その12(便利さゆえに、身体に合わない暮らしをしているのかもしれない、ということ。)

私の冷えの話をしようとおもいます。

 

漢方を飲んでも、腹巻きしてお白湯をのんでも、お灸をしても、幾らかの期間筋トレしても全然改善しなかった冷え。それどころか、今の不調はほとんど冷えとストレスからきたものと、かんじています。

 

個人的なことになりますが、その原因は、親との緊張関係による血管の萎縮、腸の萎縮による便秘、ストレス発散による砂糖の取りすぎ、親の期待に応えて過食傾向だったということ。。。

とみています。漢方を2年以上も飲んで本を買っては冷え性の改善のためのピンポイントを制覇して。。。

けれどもね、どれを読んでも、全体的な生活習慣の改善は書かれていなかった気がするんです。私に響かなかった、といった方がただしいかな。

 

甘いものを控える。と書かれていても、この癖はすぐに治りません。だからすぐにリバウンド。知識ばかりが増えて行きました。

 

控える、というのは甘いものを断たねばならない、ではないと思っています。無理をしないで三年はかけて控えられるようになって行く。今の私は毎日疲れて食後に甘いものを欲していた頃とは変わってきています。やっと、今はなくても大丈夫。

そして食べ過ぎることもほとんどなくなってきました。美味しいものでストレス発散しなくてもいいから。でもこれもまだもう少しかかると思います。ゆっくりゆっくりむりせずに。

 

そうして身体が軽いことを知りました。だから動ける。と、同時に身体が暖かくなってきていることを感じられるようになりました。夏でも芯が寒かった身体が素足でもオッケーなくらいの暖かさに。

我が家のホームドクターの支えと、ここでの、自然な暮らしのおかげで大切なことを身をもって知りました。

 

そう、寒い日にアイスなんて食べません。日頃からたくさんのハーブをとります。サンドットさんは何に効くのか把握しきれないほどに種類があるハーブをとっています。野菜だけではなく、木の葉や花、実も。それもおしゃれにというわけでもなく、いつだってシンプルに。

 

でもそれが昔からの知恵なのでしょう。そうして日頃からとって、丁寧にカラダと、心とお付き合いして行く。昔は日本でもそうだったのでしょうか。忘れてしまった文化がもったいないなあと思います。

 

いつの頃からか身体に必要なものと、欲で欲するものがまぜこぜになってしまったのかもしれないと感じています。

 

すっかりみんなにジャングルガール。と呼ばれるようになりました。山岳民族の子みたいだね、村の人にも言われます。村長さんちのことはすっかり兄弟。

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こんなに思い切り遊んで7時には寝てる、10時間はひたすら寝続ける。そうして身体も心も休めて次の日にはまた遊び始める。彼らの日々はいつも楽しい。大人もこうして生きていけないものかな、そう考える今日この頃。

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その12(自然の中での暮らしは、ただただ受け入れるとしかないことがたくさんあるということ。)

24時間以上も続いたバケツをひっくり返したような雨。夜中にもざんざか降る雨にも目げず、その音を聞きながら眠る。

 

個人的には欲を手放せたら楽だろうなと思っているけど、欲を持たない方がいい、と言いたいのではなく、ここでの暮らしは、受け入れるしかないことが多いことに気づきます。

 

この雨もどうもしようもなく、家の中でできる仕事をしながら、雨がすぎるのを待つしかないんです。濡れてしまったら服が乾くのを待つしかなく、ただただ受け入れるしかない自然の中での生活。

 

ここでの暮らしを経験すること三年目、今年の大きな気づきは、ただただ受け入れるしかないことがたくさんあるということ。

 

日本で暮らしていた頃はお金で解決できることも多かったし、小さな頃から欲を叶えてもらうことに慣れていた気がします。だから小さな事でイライラしていたのかもしれません。

 

子どもたちが時々うるさーい!!って感じてしまう事、笑、せっかく出かけようと思ったのに車が壊れちゃったり子どもが熱を出しちゃたこと、自分の時間が取れなくてイライラしてしまう事、うまくいかない事だらけ。それを自分にせいにし、人のせいにし、何かのせいにするくせがついていたのだろうと思います。

 

これらがうまくいかないのは、私だからであり、でも決して私のせいではないのかもしれません。この雨と同じ、自然な事。自分が不器用なことも、人とのコミュニケーションがうまく取れない環境で育ったということも、全て、私にとって、ある意味、「自然の流れ」だったのかもしれません。

 

まずは目の前を受け入れる。受け入れてみたら、この雨のように解決の方法が見えてくるのかもしれません。

 

