我が子との時間、自分と向き合うこと。
自分の家族のこととか、その暮らしじぶんのやおやのありかたがおとなのありかただとおもうことが、当たり前だとおもってた。。それはそうだろうな。
だからわたしにとってこどものころのきおくがないというのもあたりまえだったけど、旦那さんは4歳の頃の記憶もある。
ああ、覚えてるもんなんだな。わたしはなんで忘れちゃったんだろう。。
っておもって、数年経ち、自分の目の前にあることが辛過ぎて覚えていることをやめたんだと気がつく。
学生時代、自分との向き合いにつまづき、心理カウンセラーのもともおとづれたが、心理テストをうけてその結果、あなたには何の問題もないけど、と話を聞いてもらうこともなかった。
今思うと、わたしは自分との親との関係からたくさんの苦しみを抱えていて、それがわからずどうしようもなくて生まれた問題。そこに気づくきっかけをもらえなかったことで、その時にわたしは心理カウンセラーに頼る、という方法も手放した。
わたしの心が震える大人に出会えることのなかった、人生。
それが変わったのは今の旦那さんのおかげでした。
そして結婚をきっかけに、わたしはたくさんの自分の問題と向き合うことになりました。
でもそれはわたしはずっと、心のどこか潜在意識の中で願ってきたことだったのだとおもう。
ああ、わたしは苦しんできた全てはここにあったんだって発見した時の驚き、、これからも続くそれと向き合い超えていくと言う大変さ、でも変わって行けるだろうと言う希望。それを今でも忘れないし、そんな自分の人生も今は大事に思う。
全然綺麗事ではなく、いまでもそれを越えて行く渦中にまた来るであろう新しい苦しみに落胆することもある。でも超えていくしかないと、その度にどこかで腹をくくって生きている経験があるからこれからもそうあると自分を信じてる。信じられるようになった。
自分を信じられる。
それはわたしの希望。
自分を信じられなければ他に誰かを信じることはできない。
多分、愛することにもぐらつきが生じる。
自分は苦しみの中でそう言うことに気づくことができた。
わたしの苦しみ。
自分がどこにいても自分を認めてもらってる感じがなくて不安だったこと。
実家にいても学校にいても、それはどこにいても、まとわりついた。
たった一人、素敵な大人の出会えたら、わたしは救われていたのかもしれないと今は思う。
でも残念だけど旦那さんに会う26歳まで、それはなかった。
でも私には奇跡があった。
その後の逆転ホームラン。
旦那さんに出会って、わたしは愛される心地よさを知った後、自分はどんな人間かを知る必要を感じた。結婚して一緒に暮らす中で、自分がどんな中で育ち、自分が抱えた自分に対するもどかしさを超えて、この人と暮らしたいと思ったから。家族という関係を大事にしたかったから。
我が子が生まれてきてくれて、消し去られていた自分の過去が自分の行為によって、表された。
子どもを非難する、手をあげる。だんなさんのしごとが忙しくて気持ちの余裕がなくなり、攻めまくる。
そんな自分に驚き、愕然とした。
どうして、したくないことをしちゃうのか、ずっとずっと考えた。
止まらないその行為をし続けながら、考えた。
もしかしたらわたしの忘れ去られた過去はこういうことだったのかもしれない。
記憶は消せても、刻まれた感覚は残り続ける。
それは、わたしが子どもたちをファミサポさんに預けて羽を伸ばしても変わらなかった。
働こうとも思った。でもそれでも変わらない、怒ると自然に手が出る行為を減らせてもそれは一緒にいる時間が減ることにより、実質的に減るだけだから。それにも気付かされた。
そしてそんな自分を責め続けた。でもどうするすべもなかった。
寝顔を見ながら明日からやめよう、って決めても、思考で決めただけのことは止まらない。
そんな現実に絶望しそうにもなった。
わたしは子どもたちのことが大好きで、旦那さんのことも大好きで。
それだけは変えられないことだったから、自分からは逃げられないことを痛いくらいかんじた。
そう、自分からは逃げられない。
自分の全てが変わらないとそれは変わらない。
自分のしていることは自分の親のしてきたこと。
しまわれた記憶を自分の身体が再現する苦しさとぜつぼうかん。
でも、わたしは、すでに自分を救ってくれるかもしれない、素敵な人生の先輩に出会ってた。
子どもの頃、心震える大人に出会えなかったけど、大人になって出会えてた。
それを思い出し、相談した。
全てを投げ捨てて、子どもに手を挙げ、放り投げたこの行為をどうやったら謝罪できるか、答えの見えない、けれども、彼らと笑って暮らせるようになりたくて夢中で、自分と向き合いつづけた。
