしゃる。

言葉をかけるのとかけないのでは全然育ち方が違うのよ。

 

愛のあるご夫婦が実践するその方法を知って、わたしは自分の日々に愛があるかな、と時々考える。

今日も愛を持って自分といられたかな、家族といられたかな??

 

できることならいつも愛に溢れた人でいたいと思う。

いまは、そんなことをいつもかんがえてるくらいだからそう胸を張って言えないけど、いつかそんなおばあちゃんになりたいな。

いちいち意識しなくてもできるようになった時、それが変わったということなんだろうな。

幼い頃から愛ってなんだろう、家族ってなんだろうって考えてきて、いま、この家族に溢れてくる自分の愛を感じる。

けれども何かがあるたびに、羨ましくなったり、え!?っと思ったり、自分の中にある優しさについて、あいについてかんがえてるじぶんがいるから。

そのうちそれらが統合されてまた変わって行くんだろうな。

ゆっくり待つしかないよね、自分を。

 

そんなのうかさんと話したあと、夕方おそくなって子どもたち、温泉入って帰りたいー、、ってねばる。

北海道はそう遠からず所に大抵どこにも温泉があってとってもいいところなのです🎵

でも、急な予定変更が基本苦手な旦那さん。

仕事したいんだよねー、ってこちらも粘る。

 

子どもたちははっきり気持ちを伝えられてるし、旦那さんも伝えてるし、どちらかが強いわけではなくいい状態?(笑笑)で気持ちをすり合わせる。

そんな時、なんとなくお互いのことを伝えられるようになってきたわたし。

 

私「パパ、臨機応変に苦手だし、夜は滑るから運転不安なんだと思うよー。私は今日はちょっとパパよりかな。次はみんなでどらいぶでよていいまからたてようよ。」 パパ「うんうん。」

そう言っては見たけど譲らない子供達。

私「しばらくみんなでお出かけなんてなかったしね、楽しみたいよね。その気持ちも、わかるけどねえ、、、。」子どもたち「うんうん。」

そうもいってみる。パパと遊びたいなあ、日中のこどもたちのつぶやきは私がよく聞いてるんだよね。でも、子どもたちもパパの状況を想像して毎日、パパに気持ちを主張し続けないのをしってる。だからいつも彼らがその配慮をしてることも中に入ってお伝えしたいとおもう。

 

「わかったよ。いこう。」

結果、旦那さんが折れてくれた。

「ありがとう!!パパ、本当にありがとう!!」って子どもたちの歓声。

パパの動揺も心の動きも分かった上での彼らの言葉に胸がいっぱいになる。

そしてそれを組んでくれただんなさんにも。

昔は絶対予定通りじゃないと怒っていたのにね。

最近30分とかなら待ってくれるようになったし、こうして臨機応変もしてくれつつある。

ありがたいよね。

 

そんなそれぞれの配慮が感じられる日常があることにただありがたいなと嬉しくなる。

大事な、大事な、家族。

 

思えばパパがブラック企業の働きっぷりをしていた頃、熱意があったのも見てるから旦那さんの悪口は言わなかったし、なんなの?なんて思ってなかったけど、「いてもいなくてもかわらないよね、、、、」って、そんな気持ちもあった。

そんな気持ちは確実に子どもに伝わっていたのだとおもう。

 

そして色々あって、旦那さんがもう「自分は好きなことやるだけやったから、今度は私がしていいよ」って言ってくれて、「じゃあ、子どもの人生を潰す母親にだけはなりたくないから、人生学び直したい」って涙ながらに訴えて、生きる場所を変えた。

その時のありがたさを抱えて始めた新しい暮らしは、夫婦のすり合わせの日々。

 

旦那さんがこんな風に考えていたんだって自分の中で理解し始めたら、彼への理解の仕方が変わって行った。そこから過去に遡って彼に対して嫌な思いを抱いた時の私の思い込みと向き合う作業。