この雨は私に、ただただ受け入れるということを教えてくれました。ここの人が穏やかなのは、こうして自然の中で暮らしているから、ここで暮らすために、自然を守りながら自然と共に暮らしているから、どうしようもならないことを受け入れられる力が大きいのかもしれません。

 

昔の北海道で暮らしていた人は、死なない程度の寒さは耐えたのだろうと思います。だから身体を冷やさない食生活をしたり、夜も火を絶やさない知恵を生み出したり。ストーブ焚いた部屋でアイスを食べる醍醐味を北海道の人は持っているけど、それでも外に出ると寒いので身体にとっては矛盾を生じるのでしょうね。こうした暮らしがたくさんの病気につながる現代になってしまったのかもしれません。

 

私が漢方を飲んでも、腹巻しても、ツボ押しをしても冷え性が治らなかったのは生活習慣に問題があることに気づかなかったから。その話はまた次回に。。

 

子どもたちと夕飯を作ります。ロングビーンズ。

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畑から集めた野菜と一緒に。

 

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その11(ただただ待ち続けるだけの雨の一日。)

ジャングル今日は朝からひとつきぶりの大雨。絶え間なく降り続いています。壁のない我が家は雨の中の雨宿りの感じ。

 

日本でアパート暮らしの我が家はふた部屋と、小さな窓が3つ。北海道は二重窓になっていて、ここは昔の作りなので、内窓は曇りガラス。夏場は内窓をあけて日をいれますが、冬は凍りついてあきません笑。居間の窓だけは凍らないので時々日を入れますが。

 

そんな日本の普通の暮らしをして来た我が家ですが、ここに来るようになって三年目。雨のリズムをつかみ、この雨が何日間か続くことを予想して、万全の対策を立てる一日。

 

雨が続くと気温が下がるので、お茶を飲んで暖をとるしかないので、焚き火をできるようまきの準備。
洗濯物が乾かないので洗濯物を極力減らす。日中着るものは二日くらいきる覚悟で。洗濯したら、焚き火の上で干して僅かでも乾くように。

 

体温を下げないように極力服を濡らさない。(子どもたちはそれでも外に飛び出して行くので仕方ないですが。) 体温が下がらないように上着着たり、生姜茶飲んだり。

 

三年目の経験が生きて雨宿りの家を楽しんでいましたが、気づいたら雨漏りが!!!!!寝袋1つやられ、この雨が済むまで寝床が1つ、減ってしまいました。。でも旦那さんがさっと屋根に登って応急処置。って、さっと、ってここの人に少しは近づいたかな。。もう一箇所の雨漏りは蚊帳の上にビニールを敷いて応急処置をしています。どうにか乗り越えられますように。

 

風邪気味の私は布団に入って暖をとりつつ、雨音の響く森を眺めながら昼寝です。やはり気温の下がってきた森の中は少し心もとなく、動物たちが雨の日は外に出てこない意味がとてもよくわかります。これが洞窟だったならもっと暖かかったでしょう。

 

こうして、人にとってはちょっと厄介と思われがちな雨。でもこの雨はひと月続いた乾燥した大地を、潤してくれています。植えたばかりの苗に毎日水をあげていた私にとって、この雨が与えてくれるものの大きさを感じずに入られません。

 

昨日雨が降りそうなのを察して耕した畑に一気に種を蒔き、稲わらをしいた小さな畑にも雨は深くまで浸透していってくれているようです。水やりでは補いきれない地中まで染み渡る水を雨は余すことなく与えてくれています。この休みなく続く雨が硬い豆を売るかし、根を張り始めた苗に勢いを与えてくれることを実感として感じることができます。

 

この雨の後は、一気に植物が潤いをまし大きくなる。暖かいこの土地での雨は植物の育ちをぐんぐん、目に見える勢いで早めてくれる存在。

 

そしてまたその雨は、近頃泉からやって来る、水が減り始めた我が家の生活を支えるタンクも一気に潤してくれるでしょう。シャワー、飲み水、洗濯。雨は人間にどれだけの恩恵をくれているのだろうと実感せずにはいられません。

 

だからこの寒さも、身動きの取れない(滅多に降らない雨に対する傘の準備はしていないので)、この時間も嫌がることもイライラすることもなく、この時が過ぎるのを待つだけなのです。

 

便利ではない暮らしの中で、本当に必要な最低限のことはなんだろうって考えます。

 

いま、私がここでしている暮らし。

 