親を責め、自分を責め、涙一滴も出ない自分の心をせめたな。
形だけでも泣いて謝れたら、謝罪の気持ちが子供達に伝わるかもしれないって思いながらそれもできない自分を責めてた。
そんな夢中な一年。
その頃のわたしには支えてくれる人たちがいた。
だからわたしはなるべく子どもと自分だけにならぬようしながら、自分がどうしてそういう行為になるのか、考え続けた。そしていつしかたくさん手を挙げた息子をしっかりと抱きしめ、謝りたいって思うようになった。胸を合わせてゆっくり抱きしめられる心境になかったから、ちゃんと抱きしめたい、って。
そうして、教えてもらった先輩からの言葉。
お母さんの過去を調べてごらん。
調べた直後には、親を許さなくてはと思ってた気持ちがどこかに行ってた。
わたしは幸せになったことがないからあんたなんか幸せ人れるわけがない、と吐き捨てた母のこころのやみがみえたきがしたから。
ああ、仕方なかったんだ。わたしに酷い言葉を吐き捨て、いつも眉間にしわを寄せていたのに、びくしくしていたわたしが、ご飯を食べさせてもらえなかったことはない。母のこの矛盾した行為の理由が、親戚のおばさんに聞いたたった一言で想像できてしまったから。
このときのしんせきのおばさんの気持ちもわたしには衝撃出来だった。でもおばさんにたいして母がしてきたこともしっているので75歳まで母と姉妹として生きてきたおばさんがそう決めたことを、すっと受け入れてるわたしがいた。
おばさんもね、母の暴言に苦しんできて、もう母という兄弟がいたことを忘れることにするからこれから先、おばさんからわたしに母の話をすることはできないの。ごめんね。
そう言ってくれたおばさんが、わたしの質問に一つだけ答えてくれたことの中に、全ての答えがあって、わたしは誰を責めることもできず、わたし自身で、受けて傷と向き合いこえていかねばならないことを静かに感じてた。
母が幼い頃、しんせきにあづけられた時から、母が変わった。幼い子供がきちんと理解できないまま、だれかにあづけられる、かなしみ。きっと、すてられたくらいにぜつぼうしたんだろうな。
そうしてその時から、全ての人が母にとって敵になった。自分で自分を守るしかないと、幼心に察したんだろうな。
母が自分を正当化するために、隣近所と争い、自分をまるごとあいしてくれるわがこにあまえつつ、自分を否定されると思った時にブチっと切れて罵声を浴びせる。
そうするしかなかった母の苦しみを想像した。
だってね、母はそれしか生きかたを知らなかった。
それ以外の生き方があるんだよ、と自分の旦那さんやほかのひとが言っているのに、人のことを信じるのをやめた母には届かなかった。
母の今でも続く苦しみを思うとやりきれない。
もう、わたしにとって怒りとか許すとか、そういう次元ではない。
もうこの事実をただただ受け入れるしかない。
わたしをまっすぐに愛することのできなかった母の苦しみを想像し、わたしが自分で自分を受け入れ、愛される存在なのだと、自分で自分に染み込ませて行くしかない。
その時はそんな風に綺麗に整理して思えたわけじゃないけど、いま、せいりしてみるとこんなかんじ。
そしてね、自分の心を震わせてくれる人が今入ることに改めて気づく。
新しい家族がわたしを愛し支えてくれ、必死に自分と向き合おうとしているわたしを支えてくれてる友人がいる。
わたしにとってのこの長い間の苦しみは橋本病という形になっても現れた。
これはストレスが原因で起こることの多い病気らしいけど、子どもの頃からのストレスかーと改めてかんがえる。わたしが一つずつ、自分と向き合い、幼い頃の経験や感情を味わう時間の不足から未熟さを抱えた今の自分を受け入れることができるようになったら、自分にとってのストレスを、自分で減らして行くことができるのだろうか。
そうしたら、この病は変わって行くかもしれない。
わたし次第できっと未来は変わって行く。
我が子との時間はいろんな意味でわたしの人生を変えてくれました。
この経験から、自分が何か不安にぶつかった時、戸惑った時、じぶんをせめたくなるじたいにぶつかったとき、それはどこから来るのだろうかと考えるようになった。
自分の中にある問題から来るものだったら自分で変えられる。また同じようなことのぶつかった時、不安に飲み込まれずに、考え、動くことができる。
不安になると、怒りになり、家族に雷のように落ちてしまう自分の癖を変えていってる。今でも時々訪れては、わたしに繰り返しここを超える練習をさせてくれる。
日々を積み重ねること。
