家族でジャングルライフ。(その3)

暮らしを自ら作り出すということ。

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無事にサハイナンに到着。去年旦那さんが建ててくれた家。

 

二階建てだけど小屋にすらなっていないような建物。昨年出来上がった時は感動したけど、日本からふたたびいくと、野宿??の感覚に陥りました。

 

階段は小さなが夜中のおトイレにはつかいずらく、階段から一階に降りる足元も滑る。ここを住みやすくするには??から始まる生活スペース作り。日本での当たり前が、全くもって当たり前ではないことを、またも痛感!!!!!

 

水は出るけど、全く子ども達の手の届かない高さに蛇口があって、早速コユがシャワー浴びてる、笑。子ども達の服置き場用の釘も刺さなくては。ライターもないので火を起こすことすらできず。。

 

なのでまずは生活できるようにする、ことから。でも子ども達は早速遊んでます。なぜかトイレを作るって2人で手彫りして、今度は出て来た粘土で皿を作りたいと、形作って乾かしてます。

 

サハイナンの家族友達と走り回ってタイ語も習得中。

 

暮らせることって当たり前じゃないんだなーと実感。そして暮らせるところは自分の手で、作って行けるのだということも感じています。だから暮らして行くことが、楽しい。

 

そしていつでも自然は味方してくれている、ということもここでは感じています。自然は神様であり、大きな、大きな、存在。そしてね、限りなくたくさんのものを生み出せる手を持った私たちもあらゆる意味でとても大きな存在。だからこそ、自然の中で自分はどうあるかを、考えさせられます。

 

ゆっくりゆっくりここで過ごす時間を、味わってみようと思います。去年とはまた少しずつ変わって来ている自分の感覚で、また、成長して行けるように。

 

こゆは肉があまり好きじゃないので、目玉焼きとご飯でシンプルに。今年もいつものように、ご飯、サラダ、果物、とうきび、大好きなココナッツジュースで過ごすのかな。彼女の味覚はいたってシンプルです。

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家族でジャングルライフinタイ(その2)

旅記録。もってきたもの。

今回はかなり荷物を少なくしてきました。暮らすためのギリギリの量ですが、これで暮らせちゃうんですよね。

大人服ふた組ずつ
子ども服4組ずつ
ヘッドライト
おやつ(添加物をとると娘の肌がバッチリ痒くなるので多めに持ってきています。おせんべも食事がわりになるので。)
エマージェンシーシート(ゲストハウスの布団がダニっぽい時も使えるのでおススメです)
カトラリーとスクリュー式タッパー(子どもたちのおやつようのお皿がわりにもなるのでいいですよ。)
歯ブラシ、カミソリ
手ぬぐい1人一本
旦那さんはパソコン関係
わたしはパネルシアター材料と絵の具、筆
ウクレレ
針と刺繍セット
薬(うちは浣腸が万能薬なので浣腸とヨモギエキス、梅肉エキス、痛み止め、万能クリーム)
アロマ(虫除け用にレモングラスとミント。移動中のリラックスにラベンダー)、虫除け用のスプレーボトル
パスポート
お金
携帯トイレ(子連れ旅にオススメ。親の安心ゲットの為。笑笑)
飛行機用子ども達のおもちゃ(今回息子は残念な生き物図鑑持参。娘は幼児雑誌と折り紙。)
ウエットティッシュ
女の人用に。今回ナプキンは現地でタオルを調達する予定だったのですが急遽移動中も必要になったので、ケミカル使い捨てナプキンの上に使いふるしたタオルをきって乗せてました。飛行機等、使い分けなくてはならないのですが、この方法だと万能対応で良かったです。
現地で個人タンスがわりに、ショッピングバッグサイズの布の袋を作って持ってきています。移動中は小分けにしておくのに使い、現地では個人の服をしまいます。子ども達が混乱せずに自分の服を出せるのでこれだけは外せないグッズだと思ってます。でもこれだけで十分暮らしやすくなります。
現地に友達がいるのでお土産を少し。日本のものはなんでも美味しい、と高評価なんですよね。

 

以上が我が家が暮らすための最低限。これに鍋と七輪、ナタがあれば大丈夫です。お皿やカトラリーは自作できるし、移動中も冷蔵庫もないワンルームですが街中でなければ十分なんです。街中だと海外は勝手に出ていけないので、子連れには辛いんですが、わたし達はあ自然の多い方を好きこのむので、ワンルームで寝る場所と暑い時間帯の逃げ場さ確保できれば(自然の中であれば木陰があるので関係ないです^_^)十分だと感じてます。

