日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

非日常なんてないのかもしれない。

今日は目次をつけずにつぶやいてみようと思います。

今日も楽しかった、っていう私の日記、だから。

いろんな日があっていろんな気分の自分がいる。

それを楽しむためにね。

 

我が家は今日も通常営業♬

 

そんなわけで朝から遊んでる子どもたち。

ふとしたことから喧嘩が始まったから、外に出かける。

家族との時間に時間をかける、それが私の今、だから。

 

自然の中で暮らして気づいたんだ。

子どもたちはどんなに喧嘩して苛立っていても、この自然の中に出ると穏やかな自分を取り戻す。

お互いに何が悪とか攻め合うこともなく、この車も来ない使い放題の自然の中で、気の向くままに遊び始める。

そうして気づいたらまた一緒に遊んでる。

長いこと彼らといるなかで、それをしった。

 

私がこの人たちに投げかけるのは外にいこうっていうことだけ。

外遊びをあまり知らない私は一緒に外に出るだけ。

車も走っていない、たくさんの興味で溢れてるこの山で一緒にこの時間を過ごす、彼らが納得するまで。時には日が落ちてしまうこともある。

でも彼らの興味が尽きなければとことん付き合う。夕飯の支度もそっちのけで文句なしであるものを食べてもらうだけ。味噌汁しかないこともある。

楽しいことをとことん味わう感覚を大人が区切ってしまったら、彼らの中で忘れ去られてしまうから。

それはしたくない。子供達が小さいうちは彼らとの時間の中で自分も楽しめることを見つけたい、そう思いながらここまできてる。

それが私のいつもの寄り添い方。

 

人間も動物、子どもたちをみててそう感じる。

だから私も他の生き物と同じ、動物なんだ。

そんな思いを抱きながら雪の積もった山に入る。

やっと雪が積もってカーブミラーと同じくらい地面があがった。イエーイ!!

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視界がひらけて向かいの山がきれいに見えて思わずみんなで座り込む。自然は芸術。

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綺麗な一面の雪にえをかいてたら、子供達がこんな可愛いアートを描いてた。兄と妹、二人の手形が並んでる。今の子どもたちの楽しい気持ちを感じて胸キュン。今の彼らのわくわくをいっしょに味あわないともったいないな。

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最近会えてないここに犬の散歩に来るお友達がいる。山に入る途中に車が止めてあったのを見かけたのでメッセージを書いてみた。見つけてくれたらいいな、Mさん、元気??って。

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私は山遊びなんてしらない。けど子どもたちが次々と面白いことを見つけてくれる。

崖っぷちに座って尻滑りしたいねーって足を放り出したら小さな雪玉が転がり落ちてね。

小さな雪崩のように、そうオラフのように、コロコロコロコロ転がってまっさらな崖に線を描き出す。

それに引き込まれみんなで長いこと雪玉を転がす。

どんな雪玉が遠くまで転がるか。

どんな雪質だとよく転がるか。

どんな線を描いたか。

ジャンプもしたよね。

たくさんの興味のきっかけがここにある。

そこに感覚を研ぎ澄ますために私は彼らといる。

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気づいたら2時間。

そろそろ山を降りよう。

そう言いながら帰る途中子どもたちが冬を越した2メートルのイタドリを抱えて帰る。

いつでも冒険だね。

 

コロナ騒ぎがくれたこんな時間。

街にも出ず、幼稚園にもいかず、家族だけで過ごすことを楽しむ。

いろんなことがあるけれど、自分たちは今をどう過ごしたいか、どう生きて生きたいか、それしかないよね。

日に日に大きくなっていく子供たちとの時間は嘆いている時間はない。

ただ自分を見つめて、家族と向き合って毎日を生きていくだけ。

 

家族で楽しむ。

私の独りよがりではなく、子どもたちが本当に楽しんでるか、旦那さんがきもちよくすごせているか、丁寧に確認して、知って、気づいて、積み重ねて生きたいと改めて思うコロナパニック。

何かが起こることは非日常ではなく、これも日常のなのかもしれません。