日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

味噌仕込み。

保存食続いてます。

この時期はストーブを使うので大量の味噌を仕込む我が家には大幅なエネルギー減なのです。

一年に40キロを仕込みます。

いつもは10キロずつだけど麹を少し農家さんから分けてもらった関係で一気に20キロ仕込みました。

あと20キロはうちで麹を作るので8キロずつが限界かな。

本日より、製麹、明後日には仕込めるかな。

 

うちのお味噌は2年置くと味と色がふかくなってとってもおいしくなる。

昔ながらの1:1:0.5 の塩梅だけどこの水と一手間で麹を増やすよりもいい甘味になって美味しくなることがわかりました。

研究の成果、笑。

 

今日は平日。

こっこがトモエでいしょにあそぼって言われることを想定して朝から仕込み開始。

冬の北海道、豆を潤かすのに丸一日。いい塩梅だ😀

ついでにワンルームの我が家、子どもたち寝てるから電気がつけられずヘッドライトで作業開始のため、くらいですが、麹だけで5キロ。

道具も鍋も足りてないのでゴミ袋を使って塩きり。

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大豆も5キロたきます。

フィチン酸により、腸粘膜をきずつけるといわれているので、アレルギー対応で、みずをこまめにかえ、圧力鍋で一気に温度を上げてたく。とは言っても5キロ。まともにやってたら6時間はかかる。。

 

というわけでストーブを駆使。

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圧力鍋で初めのを炊いてる間に、次の分はこうしてストーブの上で温め始める。

隣のやかんに入ってるお湯ですでにその次の分をたらいに漬け込んでる。

こうして順々にスタンばっていきました。

明け方の寒い時間、ストーブの火力があるのでこの時間にしかできない裏技。

 

20キロ分の材料を混ぜ込む時の重いこと!!

服の下は汗だくで完成。

でもこの段取りのおかげでいつもより豆もよく潰れ、たくさん混ぜたので綺麗な仕上がり。

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これから麹を仕込んで3日後、この上に8キロ追加して30キロたる完成。

初めての山での熟成作業。

美味しくなあれ。

 

うちの調味料は基本的にお味噌と塩、お醤油のみ。

油をたてばアトピーも喘息も治るっていう本のようにやってみて数年、確実にアレルギーが変わってるので、油は時々。たぶん、油の量が家族それぞれに合ってなかったこと、高温で処理してしまった油がおおいこと。(高温で調理すると油が変質するのでアレルギーリスクになると、我が家のドクターがいっています。以後、気をつけるようになり、数年。変わりつつあります。肉魚、たまごも多かったからどうしてもね。) 

 

やっぱり油は美味しい。意識するようになって和食にしてるしいいかな、と今では時々食べるけど、パンにもパスタにも唐揚げにも卵焼きにも、特に洋食にはかなり油を使うんだよね。

思い立ってダイエットをしても習慣が変わらなきゃ意味がないんだって、今はつくづく思います。身体が変わらないと、下手に量を減らしても、欲しくなっちゃうんだよね。それをコントロールしてたらストレスによるリバウンド前提にダイエットしてるようなもんだし。

 

お肉をいただいただけで、かなりの油を含んでるってことを知っておく必要があるな、と思います。

和食はそういう意味で油の量もバランスが取れてたんだろうな。

ついでにおばあちゃんたちの煮物や煮魚は甘いけど、その頃は甘いおやつを食べる習慣もなかったのだろうから、その頃は必要な糖分だったんじゃないかと思います。今はおやつもあるし、果物の糖度も半端なく高い。その上、生活に関わる身体を使う時間(畑仕事とか車がないから歩くとか)が大幅に減ってる。

世界各国の食事を美味しく作っちゃう日本人のセンス、糖と油の取りすぎの時代だとは思うのでそのことだけは意識しておく必要があるのだろうなあと。

 

うちはここ四年、ご飯、漬物(煮物)、お味噌汁。毎日同じメニューだったりする。

カレーも最低限のオーガニックスパイスブレンドして自家製なのでお砂糖は使わず、油がない時もある。お肉が入ってたら基本、いれないしベジになった時は最後に入れることもあってその時の体調に合わせて。

そしてほんの時々ご馳走でタイ料理でガッツリ肉やら天ぷらにすることも。

 

多分普通の子供ウケはかなり悪いと思うけど、うちの子らは、でも野菜が美味しいじゃんって文句を言ったことがない。(ありがとう😊)

んで、この習慣が多分、大人になった時に、なんでも

 

お醤油を仕込む。

はい、昨日はお醤油を仕込みました。

 

アレルギーをたくさん持つこっこのために調味料にも手をかける。

たくさんはいらないんだ、塩とお味噌とお醤油があれば十分だとおもってる。

小麦のアレルギーを持ってるけど、うちのお醤油を使う分には問題が出なかったから、今年もちゃんと発酵させて、うちの山の水(天然水は山にあるたくさんの酵母や微生物を含んでるからだろうか?ミネラルのかげだろうか??よくわからないけどこの水がいい。)でじっくりお世話してねかす。