まきから火を起こし食を賄うこと。
暖かい時間を狙って、太陽光でぬるくなった水でシャワーを浴びること。その反面、寒い日は浴びないことも受け入れること。

少しくらい汚れた服も、臭わない限りつかうのに支障がないこと。
欲しいものは竹や木や葉っぱで作ること。(お皿、スプーン、古着から作る子どもたちの服も)
買ってきたものはブランケットとマットレス、わずかな共用の調理道具とタライ。おさがりの服。

 

 

おもちゃがないこの家で、雨の日の子供たちは、作り途中の土壁に、旅に出るお兄ちゃんからもらったビーズを埋め込み、食堂に集まったみんなとけん玉をし、雨漏り修理途中に旦那さんがとってくれた蜂の巣に目を輝かせ、いつまでも遊んでいます。

 

化学調味料が好きではないので食事はいたってシンプル。塩と油と、野菜と卵。そしてご飯。毎日夫婦で得意分野をする。旦那さんが家を住みやすくし、私は子どもたちの希望に寄り添いつつ、お願いして好きなこともする。今は畑作りが好きなのだけど、気づいたら子どもたちもやっていたりします。

 

日本で食べたいものがたくさんあった暮らしから、食べれるものにあふれていない暮らしをして、2年余りの時間をかけて、食べたい、ということも少しずつ減ってきました。この中にある食べたい、だけで、実は十分であり、身体にとってはそれ以上は負担でしかなかったのかもしれないということ。今の一日、二食の暮らしが、身体が軽くて楽だということも、そうして身体を使う暮らしが、心地よいからこそ、自分の身体がどうして欲しいかを感じられるということも。今、雨の中、風邪引いてる自分の体に対する不安がないのは、ここで暮らすことに調和を取れてきたからなのかなって感じています。

 

本当に足りない食材を買いに行く。週に一度だけカフェに行く。日常が家族と共にあり、人の優しさにふれ、家族それぞれが自分の好きなことをしている日常は、遊園地に行くよりも楽しい。ただただこんな暮らしの繰り返しに見えるけれど、新しい人や、ことに出会い、ふと自分が変わったことを感じられる、こころ穏やかな日常がすごく豊かで、私はこれ以上のない暮らしをさせてもらってることを実感しています。


自分がしたい暮らしをしていること。受け入れられることが増えていったり、時には受け流して行く力もついて日々成長している自分を想えること。健康でいること。家族でも、ともに食卓を囲める人でも、とにかく仲間がいること。

雨宿りのこの家での暮らしがどれだけこころ豊かかを、自分の中で納得しています。こうして「足る」を知っていく道を少しずつ歩んでいます。

明日は少し良くなるかなー、風邪。暖かくして休息をとる。ただただそれだけですね。

 

ジャングルクッキング。20人分の料理を作って、ハーブをたくさん使って味付けします。これがここでの伝統的な暮らし。食べ物と生活習慣と心のあり方が変わりはじめてやっとからだのひえがかわりはじめました。

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炭で歯磨き粉をつくりました。 

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炭を粉にしてペパーミントのオイルを混ぜてできあがり。

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その10 この壮大な自然のある村で。

村のリーダーにお願いしてタマリンドの身を分けてもらうことになりました。サハイナンのそばに住む家族と友達になった私たち。そのタイ人家族の病に伏せたおばあちゃんのすきなもの。

 

村のリーダーは75歳、山道を歩ける身体の強さ、ここの自然をほとんど知り尽くし歩いているからこそだと思います。

 

大きなタマリンドのあるところまで私たちを案内してくれると、たくさんなっている部分を見つけ、教えてくれました。しばらく待っていると、村の若者がやって来て、大きなタマリンドの木に、音も立てず静かに軽やかに登り、枝を見事に切り落としてくれます。お猿さん顔負けの身のこなし。彼の生き方を、感じます。こうして自然とともに生きる人たち。

 

切り終わるとまたことも投げに降りて来ておやつ1回分ほどのお礼を未来去って行きます。この連携にもびっくり。人々のコミュニケーションの賜物だと思います。

 

そうしていただいたタマリンド。少し酸っぱくて美味しく、子どもたち、エンドレス。お陰でお通じバッチリ!!日常の中でこういうおやつを食べて身体の通りを良くする。その土地のものを食べるってこういうことなんですね。たくさんの薬草だけでなく食べるもの全てが薬。確かに油や砂糖という凝縮されたものが 身体にとって 不自然だって意味をりかいできます。

 

ぐるっと壮大な山に囲まれたこの村、バンコクでは20年かかる大きさの木がこの村では8年で育つそうです。土も空気も愛情も違うということは、素人の私でもわかります。

 