大人になった今のわたしの人生は側から見たら失敗だらけなのだろうけど、わたしにとっては失敗は一つもない。繰り返して、わたしの中に染み渡らせて行くしかないから。失敗してまた繰り返すことは、わたしの経験を増やす。それは失敗じゃないなとわたしは思う。
そしてこの自分の苦しんだ経験、今も時々訪れるくるしみはわたしの中にある優しさを育ててくれる。
苦しんで辛かったそのけいけんは、誰かの苦しみの想像する。わたしが幼い頃の母の苦しみをすっと心の中に描いたように、誰かの苦しみを想像できるようになる。
わたしは優しい人になりたいから、それを積み重ねる。
そしてそんなチャンスを神様がくれたのかもしれないし母やご先祖様が身を以て教えてくれたのかもしれない。
そう思おうとおもってる。
だから日々自分を超えて行くしかないよね。
家族のトラブルに翻弄されてきたわたしには自分と向き合う時間も、好きなことを楽しむ時間もなかったし、そんな時間を与えられてるということも知らなかった。
自分を知らなくてわたしも人を責めて自分を保とうとしてきた習慣も時々顔を出す。けど、そんな負の自分をしり、ここから変わって生きたいと思う。
わたしなんか消えちゃいたいと、就職して家を出るまでもう10年以上も思ってきたのに、そこの辛さを超えることができた。超えたから今の自分があるんだな、って。
少しずつ変わってきた自分にうれしいとおもう。
表裏のない素直な人でいること、したくないことをしてしまう矛盾した親にはならないこと。
苦しい中にいたから、そこを意識したいと思えるようになった。そう思えるようになるまでに、息子を投げ飛ばしてから6年も経ってたね。苦労させてごめんね。
今は胸を合わせて目を見ながら謝れる。わらえる。
でも、そんな酷い時間があったことも、それがわたしの人生だったとようやっと受け入れらえるようになってとっても楽になった。自分の人生が無駄じゃないと思えるようになった希望。
わたしの中にある課題はきっといつでも今の自分を超えて行くこと。
時々子どもや旦那さんの問題にすり替えてしまうけど、あ、ちがったね、ってどこかで気づく。
全ては自分の課題だ。
今の自分を知り、うけいれること。そうしないと自分を責めるから。
自分の中にある優しさや誠意を感じること。そうしないと自分の出す答えがふあんになるから。
迷った時はゆっくり答えが出るのを待つこと。我が子を待つようにじぶんをまつこと。
日々人の目を気にしてる時間はない。
自分に誠意を持ってできるかぎり、丁寧に生きて行くしかないんだろうな。。
そういうおもいをまたじぶんにきざみこむ。
今日も自分と生きていくために。
優柔不断であることの背景。
私は自分でもどうしようもならないくらいの優柔不断だった。
それが最近、いつまでも悩むくらいならそれを必要と思わないし、自然と決まるようになった。悩んでるのに時間を費やすのはもったいなくてね。
自分の変化を感じられるという自分の感覚がうれしい。
自分と向き合う中で、一つずつ、整理されていまがあるのだと感じてる。
きめた、かわろう!じゃなくて、変わりたいと願い日々を積み重ねるうちに、変わってた。
そうして思考も行動も習慣も変わってた。
その後に来る、自分の変化を感じる時間。
私の場合は子どもの頃に、自分で感じて考えて、行動すると言うことが許されなかった苦しみから、我が子に虐待しそうになり、そんな自分に驚いて、もがきひとつずつあるいて、自分と向き合って今がある。
その中からそんな自分の能力が顔を出してくれたのだと思う。
優柔不断。
これは多分、親に「私が決める」と言う機会を与えられなかったからそうなったんだろうな。
これにもかなり苦しめられました。
でもその苦しみから、私が見出したこと。
それは、小さいうちに自分の感覚で選択し、自分で動き、それを経験することの大切さ。
なにかを選択する時、あるいは選択した時、それは自分の中にいろんな感情がうまれる。それは自分を満たすものであるかもしれないし、恥ずかしいとか、相手がいた場合は申し訳なかったなとか、一緒にこのじかんをすごせて心地よかったなとか、もういくつもの感情がともなうものだとおもう。
その感情を味わい時間がとても大切で、それを大人がこれはしていいこと悪いこと、と言う答えに持って行ったら、自分を生きることができなくなる。
素直な自分がわからなくなる。
いつも親が決めてきた世界から大人になって解き放たれても、選べない。
それにこのみちがあんしんだからって親が選んでくれた道は本人にとって安心じゃないことがじつはおおかった。
今時、こんな服着て行ったら笑われるよ!
