人生のアンテナの感度を上げていく習慣を。
Japanese beautyをいろんな形で表現できたらいいな、そう思ってクロスステッチも始めてみました。
私のやりたいことはバックパックに入るサイズのジャパニーズアート。
旅先で手仕事をしたい。
和模様、好きです。
一通り手を動かしたら北欧風な感じもやってみようと思います。
本気でやりたいって思ったら向こうからやってきてくれる。
だからわたしは必要以上に情報は集めません。
たくさんの情報に揉まれると、本当にやりたいことも、ちょっと興味あるかも、なことも一緒くたになって、自分が「今、何を本気でしたいか」の感度が弱まるから。
そしてこれは本当にやってみたいかもって思ったら考え続けるよりも手足を動かす。
恐れが生じる前に。
そしてそこに投資をする。
投資をするための覚悟を経験することで自分の人生の選択の感度が上がってくるんだなって最近やっと腑に落ちてきた気がします。
悩みつづけるより経験。
自分がどう生きていきたいかといったら、日々感動をすること、ワクワクすること。
刺繍、巻き玉、水引。
旅に出るまでの時間もワクワク生きていきたいから。
そんな風に始めた手仕事はとても楽しい時間になり、ちょっと手先が忙しい今日この頃です。
自然の中に生きるための源がある。
氷点下8度改め、氷点下15度だよーってそばのじいちゃんに言われました、笑。
玄関から30歩、あとは尻滑り出ワープ。
我が家から1分半の凛と静まり返った山に降りてみた。
山々は冬の中でそっと時を刻み、命が賑やかに主張し合う夏とは違う厳しくも静かな空気が流れているように感じました。
静かに生きている、森の音。
手袋に舞い降りた雪の一粒一粒を眺めると、今日は結晶が綺麗に見えます。
そんななか、尻滑りをして裏山を降りるとこんな景色に出会いました。
どこを探しても他には見えないけしき。
テンでも入れそうな小さな洞窟のような穴のそばにできた氷の結晶の塊です。
なぜかここだけ羽の模様になっているのです。
全てを忘れて不思議と、神秘と、美しさに家族全員心震えます。
なぜここだけこんな景色になってるんだろう。
妖精でも舞い降りたかのような本当に美しい形となり、時折風に揺れているのです。
家族誰1人、この理由はわからないけれど、もはや大自然の理由なんて理屈でわかる必要もないくらいいろんな奇跡なんだろうと思います。
もう一生見れないかもしれないな。
2枚目は冬芽に結晶が張り付いたもの。
湿度と、温度、お日様、風のない静かな空気が作り出した神秘。
子どもたちとカンジキ履いて寝転がったり、切り株に積もったきのこみたいな雪の上に乗ってはしゃいでみたり、手足がキリキリ痛むまで帰りたくなくて遊び倒しました。
息子が寝転がってる周りのキラキラの一粒一粒が雪の結晶です。
こんな日はまた特にワクワクしちゃうんです。
テレビゲームよりも楽しいと思える世界を知っている私たちは本当にラッキーかもしれないね、と話しながらの帰り道。
中野区に住んでいた頃、公園には雑草もなく、花壇の花は見るだけのものでした。
植物に触れる感動も、日々変わっていく景色もほとんど見られず、秋の国道沿いのイチョウの落ち葉が楽しみでした。けれども、山に暮らして、自然の中は同じ景色の日がない事を知りました。
いつもの場所に虫が現れ、こうして木々に結晶が舞い降りるのです。
こんなにもワクワクし、興味が湧くのが自然であると大人になって知りました。
家を出た途端、車に気をつけて、と、手を繋ぐ必要もないのんびりした山道。
歩き始めた赤ちゃんがそうするように、私たちはその日の興味を見つけて立ち止まっては座って覗き込みます
寝転んでも大丈夫。
静かに耳を澄まし、車の音が遠くに聞こえてくると立ち上がって通り過ぎるのを待ちます。
何にでも興味を示し、座って覗きこむ赤ちゃん。
もういこう、っていってもなかなか動きません。
でもそれは生きる日々のワクワクを育てる大事なきょうみ。
好きなだけそれを味わい、じっくりと過ごせたらどんな人になるのでしょう。
