日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

有事に気づくこと。その一。

何かがあった時に見えて来るもの。

コロナという有事。

生きているとそれぞれにおいて、何かがあり、それはその人によって重みも違う。

例えば、私が橋本病であるとわかってから、身体のだるさはよこくなくにやって来る。

日々の中で起こるそれは、いつでも有事であり、いつでも日常とも思えて来る。

それをどう受け止めるか、本人次第なのかもしれない。

 

そんなことをボーッと考えながら、今回のことで見えてきたことがあり、そのことのついてこれからまた少し考えていく必要があるのだろうなあって思うので整理してみよう。

 

〜不安を作り上げる情報の多さ〜

〜自分の不安と丁寧に向き合う〜

〜不安からどうにかなるに変わって行くレッスン〜

〜いつでも誠意と優しさを。周りにも溢れて行くものになるように積み重ね、年を取っていこう〜

 

〜不安を作り上げる情報の多さ〜

なぜコロナが問題か、というと、それは一般人にとって未知であり、恐怖だからなのかな、と私は思う。

私も初めは、なんだ??こわっ。っていう思いで情報をヤフーで見ていたから。

で、そんな感じで毎日ニュースを見てると、不安ばかりが募って来る。

不安は不安を呼ぶのね。

 

こんなことが暮らしの中でなんどもあった。

そう、ジャングルで暮らしてると、水道管に魚が詰まって断水したり、雨が降り続いて持ってる服が足らなくなってやばいぞ、ってなったり、コメの精米が順調に行かず昼の15人分のコメがない!?なんてこともあったし、山にいると、今年みたいにいつ雪が降るのかわからなくて断熱が進まなくて寒い、とか今年の薪は燃えるの早くて冬を越せるのか!?、ネズミがうちを出入りしてるけどなかなかの捕まらずに、食べ物の保存がままならなかったり、今年の雪のなさでトイレの排水菅が凍り始め、熱湯を流すも追いつかず、やばっ、この真冬に外でトイレか!?まだ吹雪の日も多々あるぜ??っておもったり。

 

あー、こまった。大丈夫か!??????

 

そう自分で不安になっていくその流れに気付かされた。

私たちの暮らしは誰かをすぐに頼ることはできずに、その問題を自分で解決するしかなかったから、自分がどうすればいいか、をいつも考えなければならないということがおこっていたから。

なんども経験するうちに、自分がしてる動きや感じる感情が、自分で見えて来る。

 

そうして、

あー、不安と恐怖は精神をダメにする。

けれどもそれは自分の問題で、何が恐怖であるのかを自分で整理することができれば、「恐怖は最小限に自分のできることをしてその場を乗り切る」という方法があることを知った。

 

〜自分の不安と丁寧に向き合う〜

そんな風になって、気づいたことがある。

こんな暮らしを繰り返して街の暮らしをふりかえったとき、私にはたくさんの不安がみえた。

水道感が破裂したら業者さんを呼ばなくちゃならない、いくらかかるんだろう。

旦那さんのことを恋愛の時みたいに、好きになれないのよね。むしろイライラしちゃうことの方が多い。そんなんで上手く生きていけるのかな。

お醤油のストックがないとなくなったら困ってしまう。

子どもが生まれてなにをするにも車がないと不便よね。

老後の私たちの暮らしはどうなるんだろう。

橋本病になっちゃった。どうしよう。。

 

そしてその都度1つずつ整理していくようになった。

人はすぐ不安に引っ張られるものだから、不安をわずかでも感じることは意識して自分の中で抱えて、方向性を変えていくしかないのだ、と。

 

自分たちがどうやっていかされてるのかを知るために暮らしを変えた。水道管はどうやって直すのだろう、マキはどうやって作るのだろう。食べ物は??

知らないことばかりを暮らしの中でやっていくのは正直キツイときもある。けどさ、やってみてその方法がわかるとうれしい。そして何よりも災害レベルの、そう、今回のような事態の時に、この状況を受け入れてどうにか自分が生きていける方向を自分で見つけられるんだよね。これはすごい生きる力だと思ってる。

生きることが楽しくなった。生み出すことが楽しくなった。1つずつ超えていく強い自分を愛しく思えるようになった。

強く優しくしなやかに、いつしかそうなりたいなと思いながら積み重ねる暮らし。

 

夫婦での話し合いを重ねた。今のあなたを理解したいと思う、だから私は怒らずにあなたの思いを聞く練習を平常心の時からしていきたいと思う。自分の人生から不安を減らし、あなたの人生も大事にできるように。新婚の時のような感情にはきっとなれない。でもいつまでも一緒に暮らしたい大切な関係でいられるように。

いまは24時間一緒にいても面倒でも苦でもない。いてくれてありがたいとおもう。

 

お醤油がなかったら塩で味をつければいいじゃない。

わたしはどれだけの量が必要なのか常に考える練習を積み重ねる、何度も考えてなんども動いて、それが身についていった。

ものの豊かな時代を生きて生きてあることが当たり前、ないことが不安、という心の問題から解放されるために。

 

子どもとの暮らしで車がないと不便。でも私は自分の抱え続けてた心の問題から運転が恐怖だったとしった。その問題に向き合いいつか完全に解決するまでのあいだ、私は運転せず生きる覚悟をした。自分の選択なら、誰に愚痴ることもない。突然決めた母子3人での海水浴ですら最低限の荷物を抱えて電車で行く。

不安になる必要はなく目の前をできる限りの知恵と行動力で生きていくだけ。

 