 

ちなみに子ども達は遊びをつぎから次へと生み出してます。昨日は冷蔵庫付きゲストハウスだったので、それを自動販売機にして遊ぶんでたり、折り紙をちぎって道具を作ってお医者さんごっこ。ビールの王冠集めてコインにしたり、買ってきた果物は即屋台ごっこに変わり、タイ語でやり取りしてます笑笑。

 

必要なものってほんとうに少ないなあって思います。根性論や断捨離ではなく、こうしてもののないのが当たり前の暮らしをした経験から学んだ、わたしにとっての必要な物。ここで暮らして帰国するたびに、自然と物や家事が減ってシンプルになって行くように思います。7年前、旦那さんがほとんどうちにいない赤ちゃんとの暮らしの中で、便利家電があれば楽になると思って色々揃えたり、かじの手抜きをしてるつもりでいたけれど、毎日疲れては旦那さんの忙しさを責めていました。ものの豊かさはそれはそれでとってもありがたいものであるはずなのに、生活は正直なところ楽にはならなかったんですよね。

 

当たり前の暮らしを飛び出していろんなことが変わりました。母1人では家事と子育てはできないってこと。一人きりで完璧な子育てを目指そうとする気持ちを手放すこと。あるもので適当に暮らしていけるように、笑笑、もっと必要なものを減らしていくこと。工夫すれば1つのものがいろんなことに使えちゃうという驚き、面白さ。自分すごい妄想、にも浸れます笑笑。そしてなくてもどうにかなるでしょと、不安が減る。(この一年、メモをせずに買い物をしてみました。しょっちゅう買い忘れをしていたうえ、二週間に一度のかいもの、なんてこともザラだったので、本当に必要なものがわかったし、なくてもなんとでもなるということも経験できて買いダメする必要もなくなりました。)

 

息子とその友人、kくんは外にいるのが好きで、葉っぱで鼻をかむ男子です。すごくうけたけど、いつも、その場にあるものを駆使して遊んでいるにで、その柔軟さをすごいなあとかんじています。

 

タイのとある小さな村での暮らしは、季節ごとに同じものを食べ、週に一度しか、食べ物以外はかえないようなとこなので、ここにあるものでまかなう。そして娯楽として楽しむために人との関係を大切にするここでのくらし。生きるための知恵も身体も使う暮らし。

 

 

今までのわたしの暮らしは豊かを超えて、「豊かすぎる」とおもっています。車に頼ることで歩かなくなり落ちた体力は、病気になりやすくなるという不便さや、さっと身体が動かないもどかしさを生んでいます。(車に乗ってジムに通うというのも考えてみたら不思議ですよね。なんだかもったいないような。)そして美味しいものがたくさんあって、あれもこれも食べることで、覚えた味を衝動てきに食べたくなる不便さを生み出します。情報がたくさんありすぎることで迷いや、後悔、不安を生み出します。飾った暮らしはものが増え、必要以上の家事をせまられます。

 

豊かすぎる暮らしも、不便さがあるくらいの暮らしも、メリット、デメリットがあり、結局は同じなんじゃないかと、思います。ならば自分はどっちを選びたいか。。私は不便さがあり、お金より人手を必要とする分、家族が共に過ごせる方がいいな派です、笑笑。身体が動かないもどかしさを今感じているので、身体は使い慣れるくらいの不便さがあった方が良かったなとも。少しずつ変えていってみようと思っています。

 

 

たくさん抱えすぎた思想も、勝手に抱えた責任も、物も、身体に入れる食べ物も、もっとシンプルな方がきっと生きるのが楽なんじゃないかなあという妄想、笑笑。そこに時間をかける分、生活から離れた娯楽はさほど必要ないんじゃないかと思うのです。日々をまた、いまよりももう少し、楽しめるようになりたい。(もう楽しいけれど、自分の発想の転換でそうなるにはもっと求めてもいいのかなとおもうのです。)

 

そんな気づき。

今回はこれで暮らします。いってきまーす。

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タイ北部の名物 カオ ソーイ。三年越しで食べれました。カレースープにたまご麺、上に乗ってるのはあげめんで、ライムをかけていただきます。美味しくて次の日の朝も市場で調達です。