おくらばせながら十分に子供達も味わってくれてるけど、スタートから実験してみたいです、笑。
ふと3日ほど前に目にした、とあるインディアンの方々を記録した写真集の最後のページを思い出します。
「私たちが、大切にし、伝えていきたいのは記憶です。
子どもたちの瞳には未来につながる記憶が宿っています。」
彼らの村で生活してみないとほんとうの真意は理解できないと思います。
けれどもなんとなくわかるような気もしました。記憶の中には知恵も、ワクワクも、悔しさも全部あります。
その人自身の中で感じた全てが記憶の中にあります。
大切に記憶を伝えていく、という大人たちの思いが優しく温かい日常を作り、ゆたかなきおくを残してくいくのかもしれません。
「多くの人が助け合う」そんなずっと続いてきた彼らの文化にはかなわないけれど、自然の中で暮らす時間が、その豊かさを私たちに刻んでくれてるように感じています。
厳しさだけではなく、たくさんの恩恵があることを今日もまたこうして身体に刻んでいます。
わたしには子どもたちの記憶にこんな感動は残せないから。
自然の中での厳しさや危険がを知っていることから生まれる優しさがあります。
きびしさがあるから競争なんてしている時間はなく、助け合わないとならないことも多々あるから。喧嘩中だろうがなんだろうが、喧嘩相手が帰り道、雪に足を取られて崖を登ることができなければ手を貸してあげるしかありません。
そうしているうちに自分の小さなこだわりなんてどうでもいいことだったねって、ふと思えてくるんです。
自然はただただすごいです。
今日もありがとうございます😊
子どもが刃物を持つということ。その3。
長くなりごめんなさい。
今日で3日目、完結編です。
私が家族四人、山とライフラインのないジャングルで暮らして、大地に素足をつけて学ばせていただいた事を綴っています。
昨日は経験によって危険もそれを回避する術も学べるってお話でした。
生きる力を使いこなすのはきっとほぼ経験です。
自分で手足を動かし、見て、考える。
自分の目線で何に配慮する必要があるか、どうやったらスムーズにできるか、その答えを自ら生み出しす日々を積み重ねて習得していくのだと思います。
けれども3つくらいになったら、ナイフを持たせる経験を、から始めることはできません。
それが3つ目のお話です。
ジャングルライフと私が幼い頃からしてきた暮らしには決定的な違いがありました。
ジャングルでは大人も子供も一緒に暮らしを営んでいます。
もちろん学校はあります。
けれども、学校が終わると子どもたちは村で遊びながら大人の暮らしのための動きも目にし、身体に刻んでいるのです。
ある子がきのみを取ろうとしていました。容易に登れそうもないので、立ち止まって解決方法を考えていると、通りがかった仲間が思いつくが早いか解決するための道具をどっかから調達してくきてくれたのです。
彼らはほぼ自分たちで解決します。
たくさんの人の知恵を見て興味の赴くままやってきた分の力なのでしょう。
学校での学びも、一人ワンセットの学習キットはなく、その時に必要な物を彼らがそれぞれ考えて皆で使って学ぶ。
日本よりも広く大きい知識は学べないけれど、そうしてあるものでやってみる経験は即戦力として役立つ大切な力だとここで学びました。
何かを身につけるということは全て暮らしから繋がっているように思います。
赤ちゃんも学んでいます。
この村に1歳11ヶ月のジャイ君という男の子がいました。
私達が彼のお父さんと仕事をしていた時です。
太陽光パネルを設置している横でジャイ君、ハンマーを使い始めたのです。
右脇に私でも重いハンマーの柄を挟み、手で先を支え操る。
左手は小さな頭のついた釘。
3分の2ほどうちこむと曲がってしまいます。
けれども彼は確実にその小さな釘を打つのです。
右手で重いハンマーを操り、左手の先で小さな釘をつかんで支える。
驚愕でした。
電動ドリルと違って私ですら釘を真っ直ぐに打ち込むのは難しいのです。
