日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

母と娘。

母と娘。

こっこと私。

同性同士だからか、難しいなあっておもう。そしてぶつかることもしばしば。

思い返すと別にこっこが悪いわけじゃない。

私がこっこを理解できなくてもどかしくなって爆発してるだけなんだ。

多分私は疲れてる。

 

自分でそう仮定して、今日は一日家族から息抜きの日をもらった。

 

〜女子の心と母性から来るだろう感情〜

〜母とは何か、を研究してる先輩から学んだこと〜

〜それをふと、母と娘の関係に当てはめて見る〜

〜こっこの今を見る。そしてこれから自分が彼女とどういう関係で在りたいか考える〜

〜さっこ、きょうもあいしてるよ〜

 

〜女子の心と母性から来るだろう感情〜

 

色々あるけど自分なりに少しずつ成長したくて歩んでる。

だからいいんだけど、まだ自分の素直じゃない部分がひょこっと顔を出す。

疲れてイライラしがちなんだよなあ、朝から自分で呟きつつ、コントロールしきれないぶぶんがとびだした。伝えたいことをブツクサ長く言ってしまう私。

はふーう。

女子特有のホルモンのバランスがでるときもあるしね。

残念だなあって今日の自分に思うけどそれも受け入れるしかないんだよね。

 

イライラしてごめんね、伝えたいことを言葉にするだけで、わかってたよね、っていいながら子どもたちを幼稚園に見送る。

一緒に行きたかったな。っていうこゆに、今日は心を鬼にして身体を休めてみるよ、またきもちよくすごせるように。あしたはいこうね。

そしてぎゅっとして、楽しんでおいでー。

気持ちよくそう言えたら、彼らは自分の時間を楽しんでくるよね。

怒って別れたら、離れてる時間に私をおもい出した時に、彼らはきっと切なくなる。そして自分が悪いことしたってきもちをもっちゃう。彼らが楽しいを味わう時間を邪魔しちゃうよね、っておもう。。私自身も申し訳ないことしたなあってひきづらないように、怒ったままおくりださない、ってきめてるんだ。

楽しい時間は思い切り楽しんだ方がいい。それを邪魔する要因に、私がなりたくないと意識しながら日々を共に暮らす。

 

こっことの関係で度々、悩む。同性って難しいな、私はそう感じてる。

こっこはだいちゃんより、表現が分かりづらくてね、時々戸惑うの。

彼女の気持ちを察したいんだけど、どうも難しくてね。

彼女がボカンと泣くたびに、おもう。

 

もしわかったら、私ももう少し自分の表現を変えれるのになあ。

でもね、こっこも心の中の思いを言葉にできないので、わたしは時々どうしていいかわからなくなって踏み込みすぎる。余計なこともいいすぎる。

我が子を自分の一部だと思って私の思いで動かさないように特に注意をしてきた。お母さんってこれを管理意識しないと踏み込み過ぎちゃうからさ。

 

多分女子は共感力や察する力が高い。それだけはなんとなくわかってる。

 

女子は赤ちゃんをお腹の中で育み、うみ、そだてる力を持つ。色々な事情があってそれができないことももちろんあるけれども、それは生き物の宿命だ。

 

〜母とは何か、と研究してる先輩から学んだこと〜

 

私は、自分が母として成長したいと思って学び始めてから、家族って何か、ってこととどうじに、母というのは何かについて考え続けてるんだけどそれについてともに考えてくれる人がいてね。

そもそも、母についてを考え始めたのはそんな研究をしてる先輩の影響。

 

命を生みそだてる母を社会が守ったら、世界はきっと平和になる。

母の赤ちゃんを守る力はとても深く強く暖かい。

そんな愛の力を持った人が、子供と旦那さんを支えて家庭を守ってきた。

それが母性だと思う。

けれども女性の社会進出を求められる社会になってから、母が母性を失い始めたんじゃないか。

男も女も同じように仕事を持つなんて無理だ。人間の根本を育むために、母にしかできないことがたくさんある。それを幼い命はもとめる。そこにかける時間を確保する必要があるし、そんな母を社会が支える必要がある。

