日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

日々の生活から恐怖を手放すこと。

先日読んだビノーバ バーベ「怖れるなかれ」より。

〜恐怖から抜け出そう〜

〜私にとっての怖れと不安を整理していく〜

〜辛さの中に意味を見出す〜

〜そして意識をして、恐怖と不安を手放していく〜

 

 

〜恐怖から抜け出そう〜

恐怖からぬけだそう。

「ビノーバの生き方の基本は「今を祝福し、未来を信頼する」、ということ。

今を祝福するとは「すでにこれまでの与えられてきたすべてを祝福すること」。

 

この私たちの存在そのものがギフトです。そう思えば、ほら、もうこんなにあたえられている。このギフトとしても身体を祝福するのです。この眼に映ること、そのなかの美しさを見いだせること。この手で触れることのできるすべて。

考えることも想像することもできる。これらをすべて祝福すること。

 

そうすればそれが誇りになります。自信になります。もう不安はありません。

 

太陽の光を浴び、花の香りをかぐ。24時間呼吸ができるようにと空気がここにある。

この手は土に働きかけることによって私に食べ物を作ってくれている。

 

この世は限りないギフトで溢れているじゃないか。

それだけではなく、ブッタが、キリストが、シェイクスピアが素晴らしい贈り物を残してくれた。それらも皆あなたに与えられたギフトなのだ。建造物、陶器、おりもの、おんがく、おどり、それらもみんなだ。

 

それなのに私たちはお金がが原因で心配をしている。お金で安心が買えるという、現代のスローガンとともに、、、、。お金を追いかければ追いかけるほど、不安と恐怖が高まります。

私たちの安心と平和の基礎は、もうすでに与えられた豊かに自然からのギフト以外にはない。

自然と文化とアートにこそ、本当の平和と安全、安心の保証があるのです。

 

今すでに与えられているものに気づき、感謝し、それを祝福できたら、未来には不安も恐れもない。」

 

 

〜私にとっての不安と怖れを整理していく。〜

 

これって今すぐできることじゃない。頭で思い出していくには限界があるから。

自分がイライラした時、不安になった時、ひとつずつそれをこころにとめていく。

そうして、ああ、自分はこういう時に不安になるんだって探していく。

こういう時にイライラするんだっていう背景にも不安や恐怖が結構潜んでいるので、ここら辺の感情はリンクしてるって思いながら整理していく。

 

未だ抜けたとは言い切れない、自分を正当化して自分を保つ癖。

これが生き抜いてくる方法だった。だからそのことを攻めても仕方がなく、そんな紙切れ一枚状態でよく生きてきたね、ってすらおもう。。

それしか自分を保てなかった昔の自分。

 

そしてすっかり身についてしまった思考の癖。

いまでも顔を出すんだよね。

でもそんな負の自分も認めていくしかなくて。

それが起こるたびにそんな自分に気づいていくしかないのだから。

 

これも怖れからくるもの。

おそれなくてもいいことにおそれる習慣がついてる。

そんな私に自然は語りかけてくれる。

 

私は十分にギフトをもらっているよ。

自分が生きるすべを自然から得ていること。

話ができる友人がいてくれること。

家族と気持ち良く過ごせていること。

 

本当にありがたくて、ここにいるだけでありがたい、という思いは一つずつちいさなことをくつがえしていく。

そう、自分の身体が元気であることがありがたい。

身体がだるくないことで心も不安にならずにすむ。

アレルギーのかゆみが夜だけになった。これが手放せたらどれだけありがたいことか。

でも、夜だけにはなった。そうした時間をかけて離れていってくれることを願う。

 

家族の不調を一人で背負ってるかのような自分の身体の事態に落ち込んだりもするけれど、元気である時間があることにただただ感謝が湧くようになった。

 

恐怖は自分の身体に負の連鎖を起こすことを知ってる。

精神的にイライラしちゃうしね、、、。

とにもかくにも身体が元気である日々ほど貴重なものはないとおもう。

 

〜辛さの中に意味を見出す〜

 

それを伝えていけるのは、辛さを知ってるからだよね、って自分の日々の辛さを超える意味を見出してみる。

元気であれば恐怖はいらないのかもしれない。

最近つくづくそう思う。

 

じゃあ元気でなくちゃ、ダメなの??

そう自分に問う。

起こったことを受け入れられるようになればいいだけじゃない??

そうして今に感謝する。

それで恐怖を手放す。

 

まだまだ時間はかかるけどね、ゆっくりいこう。

恐怖は手放せる。

日々を楽しむ気持ち、感謝する気持ちは自分次第だから。

 

〜そうして意識をして恐怖と不安を手放していく〜

 

自然の中にいるとそれが少し加速する。

毎日の景色の変化を感じてる時間は、すべての恐怖を忘れるから。

新緑が深まり、ハルゼミの声を聞いた時、子供たちとオタマジャクシの卵を見てうつくしいと感じた時。

その感覚を知って、自分がもっと楽に生きれる方法を探していく。

 

恐怖をどこまで手放せるかな。

それは楽しみでもある♬

 

意識をして自分にとっての恐怖と不安を見つけていく。

そしてそれらとどう付き合いたいかを整理していく。

そして実践してうまくいかないこともうまくいったことも、心で感じ味わっていく。

その繰り返しで、どうしたら自分から恐怖を抜いていけるか、自分の方法を見つけられるようになっていくから。

 

味わって味わって積み重ねていくこと。

落ち込むこともある。

けど、そのひびのなかに楽しいこともあって支えてくれる人に感謝できる日々があるからそれでいい、って思えたら豊かなこと。

 

一つ恐怖を手放せた経験は、自分に対する希望になる。

その感覚を想像して目指して行けばいいのだから。

自分に対する希望が増えれば増えるほど、じぶんはいまはこのままでいいんだ、っておもえる。

ゆっくり育っていけばいいね、って。

それが自己肯定感っちゅうもんなのかな、って最近思います。