私が仕事をしていた頃、この年齢の子にボタンはめやファスナーしめなどの玩具を用意していたので、彼が何故こんな事ができるのかを、ずっと考えていたのです。
そして最近その答えが1つみえました。
彼のお父さんは子どものペースに落として、日々の仕事をする人です。
私たちはそんな愛が溢れる彼のお父さんの敬意と共に学びをいただいています。
赤ちゃんなのでお母さんとの時間も多かったですが、お父さんも大好きで一緒に多くの時間を過ごしていました。
赤ちゃんの頃の彼はずっと背中でお父さんのハンマーを叩く音や、その仕草も見ていたのだと思います。
赤ちゃんの見て学ぶ力は大きいです。
そうして私たちの日常を思い出すのです。
引き出しに指を挟むから開かない様にする。キッチンは危ないからゲートをつける。
ナイフを出したら命に関わりますから確かに危険です。
核家族の現代、お母さんだけではトイレにも行けず大変ですから危険を回避する道具も大切だとは思います。
けれどもそれが当たり前になってる現代、私たちが考える必要があることがあると思うのです。
どんなものを大人が使って暮らしているのかを子どもは知る必要がある。
危険だけではない生きていくための学びがそこにはあります。
経験者が使うのを見て彼らはその使い方を理解していきます。きっと彼らは生きる為に学びたがってるんじゃないかなって思うのです。
タイの伝統的なキッチンは床で作業をします。
農作業の合間、枝を拾って地面に火を起こします。
子どもの目線に暮らしの仕事がある可能性にも目を向けていく必要があると感じています。
ここまでが私の刃物にまつわる3つの経験です。
赤ちゃんのうちから暮らしを沢山見て身体に刻む事。
それを経て経験のある人のそばで自分の手足で経験してみる事。沢山の感覚を自分で味わってそれを積み重ねる。
刃物は小さいから危ないのではなく、知らないから危ないのだと私は思います。
もし大人が怖いと思うなら、子どもにナイフを使う所を沢山見せてあげて下さい。使い方も危ない事も沢山見れば彼らは身体に刻みます。
本物を目で見て自分の中に取り込んだ彼らはナイフをどんな風に使いたいと思うでしょう。
どのタイミングで彼らの手に渡すかはそんな彼らを見て決めたらいいと思うのです。
子どもが刃物を持つということ。その2。
昨日の続きですね。
私は小さいうちから刃物を使う機会をもち、ある程度大きくなったら自分の食べたい物は自分で作れる、そんな風になれたら楽しいことが増えていいなって思っています。
なので基本的には言葉でのコミュニケーションが取れる様になったらその子の興味の時期に合わせて小さいうちから刃物を持ったらいいと思っています。
そんな風にはっきりと言葉に整理されたのはこの3つの経験を頂いたからです。
1つ目はムスメが2歳から料理をしているのをそばで見てきたから。昨日の記事でお伝えしたことです。
2つ目は私の山での経験。
3つ目はライフラインの村に家族で暮らし、暮らしを丁寧に行う人たちから、生きていく強さを学んだから。
今日は2つ目のお話をしてみます。
私が山で暮らしてからの自らの経験です。
危険予測や回避力は経験によってのみ、使える様になると身をもって知ったのです。
どんな時が危険で、どんなことを配慮して、それを避けるか。
危険だけを知っても避けることはできません。
その作業に向かう一連の流れの中で初めて、その経験は「自分ごと」として考えられ、生かされ始めると、わたしは思うのです。
私達は時折、必要があって木を切り倒すことがあります。
周りに通行人がいないかに目を向けるため補助に回った私は、自分なりに危険予測はしていたつもりでした。
木を倒す時、チェーンソーで「くの字形」に刃をいれて倒れてくる方向を決めます。
倒す人ともコミュニケーションを取っているし、そのタイミングを間違えない様に目を離さないでおりました。
一緒にやってるおじいちゃんたちは元プロですから、重機も出ます。その動きにも配慮を向けたつもりでした。
その時は無事に作業が終わりましたが、おじいちゃんは私に話してくれます。