村のリーダーはこの自然を守るリーダーだそうです。だからこの自然のことは把握して降り、どこに何が生えているかもわかってる。先日この村の学校に寄付金をもらい1つ建物を建てることができたお祝いがありました。お坊さんまできて大きなセレモニーだったのですがお坊さんが何を祈ったのかというと、自然への祈り。

 

感謝の祈り。守っていこうというみんなへの声かけ。この国でお坊さんの存在はとても大切なもの。大きなもの。お坊さんが祈り、こうして村のリーダーが自ら守ってゆく。

 

リーダーが現場のほとんどを把握してるってすごいことだと思うのです。自ら知り、手をかけ、まさに自然と会話しながら生活している。そんな人がいるってすごいことだなっておもいます。環境保護団体とはちがう、自然と人々の暮らしをすり合わせ、常に自然の大きさを知り、感謝している人。

 

うまく言えないけど、ここに私にとっての大きな学びがあるなあって感じています。この生き方が、ここの人たちの暖かさやコミュニケーション力のおおきさを作っている1つじゃないかなって。

 

私にとっての学びの入り口。この村の方から学びたいから、今年はもう少し本気でタイ語を勉強してみようと思います。これからレポート続けまーす。

 

ルールもないからどこで遊びたいか、どんな風にするかは自由。子どもたちは木の上で夕飯です。

 

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きょうの夕飯は米粉麺。市場で買い出しです。

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その9 ただいま畑を作っています。

我が家では石鹸を使いません。体は布でこするだけで十分ですし、髪を洗うときも水ときどきオイリーだなって思った時のみナチュラルなものを使うときもありますが、ほとんどつかってません。(こうしてみて気づいたのは、油物やお肉を食べたときにオイリーになるということでした。面白い。。)

 

冷蔵庫もないのでお肉を食べる機会もほとんどなく、2年近くそんな暮らしになったので、最近はお肉を食べたいなーということからも離れつつあり。。。ここのうちにそばに豚飼いさんがいて、ゲージの周りで育って食べられてゆく様を見てると気の毒で、なんとなく、食べれなくなって来てしまって。。野菜もそうなんだと思うけど、哺乳類で感情や恐怖心もあるかもしれないのに、食べられるために生きてゆくってなんか悲しくて。

 

なのでお皿も布たわしでこするだけ。ストーブの上に置いて温めてお湯でさっとこすって水でさっと流す。さっと流すだけなので給湯器のスイッチを入れるほどの水の量は使いません。でもたまにお肉にした時は、お湯を使って洗ってます。北海道の水は冷たいのでそうしないと落ちないんです。その時のお湯の使用量はかなりのものです。

 

洗濯物も塩水。北海道のアパートは外干しシステムがないとこも多く、ここもそうなので夏場、室内干しで少し男性ものだけ匂いのつきやすいことが幾らかの期間あったけど、松の力っていうナチュラル石鹸をつかって過ごし、あとは真水や塩水。匂いや雑菌は多分水でも大丈夫なのだと思います。お日様に当てて干せば全く問題ないと思います。けれども色はついてくると思うので我が家は大人ものはめっきり色の濃いもの。子どもたちの日常は汚れるくらい遊んでくれた方がはっさんできていいですから。

 

こういう暮らしになったのは、環境に優しく、っていうとこからではありません。ここでのキッチンの排水をそのままガーデンに流しているから。今植えているのも、モーニングローリー、という湖のそばに生える草。水がしょっちゅう流れるとこにあると水やりもいらないんです。そしてね、こうして自分たちの口に入るものをどうしたいかっていうのが、ダイレクトに問われるんです。

ものを燃やすときもそう。ケミカルな衣服の燃やした匂いや溶け方、いつまでももえきらずにグツグツし続ける石油。その後の処理の重いこと。ゴミ処理場でないとこれ以上の処理はできません。だから燃やす意味はなし。。。コットンなら灰が風に飛ばされ細かくなり土にまみれ分解されてゆくのでそのままでオッケー。

 

原発の処理も永遠に時間がかかるそうですが、石油製品も似たような感覚じゃないかなって気がしています。せっかく食べ物を育てられる大地に、消えないゴミを置き続ける不自然さ。私は母なので次に世代に申し訳ないなって思うのです。

 

ここで作ったガーデンは収穫を終えるとまた山の草が生えて来ます。もちろん人の手が入った土がすぐには元に戻らないけれど、機械を入れるのとは全く違う再生力なのです。こうして自分たちが必要な分だけ頂くこと。