来年あたりはお醤油麹から仕込んでみようかと思うけどとりあえず今年はお醤油屋さんから分けてもらったものに自然塩と山の水で。

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むすめがじぶんでやりたいって言ってくれたので一番自分に合うものになるだろうと思って一緒に仕込みました。

一年は寝かそうと思います。

絞るのが大変なので家族分の一年分は作れないけど、娘のアレルギーもこれでよくなって行くと思うので、最低限の調味料には手をかけると決めてる。

 

お醤油の材料は大豆、小麦、塩、水。

大豆と小麦は麹にしてそれを発酵させて行くのです。

原材料見てもピンとこなかったけど自分で仕込んでみたらしっくりきて、お味噌と同じようにどうはっこうして行くのか、ワクワクしながら今年も一年を待ちます。

 

はじめの2週間ほどは毎日かいいれをします。そうしてカビないように発酵を見守ってるうちにアルコール発酵が始まり、メイラード反応になってゆく。

 

今年は絞り方を研究しないとな。

お醤油屋さんはもろみを小分けして晒しで包み積み重ねてその重みでじっくりじっくりお醤油を絞っていくそうです。

不思議なことに手でぎゅっとやってもなかなか絞りきれないんですよね。

 

昨日はお醤油、今日は納豆、あしたはおみそ20キロ。

冬の仕込みの時間が続きます。

でも自分で作ったものはささやかでも満足感がある。

ささやかに満足な食を得られるという感覚を得られたことに感謝です。

 

来年はうちのお水で仕込むワークショップでもするかなあ。。

山の暮らしは忙しいけど、暮らせるだけで嬉しい。

そんなこともいつかシェアできたら嬉しいな。

 

さてと、今日も、かいいれ。

お醤油はお味噌よりお手入れ多くて大変だけど、麹がおしゃべりしてるみたいで楽しいんだよね。

うっかりも納豆作った後にかいいれしちゃったので、納豆菌優位にならないように祈りながらー。

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我が子との時間。「たのしかったー。ありがとう。」

昨日ね、ウクレレのワークショップとアコースティックのミニライブに出かけた。

 

帰り際、大ちゃんからもらった言葉。

 

かれの大好きが増えたら人生もっと楽しいかもしれない。

わたしが勝手にそう思って、一緒に行こう、って誘って参加をすることになった。

楽器も音楽も好き。

耳がいい大ちゃんは、飛行機になると中国語、韓国語、タイ語のイントネーションを感覚で覚え、真似しはじめる。音や音楽を聴くと、頭の中で流れちゃうみたいで、いつも何やらおとをかなでてる。時々うるさいなーって思っていたけど、ある時ふと、大ちゃんっていつも歌ってるよね。鼻歌だったり歯笛だったり、音楽が流れてる。って言ってくれた方がいて、ああ、音楽だ!って思ったのをおぼえてる。

 

それから数年、かれのその特徴は変わってない。

わたしの音痴っぷりもすっかり覚えて口ずさむのもあり、素敵な感性を持ってる人の音楽と歌声を聴けたら、心地よい音がかれの中で流れて、もっと心地いい日々になるかもなあって思ってた。

 

少しずつイベントを見つけては、かれに行こうと誘うけど、乗り気じゃないことも多く、数年越しで始めて参加させてもらった、黒澤さんのワークショップとコンサート。

 

開始前に少しお話をさせてもらうタイミングがあって、平日の昼間なので、大ちゃんの学校のことも尋ねられた。

わたしとだいちゃん「自主休講ですー。」

黒澤さん。「へえー。」

わたし「好きなことにじっくり時間をかけて欲しいなって思ってるんです。わたしは真逆の人生を生きてきて、自分のことを知らないことを大人になって気づいたから。好きなことをすることで自分を知る、ってすごく大事なことな気がして。」

黒澤さん。「いいですね。僕は好きなことしかしてないから。」

わたし「それってすごいことですよね。好きなことをするっていうのは決して楽なことじゃなくて、たくさんのこえなくてはならないことも伴うじゃないですか。」

黒澤さん。「そうなんです。以前にそんなことに関して聞かれたことがあってお話ししたことがあるんです。色々やるよりも、すきなこと、それだけをとことんやってみるといろいろみえてくるものがある。例えばまあ、これじゃあ食っていけないな、とかも。。好きじゃないことやってものこらないしね。たくさん手を出し過ぎてもわけがわからなくなるしね。」

 

積み重ねてきた方からのメッセージはわたしの心にしっかりと残った。

黒澤さんが伝えてくれる言葉の意味が今ならだいぶ理解できるから。

好きなことをするということ、それを続けるということ。

なんとなくわかりかけてたことを、スッキリ言葉にしてくださった、

わたしはお裁縫にのめり込んでそれを知ったんだよね。

 

