日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

私のブログ。

   今朝、旦那さんが言ってくれました。私のブログはエッセイだよねえ。。いつも長くなってしまってすみません。けれど、これを描く一番の理由は自分のため。正直に申し上げると、自分の考え、感覚を自分の心で整理するため、というのが一番の理由なのです。もし、どなたかが読んでくださり生き方の中でシェアできることがあったら、シェアしていただけたら嬉しい。

 

   でも、これは私の経験であって、どんどん伝えよう、とかこれが正しい、とかは全く思っていなくて、私が生きていきたい道のりを、自分の経験から記録したり、試行したり、表現したり、ただただそれだけにすぎないなあと思いながら、公開しています。そしてそれは日々を積み重ねる中で、新しい気づきをいただき、また変化していくこと。

 

   今の私は、生きることが少し、楽になった、そして楽しくなった。TVの世界は悲しい事件ばかりを取り上げることが多い気がしているので、嬉しい気持ちをこうして表現することも意味があるのではないかなと思っています。

 

   私はいろんな人に出会わせてもらって、大人になってからでも愛を感じられるようになった。問題を抱えた家庭で育って来た私ですが、お母さんとの関係も自分が出会って来た方々から気づかせていただいたことで時間をかけて癒され、もう誰も恨んでいません。でも、それは私に、「今、あなた苦しんでるでしょ?何に苦しんでいるのか目をそらさず、見つめて超えてごらん。」と言ってくれた人がいて、支えてくれている人がいることを知り、愛を感じ、あまえることができるようになったから。そんな私を支えてくれる人との出会いに気づけるような自分になり、そんな出会いの機会を幾度も頂いたから。そして、そうして少しずつ自分に希望を持ち、行動できるようになっていったから。

 

   そう、私は人との関係で変わってゆきました。そうしてそんな私を見守るかのように自然が存在していることを知りました。自然の中から人は生まれた。そんな自然は、理屈ではなく、人を変える力を持っているのだと思います。私は自然がどんな仕事をしてくれ、どんなに私を支えてくれているのか、まだまだ理解できていません。それは自分の身体に対しても同じ。私の心臓がどう動き、どんな風に微生物の助けをもらっていきているのかも知らないことだらけです。そんな私が、これからの未来に希望はない、なんて言えません。希望を持ちたい。悲しい ニュースではなく、希望のニュースを表現してもいいのかなって自分のために、ここに綴っています。私はきっと、自分を愛することの大切さを、子孫にどんな世の中を残していきたいか、具体的に考えることの尊さを、気づかせてくれる人々と出会えた 、ラッキーな人間。昔の苦しみは、きっと私がもっと豊かになれるように与えられた課題だったのかもしれません。かわいそうな人とも言えるけど、自分をどう表現したいかも、自分の思考次第なので笑笑。

 

   でもね、たった1つだけここで伝えたいことが今、わいてきました。そんな「自分を支えてくれる人との出会い」というチャンスは、私だけでなく誰もが与えられているのかもしれないということ。ものが豊かになっても、人の心は自分だけではいきてはゆけません。それは一般論ではなく、私の経験から、かんじていること。愛をもらって、自分がこうなりたいと思い描いて、自分を愛せるようになって、幸せを感じることができる。そうしてそれを超えて、相手が喜んでくれることをしたいと思う。

 

   そんな過程を、支えてくれる存在が自然であり、人であると今は感じています。もちろん家族でなくても、本当に愛してくれる人であれば大丈夫。なるべく小さいうちにそんな人と出会えればもっといいけれど、大人になってもきっと大丈夫。、、、、と短く終わらせる予定がいつも長くなってしまいます。。

 

   くるくるくるくる、考えてしまうそんなこと。今朝は久々にスイッチが入り、怒った私。コユってば、私のお財布から小銭を出して遊び始め、仕分けしたポッケの中身をまぜこぜにするんだもの。スイッチの入った私は、「いい加減にしてくれる?」といきなり、怒り口調でいい、「ばかばかばかばか。」と、言い。。。けれど、止まらなくなる、きづいて、奮い立たせて一呼吸入れに。「ちょっと怒りが止まらないから足湯してくる。おうちから居なくならないから、1人にさせてね。」と、お風呂場で足湯。身体があったまれば、頑張って意識を変えなくても、自然に気持ちが変わってくるかなと、アロマオイルをたらし、足湯すること10分。

 

   案の定、やめてほしい理由も言わずに、大きな声を出すのはなしだったなあ。。と自分が反省。お風呂を出て謝りにいきました。「理由も言わずにバカって言って大きな声出してごめんね。」と抱きしめる。うん、って笑顔になりながら「コユもごめんね。」と言ってくれるけれど、コユは何にも謝ることしていないのになあ。。「コユは何にも悪くないよ。伝えてなかったのは私だから。でも仕分けしてあるから今度はまぜこぜにはしないでね。」と伝えて、「ごめんねー」、連発の私。。

反省だけど、怒りをエスカレートさせて 「あれ以上、コユを責めなくてよかった。うん、動けた自分に、わずかな進歩。なりたい自分になるための成長過程。」と心の中で今の自分を受け入れて、このことを引きずらずに今日の日を過ごして居ます。私がいなくならないと信じて、怒られて涙したのに私を1人にするために待っていてくれたコユに感謝といとしさがあふれます。ありがとう。

そんなこんなはあるけれど 確実に自分は変わっている。穏やかな日々を過ごすために。素直に過ごすこと、私たち家族の共通の生き方です。

 

もう1つ。

そんな素直な旦那さんと最近話すこと。大人って 何だろう、子どもって何だろう。

身体が大きくなること?でも経験はつみかさなっていない人生もある。
知識があること?でも知識があっても幸せじゃなさそうな人もいる。
社会でお金を稼ぐこと?でも生きるのがつらくても頑張り通しながら働く人生もある。
素直な表現をするのは子どもなの?
大人になったら好きなことばかりしていてはいけないの?

わからないことだらけ、です。。

 

さてと。。うるかすのに2日もかかりました。これから麹を仕込みます。まずは蒸し米を作ります。昨日に続いて本日は三段調理!!玄米も炊けました。あとはストーブで作ったカレーでご馳走。いろんな料理を作るのではなく、新しい暮らしを創造し、体験することが楽しみになりました。わあい!!

 

   I am making koji.I can make miso from this. I steamed rice. Then I cooked brown rice with this.This is eco cooking! Yeah!!