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家族でジャングルライフ(その1)

家族でジャングル日記をつけ始めたものの、うまくブログにアップできずに何度もけしています〜。。覗いてくださってる方々、ごめんなさい。

シンプルライフの経験で感じたこと、家族で旅をするというぎゅっと過ごす時間の中での気づき。生まれた時から当たり前にあった暮らしや豊かさが本当に当たり前ではなく、豊かさを超えて、豊か「過ぎる」からこその不自由さもあるということ。。(多分、豊かすぎる暮らしと、不便さがある暮らしって実はおんなじで、自分にとってどっちが身体が楽かってことだけなんじゃないかって気づいちゃったこと)、などなどを綴って生きたいなと思っているのですが、パソコンくんは、むずかしすぎます。

旦那さんに相談しつつやってみます。うまく乗せられるといいなあ。。

タイライフ、食事は屋台の文化なので家事が楽で、実はわたし達、頑張ってないつもりで頑張ってる(母1人でできる以上のことをするのが当たり前になってる)んじゃないかって、感じてます。電化製品がある分、別の仕事が増えてるだけで、楽になってはいないんじゃないかっていうのがわたしの自論です、笑笑。

常識を取り払って気づきをくれる全く違う文化、人のあり方、、。。。面白いなーと思います。

 

作ったものたち。

さてさて本日よりタイに向けて出発。その前に作ったものをまとめて記録しておきまーす。

 

こゆの服。私の希望と違ってフリフリ好きなこゆのために私が納得いくフリフリを作りました笑笑。うさ耳トレーナーにフリフリをつけてます。気に入ってきてくれてて嬉しい。

 

型紙、マホエアネラ さん。

布地、布の店あかねさん、SMILE さん。

 

幼稚園のお祭り用に90センチ、100センチレギンス。この時期のレギンスって化繊ばかりで痒くなるのがいやで綿で作ってます。

 

型紙、マホエアネラ さん。

布地、猫の隠れ家さん等。

 

小物もつくりました。小さい人がいるとポッケやカバンの中にゴミが溜まりがちなのでゴミ受けポーチ。二重になってるので中のクズも落としやすいです。

 

 

 

 

大人用のトレーナー。

さーちゃんの洋服屋、本日も開店。

バナナトレーナー。笑笑。リクエストいただいたので、マホエさんから型紙を買い、まずは旦那さんのトレーナーを試し作り。(そちらは前々回くらいに載せたのでよかったらご覧ください。) そして本番 友人用。

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型紙はマホエアネラ さん。生地はSMILEさんほか。

こちらはオーダー。前回作った時は、型紙がイマイチだったのか、首が苦しくなってしまったフード。マホエさんの型紙は完璧です。お猿さんをイメージして袖は茶色。リブは同系色がみあたらなくてジャズネップにしてみたら、なんだかいい感じ^_^おとなっぽくまとまりました。

 

このまま友人にお譲りしたのですが、着てみたらフードにお猿さんのお耳をつけたくなったそうな。近々この服が一時帰宅するので着画を残しておこうかな。

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ついでにこちらも子ども用帽子なしタイプ。袖の色違いが可愛さのポイントです。

 

 

ポワンパンツ100サイズ。

さーちゃんの洋服屋、開店。

できたできた、男の子のズボン。おとこのこのってあんまり可愛いのないなっておもっていたけど自分で作ればよかったんだー。こんな年齢だし、可愛い一枚です。

 

さてさてこちら。

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マホエアネラ さんのポワンパンツ。スパッツ付き。生地は猫の隠れ家さん さん他。男の子だけどお花柄。ちょっと和柄というかビンテージ風というか、ちょっと気に入ってます。

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こちらはハーフパンツ with スパッツ。生地はmochamocha さん他。

 

ちょっぴり長めのスパッツでくしゅくしゅになります。それがかわいくてコユのお友達をイメージして。それにこのスパッツふわっとしていて気持ちよくて。

 

昨日、ミシンに向かいながらふとおもったこと。

 

手作りするとね、生地代だけで結構かかるんです。だからね、大手量販店のセールの値段で服を作るためにはかなりの安値で人件費を済まさないといけないと感じています。

 