そんな黒澤さんの経験は歌の歌詞に刻まれていた。

我が家も新しい生き方を初めて四年、いろんなことがある。

でも私たちにとって大事なメッセージのこもった生き方をしてるのでやっぱり続けていくんだ、とそうおもってる。

会場となったうどん屋塩屋さんもそうして始めた頃の大変さを超えて今があるそうです。黒澤さんも、トモエの園長やスタッフさん、自然栽培のありがとうファームさん、ファーム伊達家さん。佐藤農場さん。

 

私たちの周りにはそうして踏ん張って生きてきた方がたくさんいて、私たちも踏ん張ってみよう、そう希望と力をいただいて今があります。

 

はじめてのワークショップ、黒澤さんのお人柄で照れ屋の大ちゃんは人様の前で、一曲歌付きでひきました。「楽しい気持ち」の中で、大ちゃんを引っ張り出してくれたから出来たこと。学校で絵を張り出すのとか、歌のテストとか絶対やだ!って言ってる彼がこんなに楽しそうに参加して、みんながかけてくれた言葉をはにかみながら受け取って喜んで。

苦手を克服する、という形ではなく、みんなが一緒に楽しんでくれてるから楽しいことが増えた、という感覚を得たようで、こういう優しい雰囲気を大ちゃんの中でもって生きてくれるんだろうなあとこの経験に感謝をしています。

 

三曲も弾けるようになって、プロの方の音楽と歌声を心に刻んで。わたしは黒澤さんという方のお人柄に学びをいただいて。二人で本当に楽しみながらの学びだったなあと、しみじみと嬉しく、感謝でいっぱいの日。

 

ウクレレを学ぶ、ということは技術だけではないんだなって改めて感じてます。

何かを学ぶ時に一番にじみ出てくるのが、その方の考え方や生き方で、わたしはその溢れたものが学びになるって思ってるので、最近はそれを思いつつ直感でそういうのには参加してる。

料理が上手なだけのお料理教室にはあまり興味がないかな。その人らしさのあるものに、その輝きに自分が惹かれるものに、お金と時間をかける。

 

そしてその生き方を分けてしあわせなじかんをくださったその方に、ありがとうを込めてお金を払う。

 

なので正直なところ、それはたくさんは転がっていなくて、それもいいのかもしれません。いきたいものが多すぎると、やりきれなくてバランスを失うからね。

 

楽しかった、ありがとう。

 

帰り際の大ちゃんの言葉に、わたしの想いが大ちゃんの嬉しいと重なった気がして嬉しくなった。

これやってみたらいいよ、って親の独りよがりをしてお節介したくないから、彼の今を見つめて、多分大丈夫、と、ちょっぴり背中を押してみる。好きなことがもう少し好きになって日々がもう少し楽しくなったらいいな、そう小さく小さく思いながら親としてやってみたことが、我が子にピタッとはまったときの喜び。

 

うーん、こちらの方がありがとう!

嬉しい顔を見て一番嬉しいのはわたし。

きっとあなたよりわたしがよろこんでるんだよね、笑。

 

これからもあなたの後ろを歩いて行こうと思います。

人生はきっと自分の経験が積み重なった地層でできて行くもの。

過去も未来もあなたが道を作って行く。

まだわたしのそばにいることを選んでるあなたに、わたしの感情を押し付けずに、楽しい時に一緒に喜び、不安な時に寄り添える関係を築く努力をしていくこと。

そう、自分がどんな大人として彼らに寄り添いたいか、考えながらそんな人であれるよう日々努力を積み重ねて行く。それがわたしが今できるたったひとつのことであり、わたしが日々、自ら成長していかねばならない課題でもある。

 

どんな風に人生を生きていくのでしょう?

黒澤さんは「好きなことをしていきてきた先輩」として、言ってくださいました。

「大丈夫ですよ。」

って。はっきりとはわからないけれど、多分、「大ちゃんは自分の人生を好きなようにいきていく力がある、そしてこれからも自分でつけてゆくことができる、だからだいじょうぶ」そう言ってくださったのかなって。

 

嬉しいお言葉でした。

自分の試行錯誤の寄り添い方にひとつの自信をいただいた気がして。

 

わたしたちの周りには素晴らしいなって思う生き方をしている方が沢山います。

誰か一人ではなく、家族でそういう生き方をしてらっしゃる。

家族でおつきあいするということは、おとなにうらおもてがあったときに、必ずこぼれ出ちゃうものを隠せないから。

どんな素敵な家族かを知って、自分も日々成長していく努力ができる。

そんな方がそばにいることで日々、自分の思考や行為を修正していくことができる。

 

こんな家族でありたい、こんなおばあちゃんになりたい。

遠い遠い憧れの人ではなく、目の前にそういう方がご自分の人生を切磋琢磨していらっしゃる姿を見て自分も今の自分を受け入れたりこえたりしてゆく。

 

そんな方がわたしの中でもう一人増えました。

 

投げ銭ライブにも参加。

彼の人生を応援したくて投げ銭追加を申し出たら、息子が気に入ってたミニマラカスを頂いてしまったよ。

これじゃ、商売上がったりじゃないですかー😂、ってめっちゃ断ったのに、押しに負けていただいてしまいました。

そうやって人の気持ちの大事にしてくださる、彼の生き方から最後までまなばせてもらいました。

わたしにとっての学びってこういうこと、なんだよなあ。。

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甘いもの。

我が家の甘いもの。

かぼちゃとさつまいも、あまぐり。

 

