まっくろけが当たり前の暮らし。
我が家はライフラインのない村で暮らしておりました。
今は日本でオフグリットライフ。
ジャングルにいた頃、真っ黒になって暮らしていました。
みーんなくらすための生活をしていますから真っ黒です。
でもその感覚が心地よくて我が家は今でも土の上で暮らしています。
暮らすための仕事を一日する。
畑を耕し、家を建て水道管を修理する。
山に入り竹をかりだし、稲わらを運び土壁を作る。
もちろん真っ黒けになった服は、毎日洗濯をしてお天道様にあてていますが、真っ黒けは落ちません。
ついでにご飯を食べるのもほとんど地べたに座って食べます。
子どもたちも地に足をつけて遊びます。
おもちゃもないですから、森と大人が使う生活のものがおもちゃなのです。
木登りをし、猫と遊び、葉っぱを延々に並べ続ける。
葉っぱの上にお花を並べておままごとをしている後ろで籾殻の薫炭を作っている写真がありますが、あの中には焼けた炭が入っており、危ないこと、ともとなりあわせです。
子どもたち同士で気をつける感覚を身につけます。
サラリーマン家庭で育った私はアウトドアくらいでしかキャンプをすることもなかったですから、真っ黒になることもなかったけど、真っ黒になるっていいです。
汚すと洗濯が大変、っていうのは街に住む人の感覚なのだと知りました。
そんなことどうでもいいことだったなって気づいちゃって素足を地面につけて暮らす方がよっぽど気持ちいいことを知りました。
アーシングが流行ってるのはそういうことなのでしょうかね。人も動物なんだーって気付かされます。
私はお洋服&ふんぱん作家、和アート手仕事を生業にしていますから、日本での暮らしでお出かけするときは自分の1番のお気に入りを着て出かけます。
でもそれと同じくらい、私は真っ黒けの服も大好きです。
一年のうち、5ヶ月も雪に閉ざされてるので、冬の間は大好きなリネンのワンピース、土が顔を出し始める時期になると私は真っ黒けの服に着替えます。
真っ黒けの服にを着ることで、私はこうしなくちゃならない、という染み付いた感覚を手放せちゃうんですよね。
真っ黒は私の今の精一杯の生き様だって思えてくるんです。
身体が動くのだから日々を精一杯生きる。
私の好きな生き方です。
真っ黒けの感覚を知らなかった頃の私は、人の目を気にする人でした。人の目を気にしての身なりを作ってきました。
でもね、こんな体験をしたことと、自分の大好きな服を仕立てるようになって思うんです。
身なりから人なりがあらわれるといいますが、だらしがないことと、日々自分が決めた仕事をして真っ黒けになっていることとは全然意味が違うよね、と。
農家さんのつなぎが汚れているように暖かくなると私の日常着もこうして汚れていきます。
だから子どもの日常着も真っ黒なんだなーって今更ながら思います。
たくさん遊んで嬉しい気持ちがこの真っ黒の中にこもってる。
真っ黒の子どもたちの服を洗うのは幸せなことです。
綺麗な身なりが好き。
それが本当に好きなら、それは素敵なことです。
きっと、その人の生き様がその中にあるのでしょうから。
でもそうでないなら見かけに時間とお金をかけるより、自分の日々を一生懸命生きるのが心地いいと思います。
情報の溢れた現代、物欲はうまいことコントロールされがちです、笑。でもそれではお金を稼ぐこと、に沢山の時間を費やしていきます。
サザエさん症候群を抱え、「しっかりとお給料のもらえる仕事につく」よりも、ちょっぴりお給料は減っちゃうけど、空いた時間で好きなことをしたり、好きな人に会える方がワクワクと生きられる気がするんですよね。
そしてね、私もハッとししたことばがありました。
これから先を心配してくちうるさくなりがちな母だった私。
先の心配するより、いまを楽しくいきたらいいじゃない、って言われてハッとした。
もう、ぐーの音も出なくて。
そう言えばそうじゃんねって、大笑いした。
それ以来やめました。
まあ、子どもたちに言わせたらそれでもまだあるかもしれませんが、笑。
我が子の人生は自分で経験して作っていくものですからね。
伝えたいことはタイミングを見て一回言えば十分。
それで必要なら吸収していくし、タイミング違えたら入っていかないし、本来はきっと、ただそれだけですよね。
今の日々を穏やかに楽しく過ごした方がよっぽどいいです、笑。
自分が生きてきた世界で起こったことは自分にとって当たり前すぎて、そのままされてきたようにしちゃうんです。
けど、このちょっと変わった暮らしが「綺麗な身なりをなぜするのか」を考えさせてくれて気づいたことは数知れず。
あとね、旅。私のちっぽけな常識は世界の非常識だって自分の中であっさり斬られてます、笑。
自分は何が当たり前だと思っておるのかを丁寧に調べていこうと胸に止めながら生きております。
その当たり前で自分が幸せになれたのだとしたらいいんですけれどもね。
それくらい暮らしていける事がなんとなく当たり前の時代を生きていきてきているので、その作業を丁寧に行いながら感謝に気づく心を持ち続けたいです。
歩いて降りる山もあたり前に気づかせてくれます。
自分の見てこなかった景色の多さ。
歩いてみると沢山の美しさに心震えます。
心震える時間が少ないことも当たり前だった。
これからはたくさん心震わせながらいきていきたいな。