私はいつでも母を怒らせないために、幸せになってことがないと言う母を笑顔にしたくて、それでも着て行った。
みんなの目を感じる不安。そしてその場に自分の力であわせることも経験できないまま大人になった。
自分らしさを知らず、自分の力で今いる場所で気持ちよく過ごす方法も自分で生み出せない。
おさないころからずっと抱えてきた苦しさはどうやらそれだったみたい。
自分にとっての心地よさを感じる経験を小さな頃から生み出していたら、もっと安心して生きてこれた。物事が決まらないこともなかった。
今はそう思う。
そうはいっても、必要があってこの人生になり、生きてきた中でたどり着いた今がある。
だから悲しんでいるのではなく、改めて自分の今の気持ちを整理してる。
我が子には自分の感情をじっくり時間をかけて味わって欲しい。
そして自分の感覚で、心で、足で、いろんなことを経験したらいい。
だから私は待てる大人になりたい。
今でも、以前よりはずっとなりたい大人になれた。でももっとまてるおとなになりたい。
旦那さんにも我が子にも、怒りで相手を小さくさせるのではなく、どうしてそういう姿を見せたのかを落ち着いて想像しようとする人でいたい。
私がなにをしてあげたか覚えてるかどうかはどうでもいい。どんなに我が子が小さくても楽しい経験を一緒にしていきたいと思った6年前。そんな日々を積み重ねて、そう考えた理由が今になって自分の中で言葉になった。
彼らが自分で感じることを大事にしたかったから。
あの頃は私がこれ、面白いかも、って引っ張ってることが多かった。それが今となって気づきとなり反省してる。
あの頃は楽しいことを、とばかりおもってきたけどいまは違和感も悲しいことも嬉しいことも、ここちいいとかわるいとかもたくさん味わって、身体をずっとマッサージしながら自分の人生を生きて行ったらいいとおもう。
そのそばで静かに見守ってられたらよかったんだな。
あの頃の私は頭でっかちで余裕も経験もなかった。子どもの頃に、自分のしたいことをできなかったこともてつだって大人になっても自分で選ぶ力が弱くてたくさん迷走しちゃってね。
自分のしたいことに、まだちいさなこどもたちをつれまわしたりもしたな。
こどもたちがいてくれてうれしかった、だから、いまは、小さな子どもたちがどうしたいかに耳をすませられればよかったのに。無理してたくさん移動して、もっと取れたはずの今ここで、じっくり遊ぶ時間をとれなかったね。
これもすごく反省してる。
付き合わせてごめんね。
けど、全ては意味があってこれを過ぎて今の私がいる。
自分のしたいことの中の一つは子どもたちが今を思い切り味わってる姿にふれること。
それをあらためておもうから、今は、やりたいこととできることを調整して、家族と一緒の今、を感じられるようにしてます。
さいきんおもう。
今でもこれどう?って情報をもってきてはすすめてみることもあったけど、そこに私が、彼らの未来を心配する気持ちが伴ってるかどうかをかんがえる。
子どもたちがどんな人生を送るかは私が心配することじゃない。
未来を心配してもそんな未来になる可能性はそんなに高くない。
だから私の期待をそこにのせないようにこころがけてる。
それよりもいま、彼らが感じることに耳をすますこと、彼らが私に伝えてくれたことに耳を傾けること。
それが今の私が最大限できる、私が彼らの人生を邪魔しない方法なのかもしれないな。
人生経験未熟な私が親としてできることは、彼らの人生を邪魔しないことだけだなあって改めておもう。
彼らが感じたことの中からもらうたくさんの気づきに、今になって、成長する機会をもらってる。
私も、今、たくさんの感情を味わい、もっと彼らのことを理解し、愛し、今の自分と旦那さんを受け入れるトレーニングをしてもらってるんだよね。
そしてそんな未熟な私を家族に持った我が子や旦那さんにとっても学びの一つなのかもしれません。
ありがとう。
まだまだわたしは成長過程です。。
日々の中でであうたくさんの人の生き方からいただいたもの。
ここに越してきてあえて外へ出ずも子どもたちは楽しんでるのでこの夏はほとんど山にこもって暮らしてた。
私は畑仕事やらチクチク。
ご近所の自然食の定食屋さんに顔出しがてらお食事したり、週末はここらのおじいちゃんたちが集まって飲み会なので家族で出かけたり。
