ポワンパンツ100サイズ。

できたできた、男の子のズボン。おとこのこのってあんまり可愛いのないなっておもっていたけど自分で作ればよかったんだー。こんな年齢だし、可愛い一枚です。

 

さてさてこちら。

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マホエアネラ さんのポワンパンツ。スパッツ付き。生地は猫の隠れ家さん さん他。男の子だけどお花柄。ちょっと和柄というかビンテージ風というか、ちょっと気に入ってます。

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こちらはハーフパンツ with スパッツ。生地はmochamocha さん他。

 

ちょっぴり長めのスパッツでくしゅくしゅになります。それがかわいくてコユのお友達をイメージして。それにこのスパッツふわっとしていて気持ちよくて。

 

昨日、ミシンに向かいながらふとおもったこと。

 

手作りするとね、生地代だけで結構かかるんです。だからね、大手量販店のセールの値段で服を作るためにはかなりの安値で人件費を済まさないといけないと感じています。

 

発展途上国で低賃金労働って多分本当なのだと思います。先日旦那さんがそんな映画を見てきたけど、私たちの幸せのために身を削ってる人がいる。子どもを足元であやしながら1日働いて何十円の稼ぎという世界を想像して、複雑な気持ちになりました。私たちはボタン一つでお湯が沸く生活をしているのに、その家族はわずかな食事のために親子の時間を削って働いている。

 

みんなが幸せでいれば争いは起こらない気がするのです。恐怖の中で生きるのは私にはできません。そんななかにはいたくない。だから他の人にもそう願っています。

 

そうミシンに向かいながら改めて思ったのです。そんな私ができること。

 

私は自分で必要なだけの値段設定をして、仕立てた服を売らせてもらおう、と思っています。服を作るということはこれだけの値段がかかる。それを知ること。

 

それは服だけではなく、野菜にも言えることで、安く買おうと思うから農家さんに無理が生じ、農薬だらけの野菜になるのです。現場を知らないから、形のいい野菜じゃないと嫌だと思うのだと思います。どうやって服ができるのか、野菜ができるのか。そこにはどれだけの人の手と気遣いがなされているのか。それを知らずに安全な食べ物を安く買おうとか、安い服をもっとセールで買おうとか、、、どう考えても無理なことだと思うのです。どこかに犠牲が生まれることだと想像すらつかない暮らしに違和感を感じつつある今日この頃。

 

私が大切に仕立てた服を必要な値段で買っていただくこと、それにより、これだけお金がかかることを知った方が、生活の仕方を変えてくださるかもしれない。それが10年後になにかを変えているかもしれない。

 

なので私が伝えたいメッセージを込めてこの服を受け取ってもらいたいなと思っています。

 

本当に必要なものはもっとわずかだということ。

自分が本当に必要ことは、お金や人様の心という価値が、決して安いものではないこと。

 

私は自分がしたい方向に時間をかけて変わって行きたい。自分のいまの暮らしの中にわずかでも三世代先の暮らしを思えること、争ったり、否定することではなく、自分が今できることから必要な方向へ行動を変えて行くこと。

 

それに衣食住が自分のそばで作られていると、どう成り立っているかわかって安心につながることも分かったのです。自分の身近でなおすことができるから、より自由にいられるのです。そういうコミュニケーションが便利になった今は減ってしまったのでしょうね。コミュニケーション力、昔の方がしぜんにみについていたのかも、しれません。

 

多分、もっと時間をかけて、人を理解しようと努力すること、そうして生まれた優しさの中でひびをいとなんでゆくこと。私がしたい暮らしなんだと思います。そしてみんなで心地よい日々を営める時間が増えたらいうなあって希望を持ちながら。

 

 

矛盾のない生き方をしたいな。

先日友人家族がうちに来てくれました。その時に聞いたこと。

 

ある時、母子でお買い物に行ったら子ども同士トラブルがあったそうな。そうして友人の子が相手の子に噛み付いてしまったとのこと。

 

その背景は聞いただけなのでわからないけれど一つだけ、あれっとおもいました。

 

