日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

自己矛盾のない生き方を。

ひさびさに函館にいった。
子どもたちと温泉入って懐かしい物を食べて、あいたいひとにもあってきた。
娘が入ったNICUの話も改めて丁寧にして。
彼らの生きてきた道をのんびり伝えて、一緒にあの頃の話をして、自分の人生を抱きしめながら歩いていくのがいいね、って改めて思いながら、もう一度家族みんなでここにきて笑いあう。
そしてのんびり静かなこの街もやっぱり好きだねえ、とみんなでおもう。


私的な話ですが、7年前のあの頃、わたしは大切な息子にに暴言を吐き、ものを投げつけて、手を上げてました。


そうはしたくないのに、自らの心のコントロールができなくて、息子だけでなく自分の心もたくさん傷つけてきた。
虐待のニュースを聞くと心が痛む。


それはしたくないのに、感情のままに傷をつけて、寝顔を見て涙して自分を責めて。


母が起こす虐待の中で、その感情を一度も味あわない人の方が少ないんじゃないかって思っちゃうんだよね。


子どもの頃の記憶がほぼほぼない私、結構小さな頃から鮮明に覚えてる息子。
あの頃はごめんねえ、という話に度々なる。
いまはその度に息子は満面の笑みで口にする。
あの頃は辛かったから本当にやだったけど、今が幸せだからもうぜんぜんいいのおー。


小さかったむすめは、今でもことばにしないけど、きっと心の中にあの光景を抱いてるだろうなって思うんだよね。


直接被害を被った息子だけど、自分の過去を消すことなく覚えていられて、あの頃はほんとにやだったね!ってはっきり言えて、彼が自分の人生を否定する前にわたしとの関係を変えられたことにホッとする。


もうほんとにごめんね。
どうしようもなかったんだよね。
でもどうにかしたくて必死に這い上がって今があるんだよね。まだまだだけどさー。


母としての素敵な姿よりも、必死に生きてる姿ばかりを残し続けてるな、ってつくづく思う。
何にも教えられるようなことのない小さくて弱い大人でごめんね、笑。すっかり口癖。
いまはいろんなことをその都度素直に言葉にする。


感情が先立って申し訳なかったとき、大人の権力を使うかのように彼らの主張を聞かず、うむを言わさずまくしたてたとき。そうして、昔、手をあげていた頃の自分の心と体の矛盾した気持ちが嫌で素直に生きていきたいことも。


だいぶ素直になれたじぶんにホッとする。


やりたくないのにしてしまう、それを続けると自己矛盾に対する感覚が弱まり、どうしようもないサイクルに入ってきてしまう。


わたしの子どもの頃の細かな記憶は、意識のなかで思い出すことはできないけど、自分の行為や感情の中から、想像することができるようになった。わたしにとってはそれで十分で、たくさんの受け入れ難いことを幼い心で処理してきたと感じてる。


過去を受け入れたくなくて起こした自己矛盾により、自分がわからなくなったわたし。
そんなサイクルが長かった。


だから今回ここに来た。
子どもたちがそれで苦しまないように、彼らの生まれてきてからここまでの道のりを抱きしめられたらいいのかな、って思って一緒に過ごしてきて数年、満を持してタイミングがきて、一番辛かった時期に暮らしてた場所に家族でこれた。


想像はしていたけど、もうここに来ても、全然悲壮感もなくてあの頃は大変だったよねえ、って苦笑いしながらちょっとだけホテルに泊まって、また弾丸寝床探しのキャンプ場にも泊まって、まだ帰りたくないってくらい楽しんで。
子どもたちのやりたいにも寄り添ってたくさん笑って。息子の小さい頃に伝えたかったほんとうの思い、娘の生まれてきてくれた時のことも丁寧に伝えさせてもらって。
楽しいねえー、いいとこだねえ、って大喜びしあって。


素直に生きていきたいと思う。自分の生きてきた全てが自分の人生だと受け入れられて、やっと今を生きられるようになったいまおもうこと。


過去の後悔や悔しさ、未来の不安に心を縛られるのではなく、今、ここにあるたくさんの優しさと生きていける心地よさに感謝をしていけるようになれたから、その経験をしっかり抱いていこうと思う。


苦しいだけだと思ってた自分の人生のおかげで気づけることがある。


子どもたちが自己矛盾の中で生きていかないで欲しいと思ったら、わたしがそう生きていかないとならないよね。教えることはできなくて、そうできたときに伝わっていくことなのかもしれないとおもう。
だから今の大切を積み重ねて行く。


自分の経験から、暴言を吐いてるお母さんを見るとすごく気になるわたしの特性。一組でも多くの母子さんが虐待や自己矛盾の苦しみのサイクルから抜け出すにはどうしたらいいかな、って考え続けてる。
長い時間と周りのサポートが必要だからわたし1人が誰かを簡単にサポートできるわけじゃない。
でも、楽になる母子さんが増えてくれたらなあって、ささやかに、でも心から思う。
いつかまんをじして、それが形になっていくかな、って自分を待ってる。


個人的なことが、長くてすみませんー。。


生まれる前から切迫早産で二ヶ月の寝たきり生活を送って、生まれてからも、2回ほど死にかけて救急車で運ばれた娘、今年もまた一つ、おおきくなってくれました。
初めてのケーキ屋さんで誕生日お祝い。アレルギーのため、行ったことなかったけど、彼女の夢、叶えてあげたくて。
たくさんの嬉しい思いを積み重ねていって欲しいから。


いきててくれてありがとう。

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