学校に行かないことを選択した大ちゃんにあわせて、外に出ていろいろ体験することをずっと考えてきたけれど、ここで暮らす中で、パワーショベルが動いたり、薪を木を切り倒すとこから一緒にやったりすることもとても大切な経験と思ってここに腰を据えて暮らすことをした一夏。おじいちゃんたちと協力しながら働いて終わった後の達成感。せっせとてつだってくれる子どもたちにおじいちゃんたちがありがとうと行ってくれて、その気持ちでいただいた予定外のお小遣いを大事に握りしめながらかいものにもいったねえ。
私はチクチク。お友達が頼んでくれて、ていねいにおしたてするなか、子どもたちはバトミントンしたり、野菜を収穫してお店やさんしたり、サンショウウオさがしにいったり。
大ちゃんが音楽好きなので、思い切って音楽会に行こうか?って言ったけど、聞くよりやる方がいいから行かないって断られ、妹と遊び倒して20日くらい。
特段、何か経験を得たぞ!とは感じないけど、日々の中でたくさんのことがあって、小さな経験を彼らのペースで積み重ねられた毎日。
まきは木を切り倒すとこから始まることとか、自分たちの暮らす周りは自然だから知らないことがたくさんあってそれに不思議を感じたり、ワクワクしたり。
よくわからないけど、ここには自然からもらった癒しがいつもあるように思う。
今年はクマさんのことが切っても切れないけど、私たちは不安よりもここにいることが好きでここでくらしてる。それをみんなで確認したな。
布団の中からキツツキが見えることも、あまりに強い雨を簡易な家で感じて自然に対しての大きさを感じることも、洗濯干すの手伝ってくれながら、そばに出てきた黒いアオダイショウがなぜ黒いのかを親子で考えたりすることもここにいるからできるわけで、(私たちは動物を丁寧に飼えるタイプじゃないからかわずにこうしてどうぶつとあえことはとても素敵なことなのです)、それを時間に追われずにできてる日常が心地いというか。
夏休み、イベント満載だから、植松さんのロケット発射会とか、お話会とか切ったら彼の興味が広がるかなって思ってたけど、私が色んな経験させてあげなくちゃーって焦っていただけで、本人はこれでおおかた満足してくれてることを知り、しばらくはじっくり一緒に感じて行くことをメインにしたいなあって気づかせてもらったな。それは息子だけでなく娘もそうで、暮らしに忙しかった分、一緒に過ごして感じることをしばらくは意識していきたいな。
そんなわけで、今日はどっぷり子どもたちと遊ぼうって決めて外に出かけました。
うちにいると、屋根に雨漏り防止のペンキ塗らなきゃ。とかこっこさんの土を変えなきゃーとか思ってしまうから。
あくまで最低限の暮らしと、家族の今が大事。子どもとの時間を捨ててやることじゃない。(だから動物は増やせないのです。。)
動物園で動物見てても飽きちゃうことがわかったので小樽水族館に行ってきました。
相変わらず水槽の魚を見てても動きが同じで飽きてたけど、ショーが素晴らしかったな。
イルカ、ペンギン、アザラシ、トドのショーを見てきたのだけど、トレーナーさんと動物の呼吸がすごい。
そしてトレーナーさんの表情がとても優しくてまあ、この子たちとの信頼関係があるから、ついてきてくれてるんだって思ったら、血が繋がってるわけでもないのにすごいよねーと息子と大興奮。
このショーで感じた気持ちにこの入館料なら安いくらいだとただただ感動して帰ってきたおたる水族館。小さな水族館だからこその間近で見るショーはここがどれだけ愛に溢れた空間かを感じさせてくれた気がします。
大きな生き物たちを目の前にびしょ濡れになりながら、彼らと演じてくれたショーにスタッフさんの生き生きした生き方を見せていただいた気がして。
子どもたちときてよかったーってただただ思いました。
子どもたちのペースでゆっくり過ごした1日。
彼らの言葉をたくさん聞いて表情をたくさん見て。
最近兄妹で遊ぶのも盛り上がってたし、小さな表情を見る回数が減っていたなって感じながら帰ってきました。
10歳を過ぎた大ちゃんと共に居られるのもあと少し、きっとこゆもあっというまなんだろうなと感じた今日一日。
お互いの余韻を大事にしたくて遅くまで遊んで帰っておつかれ、笑。
でもこんな時間をまた大事にして行こうと思った1日。
子どもたちが感じさせてくれる日々を生きることの豊かさと希望に、私はまた子どもたちのペースで日々を歩みたいと気づいたよ。