「木を切る時に一番危ないのは、倒れ始めた時、上の方でツルが引っかかっていたり、他の木の枝にあたったときだ。」と。
もしも読み誤って、自分のところに倒れて来たら、ほぼ確実に命が奪われると想像できるだけの経験値は私にもその時、すでにありました。
今年、丸太から薪割りをして、たった1つの丸太ですら私は持ち上げられなかったのですから。
森にはたくさんの木々が身を寄せ合い、ツルが絡んでいます。
それを私は自らの身体と感覚を使って、行動してみることで、おじいちゃんの言葉がズシリと刻まれ、芋ずるの様に経験者の話が理解できる様になったのです。
街で育った私にとって、木を切るという習慣が幼い頃からついてたわけではありません。ですから、私にとって、この作業は今でも危険がたくさんあるのです。
山での暮らしはそんなことがいつもおとづれます。
危険予測もその作業をするのに必要な感覚も、経験を積み重ねることでついてきます。
そんな日々を続けてハッとしました。
私のこの感覚はきっと小さい人と同じなんです。
私にとって山での暮らしはまだまだ刃物を持ち始めた小さい人と同じです。
今まで知らなかったことをしてみる、それは楽しくもあるけれど、難しくもあります。
けれどもそれに向き合っていくのが生きるという事だと思うのです。
経験をしなければ危険はいつまでたっても危険なままであり、人から教えてもらっただけでは危険の回避力は弱いのです。
木を倒すことに関して言えば、背の高さも視力も違います。なので、確認する時の立ち位置も変わってきます。
自分の目線で経験をし、危険と、配慮事項を知り、身につけていく。
刃物も同じです。
生きている以上小さい人も学びの中にいます。
どんな時にどんな事態が起こるか、様々の想定が必要ですが、それを想定して動くという力は経験によってのみ、つく力です。
小さい人も持ち備えた力です。
もちろん生きてる時間は長くなりますから、小さい人と大人、初めてナイフを持った人のうちどちらが安全かといったら大人の方が上手いこと回避できるとは思います。
でもやはり、経験がない以上、危険は危険であり、大人の方がやる事が大きいので怪我も大きくなってくると思っています。
これが私が小さいうちから刃物も使ってみるといいな、って思う2つ目の理由です。
そうはいっても3つになったからとりあえず刃物を持たせるのは危険です。
何も知らない私が木を切るのと同じです。
もし、小さいうちから刃物を持たせてみようかな、と思うならば、彼らが見て学ぶ、そんな期間が必要です。
小さい人は自分が興味のあることをやっている大人の姿をよく見て、そのやり方を身体に刻み込んでいる様なのです。
冒頭の写真の様に大人の中で作業を共にし、経験をつけたり、教えて貰う時間も大切です。
でもそれよりも前にもっと大切なことがあります。
これが3つ目のお話です。
その話は次回に。
ムスメがナイフを持ったのは2歳。小さい人と刃物の話、その1。
ちょっと気がついたことを書いてみました。
刃物は怖くてまだ持たせられないの、年長さんくらいになっても、ほぼ使ったことのないようなお家も結構多いです。
我が家のムスメはいろんな偶然が重なり、2歳でのデビューとなりました。
我が家の場合は図らずもそんな形となりました。
けれどもね、ライフラインのない暮らし、山に来て自分たちで作る暮らしをしてみて気づかせてもらったことと思うことあるのです。
生きるための学びは自らの手足を使って、経験して、思考して、また試して。
の、繰り返しです。
大人になってもあまり刃物を持った事がなけば、危険なままなのだと私は思います。
山には数々の危ない事があります。
私は今でもたくさんの危ないを経験してるひよっこの大人です。
なんで危ないかっていうとね、小さい頃から経験してきてないから、危険もわからないのです。
なので、「大人が怖くてみてられないから、刃物を持たせられない。」っていうのだとしたら、考えてみる必要があると思うのです。
自分が昔、大人が危険だっていうから諦めたことはなかったか、その時の気持ちはどうだったか。
