日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

コロナ騒ぎの先には何があるんだろう、の考察。

今日は目次を建てれなず、ごめんなさい。

本日もつぶやいてます。。

 

春になったら畑やら娘の学校やらでいそがしいので、雪のあるうちに、春夏のはじめの服を仕立ててました。

 

三年後くらいにはお洋服屋さんできたらいいなって思ってるから、家族の服でせっせと勉強中。

今回のコロナで中国産のものが品薄になりつつあるそうで、日本がどれだけ大量生産品に頼ってるか感じたんだよね。

 

息子のおパンツと。

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娘のも。キャミとセットで。

私はふんどしパンツにして生理痛無くなったから、娘にも足の付け根が締め付けられないの履いててもらいたいんだけどお年頃になったら普通の履きたくなるよねっておもってしさくしまくってます。

考えた末にボクサーパンツの開きをなくしてリボンをつけてみた。

気に入ってくれてよかったー。

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食べ物も、添加物も服も、100均のものも、なんかいろんなものが海外でやすく作られてるからやすく手に入らなくてこまる、らしい。

 

服なんてね、こんなのつくったら材料費だけで500円から1500円よ。

一枚300円なんて糸しかかえないわっ。送料代ですでに足が出る。

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大量生産が当たり前になってるから、こまる。

便利って不便でもあるよね。

で、みんなでたすけあいながらくらせたらいいよね、そんな不安にならないもの。

改めてそう思ったので

私は服を作れる人になろうと思う。

 

生地から仕立てることは現実的ではないけど、(一枚作るのに1年かかっちゃうよね。)、リメイクできたらそれでも子供服くらい作れるわけで、知恵を絞ってその時に必要なアイデアを考えつけばいい、それを目指してます。

 

今の時代の良さ、も大事にして好きなものを身に付けたいしね。

肌着からアウターまで靴下以外はかたがみさえあればつくれるようになった♬。

十分、生きるためには役に立つようになった。

自給自足って自分で全てやるってことじゃなくて、自分ができることと誰かができることを交換しながらつながりを心地よくして行く、ってことも含むと思うから、コミュニケーション手段にもなるとおもう。

 

そんなことを考えながら。

 

んで、娘、学校に行くのに片道1時間半、山を降りる。

去年はクマがうちの庭をうろついていたので、今年もしばらく送迎しようと思うんだ。

車で、って旦那さんは言ってくれたけど、学校で学ぶだけじゃもったいないから、通学中も楽しんだ方がいいとおもう。

なので遅刻してもいいから、歩いて行くことを大事にしたいな、って私は今のとこ考えてるので往復3時間、つきあうつもり。学校に着いてから、というより、この大変な道をどうクリアして行くか、それって全てに通じると思うんだよね。

 

結果より、そこに向かうまでの過程で、知恵を絞る経験を積み重ねる。

小さいから大変でしょ、ではなく、それは小さないうちから暮らしの中でそれを積み重ねるうちに、いろんな場面で活かせるようになるんだと思うんだよね。

 

こないだまで、「えーっ、あるくの大変そうだから学校行かない。」って言ってたこっこ。

「そう?面白いと思うから私は付き合うよ。勉強するだけが学びじゃないし、自分がそこで学びたいなら自分でそこまで行った方がいいんじゃない?でもまあ、それでいきたくなければ行かなくてもいいけどね。」

「じゃあ、いかない。」

 

そう言ってたけど、そこのとこを自分で勝手に超えて1日だけいってみることにしたらしい。

「やっぱ1日だけ、いってみる!」

「おっけー。生きるためにはまずは体力だ!」

 

なんて適当なことを言ってたけど、コロナの騒ぎに、震災の時を重ね合わせて考えてる。

入学式からしばらくは行くのやめておくか、って。

あの頃は騒ぎに飲み込まれ、不安になってたけど、あれから9年、あの頃の悔しさを抱えてづけることではっきりと思う自分がいる。

 

世界の動きと日本の動きを見て、変化が苦手な日本人の姿を感じる。

世界各国でロックダウンされる中、日本はオリンピックを軸に動いているのか、経済界は通常営業したがってる気がしてちょっと違和感を感じたんだよね。

 

学校は休校なのに親は出勤なのもね。

家族よりもお金を稼ぎなさいよーっていう動きだしね。

子供の気持ちに寄り添う声よりも、大人がこどもをみきれない、って大人目線ばっかりで、ああ、親が我が子によりそえてこれなかったから、学校や習い事がなくなって、親の手に負えなくなったのかな、と思ったんだよね。

 

私も反省も多々あるし、自分が寄り添ってるより、こどもがわたしたちによりそってくれてるからこどものほうがやさしくて。。

でも、そんな我が子に感謝しながら1日が回るし、この人は今、何をしたいんだろうって考える習慣がついてるから、わたしなりにそれなりに寄り添えてる部分もあって、トモエに行かなくなって、大ちゃんは毎日料理してるし、こっこが好きなことも発見できたりしている自分も感じさせてもらってるので、子供との時間が心地いい。それって親子関係を育てて行くためにすごくだいじで、その気持ちを一人でも多くの親が経験できたら、幸せな親子が増えるんだろうな、そう密かにおもってる。

