日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

約束。

久々の大雪。

こっことトモエで満喫!!

朝からケーキ屋さんごっこして、ホールで逆立ち歩きの練習して、昼から外でソリとスノボ。

運動神経抜群のこっこ、もうじき1人倒立が出来そう。その次はそれで歩くそうな。どんな大人になるんだろうか、笑。

 

んでもってスノボしに外へ。

こちらもまた坂道を滑って行く。途中で座り込むのでもうすこしだよー、なんて思ってたら、他にも数人の女の子がそこで滑ろうとしたけど、ここは怖い、ってみんな滑らずに違う場所へ行くので、途中まで滑るだけですごいのね、と納得。

面白いなー。

 

このところ、まためっきり濃厚な2人の時間。

 

この日は、午後からスタッフさんのお話会があって、いつも、そういうのに出ようとすると、断られるので、数日前からいい続けてた。

出たいのでよろしく。。と。

今日もずっと言ってきていいよーって言ってたのにいざその時間になるとやっぱダメ、と断られる。

 

私の心の中にどうしても付き合えないこと以外は、この人の決めたことにつきあおうっておもいはずっとある。

それは、このひとのふりまわされてる、ということではなく、この人を見ていて、緊張の高い部分があるからその不安を取り除くきっかけになるかもしれない、って思いで、私が自ら選択してそうしているので、振り回されてる、とは思っていない。

私は我が子といることで自分がしたいことって何か、とか、自分が心地いいことって何か、って考えるきっかけをもらってる。

だから、この人たちとの時間は時に自分が育つための試練であり、楽しみでもある。

自ら選択してることなのである。

 

けど、その時の感情もあって、だからずっと行きたいって言ってきたのにな。。

と数分、ブツクサ言ってしまった。最終的にいかないって決めたのは私なのに。自分でもちょっと嫌味かもって気持ちを持ちながら言ってしまった言葉。

心のなかでは、土壇場でこっこが希望を変えてもいいって思ってたから、そう言われてもうけいれるつもりでいたのにね。できない自分の苛立ちながら。

 

ちょっとして、こっこ、突然、号泣し始めて、

「さっこごめーん、いっていいっていたのに、うそついてごめーん!!!約束破ってごめーん。」

ボロボロなみだながしながら泣いてるこっこを見て、私は自身の態度に反省したとともに、こっこが「ダメ!!」っていう時の彼女の心境がわかって胸がキュッとなった。

 

ああ、悪いことしたなって思ってくれてたんだ。

 

それを感じた時に自分の幼い頃を思い出した。

子どもは親の思いに添えない時に、自分を責める。

ああ、こっこは自分が悪いって思ってるんだな。

そう思ってハッとして、丁寧に伝えた。

 

違うんだよ。私は約束をしたのではないの。私の希望を知っておいて欲しかった。

そしてこっこが心のどこかで、さっこがお話会に行きたいんだなっておもっておいてもらったらこっこが心の準備ができるでしょ。

でも、人は未来の状況を予測できない。だから、その時になってこっこがいいよって思えるかもしれないし、やっぱり一緒に遊ぶほうが楽しいって思って、嫌だなって思うかもしれない。私だって気持ちが変わるかもしれない。

だから、最終的に、その時になって決まって行くものだって思ってたから、私は約束をしてないの。

 

お互いにその時になってもう一度素直な気持ちを伝えて、どうするか決めようと思っていたのに、余計なこと言ってごめんね。こっこの気持ちがわかって、申し訳ないのは私の方だよ。

私はこっこのきもちが変わってもいいと思っていたの。今の自分のきもちを大事にして欲しいって思っていたのもほんとなの。

素直に言ってくれてありがたいことでもあるんだよ。

 

と。それでもごめんね、というこっこ。

ごめんねは私の方。ごめんなさい。

自分がお話会の中に自分が優しくなれる学びがあるって思って欲張った。でもね、結果、私はいま、ここに、まなびがあったよ。

自分が何を大事にしたいか、学びたいか、とすり合わせながら、今の状況を受け入れる、ということ。

これは、それがまだできていなかった私の問題なの。

ごめんね。

と、つたえて自分の行動を整理する。

 

わたしは、子どもと約束、をしない。

だってね、いまを生きてる子供達に大人が約束をさせたら、彼らはそれに縛られて、やりたいことを手放さざるを得ない。

大人がさせた約束は絶対的権力をもってしまうもん。。

 

冷静に考えれば、約束をする内容だってね、絶対その通りにしないと生きていけないわけではない。素直に生きる中で、私たちはいろんな想いを経験しているわけで、約束ではなく、何かをする相手に対して、誠意があれば、その通りにしなくても、相手を困らせない。

何かをした後、片付けをしてね、っていう場面だって、約束したのになんでやらないの??ということではないとおもうんだよね。だって次から次へとやりたいことが出てくるんだもん。。それって冷静に考えれば素晴らしいことじゃない??っておもうの。

んでもって、それって、みんなが通るのにここが散らかってては困るから、片付けて欲しいよ、って私の希望で、それをこどもが組んでくれる関係を育てるほうがだいじだとおもうのです。

