日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

日々の中で、自分が大事にしてるものは何かを確認する作業

これってね、つみかさねでできるようになっていくんだとおもう。

 

何かがあった時に突然使える力じゃない。

今自分が大事にしてるものは何だろうってその都度考えていく。

それが私の日々。

 

〜夫婦喧嘩〜

〜それぞれにとっての家族〜

〜日々の中にあるたくさんのこと〜

〜自分が大事にしてることを理解して腑に落としていく作業〜

 

 

〜夫婦喧嘩〜

一昨日、久々に夫婦喧嘩をしてね。
今すぐに答えは出ないから、と旦那さんに答えた。
怒り続けてるわけでもなく、その後もふつうにいっしょにご飯食べて顔を合わせて暮らしてる。私の答えが見つからなかっただけ。

 

〜それぞれにとっての家族〜
それから2晩。
お友達がふっと元気?ってメールをくれた。事情があって、暮らす場所を2つ持っている彼女。
旦那様了承の上、彼女は年に数ヶ月子どもたちとこっちに帰ってくる。
海を渡った先にある家族のお家に旦那様は一人残る。
いつまで続くかわからない状況が突然迫ったいま、会えなくなった胸の内を聞かせてくれた。
とは行っても、彼女は我が家の事情は知らなくて近況を聞いたら答えてくれたという流れのなかで、だけどね。


こっちと家族全員で暮らす場所を行き来してる彼女が「家族であること」をいつだって必死に考えてきたのだろうということは、彼女と話していてずっと感じてました。だからこの事態に、彼女が思ってることを聞いて共感したし、胸がきゅっとなった。そして、これが収束したらもっと一緒にいたい、っていう思いも、すごくきょうかんした。


私も自分がしたいことのために、家族離れて暮らしたことがあるから、私なりにすごく共感してしまってね。


そしてこの三年くらい、ご主人をなくすことになったお友達の、「何を聞いてもらっても、実体がないのがさみしいのよ。」って言葉。いまだに涙しながら、いつも心に残り続けてる。

 

〜日々の中にあるたくさんのこと〜
日々、いろんなことがある。

振り返ることの減った私だけど、こんな年に卒園を迎えた娘に在園最後まで幼稚園を思い切り楽しませてやれなかったこととか、少なからず残念だな、って思いをいまだもってたり。

もうじき卒園だね、って少しずつ実感得て、巣立たせてあげたかったなあって。彼女が整理する時間がほしかった。


最近ね、私にとって大事なことはなんだろう、ってその都度立ち止まって確認する。


そしていまおもうこと。

目の前に娘がいるから。生まれてから2度も死を目の前にしてここまで一緒に暮らしてこれた。

ここ数年、ブレずに一緒に生きてきた時間があって、それによってついた関係があるから、今出来るベストを過ごした、それだけでいいんじゃないか、ってすかんとぬけた。

大事なことはいまの娘と、そばで笑えること。私がこう育って欲しいと押し付けるのではなく、彼女がどうやって今を生きたいのかなって、考えていくことを、今の私は少なからずできるようになりはじめた。

これ以上欲張らずに、目の前を受け入れたらいい。

、、、、そうおもえた。


旦那さんとの喧嘩も、積み重ねてきた時間があるから、これから焦らず解決していけばいい。

解決の答えはまだでない。それでいい。

でも自分の思いを付け足しすぎて必要のない、イライラをつみかねたことを、まずはあやまろう。

伝えたいことにつけくわえた余計なものを取り除いたら、また新しいものがみえてくるから。

いろいろあっても一緒にいたいと思うからできることを1つずつこうどうにしていく。


その人を大事に思う気持ちを大事にする。

 

それは積み重ねでどんな時もゆるがないし、お互いの希望になる。

 

〜自分が大事にしているものを自分が理解していくふにおとしていく作業〜

それとね、自分が大事にしているものはなにか、って考えるのも積み重ね。

いいことがあった時も、一見いやなことがあったときも、自分が大事にしてるものを確認する作業に変えたら、嫌に見えたことが自分を支える軸に変わる。

 

ああ、自分はこれを大事に思ってたんだ、と。

相手との価値観の違いなだけだから、自分は自分でいい、っていうこともみえてきたりする。

 

自分が何を大事にしたいのか考える日々。

自分の思いと相手の思いの違いに気づく日々。

相手が大事にしたいことに気づく日々。

そうして自分はどう行動していくかかんがえる日々。