もう一年はお砂糖を使ってお料理してない。

というかしなくなった。減らそうと思ってるうちに気づいたらこうなってた。わたしが腸内細菌からくるアレルギーで、大ちゃんが喘息で食事指導をしてもらって以来、家族の食事は同じなので腸内が似てるという発想で家族全体で気をつけてる。

で、四年前、甜菜糖から始め、メープルシロップや羅漢果糖になり、去年タイで買ってきた純黒糖と米飴を最後に買ってない。こっこは赤ちゃんの時から気をつけてたから、赤ちゃんせんべいも食べてない。赤ちゃんのおやつのお砂糖の入ってるものの、多いこと。。。

 

大ちゃんも一歳の誕生日はヨーグルトの水切りクリームを甘くして塗ったけど、この時期、お砂糖の甘いものは必要ないといまははっきりおもう。だから3つまではおしえてあげなければよかったなーっておもう。でも自分の予定に付き合ってもらうためにおやつで釣ることもしなかったから、さほど多くないからまあ、よかったかなと。

 

あまいものをあげるのではなく、親がちゃんと甘えさせてあげてね。

そんなホームドクターの言葉がいつも心の何処かにある。わたしもそうして欲しかったから。

 

お友達の娘ちゃんは2歳を過ぎてもメープルシロップもとらない。時々オールフルーツジャム程度。多分腸内細菌のバランスがいいんだろうなあっておもう。大人になっても、お砂糖中毒にはならないだろうな。

 

で、こどもたち、甘いものを時々食べたくなる。けれども、100円菓子のあまさを好まなくなった。お砂糖がざらっとしてるしべたっとあまいしいやだっていう。いつだったか生クリームのケーキを口にすることがあって、胸焼けするからもう食べないわーっていうようになった。

お祭りで飴ちゃん貰えばそれも食べることもある。自分でセーブしながら。

自分で作ったおやつが一番美味しいっていう。

だから食物アレルギーがほぼなくなった大ちゃんに二人デートの時、市販のおやつ買ってあげるよーっていうんだけど、うーん、でもあんまり好きじゃないんだよね。。と、ほとんど買わない。

今の市販のおやつが極端にあまいことを知り、身体がそれを選べるから大丈夫だなっておもい、うるさくいうのをピタリとやめた。

 

こっこも市販のおやつにきょうみがある。彼女はアレルギーがあるから食べれないから仕方ないよね、っておもってる。時々お友達の米粉のおやつを買ったり(買うっていう特別感も大事だから)もちろんうちでも、たまーに作る。そんな彼女にとってもあまいものは特別ってかんかくがある。

 

この1年間、黒糖もあるけど使ったのは米飴を500グラムほど。

食事には使わない。おやつをつくるのに大ちゃんが使う程度。

それもオーブンないからあんこのどら焼きとか和菓子が多いかな。

あとは玄米を粉にして蒸しパンも作る。

洋菓子もパンも小麦粉もをやめたのもよかった。あれはスイッチ入ってやめられないからねーって今改めて思うから。

 

今の時代おやつがあまりない暮らしじゃかわいそうでしょ、って思ってたけど、ジャングルにいるときは買うこともないから、慣れて、かわいそうだと思わなくなった。

それは特別な時間だって思えるくらいがちょうどいいなーって。

おやつじゃなくても美味しいものって沢山ある。家族の間で食べるのに困らない暮らしができるだけでありがたいって共通認識がある。

 

お砂糖の害っていうけど、これは自分の身体が痛いほど知ってて語ればきりがない。だからお砂糖を減らしていくのはわたしもお勧めします。

でもね、お砂糖断ちをしたいと思ってもすぐできるもんじゃないからそれを忘れないで。

またゆーわくにまけちゃったなあって思いながら自分を責めない。せめたらすとれすでまたきもちを緩めたくなるから。

何度も失敗して、変わらない体の不調に嫌気がさして、気持ちに覚悟が決まって行って、行動と習慣が変わって行くのだとおもう。

子供はもっと早いけど大人は習慣が変わるのに3年は必要だと思う。そして習慣が変わればそれから体も変わる。身体が変わることの方が早いこともある。そしてそれを実感してまた習慣が変わってく。

 

じつはさ、バーモントカレーにも、ソースにもマヨネーズにもパンにもお砂糖は結構入ってるからね。。

すぐにはやめれないと思うのです。。

おやつだけじゃなく、調味料も加工食品もお砂糖と小麦粉と油だらけだから。。

 

それにね、お砂糖のおかげで気持ちを緩めながらいきてきた人も多いとおもう。

だからすぐではなくゆっくりかわっていったらいいとおもう。

 

夕飯の後はいつもあまいものでしめないと終われなかったわたしが、四年かけて、あまいもので締める必要がなくなった。あまいものをたったことでお米の量が増えたけど、それも変わりつつある。