発展途上国で低賃金労働って多分本当なのだと思います。先日旦那さんがそんな映画を見てきたけど、私たちの幸せのために身を削ってる人がいる。子どもを足元であやしながら1日働いて何十円の稼ぎという世界を想像して、複雑な気持ちになりました。私たちはボタン一つでお湯が沸く生活をしているのに、その家族はわずかな食事のために親子の時間を削って働いている。

 

みんなが幸せでいれば争いは起こらない気がするのです。恐怖の中で生きるのは私にはできません。そんななかにはいたくない。だから他の人にもそう願っています。

 

そうミシンに向かいながら改めて思ったのです。そんな私ができること。

 

私は自分で必要なだけの値段設定をして、仕立てた服を売らせてもらおう、と思っています。服を作るということはこれだけの値段がかかる。それを知ること。

 

それは服だけではなく、野菜にも言えることで、安く買おうと思うから農家さんに無理が生じ、農薬だらけの野菜になるのです。現場を知らないから、形のいい野菜じゃないと嫌だと思うのだと思います。どうやって服ができるのか、野菜ができるのか。そこにはどれだけの人の手と気遣いがなされているのか。それを知らずに安全な食べ物を安く買おうとか、安い服をもっとセールで買おうとか、、、どう考えても無理なことだと思うのです。どこかに犠牲が生まれることだと想像すらつかない暮らしに違和感を感じつつある今日この頃。

 

私が大切に仕立てた服を必要な値段で買っていただくこと、それにより、これだけお金がかかることを知った方が、生活の仕方を変えてくださるかもしれない。それが10年後になにかを変えているかもしれない。

 

なので私が伝えたいメッセージを込めてこの服を受け取ってもらいたいなと思っています。

 

本当に必要なものはもっとわずかだということ。

自分が本当に必要ことは、お金や人様の心という価値が、決して安いものではないこと。

 

私は自分がしたい方向に時間をかけて変わって行きたい。自分のいまの暮らしの中にわずかでも三世代先の暮らしを思えること、争ったり、否定することではなく、自分が今できることから必要な方向へ行動を変えて行くこと。

 

それに衣食住が自分のそばで作られていると、どう成り立っているかわかって安心につながることも分かったのです。自分の身近でなおすことができるから、より自由にいられるのです。そういうコミュニケーションが便利になった今は減ってしまったのでしょうね。コミュニケーション力、昔の方がしぜんにみについていたのかも、しれません。

 

多分、もっと時間をかけて、人を理解しようと努力すること、そうして生まれた優しさの中でひびをいとなんでゆくこと。私がしたい暮らしなんだと思います。そしてみんなで心地よい日々を営める時間が増えたらいうなあって希望を持ちながら。

 

 

矛盾のない生き方をしたいな。

先日友人家族がうちに来てくれました。その時に聞いたこと。

 

ある時、母子でお買い物に行ったら子ども同士トラブルがあったそうな。そうして友人の子が相手の子に噛み付いてしまったとのこと。

 

その背景は聞いただけなのでわからないけれど一つだけ、あれっとおもいました。

 

噛み付かれた子のお母さんが言ったらしい言葉。泣いてる子供をみて取り乱したのでしょう。

謝る母である友人に、噛み付いた子にも謝るように求めたらしいのです。そして

「ちゃんと謝ってください。謝らないとこの子の気が収まりません!」と言ったそうな。

 

この子の気持ちがおさまらない訳ではないと思います。「私の気が収まりません!」という表現の方が当てはまるのかなっておもいます。

 

子どもたちの気持ちになってみたらもしかしたら噛まれた方にも何かあったのかもしれません。だとしたら、その子は謝ることを求めていなかったことも考えられるのです。

 

友人の子は3歳。3歳にもなればかなりのことを考えていると思うのです。相手のお子さんが小さかったとしても、お母さんが付いていればその経過の中必要な声かけはできます。

 

そしてね、子どもは小さくても本当にいろんなことを考えて感じていると思うのです。私が具合の悪い時、子どもはいくら小さくてもなんとなく状況を察してくれているとかんじてきました。だからきっと丁寧に見守って来ていれば、小さな子どももその状況に合わせた動きをしてくれています。

 

娘が3歳にちかかった頃、私は上の子にかなり怒った時がありました。いや、その頃はよく怒っていたのだと思います。その時に娘がとった行動に私ははっとし、今でもいつも心にその時のことを携えています。

