日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

優柔不断のとき。

あることをしようとしたときに、一歩を踏み出せなくて。

 

その理由を考えてた。

不安だったんだよね。

このコロナ騒ぎの中、自分の組んでた予定が変わることへの不安。

 

何に不安かって、変わってしまった目の前のことに対する対応が自分にできるのだろうか、ってこと。

 

それに気づいたとき、ああ、やっぱりやってみよう、って思った。

今までだって一生懸命やってきた。

むしろ今までの方が自分の意思がない不安がつよかったのに、どうにか生き延びてきたのだから、今の方がきっといい知恵がわいてくるとおもった。

 

やろうとしたときに一歩を踏み出せない理由はいろいろあると思うけど、多くが不安と恐怖。

それと向き合って1つずつ整理してからそれに挑んでみよう、そうおもった。

 

整理して覚悟と意思を持って超える努力をしたならば、それは心と脳に刻まれ、次への勇気と知恵となって行く。

それを積み重ねて変わってゆくのだろうな、そうおもう。

 

それは私にとって本当にしたいことなのか。

本当にしたいわけでもないならやめてもいい。不安になって迷ってる時間がもったいないからさ。

 

でもね、本当にしたいことならやってみる必要がある。

その経験をした後の自分は、もっと素直な、自分らしい生き方に1つ近づくことができるから。

自分がこんな人間なんだってわかったらもっと楽しく生きられるもの。

 

未来はどうなるかわからない。

ならばとりあえずその不安に蓋をしてやってみる。

不安を見ないふりしてやってみる。

そのときにたった一つ忘れたくないのが、不安だって感情を引き出さないこと。

引き出したらいつも不安がつきまとう。

だから蓋しちゃったねー、って思うくらいにして、上から「私ならどうにかできる、って書き直していく。」方法で行ってみることにした。

 

今回私がとった行動。

一週間経って、この挑戦を終えたとき、私はどんな気持ちでいるんだろう。

渦中の私にはまだわからないけど、全てにおいて意味があるのだ。

だいぶ這い上がったな、私。

 

自分に期待をできるようになった人生が何より嬉しく豊かだなって思う。

うれしいな。

 

ウドがみをつけた。

花火のようで大好きなんだ。

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