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久々の発酵器、旦那さんのお手製。本日めでたく命名。「ぷくぷくゆうきくん」今年もよろしくねー。しばらく使って、改善箇所が出てきたので、旦那さんに直してもらいました。

 

 I made koji.After steamed,I putted koji bacteria.I hope they grou up fine!!

   種菌つけて。。

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My husband made famented machine for koji!

ぷくぷくゆうきくんへgo!

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タイ料理に挑戦。。

   今日はトモエのお友達一家が来てくれるということでご飯作り。せっかくなのでタイ料理でお迎えしました。人参でソムタムを作り、カビのアレルギーの心配があるからうちではピーナッツを使ってないので、クルミで代用。ついでにスクイーザーもないのでハンドスクイーザー でレモン絞り笑笑。写真撮り忘れちゃったけど、ステンレスのレンゲでよくしぼれます。アイデア勝負の人生、結構面白い物のすくない暮らし。

 

    そしておなじみ米粉麺の焼きそば。パッタイ。そして大ちゃんがトモエのこどもまつりで笹の皮を包みに使って作りたいといっていたもち米とバナナを蒸したおやつ。トムカオパット。去年、カオニャオマムアン(もち米にマンゴーを添えたデザート)をつくったら油っぽくなっちゃったので今回は缶詰のココナッツミルクを薄めて使ってみたらグッド!!缶詰は機械で絞ってるので、ココナッツから自分で絞るミルクより、濃厚すぎてちょっと重くなってしまうんですよね。クッキングシートを結構使っちゃったけど、美味しくできました。もう少しあったかくなったら、フィールド産の笹の葉でチャレンジしようと思います。

 

I made Thai cooking. This is steam sticky rice with banana.And I steam this. 

Then I have ecological idea. I made sweet and breakfast here. Under steam pan,I put another small pan. Please look another photos.

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   でも1つ思いました。ココナッツミルク好きだし、タイ料理も好きだけど、この地で取れるものでないから、フレッシュじゃないし、添加物の使用も免れない。もちろん輸送のエネルギーもハンパないはず。考えて見たら当たり前のことなのだけど、感じてなかったな。いろんなものを食べて来たから気づかなかったこと。身体にとって 色々なもの は必要ないのかもしれません。その地で取れたものをなるべく手間をかけずにいただくことが、心にも身体にもベストなのかもしれません。だからこれは特別メニュー。でも、そんなお楽しみも時にはイイ!

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   旅するコピーライターのみずほちゃーん、これ見てもらえるかわからないけど、今度会う時に、これ作って待ってるからねえ。お腹空かして来てね。

 

 

   さてとトムカオパットを蒸すのに、30分。エネルギーがもったいなくて二段調理に挑戦しました。下で五目豆を作り、セイロで蒸しおやつ。そして。。。

This is ecological cooking.

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    できたあ!!これ、いいです。実はプロパンがあまりに高いからカセットコンロ暮らしを帰国後、実践しています。正直なところ、カセットガスのゴミが出るのでまた改善してゆきたいけど、これをきっかけに、ガスの使い方を考えるようになりました。だから二段調理。鍋以上に火を大きくしないこと、沸騰したらすぐ止められるようタイマーを使うこと。そしてもう1つ、ストーブの活用。以前は時々だったけど今は毎晩に野菜をきって次の日のお汁用にストーブにセットしています。一番はどうすれば必要最低限の使用で済むかを自分の暮らしのレベルで考えること。なので、このゴミが出るけれど、その分、意識が広がって他の行動にも結びついているのでそんな経験も必要なことでもある気がしています。でもやっぱり燃えないし循環しないゴミなのでもっともっと改善してゆきたいです。

 

   This is breakfast.Boild bean and vegetable.

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    お友達もいろんなものを持ち寄ってくれて、小さなバイキング。安心バイキング。お料理上手なお友達の愛情ご飯は、とっても美味しくて楽しかったです。yくんのつくってくれた唐揚げも美味しかったなあ。。こうして自分も楽しみ、みんなが喜んでくれる経験は肌で感じる時間は、彼をもっと豊かな人間に育んでくれるのだろうなあ。そんなお友達家族とのご縁にもただただかんしゃしています。こどもたちはおもちゃの少ない我が家でクリエイティブに遊んでくれました。そのあとはフィールドへ。

 

    こどもたち、長めのマキに新聞まいて火を灯してキャンプファイヤーもどき。自然の中では遊びがつきません。そして火の魅力。そうして人が生き延びて来たのでしょうね。子どもたちの発想に今日もワクワクする私でした。ありがとう、こどもたち。

 

    

 

 

 

 

 

食生活が変わって一年。

   食生活が変わって一年が経ちました。発芽玄米にお味噌汁、おかずは和食。小麦粉を止めるために、パンとパスタはお楽しみ程度。なぜやめたのかというと、タイに行ってしばらく小麦から離れて、久々に食べたときに家族全員、お通じがなくなったから。我が家には合わないんだろうなあっていうのが一番の理由。

 

    旦那さんはなんでもオッケーなので文句も言わずに美味しそうに食べてくれます。コロッケが大好きだった私。洋食も大好きだった私。無性にミートソースパスタが食べたくなったり、ふわふわの食パンが食べたくなったり、ナッツとドライフルーツの硬いパンが食べたくなることもありました。

 

   タイで美味しく頂いてきたので違和感なく、麺を米粉麺に変え、ラーメン風、パスタ風にして頂いたり、時々外食に出た時はコロッケ食べたり、してました。パンも同じ。月に一度くらいだったかな。。

 

   そうして一年。白米が味気なくて玄米の方が好き。でもたまの外食では美味しくいただきますが、食べすぎちゃいますね。味がないので軽くてホイホイ入って行くのです。今は食卓の上は一汁一菜になりました。頑張ったわけではなく、自分が頑張らない方向に向かって行ったらそうなっていました。そして私は1日2食。

 

   過食傾向が長かった私は、もちろん今でも食べ過ぎな時はまだあります。甘いものも欲します。けれど、身体からケーキが抜けました。コロッケも抜けました。食べ放題に行った時は、気持ちは食べたいのに油っぽさに身体がギブアップ。パンも今はなくても大丈夫。欲しい時は米粉でパンケーキを作ります。あんなにふわふわではないけれどなっとくしてくれる体に変わっていっています。

 

    欲が良くないというわけではないのですが、長年の癖で食べたいーって頭が思っちゃうんですよね。甘いものもおんなじ。でも私の場合、食事療法で玄米にしてもらってから、おやつも変わってきています。今はケーキ屋さんの前を通ってもほしいっておもわなくなりました。半年に一度くらい、買ったりはします。けれど、1つ500円のケーキをこっそり買うより、4つで500円の大福を家族4人で食べる方が楽しい。うちで作る方がもっと楽しい、と思考も気持ちもついてきてくれるようになりました。

