日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

豊かな暮らし。

娘、薪運びを手伝ってくれる。

 


不便な暮らしは夫婦だけの力では回らない。

それを知ってる子どもたちはこうして遊びの手を止めて手伝ってくれる。

 


年長さんの小さな身体に一本の薪はとても重い。 「ありがとう。本当に助かったよ、重かったでしょう。」

旦那さんとお礼をいう。

 


娘は答える。

「うん、重いよね。こんなにたくさん薪を切ってくれてありがとう。」 手伝いたいというきもちは、「大事な家族が大変そうだから」という想いから生まれてくるのだと山で暮らして知った。

お手伝いは優しさそのものだ。 だから我が家には、「夏休みのお手伝いルール」も「お手伝いお小遣制」も存在しない。

 


大変でしょう、って私たちの背景を想像し手伝ってくれる気持ちがありがたいとおもう。

 


遊びに夢中の時も子どもたちは思いを向けてくれる。

「今、どうしても遊びたくて。手伝えなくてごめんね。やってくれてありがとう。」 そんな優しい感性を持った彼らの存在そのものがありがたいと思う。

 


そうして我が子の優しさに感謝が募る。

 


そうやってありがとうで回っている今の我が家。

 


不便な暮らしはとても豊かなものだと知りました。

 

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