母としての役割を捨てなければ、男女平等に会社で働くということは成り立たないのだから。(ちなみに働くのが悪い、と言ってるのではなく、家族と心穏やかに触れ合える時間を確保するために、せめて女性は仕事の時間を減らせるように、という意味です。)

家庭での母という存在、妻という存在に救われるのは子どもだけではなく、男性も同じなんだよ、という。

女性は家族にとって柔らかい安心をあたえ、人が優しく生きていく根源だと私は思う。

 

ってその研究をしてる人はいう。

その人の考えに触れ、私も人生を積み重ねながら色々考えてる。

 

女の人は共感力が高い。

察する力が鋭い。

ホルモンのバランスの関係で五感が繊細になる時期がある。

 

多分それは、子孫を守り、うみ、そだてるためにつちかったちからなのだろうと私は思ってる。

そして多分家族という集団を守るためにも心も体も使われる。

こどものきもちによりそう。

パートナーの気持ちに寄り添う。

家族が気持ち良く過ごせるように察しなければ家庭は回らない。

こんなのくえーん!!ってちゃぶ台をひっくり返しているだけじゃ、家族は安心してそこにいられない。彼らが何を求めてるのか寄り添って答えていかなければ、生き抜く力は育っていかない。生きる希望を彼らが持てるのはやわらかいあんしんがあるからだ。

 

女性はホルモンの関係で嗅覚が鋭くなる。音に敏感になる。気配に敏感になる。

それに反応して些細なことにイライラしがちになる。

それも命を守るためなのだろうとおもう。

 

〜それをふと母と娘の関係に当てはめてみる〜

 

そう考えた時にこっことの関係が難しいわけもなんとなくわかる気がした。

そうか、それも原因の1つかも。

彼女は生まれながらにして母性を持ってるんじゃないか?

 

だから、繊細なのだ。そしてなぜか女子におおい意地っ張り。私もそうだから余計にうまく噛み合わないのは私の反省点だよね。。

 

こっこも生まれながら母性をもってる??

近頃私の中にそんな1つの仮定があった。

だからそれを確かめるべく、ここのところ、いろんなことをそれに当てはめていってる。

 

こないだ、こっこにわたしがこどものころのはなしを聞かれたものだから、嘘をついても仕方がないし、自分の経験したことを伝えた。

そうしたら、それを聞いてみるみるうちに目にいっぱい涙をためてポロポロ涙を流し始めたこっこ。

「さっこ、かわいそうだね。辛かったね。」

そしてポロポロ泣きながら言ってくれた。

「こっこに会えてよかったね。こっこと暮らせて楽しいことがたくさんになってよかったね。」

 

ああ、ほんとうに小さなお母さんだ、ってそう思ったんだ。

こんな私の仮定を裏付けるようなことが何度かあった。

彼女の共感力は高い。優しさも深い。

 

察する力もつよい。だからだ、家族のだれかがイラっとしてる時には、緊張する。

緩んでる時はケタケタ笑うのに、誰かがピリピリしてると自分もピリピリし始める。

怒るのではなくて、いやだって気持ちを怖い、と彼女は表現する。

 

そして怒られてる人を外で見かけるときも心配そうにじっと見てる。喧嘩してる場面とか、そういう場面を彼女はじっとみて、彼女なりの思いの寄せ方をする。

 

大ちゃんはそうでもないのに、わたしの子供の頃にもとてもきょうみをもつ。多分私の悲しみを察して昔を癒そうとしてくれてる。そんな気がするので彼女の負担にならないようにしたいな、そう思いながらも聞かれたことは、覚えている限り話す。

 

こっことの関係が難しくて、こっこ自身もそれをもどかしがってぶつかってしまう時もある。

私が彼女を理解する努力は続けていこうと思う。

けれどもわからないこともたくさんあることを前提に、もどかしさに飲み込まれにように私がいろんな角度から彼女によりそいつづけていく必要があるんだろうな。

 

分かりたくて、どうしてなの、教えて、って迫ってしまうこともある。

けれども言葉にするのって大人だって難しい。

関係をどうにかしたくて、イライラして答えを求めてしまったら戸惑うのはこっこだったよね。

反省だなあ、ほんと。

 