この夏は大好きなチクチクもたくさんさせてもらったけど、やっぱりもう少し子どもたちに寄り添いたいなっていうきもちがつねにつきまとってた。やりたいことの優先順位とバランス、今を見てまた少しずつ調整していかなくちゃな。
ちょっとまってーを減らしてやっぱり私は一歩後ろを歩いて行こうと思うよ。
楽しい時間をありがとう、こどもたち。
自分がどう生きていきたいかを考えるきっかけをくれたのはこどもたち。
矛盾した自分の行動にがっかりし、それを聞いてもらうことで言葉にして整理させてくれたのは旦那さん。
したくないことはしない。
ついしちゃっては落ち込んでいた自分から裏表のない自分になりたいと思って時間をかけて積み重ねてきた時間。まだ続くこのトレーニング。
でも自分には嘘をつけない。
家族にも嘘をつけない。
自分を大事にすること。
家族で暮らす今を大事にすること。
それができるようになれば誰にでも優しいわたしでいられる。
もっと自分を好きになれる。
私の日々は自分を好きになる旅なんだろうな。
今日を積み重ね、またなりたい自分の近づいて行く。
子供達が今、ここにいてくれることに、旦那さんができるかはり多くの時間を共に過ごしてくれることにかんしゃしてもしきれません。
私が色んなことに感動し、感謝できるのは、家族のおかげだから。
このショーに決まったセリフはないそうです。
全てアドリブで進んで行くこのショーにトレーナーさんたちの愛をかんじたよ。
おたる水族館、すてきなとこです。
真ん中の一番前でみようという長男の話を流し聞きし、高い席に座った方が見やすいと思っていた1回目。ふと、これって私の経験の中から生まれたことであり、私の目線じゃんって思い、もう一度みようと二回目は最前列で。
子どもの声をちゃんと心にとめられてよかったな。
彼の感じた気持ちに少しは近づけたかな。
優しさのセンサー。
昨日ね、お母さん数人と作業をしていた時に、こんな話になった。
ちょうど佃煮を作っていたとき。
「いつもこうしてると子どもたちが今日は何ーってくるけどもうそんな言葉、10年は使ってないよねー、笑。」
「うん、そうだねえ。。笑笑。」
「んでもって、唐揚げ食べたいってリクエストすればすぐ出てくると思ってくるもんね。何もしなきゃできないんだってば、笑。」
「そうそう!」
「先日子どもだけのキャンプに行って自炊して帰ってきて、ご飯作るのって大変でしょう?ってきいたら、うん、ってなっとくしてたわー、笑笑」
そんな話を一緒に聞きわらいつつも、いつも暮らしに時間がかかる我が家とは違う光景だなーって気づかせてもらった。
数年前まではうちもそうだった。
私も、そんな子どもたちにご飯ーって行って出てきたらもう毎日なんでもいいわー、っていってたな。
最近いつもいつも気づくことがある。
子どもたちの優しさに。
私の気づきが深まってきたのと、お互いに感覚が変わってきたからだと改めて感じた。
うちのご飯はご飯と畑から取ってきた野菜でお味噌汁とお漬物かにもの、のひがおおい。
野菜があまり取れない日は一日中野菜は水菜だけってこともある。
スーパーを避けたり否定してるのではなく、今年は山から下りるのが容易ではなかったり、せっかく苦労して育てた野菜を無駄にしたくないから。
それでも子供達は飽きたなとはいえど、文句は言わない。
タイでの暮らしを積み重ねたこともあり、目の前にあるものを食べる、という習慣がついているから。
そして子供達がお腹がすいたときに、できてなかったときも、おなかすきまくりーとかいいながらも、子どもたちは仕方ないよね、って心をどこかに持っていてくれる。
ごめんごめん、とやっていると手伝ってくれたり、おなかすいたーってずっといいつつも、怒らずにまっててくれる。
タイでの暮らしで、まきから火を起こして作ることが容易でないことをしってるから。
畑から収穫して作ることにかかる時間を知っているから。
優しさのスイッチが多い彼らが今の目の前のことを受け入れてくれてる。
そう思うからそれでおたがいにイライラする時間にならない。
それって母子関係ではすごく大事なことだなってきづく。毎日起こりうることだからね。
自分でとりあえず芋でもむすわーって動き出す息子。
ありがとう、って思う私。
ありがとうが飛び交う時間。
おもえば日常の多くの場面で子供達はありがとうを口にしてくれるようになった。
手も貸してくれるようになった。
猫の手も借りたいくらいのことがたくさんある手作りの暮らし。