 

怒鳴っている母の前で泣いている大ちゃんを見てコユは言いました。「だいちゃん、コユがいるからだいじょうぶだよ。」そういい、大ちゃんをぎゅーっと抱きしめたのです。

 

そのあと今度は私のそばに来て、「ママ、そんなに怒らなくても大丈夫。コユがいるからね。」そうしてまた私のこともぎゅーっと抱きしめてくれたのです。

 

コユは3歳にもみたない。けれども私たち双方の気持ちを感じ考え、自分が一番だという方法を取っている。

 

そう考えるとこれは三歳になるからできる、ということではないと思うのです。今までこういう思いをたくさん積み重ねてきて行動になっていった、そういうことなんじゃないかって想像したのです。

 

私に取っての大きな学びでした。大ちゃんが幼い頃、私はいろんなことを口うるさく言ってきました。でもそれは、大ちゃんが自分で感じて考える。そういう機会を奪って来たのだって思うのです。

 

母は、我が子の命を命がけで守りたいくらい愛しい存在に感じています。けれども、それ故に、自分と同化するかのように、自分の感覚で、物を言ってしまう傾向があると感じています。

 

寒い日にTシャツ一枚ででかけた熱を出したとて、そうなれば自分で着るようになるでしょう。下り坂を走って降りたとて転げて経験すれば、走り方を変えるでしょう。もちろん注意を促す意味での声かけは必要な時もあると思うのです。

 

けれども毎日同じことをいっても、無駄だし、それをもってやめてしまったら彼らは違うことをして大怪我をするかもしれないしさせてしまうかもしれない。

 

「想像力がつかなくなる。」のだと思うのです。

 

我が子は自分じゃない。今日は寒い、のも、これをしたら怪我をするのも、母である私自身が怖いからなだけということが多いと気づいたのです。それよりも彼らが自分の尺度でできることを判断する経験を奪ってしまう、そのことの方がもんだいではないかと。

 

それから私は考えます。

 

こどもがこれをしてみたいといったとき。欲しいと言った時。

私が言った時に帰って来た言葉が、正論かもしれないと感じてるのにイラっとして引けない時。

それ、やめてよ!って思った時。

 

自分の器が狭いからやめてほしい、って思ってることが結構あるんです。私が人の目を気にしているからそうなってしまうということが。もちろん私自身に今は負担になりすぎることを、黙ってみてはいられないので、今の私はこうだからやめてほしい。お願いできる?ということも沢山あります。

 

 

けれども彼らの世界や直感を奪ってしまうのはあまりにもったいないことだと気付いてしまったのです。

 

今のこの判断は、私だけの感覚ではないだろうか?

 

私はさいきんいつもこの感覚を、心においています。

 

子どもと接する時、旦那さんと接する時。他人様と話す時。特に家族内での関係は甘えもおおくてつい、自分の感覚になりがちなことに気づきます。

 

人の生き方を邪魔しない。

そして先ほどのお母さんの言葉から感じさせてもらったこと。私の言葉は我が子の言葉ではない。だから、我が子の友人への関わり方も、余計なことをしてはいけないなって。

 

今気づいたけれどそれは、他の人から言われたときもそうですね。私は自分の生き方を邪魔されることもない。そしてその人の言葉はその人の常識であり、それで自分を判断する必要もない。きっと、そう。

 

もっと自分とも、家族とも丁寧に接していく必要があるなって思っています。

 

来月からタイにいきます。人の目を気にせずにいられるこの村での時間、私はたくさんのことを感じて来ます。そうして自分の内側から動ける人に変わっていきたい。それがそこに、3ヶ月もいる意味。

 

思いやりや優しさは評価されるものではない。自分から生まれるからこそ、どんな状況であれ、じぶんがのぞむように動くことができる。マナーや常識ではなく、心地よくなるからそうする、という自然発生的な優しさこそが強さでもあるんじゃないかって感じています。

 

自分にも優しくなろう。それは自分の行為と心が矛盾しないということ。

 

今までのじぶんに、

ごめんね。

許してね。

ありがとう。

愛してるよ。

そして今の自分も変わらずに、愛しているよ。

 

自分自身と、私と関係を気づいてくださってる方々に心から感謝をして。

 

子どもたちのリクエストでネックウォーマー。

型紙。アンの木さん。

布。SMILEさん。