 

今、わたしが意識しているのは、何かをやめる、のではなく、そうしたくなる今の自分を許して行くこと。自分を責めた分のストレスをあまいもので緩めていたんだよね。他のことも結局同じだと気づいたから。

 

そして子供にあまいものよりも、一緒の時間を気持ち良く過ごして行くことを意識してます。

こういう生活が食べ物に執着する気持ちを生むことを心配してたこともあったけど、別にそういうことでないということもわかったし。家族全員で同じもの食べて、結構楽しいよね、なんてやってたらそんなこともないこともわかりました。

うちでおやつを買う習慣がないので大ちゃんはお年玉でおせんべ買ったりしてます。いやあ、ありがとうねえ、おやつまで自分のお小遣いでかってくれて、、という会話もうちにとっては日常のこと。そんな自分で買ったおやつですら焼き芋やおせんべでアイスを買うのは特別なとき、って決めてるそう。

 

質素な暮らしが与えてくれた感覚をわたしはとってもかけがえのないものだとおもっています。

それを自然に受け入れてくれる子どもたちに感謝をして。

 

納豆できた!!

いつもはアンモニア臭がするのと糸引きが甘いけど今回は納豆の匂いでルックスも納豆。ちゃんといとひいてる!!

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でももう少し改善が必要で発酵器の台座をあげないと、下の方のマメの乾燥がはやい。

大ちゃんにいったらうまく行かなそう、って乗り気じゃなかったけど、20分くらいで足を付け替えてくれた!おー、うまいジャーン、早いジャーン!!って旦那さんとびっくりしてたら本人も予想以上の出来だったそうで、よかったね、また経験値を得たね。

手作り発酵器バンザイ!!旦那さんと大ちゃんの合作!。

だいじにするよ。

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変わった夫婦と納豆の発酵器完成。

の、我が家、笑。

 

いつも幸せってなんだろうって話ばかりしてる。

こっこにとっての幸せ、大ちゃんにとっての幸せ。旦那さんにとっての幸せ、わたしにとっての幸せ。

 

いつだったか喧嘩してるときに、わたしに質問が生まれた。

だから聞いてみた。

 

今、目の前に立ちはだかってる二人の問題があるよね。

だからお互いにイライラしてる。

でもさ、わたしふっと考えたんだけどさ、なかなかすぐにはすり合わせられない問題がこれからも日々出てくると思う。そしてそれに気づいた瞬間はイラっとして、すり合わせていく覚悟を決めて、イライラを和らげながらどうしたらお互いに気持ちよくいられるか考える作業を繰り返し、夫婦として成長していくのかなってなんとなく考えてる。

 

そこで質問。

今みたいに、あー、またかー。こういうとこ、嫌なんだよね、って思って離婚したとするでしょ。

子供の親権の取り合いなんかしちゃったりしてさ。

でもさ、別れたとしても、その後の生活にはまたいいことも悪いこともある。

 

反対にここを超えていくとする。でもさ、また他の問題もやってきて、お互いにぶつかったりもする。やっぱり自分のペースでやりたいことに相手がタイミング読めずに入ってきたりしてイライラすることもあるけど、この先同じことが起きないように、一緒に超えて行くことにして離婚しないことにしたとする。基本的に一緒にいることで助け合えるし、子どもたちも一緒にみんなで暮らせる。大変なことも正直おおいけど、楽しいこともすごく多いし、何より、一緒にいると安心したり、問題を超えた時の感動がおおきい。

で、一緒にいて問題を超えていくことを選んでも、いいことも悪いこともある。

 

そう考えた時に、わたしはどっちも嫌なことはくるわけで、わたしの場合はこの問題を超えさせてもらいたいと思うんだけど、どっちがいい?

 

って、あえて聞いてみた。

そしたらね、旦那さんも、うーん、わかれないほうだね。

そう答えてくれたのでなんかお互いの基本を確認できた気がしてスッキリしたし、なんか笑えた。こんな話をできる夫婦になったのかー、ちょっとは成長できたかな?って。

 

紆余曲折、いろんなことがあった私たち家族。

くるくる回ってぎゃーぎゃーもがいて、たどり着いた今がある。

 

家族それぞれの今を大事にすること。

それぞれの好きなことに寄り添うこと。

 

旦那さんは変わった仕事をしています。

自分の生きてきた道を1つずつ整理して、自分の好きなことを知っていく手助けをすること。

 

わたしが好きなことをしたことのない人間だったから、彼は気づいたらしい。

わたしがドツボにはまってじぶんがわからなくてくるしんでた時、自分を知る作業を手伝ってくれた人生の先輩がいた。その先輩のフォーローの中でわたしは1つのことに気がついた。

自分を知る作業は日々続いて行くことで、もしそれを旦那さんに支えてもらうことができたらわたしは幾らかでも早くこの苦しみから抜け出せるだろうか、と。

 