その私たちがマックスになる加減を子どもたちがいつもセンサーを働かせてくれてる。
遊びが切り上がったところで、手伝おうかってきてくれることのありがたさ。
このありがとうが日常の中で積み上がり、家族間でありがとうと思う時間のおおいゆたかさ。
私がくだらないことで(自分の未熟さで)おこることが減ってきたのはそんな彼らがたくさんの優しさを向けてくれるから、彼らにいつも感謝があることで、負の感情をぶつけられなくなってきたからだとかんじてる。
手を貸して、ってお願いすることもあるし、遊びが盛り上がってるから、地道に私たちが動くこともある。そうすると、彼のそのセンサーが作動し、「つかれてるのにありがとう。今遊ぶのが楽しくてできなくてごめんね。」といってくれる言葉に胸がいっぱいになる。「遊ぶのも大事なお仕事だよ、いつもありがとうね。」としかいえないわたし。
それが今の我が家の日常。
暮らしの中からお互いに感じて想って動いて、表現して、もっとお互いのことを大事に思う。
そう思うから、だんだんと親の権力を降りかざせなくなってゆく。
そうしない、と決めても感情が先にたち簡単にはそうできない私が、そういう体と思考になっていってる。
我が子に対する敬意が一緒にいればいるほど大きくなっていってるなっておもう。
私にとってそんな彼らの優しさが信頼となってる。
だから私も優しさを感じるセンサーがもっと増えてゆくといいなっておっていてきょうこのごろ。
そんな昨日、幼稚園のスタッフさんが伝えてくれた一場面。
ともえがおわってスタッフさんがといれ掃除をしていたら、トイレを使いにきた息子が、「いつもありがとう😊」っていってくれたのー。
と。彼の優しさのセンサーはどこでもはたらいてることが嬉しくなった。そんな感性を持っていてくれてありがとうっておもった。
表も裏もない彼の姿にまたわたしはまた敬意を感じてる。
本当に大変そうだからてつだおうとおもう。
大変だとわかってるからありがとうって気持ちを伝える。
そんな子どもたちのあふれんばかりの優しさにありがとうって想いがとめどなくあふれて、いつでも私たち、おやのなかにある。
家族ってこうしてまわって行くし、深まって行くんだ。
もしかしたら、昔の方が良かったといってるおじいちゃんやおばあちゃんの想っていることの中の一つはこのことなのかもしれない。
私たちがタイに行くことを積み重ねてきた形がこんな風に見えてくるとは想像もしていなかった。
でも私はこんなふうに家族がいられて、安心と信頼をいつまでも積み重ねてる日常となって、いまのひとつひとつが大切だといいきれるようになった。
それはなにものにもかえられないゆたかさだって、今改めておもう。
くらしをつくるのにひっしなこともある。
欲と金銭的バランスに悩むこともある。正直、この時代に生きているのだからお金はもっと必要だよね。
この世な中で変わり者の暮らし方だから、現代社会を否定してると思われて困ることもあるしさ。
でも私はいまのこの暮らし方が好きで、家族にとって大切なことがここから生み出せることもこうしていまはっきりと感じているので、私はこの暮らしをもっと続けてみたいと思う。
昔の暮らしを知りたいと思うし、いま、ギリギリのとこで人生の先輩から私たちが引き継いでおきたいと思う。
いまの時代の良さと、昔の良さとのいいバランスが見つかって暮らしがもっとまわって行くことをおもいえがきながら。
おくりものと夢。
お世話になってる方にプレゼント。
wildberryさんの型紙でシャツ。
男前にダボダボなのが良くて冬は厚地で重ね着したらよかろーなー。
こんなものをプレゼントできるようになってうれしい。
好きこそ物の上手なれとはよく言ったものだなあ。
お裁縫好きになって三年、150着は軽く超えて仕立てた数。
仕立てた分だけ学びになってる。
学びってたのしい。
こちらはオーダーしていただいたものですが。
hoorayさんのサロペスカート。
お色はパープルのリネン。
ロック処理も色を添えて可愛くー。。
もちろんお渡しするときはラッピングではなく、ハギレで作った袋へ。
旅行の下着袋や、本を入れてバックにインして持ち歩くのにもいい。
受け取ってくれる方が好きそうな雰囲気をイメージしながら最後までお仕立てしたよ。
夢は同じ形で丈を変えてたくさんのリネンかコットンで仕立てて並べて虹色マルシェをすること!