 

   きっとお世話になってるクリニックで処方してもらっているフラワーレメディの効果だと思います。気持ちがついていかない状況でやっても、習慣は変わっていかないなあと今なら理解できます。リバウンドって、きっとそういうことなのでしょうね。

 

    けれど、クリスピー感はまだまだ身体から抜け切らずで、今日は久々にクッキーを焼きました。本当に久々、これはゆっくり時間をかけて身体から抜けて行くのを待とうと思います。でも基本的に頭に負けちゃうので油は家には置いていません。久々に購入したアーモンドを粉末にして米ぬかとわずかな米粉を混ぜます。これまた久々に麹を仕込むためにぬかがでたので。それにキャロブパウダーを混ぜたら甘みが出てびっくり。わずかな蜂蜜を足したけれど子どもにはなくてもいいかもしれません。フライパンで焼きました。油がなくてもアーモンドのおかげでいくらかクリスピー。十分です。

 

    I made cookie. This is non gluten. This is made from rice powder,rice bran,almond powder,carob powder,only one spun of honey. And I grill this by frying pan.

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    おやつタイムが特にない我が家、デザートにしました。ということで今日もプレートごはん。昨日、旦那さんのやってる塾で使うということで卵があったので、小さなオムライス。バジルと昨年取れたカレンデュラの花を散らしたら可愛くなりました。女子のコユが喜ぶなあ。キャベツの塩もみとお汁を添えて。

 

Today is special ranch.But this is easy. Herb slot omurette rice with dry herb,lemon solt with cabbage and miso soup.

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   麹を仕込むのにお米を浸水中です。

 

I am making koji. Koji is famented rice.In Japan,soya source and miso is made from koji. This is verry important item as Japanese.But now,in Japan,almost people can not make koji. But I try this. Because I want to keep traditional culture. I need 5day for making koji.

 

 First,I put rice in the water.

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1人の子どもが育つには、1つの村の支えがいる。

   今日は昨日の続きから。昨日子どもたちと呼んだかぎばあさんシリーズより。

 

   続いてかぎばあさんシリーズ。これ、こんな面白かったんですね。すっかり忘れていました。そして、時代を反映した背景に引き込まれました。いや、感じさせてもらいました。かぎばあさんって、両親が共働きで鍵っ子となった子どもたちを助けてくれるおばあさんだから かぎばあさん なんですね。

最後の作者、手島悠介さんのあとがきに、今の私の気持ちが重なりました。ので、少し短めにまとめて、抜粋させていただこうと思います。


"さて、久しぶりに3人の泥棒の登場です。そのボスは生意気にも「1人の子どもが育つには、1つの村の支えがいる」と言いましたが、これはアフリカの素晴らしいことわざです。

「1人の子どもは親の力だけで育つものではない。村の人たちの協力と愛情にくるまれて、育っていくものだ。そして子どもは村の財産なのだ。」

というような意味合いですが、先進国では、核家族化がどんどん進んで、大人にとっても、みんなの共同体としての生活の場というものが、なくなってきています。

ですから、立場の弱い子どもたちは、「みんなに愛され、教えられ、育てられていく村の子 地域の子」ではなくなって、全てを両親に頼るしかありません。鍵っ子にもそうでない子にも、広がりのない、孤独な世の中になってきたと言えるでしょう。"


この本は1994年に発行されています。私たちはこの時代に子どもをしてきました。そうして今、我が子を産ませてもらっています。そんな私が感じていることを正直にここに書いてみようと思います。

   我が子を愛せない苦しみを抱えている母親が今、たくさんいます。私もそんな人の1人でした。それとともに、両親に本音を言えない小さな子どももたくさんいます。

   小さな子はきっと、働きに出ずにお母さんかお父さんにそばにいてほしい気がするんです。でも正直なところ、それができない親も多いのではないかと思うのです。それはきっと、子どもとどう関わっていいかわからないから。子どもに寄り添うことができないから、自分が働いていた方が自分らしくいられる気がするって思い込んでる方もいる気がするんです。でも、お母さんからもらった愛は、かけがえのないものだと思います。小さな期間だけでもいい、寄り添ってもらうことが、彼らが心を病まずに生きていく土台になる気がするのです。そう、この小さな時間は、これから何十年も生きてゆくための土台づくりの時間なのです。もちろん、お母さんがいない子だっています。働かざるを得ないお家だってあると思います。そんな子は、お父さんだって、地域の人だってきっといい。助けてあげてほしい。心からの愛を感じること。仕事が休日のわずかな時間だけではなく、時間をかけてじっくりと。(私も仕事をしていたら、それはできないとおもいます。休日は家事もしたいし、自分の好きなこともしたい。そうしたら子どもに怒りながら接してしまうと思うのです。それはきっと自分にとっても子どもにとっても苦しい時間になるとおもうから。一番正直に接してしまうのが身近な家族。自分がイライラしているときは、その感情のまま、子どもに、パートナーにぶつかってしまう、そうして最終的に自分を責めることになると思うのです。)

   それでなくてもお母さんは身体を休める時間があまりありません。おっぱいして、起きてる時間の半分は家事で終わり、半分は小さな子どもとの時間。頑張っても自分の時間は2時間くらい。それも毎日は取れません。子どものエネルギーは大人にはついていくのが大変で、ヘトヘトになっちゃうから。そしてそんなに一緒にいても、自分の子どもを100パーセント知ることは難しいのです。一緒に暮らしてるから、相手を知ることって大切だし、知る事で寄り添い方が変わってくる。

   子どもに寄り添うって大きな仕事だと思うのです。そしてね、地域で育ててもらっていたら、お母さん、平和でいられるんです。自分が信頼できる人に、一緒に見てもらっていたら、我が子がより、愛しく可愛く感じられてくるのです。

 