腹のなかや自分の育ってきた過去を聞いてもらうのは怖かった。

えっ、そんな生き方をしてきたの?って否定されるんじゃないかと思って。でも逃げてる時間はなかった。怖がってるうちに子どもたちが大きくなってしまう。せめて、子供達の生き方を邪魔しないで済むような親になるために成長したいと。

 

そして何日も何日も聞いてもらった。

2年は続いたろうか。。

言葉にした分、自分の過去に感じた感覚を思い出した。自分が今感じてることを言葉にしたことで、自分がこんな風に考えていたんだときづき、自分を知った。

 

旦那さんは話を聞くのが特技なんだと思う。

たくさん聞いてくれて、わたしは自分を出し切った。

自分の親との関係も、苦しいものだったと知った。つらかったなー。

 

引かれるかもなー、って心配を超えて彼に話したことはいまのじぶんをささえてくれている。

彼はわたしの過去も、わたしが子供が生まれてきてくれてしてきた行為のわけも、しってる。

もう底の底までみせきったきがする。。。。。。

 

情けないものも全部さらけ出して、もう自分が変わるしかない覚悟も決まって行った。

そして苦しさを極限まで抱きしめて、思考と行為と習慣が変わって行った。

気づいたら変わっていた。

 

だから旦那さんには感謝してる。

色々昔の問題が出てきたりもするけど、今は生きるのがきもちいい。

 

自分の好き、を知る作業は自分の育ち方まで振り替えさせる。

でも根こそぎ見つめさせられたことで、苦しみを抱え続ける覚悟をきめ、自分と向き合い続けてることで、わたしは自分が好きになった。

 

一生懸命生きてきた自分が好き。

いろんなことがあったけど、自分の本心はとても優しいことをしったから、自分に不安になることはないのだと心の底からわかってる。これからはそんな自分に誠意のある生き方をするだけ。

経験不足による未熟さは抱え続け、ゆっくりと成長をしていこうと思い続けるしかないのだから。

 

今でも自分を知る作業を夫婦で日々していっています。

自分がどう生きて生きたいか、どんな自分でありたいか。

生きてる日々をどう生活して生きたいか。子どもたちと暮らせるこのひびをわたし達はどんな人間としてともに居たいか。

 

これは私たちの日常会話です。

お互いの今を認め合う。

お互いの思いを怒りではなく穏やかに気持ちにして、気持ちよく家族で過ごしていきたいから。

愚痴をいうようなかんけいにはなりたくないなってお互いに話します。

わたしが旦那さんを大事に思うように、わたしを思ってくれてることを信じる。

そして、そう思ってもらえるように自分も努力をし続ける。

子どもたちに対しても同じ。わたしと暮らせてよかった、そう思ってもらえるような人間で居られる努力をする。

 

わたしが一番好きなことは自分が気持ちよく生きるための努力をしていくこと、なのかもしれない。

 

わたしを知って行くさぎょうをすること、わたしが家族を愛しく思えるような暮らしをすること。

何が欲しいとか、何がしたいとか、そういうことではなく、自分を大事にできるようになる。そしてそれは家族へのやさしい思いにもつながってゆく。

 

今、うちの旦那さんがしているお仕事は普通じゃないけど、未来への希望だとわたしは自分の経験を振り返り思っています。

少なくとも我が家は家族同士が愛おしい存在として今在る。

 

やっぱり現代に生きているからお金も必要。おかねもちになりたいけど、普通の仕事じゃないし、なかなか勇気のいるし、にんたいのいる生き方だよね、笑。でもね、わたしも「自分を大事にすること」、に気づく人が増えるということは未来の希望だとおもってる。。それをしごとに選んだ彼をおうえんしつづけようとおもいます。

 

がんばろ!

だんなさんがつくってくれた納豆の発酵器が完成。

あとはわたしの持ち場だね。

どーしても納豆のパックが嫌なの。なんで食べたら一度きりで捨てるのにこんなに使うの?って思っちゃうの。プラスチックの使用量、まずは自分が減らすんだ。がんばる!!

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うまくいきますよーに。。

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アレルギーの身体は未来の希望。(昨日の続き。)

娘の唯一の外食。

 

おむすび屋さん。

 

彼女のおかげで家族揃って外食もしない。家族揃ってすればさほど負担でもない様子だし、外食をしなくなり、外に行くたびあれ食べたいなーって思うことが私たちもほとんどなくなった。美味しいものはかのじょがたべれるもののなかにもたくさんあるからうちで時々それをつくればいい。結果、出費がへってるしむだぐいしなくなった。

親のストイックではなく、数値を下げていかないと、いつ、たくさん発症するかわからないのでストイックに続けるしかない我が家。

だからうちは粗食。基本はおかずに漬物と煮物だし、お雑炊にすることもしょっちゅう。だからこっこはいつも腹8分目。止まらなくなることもない。

 

たぶん揚げ物や小麦のもの、洋食だったらお腹いっぱい食べるのが当たり前だったろうな。

そんなこともあり、家族揃って身体に意識を向けるのが当たり前になり、とりあえず満腹にするのは晴れの日ご飯の時だけにしようね、と言い合えるようになった。

 