我が子が危ないと思うなら、この子が刃物を持った場合、どこがどう危ないのか、まだ待った方がいいのか、まったら変わっていくのか。
その子の興味の時期もあるでしょう。
大人が持たせたくてもたせても、小さい分、興味がなければきっと身につきませんしね。
少なくとも我が家は二人とも、使えるようになって楽しい、と言います。
自分で生み出せる事が増え、幼児期から自分でおかずを作ってました。
私は町で暮らし、学校や親から危険やしてはいけないことを、ルールで教わってきた部分が多いです。
ここでの暮らしで痛感しています。
なぜ危ないか、どこからが危険なのか、想像する能力が弱いです。
それと同時に必要以上に怖がってみたりします。
経験がないので、情報をきくと、怖い気がしてきてしまうのです。
自然に勝る教師はなし、とだれかが言いましたが、命に関わらない限り、経験に勝る教師もいない気がしています。
けれどもいつ始めるかの個人差はそばにいる大人がその子を観察して見極める必要があります。
そんな話を3回ほど書いていきますね。
初めは私も傍におりました。ヒヤヒヤしては口や手を出しながら。
でもその時、隣にいたムスコが黙って彼女の隣で作業をし、時折そっと手を添えてやるのが見えたのです。
はたと私は自分の姿勢に気づかされました。
危ないから、と何度もうるさく口にして、石橋を叩いて怪我をしないよう早めに手を出す。
そんな自分が情けなくなり、ムスコを観察する事にしたのです。
彼の助けはさりげないものでした。
余計な恐怖を煽らない。
やる気を削がない。
ムスメはそれからもずっと兄から刃物をを教わりました。私が教えた事はありません。こんな時は危険だって学べるのは、自分でひやっとするからです。
その人自身の経験から学ぶ事は危険だけではありません。それを回避する術も学べるのです。
ムスメは何度か指を切りました。
けれども小さな怪我ばかりでした。小さな人の力です、怪我もきっと小さくすんだんだと思います。
危ない、ということがどういうことか、自分で経験をして知る。
自分の感覚で、それを知り、ならばどうしたらいいか考える。
その基礎をここの人力の不便な暮らしから我が家の子供たちは身につけたようなのです。
小さいうちに刃物を持たせるのは怖くて。
そういう声をよく聞きます。かくいう私もそうでした。
ムスコも小さい包丁を購入し三歳の頃からたまに使ってはいました。けれどもムスコが本当に料理に興味を持ったのは年長さんの時。
私がジャングルで朝から3つの七輪を使って十五人分のご飯を作るのを見て、手伝ってくれたのがきっかけでした。
それまでは私もいつもムスコの手元を見てきましたが、この時はほとんど見てやれなかったのです。
そんな日々が続き、私は教えること、怪我のないよう守ってやることを諦めました。私も火が絶えないよう七輪のそばに立ちながら時折は彼の動きを見守ります。
けれども彼に何かを言えるほど、彼の刃物づかいをみている事はできなかったのです。彼は自分で考えて野菜や果物を切ってくれました。
朝が苦手だった若者が多く、朝食は一人だった事も多くムスコは大きな助っ人になってくれました。
気づいたら私はナイフの使い方に口を出すのではなく、手伝ってくれて無事に並んだ朝ごはんを見ながらムスコに感謝の言葉を言うようになっていました。
ムスコはお料理の楽しさをその時に知ったそうで、今ではタイ料理も作るし、麺をうって(アレルギーのムスメのため)、ラーメンも作ります。
そんな彼も指を落とすような大きな怪我はしていません。
どうやら大人が思うような怪我は滅多にしないんじゃないかと、なんとなく感じています。
少なくともナイフで大怪我をしたって話を聞いたことありませんから。
ムスメは4歳くらいから自分で料理をするようになりました。
一年生になった今では自分の食べたい物は自分で作ると考えてくれているのか、朝、昨日からのご飯が残っていると自分でチャーハンやらカレー雑炊やらを作り始めます。
あるものを上手に使って作ってくれます。
