日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

ぶきっちょDIY。お風呂のコーキング。

できるとこまでやってみる。

 

だってね、旦那さんってば忙しいんだよね。

なのでもう待ちくたびれたし、怒ったり愚痴ったりするエネルギーを行動に変えてみようとおもって。

 

思えば、だいぶ愚痴る習慣がなくなった。

困ることは困ってるよーって相談するし、イライラしてるときは、その原因は実は、目の前にいる相手にあるのではなく、(例えば)自分が今朝からずっと引きずってた感情なのでは??って自分のパターンを思い出してみるんだよね。

大抵、子供たちのせいでも旦那さんのせいでもなく自分の問題だったから、今回もそうなんじゃないかなーって、ちょっと離れたとこから自分を見るようにかんがえられるようになってきたきがする。

 

イライラしてる最中にいるときは、参ったなあって自分の感情に思うけれども、そこを過ぎてみたら、自分を観察できる自分になれたことが面白いなーっておもう。。

そうしてイライラしてごめんねって謝って、イライラしてた理由と、本当に自分が伝えたかったことを伝えなおす。

 

そんなことを繰り返してるうちに、素直な自分がどんなか一つずつ紐を解くように見えて来るようになって面白いなーっておもってます。

今まで、素直な自分のつもりでいたけど、こんな風に言いたくないのになんで言っちゃうんだろう、って思うこともあって、素直がなんだかわかってないなあって数年前に気づいてしまったんだよね。

 

ようやっと素直な自分が感じられるようになってきて、わたしはどうしたいのかなーって思いながら日々を積み重ねてたら、わたしは、愚痴を発散するんじゃなくて、大事に思うなら気持ちよく自分が過ごせるような関係性を築いていきたいし、そうでなければ、そこに無駄な時間とエネルギー使わずに自分の好きなことに時間を当てるために関わりたくないしっておもうようになった。。

 

なので自分がそうしたいなら、できないからって理由で人任せにするんじゃなく、やってみて本当にひどいねー、って知ってもらって手を貸してもらう方が早いし気持ちいいんじゃないかって思ってやってみてます。

 

お風呂の排水溝周りのコーキングが冬の凍結により、剥がれかけてて、みずもれ。

旦那さん、忙しいのと、彼的に興味なくて長いこと放置→頼んでたけどわたしがもう限界→じゃあ、やってみるかー。って流れ。

わたしは握力弱過ぎてコーキングガンが苦手。

でもやってみるしかない。

 

コーキングガンの練習でガンに集中し過ぎて、絨毯にこぼしてるでしょ、笑。

もう、ダメダメのわたし、笑。

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もう焦っても仕方ないから立ち入り禁止の札を立てて、乾いてからはがしてみることにしましたよ。

できるかな??→(できましたー!!ペロンと剥がれた♬)

 

そして、この件でひえーっておもって、練習終了。

さっさと本番に。

お風呂に入ったら排水溝だけでなく床周りも気になってくるりとコーキングかけたら、うっかりつかいすぎて、なくなって、2本目を買ってきてもらって次の日に追加。

 

ほら、どうにかできました。

多分、漏れてません。

でも、ひどい出来上がり。

人様にみせられるものではないけど、自分でやってみた経験ってすごく価値のあることで、いやだったことが嫌じゃなくなるってすごいことだと思うのです。

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そしてきづいた。

これ、パティシエさんならうまいかもしれない!!

 

へたでも、何事も経験。

やってみて出来上がりがどうであれ、恥ずかしくもなくなってきた今日この頃、笑。

初めてやったから仕方ないし、自分と家族のためにやったのだからこれでヨシなのです。

そしてね、暮らしの経験はできる限りしていた方がこの先の不安はどんどん減っていくと思うのです。

 

そんなわけでこんなでもやってみてよかったなーっておもってます。

多分水漏れは止まりました。

 

家族皆に感謝されて、嫌々やったくせにやっぱり嬉しい。

 

次はもう少しマシにできる気がする!!

コーキングイヤイヤ病がスッキリ解消しました。

どんとこい!!

って思えるようになったから、暮らすのがまた一つ楽になりましたよ。