旅日記4日目。
今日は本命のパン屋さんとチーズ屋さんへ。
片道2キロ。
待ちきれない子供たちは先に出発をする。
歩きなれないお友達と一緒に。
ちょっぴり臆病者のお友達、不安なまま出かけたのだろう。
いつもものペースの我が子たちとの移動で不安になったのか、合流した時に泣きべそ。
何があったかなんて些細なことなのだと思う。
思いが伝わらなくて思いが溢れた様子。
歩きなれたタフな我が子、大ちゃんなりに彼を気遣った様子だが、途中の道は道路で、休憩する場所もなく、道を歩くのになれたなかったのか、車通りが多い道路に出た彼にビシッとかけた言葉に反応してしまったみたい。
でも、大事なことはビシッと伝えなくちゃならないこともある。
バカにされた、と答えた彼。
でも、大ちゃんなりに泣いた彼を気にしたり、表現の仕方が悪かったかな、と思ったそうで声をかけてフォローしていたので、時間をかけて彼が自然に消化して行ってくれるのだろうなとおもう。
それがお互いの経験であり、学び。
ある程度大きくなった子ども同士の中での経験はそっと見守りたいと思う。
私の考えは私の考えであり、彼ら一人一人の考えではないから。
それぞれが静かに消化をしていくことを大事にしたいと思う。
2キロを歩ききった彼に頑張ったね、と声をかける。
本当に頑張ったと思うから。
こんな時わたしは褒めなくなった。
だって頑張りきったことを誰よりも喜べるのは自分だと思うんだよね。
出発間際、ひるんだ気持ちに頑張れ、と、カツを入れたお母さんの言葉で、渋々動き出した彼だけど、彼はちゃんとゴールしたから。
彼の中で整理がついた時、そんな頑張った自分を喜んでほしいと思うから。
誇りに思ってほしいとおもうから。
そうしてこの経験をいつか楽しかったこととして心にしまってくれたら嬉しいな、と思うから。
そして今好きなパンを買い、チーズ屋さんへ。
子どもたちは手作りのソフトクリームとパンを頬張る。
自分が1つ越えたことで得た美味しいもの。
誰と比較するわけでも、褒められることをよろこぶでもなく、自分が頑張ったことで何かを達成できた喜びを自分で感じる幸せ。
それがどれだけ嬉しいことかを、私たちはこの旅で感じています。
それを彼とシェアできたら嬉しいな。
もちろんそれは私の思いであり、できなくてもなにか彼の喜びがあればいいんだけどね。
お友達家族と別れて帰り道。
今日は6キロの道のりを歩く。
こうして歩くことも苦じゃなくなった。
羊蹄山を背にしながら、緑の景色を歩く。
帰りにまた立ち寄ったパン屋さんの庭でサッカーしてブランコして。
夕飯の時間もお風呂の時間も気にせず、気ままに動く。
そのしあわせを子どもたちと共有できる豊かさ。
このために生きてるんだろうなあっておもう。
生きてるって嬉しい。
帰ってきたら無邪気な小学生男子と友達になった息子。
2人でアホなこと言いながら絡み合うほど仲良くなった。
シャイな娘のその妹と女子の遊びをする。
結局お借りする予定だったお風呂も入らず、ご飯もほどほどに一緒に花火までさせてもらって、夜遅くまで遊んで就寝。
次の日も朝早くから絡み合い、帰る直前まであそぶ。
子どもの頃、野球をしていたというお母さんが息子と遊んでくれて、教えてもらって。
本当に幸せだなあと思う。
ここをいつ出発しようか、と、暮らすように旅しながらお友達にも出会って、今の私たちにはこんな暮らしが心地いい。
今日も不安に負けずに自分たちの寝床にたどりつけたことが嬉しい。
歩ききれた元気な体が嬉しい。
幸せに満ちたこどもたちのえがおがうれしい。
無事に食料を得て、気持ちいい景色の中を歩いた爽快感が嬉しくて。
娘はそろそろ帰りたいかな、って思ったけど、そうでもないらしい。
わたしが送りたいギフトと、子どもたちがわたしからもらいたいものが一致することってそうおおくない。
してあげたくてしたことが、彼らの思いと重なり、してもらってすごく嬉しかったと、思いが重なる奇跡は、わたしにとったのおおきなよろこび。
明日はどうしようかな。
目の前しかほぼ見えない暮らしをする経験。
精一杯今を生きる経験を積み重ねてみる。
わたしは本当に人生経験未熟なんだなと思い知る。
でもありがたいよね皆が一番幸せなんてね。
ちゃんと自分の幸せを、自分に求めていこうと思う。
今日も身体と心が動くきせきにかんしゃして。