   いつも口からわざと水を吐き出して遊んでいる時期が大ちゃんにありました。片付けが大変、ってイライラしていました。けれど誰か一緒に見てくれる人がいたら、その人に安心して抱かれる関係だったら、密着関係によるイライラがなかっただろうと思います。このままでいたら困ると、かってに不安になって口うるさく怒ることもなかったろうなあと。一緒に見てくれてる人が抱っこしてくれている余裕な時間で拭けばいいだけ。年配の経験のある方ならそんな小さな人を見て笑うでしょう、この時期だけのことですもの、一緒に笑っていればいいだけ。小さな人はどんなことも自分で経験したらきっと、卒業を迎えていくとおもうのです。小さいから、いろんな経験しても困るレベルは低いと思うのです。小さい人が誰かをどついても、相手が大怪我をするようなことはほとんどないだろうと思うし、たくさん経験できるよう見守っていけたらよいのだろうと感じています。それを見守れるのは、家族、村。保育園でやってもらっては、保育士さんの心臓がいくつあっても足らないし、本当に大けがにつながることが多々おこると思うのでそれができづらいのは痛いほど良くわかります。だから仕方がない。

 

   実際、大人からさほど離れない子どもとの遊びの中で、滅多に病院にいくことなんてなかったです。目が届けば配慮もできるし声かけもできます。子どもは集団になると、まだ周りの危険を察知できていないので、そこから事故が起きてしまうだけで、一人で草履で坂を駆け下りても転ばないし、3歳だって二階からの手すり滑りやら、ローラーブレードもやっちゃうくらいの身のこなし。すごいです、本当に。休みなくやりたいことが出てくるので、それをこなすだけの支えをいただいてるトモエ幼稚園の子どもたちの未来、輝いてるわけだよなあと改めて思います。

 

   そしてね、そうして大人が自分の気持ちをたくさん受け入れてくれることを知ったら、伝わる力も大きくなっていくきがします。今の我が家の母子関係がそう。コユが意地はってるときに、ときどき大ちゃんが助け舟だしてくれてます。

 

   このまま大きくなってしまい、困るかもしれない。それが不安になって怒ってしまうこと、私もたくさんありましたが、これは無駄怒りで自分にもよくないですよー。あとで自分を責めますから。そうしてまた気分が下がって怒る、の繰り返し。この「村で子どもを支える。」というのは、子どもも人を信頼することと愛を学べるけど、お母さんにとっても安心と愛を学ばせてくれたり、きづかせてくれたり。


   そんな中で育った子どもたち。私たちがタイの村で出会った子どもたちがそうでした。目の輝きが違うって言うけれど、本当に違っていました。大人になっても目が輝いている人がたくさんいます。トモエでも感じてはいましたが、確認できて嬉しかったな。

 

   サハイナンで仲良しだったピュアさん。ふざけすぎるし、賑やかすぎる大ちゃんに、いつも穏やかに大切に接してくれたのは何故だろうって思って、彼に聞いて見ました。あなたは母に怒られたことないの?と。そうしたら 「そのことを心配したことはないよ。」といつもの笑顔で答えてくれました。きっと村の支えがあり、穏やかな母子関係があったのでしょう。彼は10年前、大好きだったけど、自分のやり方に合わない仕事について悩んでいたそうです。そうしてそれをやめて自分が本当にやりたいことを探してここにたどり着き、今の幸せを感じているそうです。「あなたにとって、幸せってなあに?」ってナイスな質問をしてくれた我が友に、「今だよ!」と、答える30歳男子。ここ、タイの田舎の人は、大人も素直なんです。子どもみたい。

 

   村が支えた宝であり、希望である命は、きっとうまれたときのまま、輝いてそこにいました。生まれた時はどうだったのかわかりませんが、でも、きっと自分で表現できるようになった今、生まれた時より輝いているのかもしれません。村の財産として存在する人の命を、村の大人は、集団としては見ないでしょう。きっと 個 として受け入れる。愛する。その関係が何よりもかけがえのない、豊かさなのではないかと今の私は感じています。そしてそれがそのまま優しさになる。私もきっとそんな存在だった。今、家族が小さな村だとしたら、そう。昔感じられなかった愛をここでいただき、私は人を愛せるようになりました。今の私の優しさを持てるようになりました。優しさを使った時に、相手が喜んでくれたら嬉しい。

 

   優しさは使えば使うほど優しくなれる、ってそう言うことかな、園長?優しさを積み重ねて、歳を重ねていきたいです。これが私がトモエの園長と村から、伝えてもらったこと。小さな人にも大きな人にも、私らしく共に過ごす時間を持つなかで、優しさをこれからも使っていきたいなと思っています。

 

   コユが時々洗い物をしてくれます。そして自分で片付けてくれたそうです。彼女の興味と優しさが伝わってきて、ありがたいなと思います。どれくらい汚れが落ちてるのかわからないけれど、油を使ってないのでまあ、いっか。彼女の満足気な顔と、優しさが嬉しい私たち。お互いの思いが噛み合った瞬間。それを感じられるのが私たちにとって豊かな時間でもあります。この心の余裕、キープできる人でありたいな。ありがとう。家族の思いも気持ちよく循環する。これもパーマカルチャーだと思います。

  Today,my daughter washed dish.I'm not sure this is clean.But I don't use oil.So It's ok! She is happy,we are also happy.And this is her kindness.I think so. Thank you for your kindness!I told her.

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そしてもう1つ。大ちゃんは時々買い物に行くとあれ食べたいから自分で買う!と言いながら買い物をします。本日はレトルトのお味噌汁が飲んでみたくて購入。あとは先日食べて美味しかったユリ根。こちらはモリモリ食べるので我が家的に予算が合わず、今日は買わないよ、というと自分でお買い上げ。でも自分で買うと特別なものになるようで、自分で大事に抱えてお料理も自分で考えて楽しんでいるんですよね。買ってあげたいなって思ったけど こんな彼の経験も貴重な物ですね。こうして気づきを頂いて日々を重ねて行くわたし。買ってあげないことがかわいそうな訳ではないってわかって、見守ることができてよかったなあとかんじています。

 

Sometimes, My sun bought favorite food by his money. I want to buy these for him.But I can't as such anytime.

 Today,he bought organic instant miso soup and vegetable.When he buy this,he think how to cook by himself.And he treasure this.So this experience is good experience as him. I could follow him with my eyes.This was good.I think so.

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一汁一菜我が家ご飯から生まれた時間で。

   思い立って我が家ご飯を公開してみることにしました。新しいネタ作り、笑笑。

   昨日の朝はコユもリクエストでお顔ご飯。おかずがふた品でちょっと豪華です笑笑。玄米ご飯に旦那さんはチリほっぺ、子どもたちはゆかりほっぺ。玉ねぎスライスの酢漬けとレタス、保温が甘くて出来かけ納豆にくるみと味噌を混ぜ込んだおかず。それに、ワカメと玉ねぎのお汁。

 

   My family eat simple foods.This time is one plate food and miso soup.My daughter did request smile decoration.Rice and nattou with walnut miso and picked onion with lettuce.

