日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

自分が自分らしく生きるために

自分の生きてきた道を振り返る。

わたしの自分らしさがどこを見つめることで蘇ってくるのかが見えてきた気がします。

そういう作業ができる人様とのおつきあいをしていけたら生きることが豊かになる、そんな気がします。

だからわたしは、子どもたちと幼稚園にいく。家族とすごす。

どこかの自己啓発の講座にいくより、この毎日することの積み重ねがわたしに気づいて変わって行くことを習慣づけてくれるのです。

楽しいことと苦しいこと、うれしいこととかなしいこと。感情はもっと複雑で繊細です。でも苦しいこともひとつ超えたら、超えられた自分が好きになる。そしてそこのところでもうくるしまない。

そう気づいた妻にしてもらって12年目、母にしてもらって9年目。

 

 

わたしにとって自分の課題を超えていくために必要な大きな作業。

自分が母にならなければきっとしなかったであろうこと。

 

我が子といると、自分の育ちの課題にぶつかるから。

わたしはなぜこんな胃可愛い我が子にイライラしてしまうのだろう。まだこんなに小さいのに。

なぜ子どもの寝顔を見て毎晩反省してるんだろう。

我が子が私を悩ませるような行動をするのはなぜだろう。

 

ここから始まったわたしの問いは、今は、いろんな場面でわたしに課題を投げかける。

なぜあの人のこの言葉が引っかかるのか。誰かのあの行動が気になるのか。

こういうときにいつもイライラするのは自分がこういう場面で不安な気持ちになるからだ。なぜそんな気持ちになるのか。

 

なぜ自分にたいしてもどかしくなるのか。

自分は今なぜこういう表現をするのか。

楽しい時間は嬉しい。怒りの表現も自分の一つであり、いいのだけど、わたしは今、怒りの時間を減らしたいと思ってる。そう思ったり、そうかんじたりするじぶんのこころとどうむきあっていきたいのだろう。

まだまだ抜けない自分の外からの目を機にする気持ちとどう向き合っていこうとしているのだろう。

自分が今、めのまえがおもいどおりにいかないとき、それをどう自分の中に消化して生きたいのだろう。

どんな人として生き、どんな光を持つ人として自分は今、そしてこれからを生きたいのだろう。

 

自分がいつも消えたいとおもっていたきもちは、我が子に出会い、わたしに課題をきれた。

こんな気持ちで我が子といていいのか。

わたしといることが、この子に対しどんな影響を与えるのか。

 

そう思ったときに、自分の育ちを思い出した。

それとね、我が子が泣き続けるときに不安になる自分が嫌だった。どうしようもない不安は我が子が大きくないるにつれ、怒りにもなっていった。

わたしなんでこんなに怒ってんだろ。寝顔にいつもあやまってね。

 

そりゃそうだよね。

自分も必死で疲れてるのもある。

けれど疲れてるなんていっちゃいけないという思い込みもあった。

母たるものおおきくならないとと。

 

んである日、気がついた。

わたし、自分がされてきたことが染み付いていて、記憶にないことも身体が覚えている。

してもらってきたように育ててる。

4歳の長男を投げ飛ばして、はっとした。

わたし、やばいわ。

一番したくなかったことしてる。

 

両親を思い出し、自分の育ちを一つずつ思い出し始めた。

今でもわずかしか覚えていない。

きっとおぼえていたくなかったんだなあとおもう。

けれどもここと向き合わないと、この課題は超えられない。

 

毎日毎日、こどもとすごしつつ、整理していった。

一人では無理だった。

多分大家族の時代はこのところは良かったのかもしれない。

誰かがその子を大事にしてくれてる。おばあちゃんとかおじいちゃんとか、お母さんのうちもあるし、お父ちゃんのうちもあるでしょう。今でも近所のおばあちゃんが大好きな子もいると思います。

 

ありがたいときに、わたしがこの課題を超えるときにそばにいてくれた人がいた。

旦那さんが育休を取ってくれたから。

そしてね、家族丸ごと受け入れてくれた場所があった。

そこで子どもたちが安心を取り戻していった。

 