噛み付かれた子のお母さんが言ったらしい言葉。泣いてる子供をみて取り乱したのでしょう。

謝る母である友人に、噛み付いた子にも謝るように求めたらしいのです。そして

「ちゃんと謝ってください。謝らないとこの子の気が収まりません!」と言ったそうな。

 

この子の気持ちがおさまらない訳ではないと思います。「私の気が収まりません!」という表現の方が当てはまるのかなっておもいます。

 

子どもたちの気持ちになってみたらもしかしたら噛まれた方にも何かあったのかもしれません。だとしたら、その子は謝ることを求めていなかったことも考えられるのです。

 

友人の子は3歳。3歳にもなればかなりのことを考えていると思うのです。相手のお子さんが小さかったとしても、お母さんが付いていればその経過の中必要な声かけはできます。

 

そしてね、子どもは小さくても本当にいろんなことを考えて感じていると思うのです。私が具合の悪い時、子どもはいくら小さくてもなんとなく状況を察してくれているとかんじてきました。だからきっと丁寧に見守って来ていれば、小さな子どももその状況に合わせた動きをしてくれています。

 

娘が3歳にちかかった頃、私は上の子にかなり怒った時がありました。いや、その頃はよく怒っていたのだと思います。その時に娘がとった行動に私ははっとし、今でもいつも心にその時のことを携えています。

 

怒鳴っている母の前で泣いている大ちゃんを見てコユは言いました。「だいちゃん、コユがいるからだいじょうぶだよ。」そういい、大ちゃんをぎゅーっと抱きしめたのです。

 

そのあと今度は私のそばに来て、「ママ、そんなに怒らなくても大丈夫。コユがいるからね。」そうしてまた私のこともぎゅーっと抱きしめてくれたのです。

 

コユは3歳にもみたない。けれども私たち双方の気持ちを感じ考え、自分が一番だという方法を取っている。

 

そう考えるとこれは三歳になるからできる、ということではないと思うのです。今までこういう思いをたくさん積み重ねてきて行動になっていった、そういうことなんじゃないかって想像したのです。

 

私に取っての大きな学びでした。大ちゃんが幼い頃、私はいろんなことを口うるさく言ってきました。でもそれは、大ちゃんが自分で感じて考える。そういう機会を奪って来たのだって思うのです。

 

母は、我が子の命を命がけで守りたいくらい愛しい存在に感じています。けれども、それ故に、自分と同化するかのように、自分の感覚で、物を言ってしまう傾向があると感じています。

 

寒い日にTシャツ一枚ででかけた熱を出したとて、そうなれば自分で着るようになるでしょう。下り坂を走って降りたとて転げて経験すれば、走り方を変えるでしょう。もちろん注意を促す意味での声かけは必要な時もあると思うのです。

 

けれども毎日同じことをいっても、無駄だし、それをもってやめてしまったら彼らは違うことをして大怪我をするかもしれないしさせてしまうかもしれない。

 

「想像力がつかなくなる。」のだと思うのです。

 

我が子は自分じゃない。今日は寒い、のも、これをしたら怪我をするのも、母である私自身が怖いからなだけということが多いと気づいたのです。それよりも彼らが自分の尺度でできることを判断する経験を奪ってしまう、そのことの方がもんだいではないかと。

 

それから私は考えます。

 

こどもがこれをしてみたいといったとき。欲しいと言った時。

私が言った時に帰って来た言葉が、正論かもしれないと感じてるのにイラっとして引けない時。

それ、やめてよ!って思った時。

 

自分の器が狭いからやめてほしい、って思ってることが結構あるんです。私が人の目を気にしているからそうなってしまうということが。もちろん私自身に今は負担になりすぎることを、黙ってみてはいられないので、今の私はこうだからやめてほしい。お願いできる?ということも沢山あります。

 

 

けれども彼らの世界や直感を奪ってしまうのはあまりにもったいないことだと気付いてしまったのです。

 

今のこの判断は、私だけの感覚ではないだろうか?