こっこのなかでもあるだろう母性からくる優しさと共感力。

あまり考えたことなかったから、これからそこに気持ちを向けてみようっておもう。

そこから私が何か、彼女のことで気づけることがきっともっとあるはずだ。

知りたいと思う気持ちを焦らない。

少しくらいわからなくても今日一日たくさん一緒に笑えたらいいじゃない。

 

関係をどうにかするんじゃなくて変わらず、こっこをまるごと愛しく思っていけばいいだけじゃあないか、そうきづく。

 

〜こっこの今をみる。そしてこれから自分が彼女とどういう関係で在りたいか考える〜

 

もう時期7歳をむかえるこっこに私はもうすこし成長をした自分で在りたいなあっておもう。あと4年、私はそんな繊細なこっこともっと気持ちいい関係になりたいな、ただただそれだけをねがう。

そしてそれに向かって歩いていこうと思う。

 

彼女のもっと細やかな繊細さに、ここで気がついて、気をつけてきたつもりで口うるさくなってしまってたことに反省。大ちゃんならそれは多分許容範囲。

けれどもそれはこっこを傷つけてきたかもしれないな。

それをここで整理してぐっと感じて胸が痛む。ごめんね。

 

今朝はそれを謝ることから一日を始めよう。

すぐには自分は変えれない。けれども私はあなたの存在を大事に思う、その気持ちだけはぶれたくないから、彼女に謝って、私はあなたと違って時間がかかるけど、行動も変えていくよ、そう伝えて笑顔を見ることからスタートしようと思う。

 

 

10歳になる時には、我が子と私の関係が決まる。

大ちゃんの時がそうだった。10歳になったある日、ふっと、この人、私にうるせえ、くそばばあって言わないだろうな、そうおもったから。おもわず大ちゃんに、ねえ、もう少し大きくなった時に、うるせえ、くそばばあとか私にいうのかな?ってわざときいたらゲラゲラ笑われた🤣。

思春期になったらもう一度聞いてみよう。ねえ、うるせえ、くそばばあって言いそうになることある??って。笑笑。笑いながら時々心ん中でそう思いそうになるねー、って言われるかもね。

 

大事なお互いの心のつながりを今、ぎゅっとお互いに感じさせてもらえることを奇跡だとかんじてる。親がしてあげたことの中で、子どもがそれをしてもらって嬉しかったって思うことって少ないものだから、この気持ちをお互いに思いあえるって奇跡。

お互いを信頼して尊敬する気持ち。これは思春期になったからって覆るものじゃあない、その揺るぎない安心感。私は昔、家族間でなかったから、なんとも言葉で表現し難いけど、これのために自分は苦しみを超えてきたんだ、って涙が溢れる。

 

この時に、一緒にいることがああ気持ちいいね、そう思えれば、その関係は一生続いていくのだろうとわたしはおもう。どうにかここまで彼らの足を引っ張らないで済んだよ、ってことがわかる。

それは、わたしがかくじつにかわれたってことを家族によって証明してもらったことになる。

 

そうしてそこからまたそこから歩いていく日々が始まるけれどもね。

そこまでが人生で一番大切な私との関わりの時間だとおもう。

 

こっことの積み重ねてるひびはひとつたりとも無駄はない。

けれどもまだまだ、こうしてつまづいて立ち止まってまた自分がここから変わっていかねばならない事実にぶち当たる。

こっこが10歳になった時の私との信頼関係に向かって、私は歩いてる。

こっこの今を見て、これからどういう関係でありたいか、私の中で整理していく。

どうなってほしいか、ではなく、私が彼女とどんな関係で在れるか、を。

彼女がどうなりたいか、それは彼女に任せることだから。

 

〜さっこ、きょうもあいしてるよ〜

 

なぜかここのところこっこが口のする言葉。

愛してる、って一体どこから持ってきた言葉だろう、、笑笑。

「さっこ、きょうもあいしてるよ😚」

大爆笑しつつ、面白すぎてハグ。

「わたしもあいしてる!」

いつまで言ってくれるかな。

彼女のこの超絶ストレートな言葉を心にためていこうと思う。

自分の負の感情に飲み込まれず、こっこを愛してる気持ちをいつもわすれないように。

 

ありがとう。

そしてわたしはきょうもまたひびをつみかさねるよ。