日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

怒ってごめんね。

「最近怒ったりグジュグジュばかりでごめんね。」

 

こっこが布団の中で私にしんみりと言ってくれた。

それを聞いてハッとする私。

 

こっこはいつも怒ってるわけじゃない。たくさん笑うし、集中してお裁縫もするし、泣いたり、おしゃべりで盛り上がったり、いろんな表現をしてくれる。

でも、この頃怒って表現することが多かった。

それはなぜだろう、怒らねばならない彼女の状況なのだろうし、怒りで表現せざるを得ない彼女が苦しいはずと、私も考えながら過ごしていたのだけど、さりげなく声をかけてことに怒って返されたり、兄弟喧嘩のしょっぱなからげんこつでかかっていくのを見て私の感情も高まってしまうことも多く、私もイラっとしながら切り返してた。

 

怒っていうことないでしょう?

私も気持ちが高ぶりながら話してしまったこの頃。

 

こっこの言葉にハッとする。そして、気持ちをこっこに集中させる。

 

怒る、ぐずぐずする、表現は悪いこと、捉えさせてしまったのかもしれないってハッとする。

そして伝え直す。

ああ、最近私はこっこに怒ってばっかりで嫌だっていってたね。ぐずぐずがいやだっていったね。

怒るのはいけないことだって思わせちゃったかな。そうだとしたらごめんね。

グジュグジュもね、こっこがそういう風に気持ちを表現せねばいられないこともわかるの。でもごめんね、私がそのままこっこが変わっていくのを待てればいいんだけど、ぐずぐずさんだけはどうしても苦手でね。だんだんイライラしてきてしまうの、なので違う気持ちの伝え方があるといいなっておもうの。

 

こっこがおこりたいくらいの感情だったのだとしたら、それも大事なこっこの表現だと思うの。だからこれからも怒っていいんだよ。

こっこの気持ちを抑えることの方が私は嫌なんだ。

私が本当につたえたかったことはね、怒って相手にぶつかる以外の表現の仕方もあるんだよってことだったの。

グジュグジュさん以外の方法で伝えることもできるよ、ってことだったの。

 

でもね、今すぐにそれを変えてね、って思ってはいないんだ。

私もそういう部分があるのだと思うの。きっとこっこに混乱させてるのかもしれない。

私もこゆにとって気持ちよくない表現は変えて行く努力をするよ。

一緒にもっと気持ちよく暮らしていけるようになったらいいなって考えてる。

 

たくさん怒っていいから。一番大切なのはこっこの伝えたいことを大事にすること。

伝えたい時に伝えないと伝えることができない人になって行ってしまって、こっこが辛くなるから。

うまく伝えられなかった私を許してね。

 

大事なことはことばではつたわらない。

私が日々行動をしていくしかないと思う。

だからこっこが怒りで表現しなければならないことの理由の1つに私の姿もある。

 

丁寧に毎日を紡いでいきたい。

だから私はいろんなことはできない。

片付けだって完璧に綺麗にできない。それより子どもたちの喜ぶ顔を1つでも多く見たいから。

日々子供たちと過ごし、だんなさんとすごし、自分も見つめる。

頭でいいと思っていたことが家族と丁寧に過ごす中で、違ってたやーん !!ってガツンとくることもある。

 

家族と過ごす日々の中に自分を育ててくれるエッセンスがたくさんつまってる。

まだまだみじゅくものだけど家族それぞれが自分を素直に表現できる姿を認められる私でいたいとおもう。

 

だからどこに出かけても家族の愚痴を言わなくなった裏表のない私は少し成長したよね。

だってさ、いつだって本気で向き合う私は今の一人一人が全てでこれ以上でもこれ以下でもない。

だから愚痴ることもなくてさ、ママ友と話が合わない、笑。