 

私はさいきんいつもこの感覚を、心においています。

 

子どもと接する時、旦那さんと接する時。他人様と話す時。特に家族内での関係は甘えもおおくてつい、自分の感覚になりがちなことに気づきます。

 

人の生き方を邪魔しない。

そして先ほどのお母さんの言葉から感じさせてもらったこと。私の言葉は我が子の言葉ではない。だから、我が子の友人への関わり方も、余計なことをしてはいけないなって。

 

今気づいたけれどそれは、他の人から言われたときもそうですね。私は自分の生き方を邪魔されることもない。そしてその人の言葉はその人の常識であり、それで自分を判断する必要もない。きっと、そう。

 

もっと自分とも、家族とも丁寧に接していく必要があるなって思っています。

 

来月からタイにいきます。人の目を気にせずにいられるこの村での時間、私はたくさんのことを感じて来ます。そうして自分の内側から動ける人に変わっていきたい。それがそこに、3ヶ月もいる意味。

 

思いやりや優しさは評価されるものではない。自分から生まれるからこそ、どんな状況であれ、じぶんがのぞむように動くことができる。マナーや常識ではなく、心地よくなるからそうする、という自然発生的な優しさこそが強さでもあるんじゃないかって感じています。

 

自分にも優しくなろう。それは自分の行為と心が矛盾しないということ。

 

今までのじぶんに、

ごめんね。

許してね。

ありがとう。

愛してるよ。

そして今の自分も変わらずに、愛しているよ。

 

自分自身と、私と関係を気づいてくださってる方々に心から感謝をして。

 

子どもたちのリクエストでネックウォーマー。

型紙。アンの木さん。

布。SMILEさん。

 

 

トレーナーを作りました。

続いてトレーナー特集。

 

旦那さん用と。

f:id:yurukkosae:20171105074833j:plainマホエアネラさんの型紙で。

生地は布の店あかねさん、とリブはSMILE さん。

 

私のー。

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型紙はマホエアネラさん。

生地は布の店あかねさんと、SMILE さん。

 

息子くんの。この生地はキルトなんだけどふわっと肌触りが良くて小さい人にも着て欲しい。

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マホエアネラさんの型紙がお気に入りで最近よく作ってます。アンの木さんも、ちゃきステさんも好き。

 

マホエさんとちゃきステさんはモニターさんがいろんな作品を作って載せてくれているのが楽しくて、型紙は決して安くないけれど、それだけの価値はあるなあって思います。。私もいつかモニターしてみたいなあ。

 

アンの木さんも一番はじめに大人買いしたお店。やっぱり店主さんの雰囲気が出るのでしょうね。興味のある方、ホームページおススメです。

男の子のボトム。

平面から立体になると思っていたものと変わってきます。大抵はもっと可愛くなるのだけど。そんな不思議にワクワクしながら縫っていく日々。

 

こちらはハーフパンツとスパッツの組み合わせ。男の子用です。

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マホエアネラさんの型紙で。

生地は猫の隠れ家とmochamochaさん。

 

もう一つ、お友達がスリッパっぽくないルームシューズをリクエストしてくれました。型紙を使って暖かめのシューズを作ろうとしたら靴のサイズが激変。五回作ってようやく完成。もう作りたくない、って思いはじめたから5回目にできなければ、お友達にごめんね、私のできる以上のことだったみたい。とあやまろうとおもっていたものの、完成。できてみると経験がかさなり、次はまた何を作ろうかと楽しみが増えました。

これが 好きなこと のちからなのですね。経験をくれてありがとう。

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rick rackさんの型紙で。

SMILEさんの生地で。ボタンは100均。

テーパードパンツ 第二弾

 

写真が載せれなくてなかなか更新できませんでした。パソコン、難しいなあ。

 

マホエアネラさんの型紙でテーパードパンツ。あったかくて柔らかい、息子くんのお気に入りです。

 

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型紙:マホエアネラ

生地:猫の隠れ家

 

動きやすくてひやっとしない。男の子イコールジーパン、チノパンだと思っていたけど、やっぱりふわっとするのがホッとするんですねえ。この気持ち、だいじにしてあげたいなと思います。

 

みんなで囲む食卓。

できたできた。テーパードパンツ。柔らかくて履いた時にあったかい生地にしたかったからこうして作って見ました。息子くん、大満足してくれてよかった。

 