もちろん、旦那さんがいてくれたことが一番大きくて、子どもたちはうちにいることに不安を持たなくて済んだ。うちの二人目は、今その繊細さを言葉で表現するようになり、わたしがイライラしそうな日に旦那さんが出かける予定だと、「サッ子、イライラしたら怖いから行かないでよー。」という。ああ、そうだよね。大分対等な関係になったわたしと我が子だけど、母ちゃんの爆発は、冗談通じないで起こり続けるからこわいらしい。はい、反省。旦那さんの時は大ちゃんが男子ジョークでおバカなことをいうのに笑って終わる。

子どもの繊細さに改めてハッとする。怒りの表現は嫌な気持ちになるよね。まして母親だからちいさな子どもには逃げる術もない。

ごめんね、わたしも切り替え上手にならないとね。

 

でも、こういう風に表現できるようになったのだからよかったのかもしれない。

 

「はい、怒る感情と伝えたいことは違うもんね。今日はおこらないようで伝えられるように頑張ります。ごめんね!!」そう、答えては自分にその言葉を染み込ませてます。

 

初めは我が子との関係を改善するために始めた育ちとの向き合いは今はいろんな場面でつかう。

旦那さんとぶつかりそうになった時、だんなさんはなんでそうおもったのかな?と彼の過去も想像しながら考える。

誰かの行為が気になった時もそう。なぜその人がそういう行為をするのかを想像した上で、自分がなぜそれが気になるのかを考える。

 

そうして相手の抱えた問題と自分に与えられた課題を整理し、相手へのイライラや、戸惑いに対する自分の気持ちを整理して行く。

怒っていても仕方ない。愚痴っていても仕方ない。ただその人がなぜそういう行為をするのかを自分の中で整理したり、疑問を聞いてみたりしながら目の前を受け入れていく方が自分が楽だものね。

 

自分が楽になるために、もう少し成長するためにわたしは27歳まで受け入れられなかった自分の育ちとむきあってゆく。

両親もそう、きっと自分の人生の中で受け入れたくないことだらけだったのかもしれない。そこによりそってくれるひとにであえなかったかもしれない。

自分の過去に辛さを抱えた母がわたしにしてきたこととしてきてくれたこと。わたしの言葉を受け入れてもらえたことはほとんどなかったけれど、母が語ったたった一つに自分の昔話から(自分の昔の話をしたことのない母だったから。)、親戚のおばちゃんにわたし自身で聞いて調べたこと。

わたしが自分で母を恨むのではなく理解しようと思って取った行動だという自分自身の自分への賞賛とともに今は以前よりずっと母の現状を受け入れられるようになった。

 

そうして平和を自分で得て行く心地よさを行動を持って体験できた。

母の人生を持って教えてくれた大きなことは、わたしが平和に生きて生きたいなら、自分の心で平和を作り出していきなさい、だったのかもしれません。

 

自分の過去と向き合うのは難しい。そういうことを夫婦でできることがありがたい。毎日の過去を聞いてもらってうことで自分がどうしてこうなったのかをかいまみていった。自分と向き合い調整して行く。おたがいを理解しながら積み重ねて行く家族の時間。いつもありがとうね。そして私たち家族を支えてくれる園長たちと、五郎さんご家族に。こうして支えてもらえるから自分の辛かった過去を整理していけるのだと思います。そうじゃなかったら今頃、うつのくすりのんでたわー。自分の現状を受け入れられずに。

 

家族で心から笑える日々が幸せです。

いろいろあるけれど、苦しみをどう超えるか、どう楽しく生きて行くかは自分次第。

わたしなんて、じゃない。自分に誠意を持てる今はありがたい日々だなって思います。

 

昨日は大雪。20センチいじょうあったとおもうー。

ニワトリ小屋が開かなくて大ちゃん大活躍。

これ、外玄関開ける途中です。

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この雪の暑さから見た外の世界。

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最近の大ちゃんはパパがいない時も大きなすけっとです。

調理器の調子が悪くて困っていた時も分解して直してしまうし、薪ストーブもいい状態でキープしてくれてるし、ニワトリ小屋のコンクリが寒さで上がってしまった時もバーナーで上手に焼きとかして、扉を開ける。本当にすごいなあと尊敬してます。ありがとう。