早いうちにナイフを使えるようになったこと、火を使えるようになったこと、が彼女の楽しみを増やした様に思うのです。
きっと、ライフラインのない村で育った子供達にとっては当たり前のことです。
ムスメもここで多くの時間を過ごしましたから、自分が必要なものを大人に用意してもらう、とは思っていないようです。
こないだ道徳の教科書にこんなストーリーがありました。
そこにでてきた女の子は、7歳。包丁も火も使えないそうです。共働きのご両親が忙しい時に助けにきてくれたおばあちゃんが夕飯の支度をするのを見ています。そうして、支度が整い帰ってきたお母さんにこう伝えていたのです。
「私はテーブルを拭いてお皿とお箸を並べたんだよ。」
彼女がご家族に向けた気持ちは素敵だと思います。
けれどももう少し彼女が自分の力でできることがあったら楽しかったろうなあって思ったのです。
先進国は家族が別々で過ごすことが多いです。それがいいとか、悪いとかではありません。
暮らしの経験に関してはとても少ないのかもしれないな、思うのです。もちろん私自身の子ども時代も同じです。
暮らしの経験は積み重ね。それは小さい人にとって遊びです。
もしも大人が寄り添ってあげる余裕があれば、それを積み重ねたら一歳11ヶ月の男の子でも、男性が扱うような重たいハンマーを右手にもち、左手の先で釘を支えて打ち込むことができる様になります。そんな小さな人を私は見て来ました。
初めは驚愕でしたが、彼らの生き方が教えてくれたことがあります。
幼くても危険を回避する知恵があります。
逆に料理をあまりしたことがなければ大人になっても包丁は危ないままです。
この話はまた次に。
ムスメとムスコが大人様ランチを作ってくれました。
芋を蒸して油でカリッと焼いたものと、ピリ辛こんにゃく、高野豆腐と椎茸の煮たの、かっちり煮豆、お味噌汁。煮物は昆布だしを取ってくれてました。
何に驚いたかというと、食材がない中こんなにおかずをつくってくれたこと。
我が家には人参、玉ねぎ、ジャガイモと、乾物数種類しか置いてなかったんですけど、(冷蔵品はこんにゃくだけ、笑)それをくまなく確認してメニューを考えたその力に驚きました。
おいしかったなー。
自然食カフェさながらの美味しいご飯でございました。
豊かさを感じる感性は自分で作っていけるから。
なんでしょう、あの小さなタイの村で味わったほんわかした優しさを思い出すと、ホッとするのです。
時間に追われた緊張感のないあの暮らしとその中にいる人をふと思い出します。
日々の中に安心感がある人は優しさが深いと感じました。
そっとそえてくれるての暖かさも違って感じます。
気のせいかな、って思っていたけど、確かに違うのだと今は思います。
今日の話を綴り、最近、この話してなかったなーってーちょっぴり思うのです。
もう少し大目にこんな時間をとりたいな、って改めて思います。
あの村で味わった時間に追われない感じをもう一度自分の中に染み渡らせて、私のできる限りでいい、どっしり、ゆっくり、柔らかい日々を創り上げていきたいなと整理しております。
昔の日本にもあったのかもしれません。
けれど、私は知りません。
いつもバタバタしながら生きてきた感覚の方が強いので、意識して、まずは記憶をあの時、あの場所に戻してから今日は家族におはようを言おうと思います。
今日は昨日より気持ちよく過ごそう。
自分のために。
以下、インスタより転載です。
自給自足をしながら暮らす小さな村は男性も子どもたちにとても優しい人ばかりでした。
こうして手を止めて一緒に遊んでくれたり、すれ違うときにはいつも笑顔を向けてくれます。
暮らしの中で子どもがいるのは当たり前で、彼らの存在をとても大事にしてくれる、そんな場所でした。
その暖かさがどこから生まれてくるのか、ここで暮らして感じたことがあります。
彼らも大事にされて育ってきたのです。お母さんとムスコが漫才の様に仲がいい、そんな姿を見せていただいて、お母さんもご近所から支えられてきたんだなあって感じました。
