引きこもってます。その中での日常。
引きこもってます。
といっても我が家の場合は、山を降りるのに子どもと歩いたら片道1時間半、だから。引きこもれるならそれはそれで楽でもある、笑。
〜自然の中はえぐいことも日常的〜
〜現実での経験が少ない昨今〜
〜えぐい経験って実はとても大事なことだと思う〜
〜自然の中はえぐいこともにちじょうてき〜
あまり人と会えない、あわない以外は通常モード。
室内好きな我が子たちは室内が多いけどそれでもふと外に出ると吸い込まれるように遊び出す
カエルが出てきたよ、といってはカエルを追いかけ。
一昨日、沢でカエルを見つけたから網で捕まえようとしたら切れちゃったんだ😱という。
「金網でも使ったの?」って聞いたら
「違うよ、魚取り網。」
「じゃあ、きっと冬前に死んでしまってそのまま冬を越して、肉体が土に帰るところなんだよ。」
「でも怖かったからしばらく沢には行けないかも。。」
「うん、仕方ないんじゃない。」
こうして自然の中にいるとリアルに死を目の当たりにする残酷な姿にも出会う。
そうしてショックを受けたり、もやもやしたり、これを味わうのも大事なことだとおもう。
ついでにその次の日新たにカエルを見つけて、小さな池を作って遊んでいたらその次の日に動かなくなってて(寒くて固まってただけだったからみんなで胸をなでおろしたけど)、死んじゃうってどういうことかをそれぞれにまたずっしりかんがえた。
〜現実での経験の少ない昨今〜
冷静に考えると街の中でこうした場面にはあまり出会わない。
でもさ、ゲームで敵を倒す、とか、漫画の殺人事件の現場をリアルの想像したらこういうことなんだと思う。
とっても申し訳ないけど虫たちのおかげで自分たちがどの程度手を出したら命に関わるかを知ってる部分はある。
グロくてえぐい場面から学んで行くことってたくさんあるよね。
大事に飼っていたって人間のエゴでカゴに入れてるわけだから環境が合わなくて死んでしまうこともあって。
でもそのけいけんってすごく大事で、それをなくして、ゲームや推理漫画にハマるって怖いよなあって最近思う。
精神不安定に育ってきてしまったら、現実と非現実の境を見失うことがあるという経験を私もしたことがあって、よく家族でこういうこともシェアしたりする。
これも大事な家族の時間だと思ってるし、大ちゃんは結構興味持って聞いて来るので、自分の経験や悶々とした思いや感情もよく話すなあ。。
思春期の頃の私は特にもう自分なんてどうでもいいんだ、って思ってたけど、自分がどうでもいいって危うくて、理性を失うことがあるから、そんな時に、現実と非現実を見失ったら怖い。そこと、ゲームや推理漫画の事件シーンがリンクしちゃうんだよね。
自分のちょっと過剰な力で取り返しのつかないことになってしまうかもしれないって想像がつかないってとっても危険なこと。
ついでにいうと、私はいま、自分はどうでもいい存在ではないことを知ってほしくて子どもと暮らしてるし、そういう人って実は結構いるように思っていて、そんな苦しみを持って生きる人が減っていったら嬉しいなって思って生きてる。
毒親に苦しんで大きくなってしまっても、その人生は誰かの支えを得ることで、自ら立て直すことができるから。そう、自ら自分に期待を持てるよう変わって行ける力を人は持ってるからね。
〜えぐい経験って実はとても大事なことだとおもう〜
話を戻すと。。自然の中でリアルにいろんな経験をして感触や感情を味わって、私も未だいろんなことを学ばせてもらってます。
カエルさんのことはもちろん、マダニに食いつかれたこともある。はじめの頃が病院に行ってたけど、皮膚に食い混んで血を吸って腫れ上がってるマダニを抱えての移動は正直エグい。。
そそっかしい私が手のひらあちこちに棘が刺さってしまうこともしょっちゅうでその度にイタイイタイ言いながら、針で引っ掻き出すのも子どもたちにとってはえぐいらしくて、ひえーってひいていく。。
電動工具での怪我は命取りなのでかなり慎重に扱うけど、金槌で指を打って爪が剥がれたこともある。
小さなえぐいこともたくさん経験していて、これって後々大きな想像力をうみだすようになるから、ルールで禁止することってその場でしか役に立たないなって感じてます。
命に関わらない限り、人様に危害を加えない限りはちいさなうちに痛い思いもしたほうがいい。
うちはこっこが2つの時から大ちゃんの教えのもとナイフを持ってます。
こっこの初めての包丁は、お料理好きな大ちゃんについて一緒にやりたい、っていった2歳のとき。
いいよ、おしえてあげる、と大ちゃんが彼女のペースでやり始めたあの時から、私はこっこにいちどもナイフの使い方を教えたことはありません。
大ちゃんのそばでみていたら、ああ、私は危険予測ばっかりして安全なことしかやらせてあげないけど、大ちゃんは、なんでもやらせてあげつつ、的確なフォローをしてることを目の当たりにして、ああ、私じゃ、余計なことしかしないな、って突きつけられたから、笑。
でね、その数回後、自分で指を切った。
そのことについていま思うこと。
これってびっくりするけどさ、小さい人が自分でした怪我って実はそんなに大きくない。
痛い、って思った瞬間、手を止めるし、手の力自体がそもそも大して強くない。
だからそんな頃にたくさん経験したほうが大怪我はしないよね。
そしてその経験が痛い思いをしてる人に思いを寄せられるようになる。
血が出てびっくりして、でも手当てして良くなって、不安から安心へと心の流れも自分で感じていく。
その経験を積み重ねたこっこは今はだれかが怪我してると、手当の道具を探してくれる小さなナースです。
タイで指を打った時は、いっしょうけんめいさがして、傷薬のハーブをつんできてくれたな。
公園も危ないものが次々に撤去されていくけど、親自身が危険予測ができなくなってるのが問題なのであって、遊具しかない公園ってそもそもあんまりおもしろくないよね。。
花壇だって雑草もはえてたほうがいいし(草花遊びってすごく楽しいから、雑草はとって遊んだらいいと思うんだよね)、遊具もたくさんあればいいってもんでもない。これじゃなくちゃ遊べないっていう方が生きづらくなるもの。大人が10数えて交代する必要もないし、他のことしながら待ってましょ、くらいがちょうどいい。子どもは自分が待ってもらって満足した経験から小さい人が乗ってる時はじっくり待っててあげようってじょうきょうにあわせて動いてくれるようになるから。
いろんな意味で大人が環境を整えすぎないほうがいいんだろうなあって感じてます。
娘と魔女ごっこ。ほうきとマントと黒猫作った。女子的遊び、笑。