そしてそんなわたしもここ数年、顕著に出たアレルギーで悩んでいたけど、できることをしてからだと向き合うしかないので、自分の身体に何が合うか時間をかけています。

こっこに負けないくらい大変。。わたしは染み付いた自分の習慣を変えなくちゃならないから。

 

そんなこんなで思うのは、多分、いろいろな食べ物があふれていて、しかも日本人が作るものはとっても美味しいので食べ過ぎちゃう現代。身体に負担がかかってるのは事実だろうなって思うので、アレルギーにより、コンビニや外食に頼らず、日本らしい粗食をする習慣を身につけてるのは素晴らしいことなんじゃないかと思うのです。

アレルギーであることは大人になっていい身体を保つための土台を作ってくれてるんじゃないかとかんじてます。20年後、彼女は自分の身体と向き合うことがとっても上手になってるはずだと。そして粗食をしてきた身体は、回復力を持ったいい身体になってるんじゃないかと。

アレルギーであることで親子共々受け入れざるを得ないことがたくさんある。けれども、これはわたしの知識からくる理屈ではなく、彼女の身体にとって、私の身体にとって必要なことであると、身体に合わせていることだから。

アレルギーであることは未来の私たち人生にとって希望なんじゃないかと最近感じてます。

 

妊娠する20年前からカラダ作りを始める必要がある、と真弓先生と石川先生がおっしゃてるけど、わたしも実感しています。わたしに至ってはこころもからだも大変な状態だったから、今は我が子に背負わせちゃってるけど、我が子たちが、大切な人との間に赤ちゃんを授かった時には、いい身体と精神状態で大切な我が子を育めるようにしようね、そう話しながら日々を暮らしています。

うん、そうしたい、って答えてくれるこどもたち。

そう思える感性がすごいと思う。

それを理解し受け入れられるこっこも。わたしがトモエのお泊まり会でみんなと食べるバイキングがあり、この日だけは少し食べてもいいよ、といっても、こっこはアレルギーを変えて生きたいから食べないって決めてるんだと答える。何度言っても、これからやりたいこと、食べて見たいものがあるから、と先を見れる強い意志がすごいなと思う。彼女の目標が叶うように寄り添おうと思うので、わたしも彼女が食べれないものは食べない。(それがけっけ、わたし自身の体も守ってくれてるんだよね。子どもってどこまでも親を助けてくれる存在だとしみじみ思い感謝します。)

 

アレルギーであることで気づかせてもらったこと。

アレルギーであることはいい身体で生きていくことを身につけていける、希望であると我が家では言っています。

 

大ちゃんが作ってくれたタイラーメン。

クイッティアオ。

チャーシューから仕込み、それでスープから作った大ちゃん。

もう我が家、三年は行ってないラーメン屋さん。

でも、化学調味料なしでここまでうまい麺はそうそうないと思う。

絶品だった。

 

こっこのアレルギーが育ててくれる興味はどこまでも続いてます。

チャーシューからラーメンを作り、タイ料理を作る。煮物も漬物もおむすびに入れる昆布の煮物も絶品。お砂糖もみりんも使わずにわずかな甘みを素材と焼酎、麹を使いながらだす。お豆腐も麹もつくる。

彼のセンスは10歳にして、外食より美味しい料理を作り上げる。

買い物も原材料表示を見て、産地を見て、いいと思うものを見つけてくる。

そんなかれのとくぎを知ったのもこっこの食べれるものを作りたいという思いからだなあ。

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娘とのデートの時間。

時々こっことの時間、大ちゃんとの時間を別々にとる。

私は親から愛されずに育ってきちゃったので沢山の自分の問題にぶつかる。

そんな不器用な私がたどり着いた1つの一人一人を知る時間。

その子に全力で愛を伝える時間だと思って大事にしてる。

 

こっこが今好きなことは何かな。

大ちゃんが今好きなことは何かな。

日々の関係の中で感じたこと、自分で集めた情報を集中させて考える。

 

こっこが好きなのは歌やダンス。探してるけど遊びの気分で一緒に参加できるダンスはなかなかないので映画を見にいくことにした。

アナ雪2。プリンセス大好きなのでこっこは大喜び。1時間も前から映画館で待つっていうので付き合う。このワクワク感も大事にしようと思って。

 

時間になり開演。

初めて映画館で見たこっこのワクワクの表情を忘れない。

親であることの醍醐味だよね、楽しんでくれてありがとう、こっこ。

笑ったり緊張したり心配したり、場面に合わせて表情を変える。その1つ1つが愛しい、と改めて思う。

時折彼女の顔を隣でそっと眺めては彼女の気持ちを掴めた自分に嬉しくなる。

一人に注げる時間は私にとってこの人と関係をまた深めていく大事な時間。

 

んでね、私も久々の映画。

アニメを映画館で見なくても、って思ってたけどディズニーすごい!