抱っこされたり、一緒に遊んだりのスキンシップもとっても多くて、その大切さを私はここですごく感じさせて貰いました。
さて、話を日本に戻します。
子どもたちの通った幼稚園は、家族関係を育てる幼稚園だと園長が言っていました。
園長っていうのは通称で、ここの園はみんな名前で呼び合うので「エンチョー」が通称です。
子どもに教えるのではなく、園長、スタッフさん、親も子もみんなで日々成長し合う、それを意識してあえて先生とは使わないそうです。
ここでのスタッフ研修に時折参加させてもらいます。
毎回必ず、生命の誕生の奇跡から学び直すのです。
受精の瞬間のビデオをみんなでシェアし、お腹の中で育まれるという時間についての話もします。
そしてその命の源は、夫婦で思い合ったことによるスキンシップであり、家族同士が思い合い続けることの大切さにまで至ります。
私は育ちに問題を抱えていたこともあり、子どもを育む事については本で学ぶしかなかったのが現実でした。
自分が若かった頃、街の普通の暮らしで、小さな子どもと暮らす家族とじっくり関わることもなかったので本当に手探りでした。
本を読んで、情報を集めていいと思われるものを見つけてはそれを試そうとするけど、今までの思考の癖が邪魔をして、習慣に至るものはほとんど残らないのも事実でした。
そんな私にとって、ここでの学びは驚きでした。
子どもへの接し方、ではないのです。自分のあり方を問われる学びでした。
私が、望んで授かった我が子なのに、自分の心のキャパがオーバーして虐待に入りかける、そんなサイクルからどうにか抜け出せたのは園長お陰です。
園長は一人の命が生まれてくる事の奇跡を毎回私に刻んでくれました。
産婦人科の先生である在園児の親に話をしてもらったり、NICUで頑張るご家族もいたり、沢山の命を感じる研修をしてくれました。
リアルにそれぞれの人生に触れながら、命の尊さを感じます。
命が生まれてくる奇跡を忘れない。
それは我が子を大事にする思いと共に今でも多くの新しい気づきを与え続けてくれています。
自分と他人を比較する必要が無いこと。
まだまだ現在進行形です。
自分のペースでいい、焦らずに、自分で舵を取っていく、それを私の中に刻んでいます。
子どもを観察し、自分と違う人間である彼らを、他の人にするように敬意を持ちながら共に過ごすこと。
そこで味わった自分へのもどかしさは私にとって全て学びです。
自分の育ちからくる苦しみを受け入れられたのも、本気で変わろうと積み重ねてきた時間も、我が子に敬意を持ち、私の持ち得ない彼らの感性に心震えたからであり、彼らの人生の足を引っ張りたくないと思ったから。
私の今までの人生を全て受け入れる、そうして今のもどかしい自分も味わい尽くす。もどかしさは行動を変えるエネルギーにもなっていきます。
これから自分はどんな人間でありたいのか、日々考え、行動し、向かい続ける。
至らなさの中を生きる私の我が子への誠意です。
そして我が子の命だけではなく、自分の命の奇跡もあります。
自分の好きな部分の脇に自分の嫌な部分も抱き続け、自分のありたい方向に向かっていく。
自分にとっての大切な事さえ忘れなければ、未熟さは抱えていこう、そんな覚悟もきまりました。
夫婦でも同じです。
かけがいのない命を貰い、一生懸命生きてきたパートナーも、自分と同じ様に大事に思う。
感情が先に立つ夫婦同士だからこそ、時折それを意識するようにしています。
時々、子どもたちも受精の瞬間から始まり、胎児になって行く動画を見ます。彼らの方がみたがるんですけどね、笑。
こうしてみんな命を頂いて生きてるのに、つい目の前の小さな事で愚痴ってしまう自分の小ささに反省ですわ。。って呟くわたし。
命の誕生の瞬間に触れる、そして我が子が生まれてきてくれたこと、夫婦でいられることの奇跡を言葉のしながら溢れる感謝を感じて生きていたいと思う。
命の生まれ出る奇跡を学ぶ教育者の研修。
今の時代に必要なものかもしれません。
園長、ありがとう。
家族にもありがとう。
赤ちゃんはどこからくるの?