 

そんなこんななきづきがあったから今の現状を見て、自分がこれから生きて行くために必要なこと、子供たちにどんな未来を残したいかを考えた時に、この社会の流れに乗っていいのかな、って一歩立ち止まって考えてる。

 

 

自然農法のファームをしてる方が先日シェアしてくれたこと。

何度もウーフに来てくれてるフランスの方からこんなメッセージがあったよ、って。

ロックダウンされて、何もできないけれど、諦めて家族といたら、こんなにかぞくといたのはひさしぶりで、ああ、幸せだな、って思ったって。

フランスではいま、休職してる人も80パーセントの給料保証となり、水道光熱費がタダで生きる上での最低限を守った上で、収束に向けて最大限の努力をしてるそうです。

ロックダウンで感染者が何人で、って報道の裏にあるだいじなこと。

 

 

この騒ぎの先には、何があるんだろう、私は最近そう思っていたから、そのフランスの方の気持ちにすごく希望を感じて嬉しくなった。

ああ、行き着く先はあって、それを切り開くのも自分の意思。

日本の場合はまだまだ不安情報ばかりだけど、自分の大事にするものをまず大事にしよう、そうおもってる。

 

側に暮らすおじいちゃん夫婦も大事、家族それぞれの気持ちも大事。

ついでに先を勝手に見てお金の不安に引っ張られるけど、お金はいくらあっても不安なことも知ってる。

 

今は自分の大事なものをとことん大事にして助け合える関係を育てていきたい、そうなんとなくおもってる。

 

なのでたぶん、学校はしばらくお休みするとおもう。

収束が見えない状況で、多分心配してるのは高齢の方達。私たちは自分の周りにいる人たちをまずは大事にしたいから。

 

そういう選択をしたいってこっこに相談しながら、こっこはどうしたいかも聞いていかなきゃな。

 

それと四月からしばらくうちで一緒に暮らす予定だったお客様にも、会いたかったし申し訳なかったけど、素直にそれをお伝えしたら、時期を待ちますね、なんて言ってくださって、本当に頭が下がったし、こうして優しい関係を積み重ねさせてもらってることに改めて感謝して、これからもお付き合いをさせていただこうね、と旦那さんと話しました。

優しさをいただいた分、もっと優しい気持ちを使いたいと思う。

私はまだお会いしたことないけど、ここに来てくれたその時には家族のように迎えさせてもらいたいなと。

また離れて暮らしても助け合える家族がいることってかけがいのない希望。

まだまだ未熟な私だけど、優しい気持ちに気付きあえる関係であれたらいいなとどりょくしようとおもう。

 

コロナから学ぶことはなんだろう、って考えてる。

 

まずは人間の思うように自然界は動かせないっていうこと。

 

天災も含めて、こんな風に大きなことが起こった時に、一番揺らぐのは街の中。

物流が滞ったら生きていけないからそれはひととして自然なこと。でも、天災の多いこの頃、このふあんをてばなすにはどうしたらいいか、って考える時にきてると思う。この不安を手放すことを、助けてくれるのが自然だって気づいた震災の悔しさから9年。

自然から分けてもらって自分の暮らしをいくらかでも作っていくことができればそれがこれからの希望になって行くのかもしれない、とやんわりとおもう。

 

それとね、人の中で優しさという感覚がそだっていくこと。

今日の新聞に、私立小学校が休校になった分の授業料返して、って声があったけど、みんな不安の中で生きてて、ああ、いつも世話になってるあの先生も家族のためにお金が必要だよね、っておもえたらいいな、っておもう。

自分が大変、だけど、相手も大変。

そこに優しい気持ちを使うのってすごくゆうきがいる。

自分のこの先も心配だから。

 

でも自分の優しさを育ててみようと思う。

私たちは貧困家庭で親子食堂で食いつなぐほどではない。

裕福ではないけどいつものご飯を雑炊にでもすれば食べては行ける。

そして今年はもっと丁寧に畑をしてみようと思う。食べ物をえるために。

 

子供たちに残したいものに1つ気がついた。

優しさ、だね。

自分が相手の状況に気づいて優しさを使えるようになること。

うちの子らが使ってくれるような自然な優しさを私ももっと使いたい。

そうして嬉しい気持ち、穏やかな気持ちで人と関係を持てるような世界を残したい。

 

私が東日本大震災から三度目の非常事態でかんじたこと。

何かがあっても生きて行かなねばならないから。

大事なことは素直な気持ちで優しさとともにコミュニケーションをとってそれをこえていくこと。

それは全ての生きる力、だよね。

 

わたしたちのじょうきょうを受け入れてくれたお客さんの優しい気持ちのおかげで、優しい気持ちがなによりも大事なものであり、きぼうだと気づいたよ。

ありがとうございます。

 

あとは私たちが、自然の中からわけてもらって生きて行く知恵を残していけるように受け継いでおこうとおもいます。

何が起きても優しい気持ちを持ち合い、助け合えればいいだけなのかもしれないな。

 

かわらずに大事なものを自分でしっかり育てて行くための生き方をしていこうとおもいます。

意識が行動になり、習慣になり、性格になって行く。

この思いを大事に抱えてゆきます。