日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

自分の人生と向き合うことで今を超えていくしかないよね。

休講が続いており、夏休み短縮の話が持ち上がってる。

友人が、もう以前の状態には戻れないよね、という。

なんとなく私も思う。

 

このまま今までの状態に戻れない人も多々出てくるだろう。

東日本大地震の時、私は息子が生まれてたった一歳。

原発事故により、彼らが生涯にわたり、私たちの便利の負債を背負うのかと、しばらく憤った。

東電と政府にすべての責任をとう世の風潮に疑問を持った。

 

便利を使ってきたのは、私たち全員だ。

人間だけではない、動物も植物も含めて、これからを生きる小さな命がそれを背負っていく。

奇形で生まれたウサギ、はっきりと公表されてないけど身体が弱い子供たちもいるのかもしれない。放射能数値が高いキノコ、野菜、海産物。使えなくなった豊かな大地。

そこからとめどなく流れ続ける放射能たち。

 

こうなった理由は私のせいでもあり。

私が知らなかったから。

便利の背景を知らなかったから起こったこと。

 

コロナウイルス でまた新たな問題は見えてきたよね。

元に戻したいと思う人がいる。そりゃそうだよね、とおもう。

でも果たしてそれは幸せか??ととうじぶんがいる。

 

忙しいゆえに、子どもは子どもで過ごし、高齢者は高齢者だけと過ごす。

それか母子だけの時間が毎日続いてる現状。旦那さんはいとこは働いてお金を届けてあげるのが家族のためだと思ってねるじかんもおしんではたらく。そうして夫婦の家族への想いはすれ違う。

多様な人との関わりが薄い日常は人の知恵を引き継ぐことのできない暮らしかたになった。

 

夫婦で会社で働くばあいはさらにお金は得られる。

子どもは保育園にいく。子ども同士で過ごすのはいいよね、って大人は言う。

でもよっぽどの事情がない限り、起きてる時間のほとんど全てを友達と過ごしたいって子はたぶんあまりいない。四時ごろになれば、みんな親を思い出すかおをするのも知ってる。親のお迎えにスパンと走って行く子どもたちの後ろ姿を何度も見てきてるから。泣きながら親を見送る、って小さな心にはとても悲しいことじゃないかなって感じてきたから。

彼らが時間をかけて親の現状を受け入れてくれてるんだろうな、そうおもう。

 

そうして得たお金で好きのものかって有機野菜買って、レジャーして過ごす。

 

こうしてみんながくるくる働いた分、世界各地に飛ぶことも容易になり、海外で大量生産することも可能になってし、他の国の資源を分けてもらうこともできるようになった。

100均は便利でやすくてすごい。

 

でもその代償がここにきて現れたよね。

100均の便利グッズ。買い物に行けない不便さ。1つのものを工夫して使っていた時代はそうでなかったろう不安。

 

大量生産の輸入品が品薄になった。マスク。多分中国産の食材も。輸送手段が減ったことで、医療品を含めて本気で困ってる人もたくさんいるだろうな。

 

生産活動が止まって各地の空が一瞬綺麗になったときく。

石油製品を始め、大気汚染の原因がたくさんある。pm2.5とかあっても当たり前に暮らしてるけど、便意になった分、ゆくゆく病気になる生き方をしてるのは間違いないだろうな。

 

レジャーがないと家族で遊べないお家がある。

遊ばせてもらわないと楽しめない、それも1つの問題なんじゃないかな。

レジャーへの疑問もある。

私もそうしてきた時期があった、でもふと気付かされた。

親が選んだそのレジャーは果たして子どもにとって本当に嬉しいのかなということ。

ねえ、まだ着かないの?、それが毎週末だったなら、ちょっと疑問符。。

 

 

そしてね、私は改めて問う。

震災後、私が生かしてもらったそんな時間の中で、その暮らしの便利さゆえに誰か苦しんでなかったろうか、って考えてる。

低賃金労働者はもちろん、たくさんの病の人に出会った。それに現代の暮らしは反映せれてないのかな、と。そして自分の周りの人がうつなどこころをやんだりしなかったかな、とも考える。

 

家族での暮らしが忙しくてコミュニケーション取る暇もなかったこともあろう。

私のわからない理由があるのだろうが、昔とってもなかよかった友人の旦那さんが、浮気したらしい。そもそものコミュケーションがどこかですれ違い続けたのだろうし、お互いがそこをすり合わせられなかった責任がある。その話し合いをした時から友人は旦那さんから、罵倒を浴び続るそうだ。けど、彼らは、子どものために、と一緒に暮らしてるらしい。

浮気なんて動物ですから昔からあったんでしょうけど、コミュニケーション不足の状態が続くほどの忙しさがこの時代にはあるし、夫婦で助け合うこと、思い合うことを、正直、核家族の今、教わることってだいぶ少なくないのだろうと思う。

夫婦のコミュニケーションは積み重ねだよ、思い合うことでグッと家族になって行くから、って経験者が言ってくれていたら、どうだったのだろうか、ってふとおもう。

 

これからどう暮らして行くのがいいのかな、ってかんがえてる。

多分戻れば幸せかっていうと、もう潰れてる企業が出てる以上、戻ることはできない人がたくさんいるよね。

そして、このどうしようもなくひろがってくコロナウイルス に負けないためには、とりあえずは身体作りなんだろうしな。

自分たちが食べ物をどうやって食べてるのか、とう。

少ない時間の中かきこんでたべてきたじかんがながいほど、身体にふたんかけてきたんだろうなとか、加工食品食べつづけたぶん、よわってるだろうな、とか。睡眠時間が少なかった分、抵抗力おちてるからやすまなきゃ、とか。

 

もう、こんな日常の底辺から固めて行くことしかかくじつなことはないきがしてる。

私もよくわからないけれど、鹿やウサギなど、野生動物と同じように昔は暮らしてたわけで、今長寿なのは、今の後期高齢者の方が、美食じゃなかったからなんだろうなってことは想像つくから、それをヒントに考えたりしてね。

 

コロナ前の自分と家族一人一人が幸せだったのなら、戻ろうとする力に協力したらいいとおもう。

 

多分、今、一番考えにゃならんのは、本当に自分は幸せを感じながら、自分を好きで行きてこれたかってことだよね。

そして周りのそんな自分といてしあわせかんじてくれたかな、ってこと。

 

学校にしても、好きな子もいるわけでその子にとってはいいんでしょうしね。

 

そんなわけで前編長くてすみません。

最後に娘の幼稚園の園長から卒園へのメッセージ。

トイレに張ってうんうん、っておもってます。

今この事態を超えられるかは家族とのかんけいがとても重要だと私は感じてるのでシェアしようと思います。

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