老後の私たちの暮らしへの不安。

時々不安がやってきます。でも今やりたいこと、家族に必要なことを優先して行ったら、そこに必要なお金をかけるための貯蓄はできないことを目の当たりにする。

この五年、子供達との暮らしにかけた時間。

私たちは親として二人の人間が優しく生きられることに寄り添ってきた。人を傷つけることもなく、人の愛を感じともに笑いあえる。自分を責めて傷つけてしまったり、それによって人を責めることのない人間だと信じられる人になってくれてる、というかけがえのないこと。

自分を信じられなければうつになる。私はうつにならないような生き方はできないのかな、それを考えて実験して今に至る。

彼らが未来を生きてくれる希望と自分の不安を照らし合わせた時に、私は希望を選ぶ。

そしてそんな彼らのおかげで私自身の優しさがもっと育って、きっと私は困らない生き方を見つけていくことができる。ものごとはすぐにこたえはでないんだ、だからこれは抱え続け、気づき続け、答えを求め続けていくこと。そう考えてる。

仕方のない不安だけど、そてにはかえられないものがある、そう思うたびに背筋が通る。

いまはそれでいい。

 

橋本病になっちゃった。どうしよう。

とっても辛い時がある。何度もその波を経験しそれを知った。

そんな時はそれがすぎるまで大人しくしてるしかない。自分に嘘をついて頑張れないのに頑張ってきたからそうなったのだと思うから、もう嘘をつかない。

正直この身体で外で働けるかって言ったらわからない。でもさ、不安になっててもしかたないのよ。

ストレスからくるといわれるこの病は、不安になったらもっと悪化していくのだとおもう。

元気な時にできることをする。

体力をつけ、自分が元気な時の条件を知り、不調を早めに予測できるようにしておく。まあ、大方予想できないのだけど、口内炎ができるとあやしい、、とかなんとなくわかることもある。そんなことだけでもいいんだ、調子が悪いときはいかりやすいので、気をつけてー、ほっといてー、って家族にいっておく。

 

ああ、またきたね。かぞくはそう思ってくれるので怒鳴ってる私を10歳にもなると見事にスルーしてくれる。そして小さいこっこをまもってくれる。

またコンディションが戻ると、あの時はごめんねーっていうからね、ほっておきな。って大ちゃんに言われてこっこは大ちゃん頼りに遊んでる。

 

つらくて家族に嫌な思いをさせる。そんな不安に飲まれないように自分ができる最大限の対策をたてつづけてる。だから元気な時に自分を分析して、こうなっちゃうんだよね、ごめんね、ってつたえておく。そしてでも愛してるから、これからそんな自分の表現を変えていくので時間かかるけど許してね、と。

すぐにはかわれない。でも思い続けることは習慣になり、変わって行くのだということを知ってるから。

これが自分と家族への誠意。

 

自分の身体の辛さにも向き合う。

無理して頑張ってきた故の病ならば、無理することを手放さなければ病は変わらない。自分には何が今は無理で、どうしていくことが生きやすいのか。ずっと考え、意識し、自分なりに変わって行く方法を探し試し続ける。

自分が変わって行くように病だって変わって行くはずだ。

今、薬を飲まずに橋本病と生きてる事実が、この不安は本当か??というというの1つの答えをくれてる。

 

〜不安から、どうにかなるに変わって行くレッスン〜

 

そう、不安で終わらせずに、その不安はどこからくるのかをその都度考える訓練を積み重ねる。

不安は自ら変えていけるもの。

ウイルスは変えていけないかもしれない。だってどうしようもないもの。

どうしようもないものはどうしようもないもの、と受け止めて、どうしたらいいかを考える。

自分がこれに対してどんな心構えでいたらいいかは自分で答えを出せる。

情報を集めすぎることで不安を呼ぶこともあるからさ、そこも意識しないとね。

自分が信頼する人からの情報をたよるようにするとかさ。

 

情報が偏るその危険性??私が頼ってるだけで周りの友人たちは違う情報を得てるから。どうしたって別の情報も入ってきて、私の情報の真偽を自分でも問うことになる。

だからいいんじゃない?っておもってる。

 

トイレットペーパー買いだめしなくてもペットボトルに入れた水でお尻を洗えるよ。

 

ティッシュがなくても子どもの古着や、タオルで鼻を噛めるよ。

生理用品がなくても、フェイスタオルを切って使えばまめにかえれば大丈夫だよ。漏れが心配なら防水シーツ切ったのを敷くとか、ジップロックを長く切ったのを敷いたらいい。

オムツなら布がある。タオルだってある。

 

そんなんで大丈夫なの??って思うよりやってみる。

やってみたら案外平気で、不安ってすぐになくなることもおおいから。

 

便利な社会で生きてきて、便利であることが当たり前であるからこその不便だと思います。

オイルショックの時の不安とは違うんじゃないかな。

便利じゃなくてもいきていけるから。

これで生きていけるんじゃんって知ったら1つ不安が減る。

暮らしの不便さは知恵をつけてくれる。

こんなことを積み重ねたら、自分がどんなことに不安や恐怖を持っているか、自然にわかるようになると思います。

 

不安は最小限に、その中でも自分の希望を見出す力と知恵をつける必要があるんじゃないか。

そういう内側のことに目を向ける時がきたんじゃないか。

 

今回の騒ぎからおもうこと。

 

〜いつでも自分に誠意と優しさを。周りにもそのおもいを溢れさせていけるように積み重ねながら年を重ねていこう〜

 

今回の街のパニック、山にこもって、自分も不安に飲まれないようにしながら私はそう感じいています。

不安と恐怖は自分を見失う。

穏やかな自分でいたいから、自分に誠意を向ける。不安と向き合う。

そして最低限出来ることを。

ウイルスを自分がばら撒かないこと、自分の行動で不安のタネを巻かないか、どんな時も優しさを持ちながら生きて生きたいな。