ああ、もうー、、って思うけど、片付けをしなさい!!ではなく、片付けをしてくれたらみんなが気持ちよく暮らせるよ、おねがいね。っていうことを伝えたいだけの話だとおもうのです。

 

ああ、私が困ってるから協力するか。

っておもって子どもたちはどこかで自分でうごいてくれる。だから次のことをやり始めたら、今すぐにかたづけて!!と求めるのではなく、彼らがその手を止められるタイミングでいいからね、ってゆとりを意識して私が持つ。

約束を守る習慣ではなく、誰かが困らないかを考えて気づく習慣があるほうが大事だと思うんだよね。

 

そんな私の思い。

逆に旦那さんは予定通りに動きたい人で、トモエの帰りの時間を朝から決めて迎えにきてくれる。

確かに仕事があるから仕方がないと思うけど、時間を決めるのは難しいと思うよ、といつも伝えてる。

子どもといてわかったこと。

 

幼ければ幼いほど、今日遊んで楽しかったから、あしたもいっしょにこのあそびをしようね、と口ではいっても、次の日になって同じ遊びになることはごく稀なんだよね。今日のよろこびは今日しかなく、今日のこの関係も今日しかないこともたくさんある。

だから、この思いっきり楽しい感覚を存分に味わって欲しい、そう思って私は子どもたちに付き合う。

 

迎えにきてもそのじかんに帰れない、それにしびれを切らした旦那さんもかわいそうだと思うので、付き合うのは私、と、基本的には決めてるけど、このぶつかりは今でもある。(だいぶまるくなってくれたけど)

その時につたえる。

大ちゃんはパパに合わせる、こともしてくれるようになったけどさ、おつきあいしてる人は下の人なわけで、今は、いま、なんだよね。こっこもそう。だからパパにとって待つことが厳しいならもうすこしお迎えに時間遅くていいよ。

 

そうして私もパパに配慮して行くことで、大ちゃんも一緒に配慮しくれるようになった。

約束を守る、のではなく、その人が困るから寄り添いながら、自分の希望とどこまですり合わせられるか、かんがえてゆけるだいちゃん。それってすごいことだとおもう。

自分のしたいことも大事にしながら相手のことも配慮に入れて行く。

今はそれを私より、自然にやってくれる。。

 

そんなしなやかの大ちゃんと、繊細で意地っ張りだけど、細やかな感性のこっこ。

私が彼らに教えることは何一つない。

私が幼い頃に無くしてしまった感性に気づかせてくれて豊かな人生を生きられるように、変わって行くことを教えてくれてるこどもたち。彼らにいつも気づかせてもらって、ああ、結局は私の問題なのだと誰のせいにもできず、自分に気づき変わって行くしかないのだと思考を変えるきっかけをもらってる。

 

「子どもは大人から敬意を払われている度合いに応じて、自分の人格を形成し、自分の人間としての尊厳を自覚して自分自身を尊重するようになります。のちに大人になってからの道徳的態度全体に影響を与えることになります。」(ポール トウルニエ)

 

私は子どもたちに育ててもらってる。

彼らの未熟な私を受け入れてくれるしなやかさに敬意を示すことしかできないなあと今でも日に日に感じています。

彼らのようなしなやかさを自分が使えた時、生きるのが楽で楽しくなる。

人生の先生は子ども。

 

私は子どもたちの感じること、考えることに敬意を感じれば感じるほど、私が決めた約束 で彼らの感性の邪魔をしたくないと思うのです。

 

約束ではなく、それは私の希望だよ。共にいるからこそ、私の気持ちも組んで欲しいと思うことがあるの。それでもあなたがしたいことがあるならそれも教えてもらって、お互いが納得するところにたどりつけばいいんだ。だから、悪いって思うことも含めて教えて欲しいよ。一緒にいる毎日がお互いに楽しくありたいから!!

 

そう改めて伝え直す。

自分が悪かった、そう、こっこにおもわせてしまった私の未熟さに反省しながら、彼女のやさしさにありがとうでいっぱいです。

全ての学びはここにあったよ。

 

彼女をぎゅっと抱きしめてまた雪の中で遊びました。

 私はじぶんが嫌味を言ったり、ひねくれてみたりするのではなく、素直に言葉にできる人間でありたい。

どうしてもやりたいことであるなら、子どもたちの希望に添えなくてもお願いし続ける。

でもちょっとやりたい気がする、くらいなら、子どもたちに合わせて、今、目の前にある学びを、共に笑える時間を選択する。

自分がしたいことを欲張ることはできないんだ。。

やりたいことをやり続けるために、ほんとうにやりたいことをみきわめられるじぶんであれるように、長いこと無視してきた、いつでも素直に表現する、ことを積み重ねていこうと思う。

 

今日も育ててもらいました。ありがとう!!

 

ゆきだんねつ。せっせとやってうちが埋まりました。ちょっとあったかくなったよ。

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うちのまどからみたけしき。雪の下ですから。

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