ストーリーの中にメッセージがこもってるんだけど、こんなにメッセージを盛り込みながら、これだけのストーリーを盛り込むって私にはできない。

メッセージも自分らしさをないがしろにしないで自分が大事にすること、自分がどんな風に在るか、大事な人との関係をどうしていきたいか、大事な人に何を想うか、、、、、。

笑いあり涙ありの場面でそれを考えた時に鳥肌がたつくらいかんどうした。

 

それに音楽も歌も描写も、色も、全て素晴らしい。

プリンセスの髪型も衣装も色合いも、街の様子もじつに素晴らしかった。

ダンスや歌が好きなこっこに送りたかった 美 がたくさん詰まってた。

うわあーって気持ちをたくさんプレゼントしたかったから。

こっこが自分の好きなことのなにを育てていくのかはわからないけれど、これらの美の中にもきっと彼女の感覚を育ててくれるものが何かある。

 

帰ってきてからの彼女はミュージカルのように歌を歌う、笑。

ダンスの中に自分のイメージがある。

この冬にタイで女の子が教えてくれるダンスを一緒にして覚えてきたけど、ダンスの立ち居振る舞いを楽しむようになった。

 

あのドレス素敵だったね、という。裁縫の好きなわたしは間の色の組み合わせでワンピを作ったら、北奥調で可愛いかもって思ったけど、そんな感性も育ててくれる。

彼女はなにに興味を深めていくのだろう。

デザイン?イラスト?色彩?音楽?ダンス?歌?音声?風景描写?キャラクターの衣装?髪型?お芝居?あそこの舞台になった地域を知りたいと思うかもしれないし、民族衣装に興味を持つかもしれない。

あの1つの物語に込められた芸術性は多岐に及んでる。

歌とダンスとプリンセスという彼女の興味から入った今回、いろーんな美があったなあ。。。

本当にすごかったし、楽しかったし満足で帰ってきた私たち。

 

好きだから私が習い事を用意しようと思わない理由はそれだな、って自分のスタンスに気づいた。

今は自由に楽しむ。いろんな本物に触れて、一緒に遊んで、楽しいに触れて、その中でなにかを自分がいつか本当に身につけたいと思った時、自分からどうしたらいいかを調べて提示してくるだろうなとおもうから。

私は一歩後ろで彼女の好き、を一緒に楽しめる存在でいたい。

 

そんなことを考えながら娘と寄り道。

アレルギーの関係で喫茶店にもご飯屋さんにもいけないこっこの唯一食べられるもの。

その場で握ってくれるおむすび屋さん。

いつもは何かの数値が増えるとそれに引っ張られ増えがちなほかのアレルギー数値を考慮してゆきひかりしかいただかないけど、こういう時だけは緩める。

もちろん添加物によって腸を荒らさないように気をつけながら長い目でアレルギーをよくしているので、そんな意味でも外食を減らす意味がある。

シャケもダメなので、手袋をかえてもらえるようお願いをしておむすび頼んでおやつタイム。

 

茶店でお茶とケーキができたら喜ぶだろうなって思うけどね、本人はおむすびでも嬉しそうだから食べれるものを探して特別な時間を楽しんでる。

 

ゆっくりゆっくりいまを一緒にたのしんでます。

 

 

アレルギーのことで思うことがあるから描きたいけど、長くなるので続きはまたあしたー。

 

雪遊び3じかーん。。

街中は雪が少ないけどここはスキーも小さなものならかまくらも作れる。

雪に水をかけたくてウオータータンクを置くようの椅子を運んでる。

夏も冬も水遊び。

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ゆきだるまつくーろー。

近頃体力低下によるためか、一緒に遊ぼーっていうこっこに、えー、今無理、っていうことが多くて反省してた数ヶ月。ともえにいるときだけはしっかり遊ぶって決めてるので、一緒に遊んでないわけでもないけど、もっと寄り添えたらいいなーって思ってたからガッツリ遊べて嬉しかったのは自分だった。楽しかったーっていうこっこを見て一番満足したのはやっぱりわたし。

 

一緒にあそぼって言ってるうちは一緒に遊べたらいいな。

人生楽しめ、なんて言葉じゃ伝わらない。どんな状況でもなるべき楽しめる自分でいたいとおもう。そこから溢れて伝わって行くのだろうから。

 

大ちゃんもそうだった。4つくらいまでは言ってたつまんなーいって言葉、もう何年も聞いてない。一緒にあそぼーって言葉に付き合いきれなくなったこともあった。けど、いつの頃からか自分で遊びを生み出す人になった。もうずっと、テレビもゲーム機もないうちだけど、いつも何やら作って遊んでる。自分の人生を今あるもので楽しんでる。

そんな彼にはトモエでも小さい人が集まる。彼の身につけたその力をすごいなとおもう。

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うちの子は言わなくなった。けど、つまんなーいって言われると、人の子にもいっちゃう、笑。

自分の人生だよ、つまんなくするも楽しくするも自分次第だから。

一緒に楽しむことはできるけど、あなたの楽しいをわたしが作ることはできないんだよね、と。

 

自分がつまんなく生きてきたから、つまんない気持ちはわかるのだ。

でも、つまんなくするも楽しくするも自分次第だってどこかで気づいていくといーよーって思うんだよね。