店番しながらハギレとかでこんなコサージュとかもつくってー。
大人でいるのも結構楽しいものだと知った40代の始まり。
大事なことはいくつになっても楽しいことと出会う感覚を忘れないこと。
それは自分への希望になるから。
自分と向き合うこと。今の自分を受け入れること。
最近、昔の感情が蘇る感覚を自覚できるようになり、気持ちが揺れる感覚も、自分じゃないものを見てるように感じることがある。
そんな時があった2週間前。
イベントに参加した時だった。知ってる人ばかりのイベント。
その時に何人かの人が盛り上がってるのを見ていて湧いてきたかんじょう。
学生時代に、みんなが盛り上がってる中に入れない自分が悲しかった。
文化祭で、いえーい、ってなってるときも私の心はいつでも見られてる自分への不安の方が大きくて。
楽しんだり、心から笑ったりするのができない人だった。
それを手放し、心から楽しめるようになった今、そうじゃなかった頃の感覚が蘇ると、あれーという思いとともに不安になってゆく感情も感じられるようになった。
自分らしく生きられるように変わって行くことの安堵感の中に現れた、不安。
ああ、私は今、不安なんだ、と自覚する。
そして気持ちが揺れてる自分に仕方ないよ、そうだった自分を認めて、受け入れて、それを土台にしてどうなって生きたいかを整理してただ歩いていくしかないのだから、と言い聞かせる。
これを何度も繰り返して、気づいたら、そんなことしてたことをわすれるくらいになってるだろうとおもう。その時が本当にかわれたとき。
かわっていこう、って言ってるうちはかわってないんだ。
変わるのは思考だけでは無理だから、心も身体も全て連動して、行動が自然に変わってたときに初めてそこを超えたことになる。
だから、ゆっくりかわっていけたらいいなとおもう。
なんどもおとづれる、苦しい時の今の自分、を受け入れられたらこの不安から解放されるんだろうな。
この時のイベントで、この感情に揺れた気持ちが辛くて、自分も参加をしてみた。
誘ってくれて友人がいて盛り上がりの中に入った自分がいた。
その友人との時間は楽しかった。
けれども、この輪の中に入れた自分はそれほど楽しくなかった。
なんで、わたし、もりあがりのなかにはいりたかったんだろう。
学生時代に10年以上抱えてきたこの悲しさが一気に吹き飛んだ。
自分が心から楽しいと思うことにいえーいってなればいいことであって、人さんが盛り上がってるのを羨むことはなかったんだな。
誰かとつるめない自分は寂しいやつ、っていうのはおもいこみにすぎなかったんだな、と学生やめて18年も経ってしった。
自分がしたいように、丁寧に自分と接していけば、わずかでも深い友人がいてくれる。
友達100人いなくてもいいんだー。。と頭でわかってたつもりだったけど、いきなり腑に落ちた。
不安が一つきえました。
こうして今の自分をを受け入れて責めるのではなく、どこかで変わって行くのだろうと信じて生きられること、そんな自分で家族と仲良く暮らせること。
私がずっとしたかったことなんだと、はっとして。
自分を大切にしていけたら、ストレスからくる橋本病も楽になって行くのかな。
自分のそばにいる人たちと優しく楽しく、暮らせるのかな。
自分の感情と向き合い、振り返り、整理できるようになってきた今日この頃。
長い長い心の旅。
でもこうして誰のせいにするでもなく、自分の問題として処理をしていける感覚をつけつつある自分が嬉しいなと思う。
とりとめない自分との時間。
ミシンを踏む時間が好き。
とめどもなく好きなことを見つけられたという奇跡は、私が私でいることをささえてくれてるきがします。布が立体的になって行くこの作業が好き。
自分が好きだっていう感覚をキャッチできた自分によくやったねー、よく超えたねーと嬉しくなる。
まだまだ超えて行くものがあるけどきっとだいじょうぶ。ゆっくりいこう、わたし。
水通しした布が風に揺れるのも好き。
サロペットスカートとタイパンツに仕立てます。