 

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   こちらは今朝。ご飯にとろろをかけました。お醤油を切らしていたので、お味噌を作った時に上がったたまりをとろろに混ぜ込みかけただけ。そして玉ねぎ、人参、大根のお汁。ローのとろろと根菜のあったか汁、手前味噌で。重ね煮のお野菜を作ってから水を足しお汁にしているので、だしなしでもとってもいい香りがするんです。手抜きできますし。今日は昼はご飯と根菜汁のみだな、きっと。夕飯のおかずはまだできてないけどきっと大根のハーブソルト漬けです、簡単、笑笑。

 

  This morning is grated yam on the rice and vegetables miso soup.This is simple,but this is good for our body.

 

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   ちなみに大根は熊本の無農薬の聖護院。最近、スーパーも併用しつつ、普通の暮らしの中で私のしたい暮らしするにはどうしたらいいかな、とか、スーパーで買い物してまた新たな発見があるかもしれないと、気づきのためにこの端境期を過ごしています。だからいつも無農薬ではないので、出会うと感動。そしてね、農家さんから送ってもらう暮らしをしていたから、繋がりがない中での買い物って、値段でしか選べないんです、私。。

 

This is Japanese radish .This is organic.So I can eat everything!! No garbage!! I am easy and happy!

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   スーパーに並んでるお野菜は農家さんが食べるものとは別に出荷用に作られたものって本当かな、とか、こないだ八百屋さんに 特別栽培といっても、基準が曖昧だから、関東で作ったものと、北海道で作ったものは全然違うんだよ、と聞いたことも頭をくるくる。手に取ったお野菜がどんなものなのか、どんな思い出作ってくださったものなのかわからなくて選べないことに気づきました。

 

   農薬を使うのが悪いことではないことも知っています。農家さんの暮らしがかかっており、私たちが綺麗な形のお野菜を求めた結果だということも知っています。だから慣行栽培の農家さんの気持ちを考えることもたくさんあります。でも自分たちさえいいものを食べれたらいいや、ではなく、これからの子孫のために、大地を守りたい気持ちもあります。そんなこんなでいろんなことが頭をくるくる。。。

 

   こんな暮らしを経験してこんなことに気づいて考えて。。これからどうしてゆきたいかはゆっくり考えていこうと思っているけれど、私は人との関係性の中で、物も、食べ物も、取り入れてゆきたいなあと感じています。その方のお話も聞けるし、どうやってこのお野菜が来たかもわかるし、知るってとても大切なこと。つながりってとても大切なこと。つながりから得たものは決して無駄にはしないし、そのつながりで相手を想う気持ちは自分の優しさをもっと育んでくれる。そう、感じているので。

 

    だから地産地消ではないけれど、この聖護院大根は以前、レンコンを送っていただいたつながりのある農家さんでもあり、嬉しかったなあ。そんなわけで久々に丸ごといただきます。スーパーの人参は皮を取るのですが、大根と葉の付け根も含め、皮ごとお料理して丸ごとぜーんぶ。台所散らからず、ありがたい!!そして鍋に入れてストーブにセット。ご飯も圧力鍋にかけて。。

 

   そんな朝。今日は子どもたちのリクエストでお味噌汁をストーブの上でコトコト煮込む時間は、本を読むことになりました。朝から両膝に座る子どもたちの隣で、旦那さんは趣味の発酵食作り。。読んだ本はこちら。

I read these book with my kids. From morning,I took time with kids. Today I can afford to spend with my kids.This book name is wakattasan's ice cream and Strange key ground mother. These book is bestseller since I was small.

 

Mother can afford to spend with small kids. Then kids can feel love.This is important for growth.This is base for life.

 

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   図書館で借りたもの。懐かしい名作はいまでも名作なんですね。かぎばあさんは大ちゃんが、わかったさんは大ちゃんの真似してコユが借りたもの。最後まで聞けるのかな??

 

   まずはわかったさん。懐かしいなあ、楽しいなあ。ゆっくり読めたので私の方がワクワクしてしまいました。昨日の夜から読んで、と言われていたのですが、自分が疲れて読めなかったのです。こんな朝の時間なのに、膝に子どもたちを抱えて読めて、返ってよかったな。私が幸せでした。半年前まで、朝からイライラしていたことが嘘のよう。イライラしないでいられる、自分自身がこんなに幸せでいられることに驚いています。こんなにそばで、自分が穏やかな心で、子どもの匂いを感じられるなんてわずかなんだろうな。うーん、愛しい。

 

   もう一冊はじかいに。

 

 

お母さんだけど、バタバタしたくないから。

   「バタバタしちゃってなかなか出来なくて、ごめんなさい。」

 

   何度私はこの言葉を使ったでしょう。でもバタバタ、ってなんだろう、って旦那さんと話してました、半年前。だってお腹すいてご飯食べてるでしょう?お風呂だって入ってるでしょう?バタバタ準備しながら家族でお出かけだってしているでしょう?

 

  うーん、なんだろう。。。・・・ 私の場合、 多分たいしてやりたいことじゃなかったんだと思います。なのに人の目を気にして、やらなきゃいけないと思い込んでいただけ。初めからわかっているなら、できないことはごめんなさいと断るしかない。やり始めて無理だったらそう伝えるしかない。一番は、自分が本当にやりたいことなのか、できることなのかを、理解しておくこと。自分を知っておけば、やりたいことはできる。バタバタはしない。。だから小さな人との時間をバタバタしたくないんです。

 

   そんな私、今日もフィールドで 遊びました。うちから40分くらいかかるフィールドまでの距離。サハイナン行くまでは雪の中で歩くのが遠いように感じていましたが、サハイナンに行ってからは身体をうごかさない方がムズムズ。。

 

    「なーんだ、フィールドまで歩けるじゃん。」って歩いて行くこともへっちゃらになりました。そうしているときは、イライラしなくて済む。身体を動かした日の方が身体中の風通しもいいのです。そうする方が、心も心地いいことを知っているから、できること。しかも私は健康のための散歩ってできないことを知ったので。だから続かないんです。子どもたちを遊ばせたるどー、、とか畑を作るどーって目的があったりするから出来るんです。一石二鳥くらい理由が欲しい私。

 

   暮らしのために動く。少しでも忘れずにいたい昔の暮らし。

 