リブを変えて作ってます。

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マホエアネラさんのテーパードパンツ。丁寧な説明書でサクサク出来上がりました。小学校二年生の息子くん。まだ可愛い雰囲気も大好き。

型紙:mahoe anelaさん

生地:厚めの裏毛とリブは山ガール風のジャガード生地。

 

最近我が家に遊びに来てくれるお客様が増えて、夕飯を家族以上の人といただいています。トモエのお友達、パーマカルチャー研究所にあそびにきてくれたかたがた。。

 

子どもたちは毎日楽しみ、私は人様がいるからと、気取った料理を出すことをやめてみました。本当はね、おもてなし料理だったらもっと喜んでくださるかもしれない。けれど私たちにとっての日常であるからそんなに頑張らなくてもいいのかもしれないって思っています。ただ一緒に過ごす時間を心地よくいられたら。そうして人とか変わってゆくこと、関わることの心地よさを経験してゆくこと。

 

それが我が家の教育の一部なのかなって思っています。子どもたちだけでなく自分たちも育ってゆく。人として素直で気持ちの良い大人でいたいと思うから。

 

我が家に来てくれてありがとうございます。こうして来てくださって心地よいって思ってくださる方と、機会を作って持ち寄りバイキングパーティできたらいいな。

 

 

日々のあなたに想いを込めて。

できたできた、コユのダブリエ。片足立ちしてます。

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クッキーのボタンが可愛くて目立つようにシンプルに。

言葉でなくてもいいから、想いを載せたくてメッセージタグも付けました。誰に届くかわからない量産品にはない「あなたへ」の思い。最近思うのです。

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こうして思いを乗せていくことが大事なのかなって。日々日々、その瞬間、あなたへの想いを送ること。これがどこかで、通じてくれる気がしています。我が子が今日も思い切り楽しんで、事故もなく笑って帰ってきてくれること、お腹を満たして今日を過ごせること。

 

それはそう願ってくれる人がいるから循環して成り立っているのかなって。

 

そうはいいつつ、このダブリエのタグは結局私が買ったものの中からコユが自分で選んだんです。「happy,always with you」

コユから私へのメッセージ、私からコユへのメッセージ。

そうして伝え合う気持ちがこもった服。毎日着るものだからこそ、想いを込めたいなと思っています。母である私からのお守だよ。喜んで着てくれてありがとう。

 

さてと札幌の交通資料館に行きました。病み上がりきってないけど大ちゃんの希望を叶えるべく、三年間の休館前日に。

昔の電車とバスの展示が面白かった。こんなレトロなバスがかわゆくて。

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館内は小さなスペースに運転席の模型や昔のハンドルや切符などが 並んでいて、大ちゃん大興奮。私とコユはあきて早々に屋外展示に行くことにしたのだけど、大ちゃんはいつの間にやらそこで出会った同じ歳くらいのこと遊んでました。それもいつもの友達のように、ちょっとやめてよー、とこうしてみようよ、とか、身体を摺り合わせながら遊んでいて、小さいうちからこういうことができるっていいなあって感じました。だからこの人たちを待とうと決めてコユが飽きないようにかんがえる私。

 

きっとトモエとタイで過ごしたおかげだと思います。人との心の距離をちかくできる。相手を悪くみない、そのまま受け止める。

すなわち、「人を信じてる。」生き方をしてるんだろうなあって大ちゃんの器の大きさにただただすごいなあって感じました。

 

それから「今を楽しむ」いきかたをしてる。出会ったあなたと楽しめる。

 

昔は家の外に出たら誰かしら子どもがいて一緒に遊んだと言います。タイの村もそうでした。

 

こうして子ども同士が自然に人との関係を作り、信じ合って助け合って大人になれたら、大人になっても信じあえる社会なんだろうなあ。

 

そういう世界がタイの村にはありました。まずは自分のそばからでもいい、きっとそうできるんじゃないかなあ。

 

日々の幸せはそこからな気がしてます。よし、しあわせにいきるぞ。

 

延々と待った交通資料館、私にとっても学びの時間でした。大ちゃん、ありがとう。