 

そしてこの村で学ぶ自然への想いはとってもおきなものでした。それは次回に。

 

鍬で耕し、コンポストを入れ、種を蒔き、わらを敷く。一人で畳二畳分ほどで1週間。この作業をするのに相当時間がかかります。それが人力。でも自分の力で作った食べ物をいただくと、ちゃんと体を動かすので必要な量しか食べません。食べ過ぎると動けないし、少ないとお腹が空くから。人力での暮らしは理にかなってる、のかもしれません。

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その8。日々を丁寧に過ごすこと。

pcが苦手な私。でもせっかくなのでここでの気づきを記録したくて開いたものの、せっかく通信ができるカフェに行ってもひらけない頃がしばしば。どう考えても自分にはできないって思うので、そんな時、私は結構あっさりと諦めます。旦那さんはうちにいても、私ができるようになるように、自分でやってごらんって教えてくれるんだけど、覚えることもできないので、もう決めました。ブログだけ書ければいいやーと。

 

時間をかけるなら、自分にできること、本当にやりたいことだけやる。

 

そういう思考になりつつある自分が変わったなーっておもいます。食べるものはその人を作るっていうのはどうやら本当のようで、我が家の暮らしは今、時間をかけながらシンプルに向かっています。暮らしの多くがシンプルの方向(今はまだそちらを向いてるくらいですが、笑)を向き始めたことで、自分の決断が楽になりました。

 

そんな中での旦那さんとの会話をひとつ。

 

みんなあれこれやりたいって言いつつ、「バタバタしてできない」っていうけど、何にバタバタするんだろうねえ。結局大してやりたくないんじゃないかなあ。。

 

ああ、そうかも。少なくとも私自身は思い当たります。バタバタしてできないことが多すぎて、程のいい、言い訳としてすら使ってた。

 

望んで子どもをうませてもらって、子ども達との時間を過ごすことも選んだのに、あれもこれもなんとなく興味あって、だった私。本当にやりたいなら、動けたなあって今は思います。旦那さんに相談する、その時だけ覚悟決めて子ども達にdvdでもみていてもらって、などなど行動に移せることはあるから。でもやらなかったのは時間がないからではなく、対してやりたくもなかったから。要するに自分がわかってなかったんだろうなあ。

 

本当にやりたいこととそうでもないことを区別して扱わないと自分の中で混ざってしまって疲れちゃうしね。やってみたーい、なんていったことで相手がその気になって話が進まなかったら謝らないといけないし、初めから言い訳しなくていい本音の言葉をはなすことって大切だなあって思います。

そんなわけで、私は、「忙しくて」とか「バタバタして」という状況が好きじゃないのでそうしないように心がけてます。バタバタしていては日々成長して行く自分と向き合うことができないから、子どもたちとも向き合えた気がしなくなっちゃうから、この言葉もめっきりつかってません。

 

あ、でもここだけはバタバタしちゃうシーンがありました。子ども達とバスに乗って出かける時!早めに準備始めるのにね。なぜか靴を履いてからおしっこ、とか言われちゃうのね。いつものパターンだからもっと早く靴を履かせてみればいいのになかなか変われない私。この時だけは本気で「バタバタしてます!!」

 

先日村に遊びに行きました。片道1時間、登山と言わんばかりの道でしたが、村について気づくと子どもたち、川で遊んでます。気づくと村のこと一緒に。

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子どもたちのコミュニケーション能力の高さにいつもびっくりです。子どもたちがいてくれること、わたしはこうして平和を感じさせてもらってるんだなあ。すごいですね、子どもたちは。

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その7。バナナの植え方。

そして2日前一番驚いたこと。

バナナの植え方。

 

まず根っこのそばをナタできる。太いので女子にはちょっと大変です。

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そしたらひっくり返して根っこと幹の部分を逆にする。

 

、、、なんでかというとね。

今度は指差した根っこの部分が幹になるんです!!!

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だから今度はこうやって植える。

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そしてさっき切り離した幹の部分をカットして、玉ねぎのように剥がして。

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土から顔だしたとこにかぶせてプロテクトする。

これでね、水やりがいらないんですって!!

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でね、回転させ続ければ永久にバナナが食べられるという、ミラクルな、フルーツ。すごーい、すごーい、いいつづけるわたしに、植え方を教えてくれたフレンチのオリくんも、クレイジーなんだ、といいまくってました笑。ほんとにミラクル。

 

サハイナンのあとこちに植えられたバナナ。生きてるって不思議だなーってつくづく感じます。

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