    45分ほどで到着。大ちゃんが誘いたいって行っていたお友達と途中で合流。いけると思っていた道が、手前までしか除雪していなくて一瞬たじろぎましたが、自分の背丈以上もある雪の山をよじ登ってる子どもたちをみて、よっしゃ、行ってみるかと登ってみたら、足もさほど埋もれず進めた!!この雪が溶けたらここは1メートル近く高さが減る。それがなんだが面白くて踏みしめながら歩きます。子どもたちの日々、サイコーだねえ!!!!!わおーって思わずさけんでみる。

 

    そうしてついたフィールドで遊びます。朝から出かけ、2時間の予定が子どもたちがあまりに楽しんでるものだから、もう少しもう少し、と気づいたら3時過ぎ。そりすべりのゲレンデ作って、白樺の樹液のんで、除雪で出来た高い雪の壁をひたすら歩いて。天然のロングスライダーを見つけて大はしゃぎして。私も声かけられて一緒に滑ります。「足あげて滑ってごらん、スピード出るから、」とか、「スコップで滑ってごらん」って、いうから、「割れちゃうよ〜、私が乗ったら、」なんて行ったら「大丈夫さー。」って、私が知らない世界を教えてくれる子どもたち。本当にスピードでるし、スコップも割れないし、本当に面白い。

 

    けど、ずっと動く体力もないから、途中で 寝転がって空を見たり、本を読んだり。遊びたい子どもたちに付き合って来たのが本音だけど、その中で自分のやりたいことも意外と出来るものです。出来ることの中で、何かをやって行く。それも今の私の課題。だってね、たくさん遊んで、遊びきったこどもが大人になったら、きっと、生きる喜びを日々表現できるようになるんじゃないか、今は兄弟喧嘩も絶えないけど、 満足した分優しさが積み重なっていくんじゃないかって想像しているから。私もそうして年老いて行けるかもしれない。

 

    これは私のパーマカルチャー研究所所員としての、研究課題。我が子で、研究させてもらってます。そう思うと結構面白くて、無理せず楽しく私も日々を積み重ねています。こどもたちの笑顔、目の輝き、遊ぶ集中力、ほんとうにすごいって、近頃魅せられてる私。お金をかけてのレジャーもストレス発散もいらないのではないかって、世界、こんな側で見つけました。

 

   そしてお昼は薪ストーブで焼きおむすびとお味噌汁。思った以上に火の入るスピードは速くて私はてんてこ舞いだけど、もはやご飯もおやつも関係ない楽しさ。おやつ食べたーいって言われても同じものが出て来ます笑笑。楽しければ、おやつもご飯も関係ないんですね、きっと!!今度このストーブの上を簡易釜にして、ピザ作れないだろうか。。と考え中。

 

    朝はお汁とご飯、およびご飯のお供に納豆か、うめぼしかのり醤油。昼はお汁とご飯とおかず一品、夜もお汁とご飯とお昼と同じおかず。だからお汁とご飯はまとめて炊いておかずも朝のうちに作る。そうしたら、思いっきり時間ができるんです。子どもたちが台所に立ちたいって行ったら、今は朝からでも手伝ってもらえます。コユがそう。朝から人参の皮むいたり、突然やりたがることもしばしば。そして、夕飯は疲れた身体で働かなくていい。だからイライラしません。

 

   おやつはご飯多めに炊いておいて、ナッツ入れてスパイスソルト作ったり くるみ味噌にしてちょっと遊び心入れておむすびにすればいい。我が家は、おやつも好き、でもナッツも好き。ならば、ナッツふりかけでいいじゃーん、ってなりました。好きな食べ物はキリがないから、いろいろ揃えておく必要もないですしね。もち米ストックしておいて、炊いてすり鉢で子どもたちに潰してもらって即席もちにもします。ご飯で満たされていたら無駄食べもしないし 結構いいかも って感じてます。

 

   好きな食べ物っていいけど、食べすぎちゃう気がするんです。。パン屋さんのパン、グラタン、パスタ。。。私の場合、それが毎日でした。お料理み好きだから、チキン南蛮、コロッケ、今日は、アレンジしたパスタだよーなんて研究に余念がなく、本当に美味しいものだからいつも腹八分目にはならないんです。なので私は好きなことを変えることにしました笑。お料理の研究はやめたんです。そうしたら新しい発見がありました。

 

   我が家は農家さんから直接お野菜もお米も送っていただいています。初めは農薬漬けのお野菜が嫌で。でもシンプルに重ねにして、お塩だけでいただいてみたら、本当に美味しいんですよね。ケチャップ、マヨネーズ、ソースで味をつけることがもったいなくなって来て。そりゃ、甘みのあるソースかけたら美味しくなるでしょう。でも、確かに 本来の味 に気づけないんです。ソースで食べてるから。豊かな風土の日本の恵みはそのものにいろんな、味覚を感じることができるということをしりました。だからもったいない、って腑に落ちて今に至っています。

 

   本当に美味しいのです。ぜひスーパーでなく、せめて産直のお野菜をお塩だけで、蒸して食べてみてください。せめて1週間、毎日。子どもたちは蒸し野菜にするともちろんまずはそのまま食べます。でも次第に、自分でアレンジして、塩チリ、とか、ハーブソルトとか素材の味に浮気をしつつ、楽しみます。それが結構面白い。何より自分が楽になります。私が怒ってるより、ご飯に手間がかかってない方がいいよね?って聞くと旦那さんも子どもたちも、うん!!!!!!といつも即答するので、毎日大好きなものをたべる!!ってこともてばなしてみました。ご飯もお味噌も好きだから大好きなものではなく、好きなものにしただけ。おやつには大好きなナッツを入れたり、カリカリに焼いやおむすびにしたり、楽しい要素を入れるのが私流。

 

   だから遊び倒した昨日もかえってから、お風呂はいって、お友達がくれたかぼちゃ持ちを食卓テーブルで焼きながら朝炊いたご飯とお汁をいただいて布団でゴロゴロ。。ついでに旦那さんと大ちゃんは自分のお皿を洗ってくれるからそれもありがたい。手が冷えきる前に洗い物終えて、お腹も満たされて機嫌良くなって勝手に遊んでくれる子どもたちを眺めながら、手抜き母ちゃんしてます。でもこれが最高。我が子を可愛いと思える心の余裕が、ね^_^

 

   やっぱり思うのは、ものが豊かに便利になっても、心は楽になってなかったなって。結局旦那さんは平日忙しくて、休日にいてくれてもたまの一人の時間を持つことに申し訳なさがあってできなかった。そして便利な分くらしで、時間が短縮されても、母子での密室の暮らしってものは、心が癒えないんですよね。そこのところが問題なのかもしれません。そしてそんな母ちゃんに気を使う子どもたちも気の毒でした。子どもはいつでも母のことを気にしてくれています。

