日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

脱プラスティック。

今年の目標は脱プラスティック。

 

なぜかってね。

それはマイクロプラスチックの話を聞いたから。

それからちょっとずつしらべてる。

 

人が出したゴミから出るマイクロプラスティック。

海に流れ出たペットボトルやビニールだけで無く、台所で使うアクリルスポンジや洗濯ネット、洗濯中の化繊のお洋服からも流れ出るらしい。

 

結構びっくりした。

で、それがどうなって行くかを考える。

すでに小魚から検出されてるらしいけど、小魚は丸ごと食べたりするから、胃袋もたべちゃうよね。

ある程度大きければ、内臓はとるから今のところへいきかもしれない。

けど、体内に溶け出たりとかしそうだよね。

 

ってことは子どもたちが大人になったら、放射能汚染とマイクロプラ、私たちの世代が残したゴミでお魚や海藻が食べれなくなるのかな、っておもった。

ダメでしょ。

 

半年前からアクリルスポンジをやめた。

お裁縫のハギレで、リネンのスポンジを作ったり、亀の子たわしを使ったり、いろいろためしてみた。

で、スポンジの代わりになるのは、断面構造が重要なんじゃないか、という発見があり、やっぱりリネンにヒントがある気がして、ワッフル生地を試そうとしたら、お気に入りの生地屋さんにて、ジュートを発見。

あのゴワゴワ感がいけるんじゃないかと思って早速取り寄せて、仕立ててみました。

これで無理なら次はワッフル構造でトライしようっと。

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でね、感想。

これめちゃめちゃいいです。

どれくらいの耐久性があるのかわからないので今後も研究ですが、色々試して来た我が家にとってこれは画期的なスポンジ。

エコ仲間の友人にも試してもらおうともう一つ、仕立てました。

 

去年はスポンジと納豆パックから解放されましたが、今年は脱プラスティックをさらに進めようと思います。

もともと化繊が好きじゃないのでお洋服は天然素材なので◎。

理念のワンピに引っ掛けて穴が空いたので洗濯ネットを買おうと思ってたけど、ここでちょっとストップ。ハギレで木綿の巾着を作ってみようと思います。

 

電気も減ったし、プラも減った。買い物も減った。

 

小さく自分で作っていく暮らしはとっても楽しい。

 

コロナウイルスはまだまだ暴れてるけど、暮らしは途絶えさせるわけには行かず、春になったら忙しい。

うちを直さなくちゃいけない。北海道のこの暮らしで、断熱がほぼないうちに住む私たち。コンテナハウスのすきまを繋いでるのはこの一年、ブルーシート一枚、笑。断熱入れないとね。お風呂のゆかもコンクリの配合に失敗し滲み出るので直さなくちゃならない。トイレの排水がわるいので排水管をたどって穴を掘って修理せねばならない。

 

冷蔵庫を使わない分自分で作るものがたくさんある。保存食や、畑仕事。

暮らしでいそがしいって、大事なことでうちにいて情報集めて不安になるより、畑で土を触って体を動かしていた方がよっぽどいい。

山菜もとって次の冬に向けての保存食作りがまた始まる。

もう冬支度は始まっててコロナに嘆いてる時間がないくらいいそがしい。

 

脱プラスティックも引きこもることでさらに進むなー、笑笑。

 

自分たちの食べ物くらい自分たちで作れるようにならなくちゃね。

それも、パーマカルチャーなんだとおもう。

大きなとこに期待して不安になるより、自分でできることを増やしていくこと。

それをこの騒ぎから改めて学んでいます。

 

今年も畑にトライしようと思います。

世界的食糧危機説が浮上しているそうです。

 

でもね、海外にも少し行ったことのある私たちは日本を見て改めて思うのです。

こんなに豊かな気候で、水も良くて緑がたくさんある。

みんな、不安に心を奪われるより畑をしてみたらどうかな、って。

働けなくなった時間で安心して食べれる食べ物が作れたら、それは、自分の身体を殺虫剤である農薬から守り、誰にも盗めない技術になり、生きる希望をみらいにひきついでいける。

 

今できることの1つなんじゃないかな、って。

 

正直なところ、いま、このくにがかかえてる大きな、おおきなもんだいはコロナウイルス だけではないと感じています。放射能が処理できないのに原発が稼働すること、綺麗なお野菜を買うのが当たり前になってるけど、それに使われている大量の農薬、加工食品やファーストフードがこれほどまでに美味しくやすく大量に展開されており、半端ない添加物が体に取り込まれていること。北欧はこんなにファーストフードが無く、自宅でご飯を食べるのが基本だそうです。

 

たくさんの自然があるということは、そこにたくさんのきのみや、山菜があるということ。

知恵があれば食料はそこからもいただくことができるのです。

それを守れる暮らしをしていれば、万が一、人間が作った社会が回らなくなったとしても生きていく方法はそこから得られるのだと思います。

 

そんなに経験豊富ではないけれど、ライフラインのない場所で暮らし、戦前に生まれ、戦後の苦労、高度経済成長、バブルの崩壊、そして今の時代を生きてる人生の先輩の話をきくことの多いわたしがおもうこと。

自分たちの生きてる暮らしが当たり前では無く、そしてそのくらしかたしか、生きていくほうほうがないわけはないのかもしれない。今の生き方が自分にとって本当に心地いいのかを考えてみる必要もあるんじゃないかな、そして自分がどんな行動をとれば、自分が今までよりもっとしあわせで、子孫が生きる未来にのこせる贈り物をつくっていけるのかな、と考える必要があるんじゃないかな。

 

自分はどう生きて生きたいのか、どう生きていくべきなのか。小さな私がこれからの子孫にのこせることはなんなのか。

私はこれからも自分にそう問い続けていこうと思います。