日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

まだまだ続く縫製工場 笑。そして私にとっての生きる力。

春夏物を作ってみようと思い立ったのでせっせと作ってます。毎朝一枚ずつ。

 

そんなわけで息子のも出来上がり。この生地、ダブルガーゼのようにあったかいニット。

娘とお揃いで上下で優しい色にしちゃったら女の子っぽくなってしまったので今日は、作り直し。ズボンはいつもの男の子カラーでワンポイントいれよかなー。ボタン入れるだけでグッと可愛くなるからね

。こちらはまだ縫製途中。

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カタカタミシンをしながらふっと思う。今年から大ちゃんの担任の先生がかわった。

新学期になって、幼稚園の時から仲良しの大好きな友達が迎えにきてくれたけど、行かないらしい。お友達がきてくれた時に、「いかないよ。ごめんねー。」とちゃんときてくれた感謝を込めて行かないことを伝えてるとこに大きくなったなあとかんじてます。今日はくるかな、ってよってくれて、行かないって選択にわかったよーと出かけて行く、yちゃんの思いにも感謝です。yちゃん、ありがとう。

 

新しい先生に、学校に行かない選択をどの程度理解してもらえるかな、私は息子に寄り添いつつ、どう先生とコミュニケーション取って行ったらいいのかなとかんがえてます。

 

先生もシステムの中で大変だから、私もその辺を考えつつ、配慮する必要があるなとおもう。(2年前は何でわかってくれないの?と怒っていた自分、成長したかな。)。伝えるとこは伝えるけど、先生も今の最大限を尽くしてくれるわけだから、私も配慮を忘れてしまったらそりゃ、先生とうまく行かなくなるわけで。

 

そんなこんなを考えつつ、ズボンを脱いながら、自分の中で大ちゃんの一年生になりたての時より整理がついたことに気がついた。

 

学びってなんだろう、ということ。きっとまだまだこれからもたくさんの気づきがあると思うのでこれはその中のわずかな一つだけど。

 

自分の人生を豊かにして行くもの。だから自分気づいてやらなくちゃ意味がない。

 

学びは一人一人のものであるということ。その人のタイミングで、その人の気持ちのむき方や興味の深さで全く違ってくる。

 

生きる上で必要な学びは、周りの大人に その人の学びを大切にしよう という気持ちがあれば、日常の中でできるものである気がする。もちろんこれはこどもにたいしてであるけれども、それは大人同士でも同じだろうな。

そのために私は余計なことを言わない、しない、そうできればいいんだけどまだまだそのことも学び中です。人のグチや文句を言わないこともそう。それぞれのペースで学んで行くこと、どうしても私自身がその相手の行為が耐えられないくらい辛ければ、穏やかにつたえばいいこと。責められることに慣れて育ってきた世代でもあるからその感覚を掴むために、日々学び。

 

特に読み書き計算、なんてのは今の時代の日常生活で、子供が知りたい時におとなが丁寧に接することができれば必要な分は、習得できると思います。大ちゃんやその友達をみてると感じます。買い物行っても困ってないし、本だって読めるし、私の知らないおやつが作りたくて、料理本読んで作れてるから、理解力もなんも困ってる気がしません。

 

数学のシグマ(こういうの→Σ)なんて顔文字にしかつかわないじゃんって思ってたけど、電気に詳しい人とかは使う必要があるそうで、そういう人は自分でやってるんですよね。だからその人によって必要なことはちがうしね。これはうちの旦那さんの例 笑笑。私はそれをできるようになることには興味がないけど、その宇宙語みたいな私の知識で読めない計算式が面白くてブックカバーにしちゃって楽しんでる。感性の方で役立ってるかなー笑笑。。

 

あとはこれは今日気づいたんだけど、この人の素敵だって人と出会えること。その人の出来ることはもちろん、その人との会話の中で感じる、言葉や仕草のきりかし、雰囲気。ああ、自分にもこんな要素取り入れたいなとか、自分のここんとこ気になってたけど、こうしてみたらいいのかもしれないってそんな人から気づかせてもらったりする日々が日常にあること。これは、いつ、どこでも、常に気づいて学んで考えて、自分のことをどんどん好きになって行ける魔法のような学び。

 

これって大人より、赤ちゃんや幼児、小さな人の方が感覚が豊かで、そういう中で生きて行けたら、安心して生きる土台が出来上がってく。

 

この大事なことは、バタバタしてる中じゃぞぜったいできない。だから私たちは今、我が子とそこのところを深めているんじゃないかなって思っています。

 

タイで3ヶ月のうちに100人の人に出会う時間。トモエ幼稚園に通う日々。家族で過ごす日々。これは家族からも学んで行けると思うんです。だってお互いに常に成長して行く存在だからら。私の大きな学びはここにあり、じぶんが、うれしい、かなしい、いやだ、を始め、これからどうしたいとか、そのために自分はどうあればいいのかとか、考えることを身につけて行くには、自分のペースの時間が必要だと思うのです。

 

平和は学ぶんじゃない。自分で感じて自分がどうありたいかを考えながら過ごす中で生まれて来るもの。

 

これってすごく大切なことな気がする、って思ってメモするためにミシンを踏む足を止めました。まだまだ気づいてないこともたくさんあるけど、家族との関係、時間を大切にする、それを行動できてる、そんな自分にうれしいなあって感じてます。

 

そしてぐんぐん成長してゆく我が子の学びも考え続けなくちゃなあ、(それによって動きも変えて行かなきゃならないし)、と改めて感じた今朝でした。

 

大ちゃんの握ったおむすび。ツヤツヤでちょうどいいかげん。こにうちのいくつかは醤油麹入れて作ったからのりでつつんだらバラバラーって溢れてきちゃっておむすびとしては食べれなかったのだけども。しゅうゆこうじはおべんとにいれるのも注意です。びしゃびしゃご飯に変わってしまいます。なんでだろう。でもそんなことも知った彼のおむすび作り。

昨日は自分で本見てパンケーキ作ったり、お料理が好きなんだってことにまだまだ驚く私。好きだからすごく丁寧で上手なんです。米粉の扱い難しいのだけど米粉にパンケーキは私より上手。ああ、日々学んでるなし、彼を見てるとそう感じます。

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