 

   それなのに、寒くて子どものトイレが近い日、トイレに付き合うのにイライラしませんか?子どもは悪くないのに怒り出していませんか??どっちが大人でどっちが子どもなんでしょう。大人も子どももない、私たちはともに暮らしている人間どうし。穏やかに入られるかいられないかは、多分、体力とその体力を奪ってしまう心の習慣なのだと思います。

 

    洗濯機が各家庭にあるより、コインランドリーを使うにが主流で、小さな子を抱えた母子は毎日そこに行かなくちゃならない、くらいの方がいいのかもしれません。大きなコインランドリーで、洗濯している間は子ども同士で走り回り、母ちゃんたちはおしゃべり。子どもたちの声を聞きたくておばあちゃんたちがそこに顔を出したり、時々学校を休んだ大きな子がたちよってくれたり。子どもは幼稚園と保育所、おばあちゃんたちは家でテレビか、老人ホーム。

 

   そうして年齢で暮らし方を分けると、人がどう育つかわからなくて、子どもがうまれたときに、困るのだと思います。子どもの声がうるさくなってしまったり(そう言われる側よりも、もしかしたら言う方が辛いのかもしれません。この年の人はそう言うもんだからねえ、とうけながすことができず、常にピリピリしてることが。原因は自分の心の持ち方にある、気がするのですが。)、寝たきりのおばあちゃんの介護で逆母子密室。。。このうちにこういう人がいることを知っていたら近所の人が、介護する側のひととうちの中で、延々とおしゃべりするために遊びに来てくれるかもしれません。そうした人との繋がりが、これからの寝たきりの人を今から防いでくれるかもしれません。お年寄りから引き継ぐ大切なものをいただけるかもしれません。人が年をとるということ、今のこの日本では、残念だけど、生きて来た経験を敬うのではなく、家族が年老いるということを面倒臭がるという気持ちが大きい気がしてもったいないなあと思います。

 

   人間とは何か、どんな風に生きるのか、自分と自分の大切な人がどんな風に生きようとしているのか、今大切でなくても助けてもらって繋がることがある人かもしれません。人間を知ること、受け入れること、時には受け流すこと。今ふと思いついて描き始めたコインランドリー構想の想いがふくらんでしまいましたが、こんなふうに、人との関係の中で生きて行けてたらもっと生きるのが楽になる気がしています。人って人とつながることで、その時に相手を尊重し、信頼関係を作れる力を自分が持っていることで、生きやすくなって行くのかもしれません。

 

    白樺の樹液、出ました!!

This is sap of white birch!

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   まだわずかだけど、飲んでみます。「冷たい!ほんのり甘い!今年もありがとう。少し、私たちにも分けてください。」

   樹液は、これから暖かくなって葉をしげらすため、水を吸い上げるための糖分を含んで白樺の中に雪解け水を溜め込んだもの。白樺の命の一部。尊い命の水を分けていただいています。自然は私たちにもどこまでも優しい。(そうして暖かくなったらヤマダニも登場します。もちろん自然は厳しさも伝えているなあとおもいます。だから考えます。この厳しさは何を伝えているのだろうと。思い切り甘えさせてもらっているから 、分け合う。生きるすべてのものと。私が気づけること、今はたったこれだけ。もっと学ぼうと思います。)

 

   I drunk this. This is cold by snow and a little sweet. Thank you tree.I ask them give us.

 

 Sap is water that snow melt. Tree drink thaw water.Because  after warm climate,they need to grow up leafs. Sap taste is sweet. Because this need for sucking up thaw water.This sweet is xylitol.

  We get life of tree. Thank you so much. I tell them.

 

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帰国後、変わったこと。

    欲しいもの、減りました。買い物になるべく行かないようにしているので。自分へのご褒美もいいけれど、やっぱりおいしいものはかぞくみんなで食べたいなと、思います。いつものおうちご飯が美味しいので、外で食べる美味しいものはみんなで食べたいなと、喫茶店に入るのをやめて、一人スーパーのフードコートで、タイ記録をまとめていました。

 

   店主の人と関係にできた喫茶店、もう少し時間があったらそちらでもよかったんだけどな。1時間くらいしかないので、迷うならフードコート笑笑。帰りにうちでみんなでおやつを食べようと、豆腐クリームようにお豆腐1つ、150円で済ませました。そして迎えに来てくれた家族とみんなでワイワイ帰宅して作った米粉の抹茶パンケーキ、クリーム添え。写真撮るの忘れちゃいましたが、美味しかったな。

 

   そしてうちを整理するようになり、物も必要最低限。子どもの服は何かと必要だけど大人分は引き出し式の小さな衣装ケース1つ分ずつ。北海道だから冬物しまった時にスキーウエアがかさばるんですけれどもね。その分、衣服は年中着回せるものをと思っています。お皿もいろいろ数を揃えたいなんて思って来たけど、結局気に入ってるのほど、割れてしまっていつも数が揃わない。だからこだわるのをやめました。愛着持てば結構可愛く見えます。

 

   子ども達のおやつも無添加のものを買い込んで来たけれど、自分が食事を減らすようになり、お腹空いたと言われない限り、先走っておやつを用意することもないんじゃないか?と思い、お友達から分けてもらう素焼きのおせんべいがあるのみです。こちらは急にお客さんが来た時にも助かるので。あとは米粉の蒸しケーキ用に米粉があるのみ。お腹空いたらいつでもおむすび握るよー、グリルで焼いてくるみ味噌にして五平餅作れるよー、もち米もあるので、玄米炊いてすりこぎで潰して即席もち作れるよー。それにスパイスソルトかけたら(ナッツは好きでたまに買うのでそれで作ります。)目先が変わったおやつにもなります。うちの子達はそれが好きだから、なんもお菓子の好きなものにする必要もないじゃないかーと、自分にツッコミです。いろんなものを食べさせてあげたい、なんて子ども達が欲しがる以上のものをあげていた自分に気づきます。新しい食べものはなんだかきりがないようなのです。自分が甘いものも食べるのも好きだから一番弱いんですよね。それを食べてもまた欲しくなる。今あるものの中に好きなものはたくさんあるのに。だからうちのおやつは、ご飯とあまり変わらないかもしれません。少し大きくなったら子ども達が嫌がるよ、と聞いたことがあるけど、どうだろう。今は、甘いものにしたいなら「豆乳抹茶ラテ、ふわふわで、お作りしましょうか?笑笑。」「わあーい。」ってしてくれてますけれどもね。遊びに満足してるから大丈夫かもしれないし、その時その時で気づいて対応して行くしかありません。だから今は、これで、よーし!!