多くが私の思い込みが入ってた。

そこに、彼なりに必死で私と子供たちを思ってきてくれた気持ちを足したら、怒りまくってごめん!、今でもそこを理解できなかった自分の未熟さを感じ、傷つけたことに申し訳なく思う。

 

自分の思い込みではなく、彼のいまを理解していく作業をしよう。

その思いが形になったのか、いまはそんな風に彼といられるようになった。

前提に彼へのありがたい思いがあるから、なんの交換条件もなしで自然に湧いてくるおもい。

生活が変わっても彼がいつでも私たちに寄り添いたいって思ってくれてることを自分で確認していく。

自分の思いこみを避け、私も彼への誠意を忘れない土台にするために。

 

さいきん、彼の小さな変化を見つけようとする感覚が自分の中に根付いてることを感じて、嬉しくなった。

まだまだかんじょうがさきにたつこともたくさんだけど、いまの私たちに合わせようともしてくれてる。

それは愛だよね。

とてもありがたいこと。

 

だから実質的にはいつもうちにいるわけではないけど、気持ちが寄り添ってくれてありがたいなって思う。

彼がいま、この暮らしをしてくれてること、ここにいてくれることがありがたいと思うし、それをしっかり子どもたちが感じてくれて、自分の気持ちをまっすぐに伝えられる関係になった。

 

家族って本当に心地いい。

こうして思い合っていられることが何よりだよね。

 

いまの私は旦那さんを変えようとは思わない。変わって欲しいとも、何かをして欲しいとも思わない。

いろんな感情を味わったことを経て、彼の気持ちとぶつかったりすり合わせたことも経て、彼を少し理解した。ゆっくりと理解をふかめたいと思う。

家族といる時間を持ってくれるだけで十分だよね。

そこでそれぞれの気持ちをすり合わせる時間がもてるから。

私たちが伝えた気持ちについて考えてくれてるのがわかるから、私の思い込みによるイライラは格段に減った。

彼の優しさを前提に理解ができるようになり、話ができるようになった。

それを心地よくなったよね、って彼も言ってくれるけど、そうして家族に威圧感を与えないでいられる自分自身が嬉しいと思う。

 

いまは自分の思いを表現する仕事をしてる旦那さん。

その勉強のためにちょっとこんなセミナー参加して見たいんだけどさ、時間とったり、お金かけてもいい??とわたしにきく。

彼の思いを大事にしたかったからまあ、いいんじゃない??

そう言ってきた積み重ねと彼自身の立つ力でいまがある。

そんな彼のいまに対し私は何ができるかな??って考える。

彼の生きたい道は応援したいと思ってきたし、子供達に協力してもらうことになるので、そんなことも含めて、間に立つ私としても子どもたちのおもいとすりあわる努力はし続けてる。

 

そしてふと先日思ったことを伝えてる私がいた。

いまの仕事にストレスないって言ってるけど、やっぱりいろんな人の話を聞くって嫌な気持ちになることもあるでしょう。

整理したら自分の問題と相手の問題が見えてくるからいいことなんだと思うけど、やっぱり最初に感じた嫌だな、なんでこういうこと言うのかな、ってショックはストレスになるとおもう。

そう言うのを分かち合ったらいいとおもうの。

 

ああ、そうだねえ。。

 

そう、何気なく答えてた旦那さん。

こんな会話を積み重ねてきた数年。

夫婦ですり合わせてきた時間が、縁側でお茶を飲む老夫婦のような会話を生み出してくれて、ああ、私たちも夫婦として少しは成長したかな、って思えた。

 

旦那さんが気持ちよくいきていくために、家族としてできることを積み重ねていく。

 

子どもたちはどんどん大きくなり、そしていつかまた二人の時間に戻る。

その時間も豊かであるように、積み重ねはもう始まってるんだなあって感じた瞬間でした。

おばあちゃんになっても私はやっぱり一緒に暮らしたいから、心地よい関係を時間をかけて積み上げていきたいなあ。

そのためにわたしは家族に時間をかける。

 

そんな風にリアルに感じてまた一歩前進。

家族はまた夫婦に戻っていくんだよね。

そうしみじみ思います。