セミは羽化が進むとこうして羽をピンと伸ばし乾かします。
七色の光は新緑の緑になって乾いて朝になって茶色になり旅立って行きます。
もちろん残念だけど失敗することもあります。美しいだけではない誕生の瞬間。
ムスコが四年生の時、赤ちゃんはどこからくるの?と聞いたことがあります。
というか、今は普通の会話の一コマでもあります。
それをどう伝えるか、なんて時間をかけて考えたこともないけれど、やまに暮らす経験を数年し、言葉になったように思います。
いつか聞かれた時は本当のことを話そうとだけ思っていました。
だからこう答えました。
「交尾だよ、命が生まれ出るには虫や動物、植物と同じ、人も交尾をするの。」
こうして私たちは山で沢山の生まれ出る瞬間を感じさせてもらって、同時に生まれることがうまくできず死んでいく瞬間にも出会った。
虫が死んでいくということは循環の中にあることも知り、彼らは死ぬと他の生き物の食料になり、大地のエネルギーになっていくこと。
山で悲しさや悔しさと共に季節の移り変わりを味わったことで経験させてもらっています。
生まれてくることが奇跡、こうして生きて在る今の日々も奇跡なのだと私は思っています。
なので私は彼が興味を持つ命の誕生についてきちんと答えていくことでそんな想いも伝わってくれたらうれしい。
彼らが自分の生も他の人、生き物の生もかけがえなく感じてもらえたら何よりも嬉しいことだから。
「え!?後尾!??
父ちゃんも母ちゃんも!!??」
「ええ、生き物ですからそうしないと体の構造上無理なの。
リアルに話すと私も恥ずかしいけど誰しもがそうなんだよね。
パパと結婚して好きな人と一緒に生きていくことに希望を持ち、そこに新しい家族がいてくれたらもっと楽しかろうなっておもったの。
だから赤ちゃんきてくれないかなーって願った行為であなたたちが来てくれたんだよね。
嬉しかったよー。
来てほしいなーって時に呼んだけどちょっと時間かかったけどねえ。」
なんて話しながらついでに一言添える。
「うちはさ、そんな風にきてもらったからよかったけど、時々、今来てもらっちゃ困る時に赤ちゃん呼んじゃう人もいるでしょ。
まだ勉強したいなーとか、旅したいなーって時に来たら、赤ちゃんのお世話が面倒になっちゃうかもしれないじゃない。
だからあなたが大きくなって、好きな人と暮らすようになったとき、自分にとって、好きな人にとって、いつ赤ちゃんよんだら幸せかなってことは丁寧に考えて暮らしてね。
自分の人生も、好きな人の人生も、もちろん2人で楽しむ時間も味わって、今度は赤ちゃんとの時間をかけられるなーって思ったら呼んでほしいなってわたしは思ってるよ。
命のタネができてしまったらどうしようもできないから、そのことだけは、自分の人生がどうだったら幸せかを考えた上で動いてほしいな、と。
身体の構造的には高校生くらいでも赤ちゃんを産めるようにできてるんだよね。
女の子に生理があるように、男の子の身体も心も、大人になるために、それと子孫をのこそうという生物としての本能のために、変わっていくんだと思うの。」
ということも。
少し聞いてはまた時間が経ってから、じゃあさ、これはどういうことなの?って聞かれるので、なんか照れるけどねー、って言いながら伝えています。
変なことでも気持ちが悪いことでもないことを、彼らは自然界の営みからもうきちんと感じていると思うのです。
テレも含めつつ、こんな風に丁寧に伝えられるのは、子孫を残す、という自然界のサイクルをここで理解したから。
わたしにとって我が子は大きな喜びで、その命がやってくてくれた喜びを伝えたらいいだけだと思ったんですよね。
ホルモンのバランスで生理の頃、イライラしやすい時も伝えてます。
「悪いんだけどさ、生理だからイライラしやすいわー。全体的にあなた達にせいじゃないじゃないからあんま気にせんといて」って先手を打ったりもします、笑。
今日は1日目だからちょっとだるいわーっていうと気にしてくれるので、まあ、出血するわけだしね、しゃあないです!と言いながらいつも過ごしてますが、産む身体、女性の体のことをムスメにもムスコにも知っていてほしいと思うのです。
赤ちゃんを産む準備で子宮をお掃除しなくちゃいけないんだってずっと伝えてるので彼らもそれは分かっており、命の喜びもしってるのでオンナの人は大変だねーってムスコは最近言ってくれます。
気にしてくれてありがとー。
将来、奥さんできたら大事にしてあげてねー。
うん、わかってるよー。
がいつもの我が家のくだりです、笑。
全ては自然の営みです。
人間の身体も自然の営み。
自然の営みを伝えていく大切さも自然界から教わっています。