 

   食べ物に関しては、糖質制限、原始人食、マクロビ、ファスティング。。。いろいろ情報があるから難しいことはわからないけれど、友人が言ってくれた言葉が、「ああ、そうだね。」と、一番印象に残っています。

 

「うちの母は食事に結構厳しくやって来たけれど、結局60歳で癌になって亡くなってしまったから何がいいのか正直わかんないんだ。」

 

   何がいいのか。本当のところは私もわかりません。原始人食が合うとも、合わないとも思いません。たくさんの事例があるように、人間の身体にあっているのかもしれないし、たまたまその人の生活習慣の中で問題が起き、その時、その身体の状態でこの方法をとったら改善しただけかもしれない。今は楽でも長い目でみたら、身体が疲弊して行くのかもしれないし、もっと身体が爽快になって行くのかもしれない。頭で考えるとたくさんの疑問が湧いて来ます。

 

   タイに行って少しだけ、昔の身体を動かしていた頃の経験をさせてもらって、今との身体の動かし方、動かす量の違いに衝撃を受けました。だから、原始時代のことはわからないけれど、自分で狩猟をしていた頃を想像しただけでも、明らかに運動量も、筋肉量も、代謝量も違っていただろうと思うのです。身体にまとっていた衣装もちがうわけで、体温を保つための代謝量だけでも相当の違いでしょう。それなのに本当に肉を消化できるのか、油を消化しきれるのか。腸にとって負担にはならないのか、腸内細菌にとって良いのだろうか。

 

   そして昔と今との明らかな違いは、身体に取り入れる量と質と運動量。甘いものは別腹、何てことは本当に稀だったのではないのかと思うのです。お誕生日にあんこをたいておはぎでも作った時は、苦しくなるくらい食べたこともあったかもしれません。でも苦しくては農作業はできないですから、毎日ではなかったのでしょう。そういう意味では、糖質量は結構違っていたのかもしれませんね。

 

   マクロビは糖質量も油の量も多い。そうなのかもしれません。でも腹7分目に抑えて暮らしていたら大丈夫なのかもしれません。

 

   そう考えたらMSGも悪いものではないんじゃない?と言われることもあるかもしれません。私のわずかな知識では正直、わからないことだらけです。けれど、何となく私は、今、人間の作り上げたものに完璧はないと思うのでそれならば、自然界でできたものを欲しいと思っているだけで。

 

   ただ1つだけ思うことは、身体に取り入れる量は、明らかに多くなったということ。取り入れたものを人力にかえるエネルギーはたくさんあるのに使いきれていない状態。美味しくて食べすぎるなんてことが今はしょっちゅう起きる。そしてそれは自分に甘いせい、というだけで解決しえない問題だと思っています。これが自分にとって、習慣だったから、それだけの欲を動かされる刺激の中で生きて来たから、ここを我慢すると、それがストレスに変わってしまい、どこかで不具合が生じる。例えばイライラしてしまったり、たべたさつのって結果、食べすぎたり。身体の声は明らかに無視して暴走せざるを得ない状態におちいる。頭を緩めるために。なのでたくさんのダイエット法があるのだと思います。でもどんなものを選んでも、心が納得していなければ、習慣には変わって行かないのだろと痛感しています。無理しても、続かない。続かなければ、いみがない。生活というものはそうなのかもしれないなと思っています。

 

   そんなわけで、私にとって明らかにわからないことだらけ、なのです。だから、自分で確かめて納得して、自分でできることをやって行く。家族の中で母という存在として、感じうる、出来うる限りのことをやって行く、それしかできないわけで。その中に人からアドバイスをいただきたいなら、いただいたらいいしそうでないなら、自分の生き方として生きていったらいいのかなー。そんなくらいしか、できないなあと今は感じています。これからはどうなって行くか、自分でもわからないけれど、情報を聞くたびに揺れて生きて来た私は、今は、人の話をかき集めては一喜一憂するのが疲れるので、信頼するホームドクターに相談させていただいて、納得できたことをやってみる。そして子ども達には伝統食がいいのかなと玄米、お味噌汁で和風のお食事にして、油、白砂糖はうちでは使っていません。食事を変えて一年、家族全員、腸からのお便りが毎日届くようになり、家族仲良く気持ち良く過ごせているので今はこれでいいなと。食事をシンプルにしたら、頭の中までシンプルになりました。本当に不思議だけど、感情も表現も、生活もシンプルになって来て、自分が少しわかりやすくなって来たように思います。本当に不思議だなあ。笑っていられる時間が1分でも長いほどいい、それだけは譲れないので今はこれがいい。石川先生、ありがとうございまーす!

 

   納豆のパックが嫌だけど、まだ自宅で納豆を作る環境を整えていないので買うのを控えてましたが、一回食べたらそのパックにしこんだら、週にふたパック買うか買わないかでいいんじゃないかと、試してみることにしました。暮らすって、面白いです。次から次へとやりたいことが出て来ます。今はみんなに任せきりのことが多いから、自分でやろうとしたら、考えねばならなくて、たくさん創造できてさらに面白いのかもしれません。

 

    I made nattou from nattou pack. Nattou bacteria is strong. So after we ate nattou,we can use this pack.I am interested in famented food!

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   次から次へとやりたいことの出てくるコユの頭はどうなっているのでしょう。歯医者さんごっこと言っていましたが、なぜ囲っているのかすらわかりません。そしてなぜ、真ん中の囲いに使ってるミニ棚に保存食が並んでいるのかも。。(昨日狸小路で閉店してしまった雑貨屋さんの前でご自由にどうぞ、のところからいただいて来ました。なので保存食を置いたことは一度もないのですが。)。ただ、きれいに整った囲いではあるなあと思います。彼女に心を表しているのかなあ。きれいにするのが好き、可愛いものが好き。この囲いという表現も、コユそのものなのかもしれないなあ。面白いなあ、小さな世界は。。

 

   Koyuki's world is interesting. Yesterday,she became doctor for taking care of teeth.Here is teeth's hospital.I am not sure,this is her image.why did you put preservation food? 

 

   Kid's imagination is great and funny.So I like spending with small parson. My job is learning from them.And we make good connection for myself and them future.Small kids have soft and peaceful mind.

And they can forgive anything.Adult shuld learn from them mind for peace and future. I think so.

 

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