日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

好きなこと

が、止まらない。

 

私の1日を解体してみる。

家事を少し。

幼稚園に我が子と一緒に通って全てを子どもに集中する時間を日中に五、六時間。

睡眠時間を7時間くらい。

残りは全て大好きなお裁縫をする。

その手を動かしながら旦那さんとの会話もする。

 

家事の手抜き、とよくいうけど、手を抜いてるわけじゃないよなあって最近思う。必要な分だけにシンプルにしただけ。

 

私が多分手抜きを超えて、食事の支度はほぼ1日に一回、あさのみ。それ以外はあっためるとかささっと火にかけること15分とか。作業時間15分。

 

本当に苦手な掃除はものを減らすこと出かける時間を大幅に減らした。掃除をサボり気味でも死なないと思ってたけど、大ちゃんのダニアレルギーがちょっと上がっちゃったからあるので最近は1日に一回。タイにいた頃は野宿状態で、行ったその日から面白いくらいに咳が止まった。本当に嘘のように。

 

で、帰ってきてうちに帰ったその瞬間、咳を始めた。これまた冗談のように、うちに入った途端に。風の流れが滞ってることを感覚で実感した。で、ホームドクターに血液検査をしてもらったら数値がかなり上がっていて。多分ね、この2年ほどの食事や生活習慣により、悪くなった、というより、彼の感度が上がったんじゃないかって感じています。だからより敏感に出るようになった。身体のいらないものを出そうとする動きも上がったんだろうと思います。

 

ということは、出し切るまで気をつけてあげなきゃいけないなあと思って余計なものも取りいれたくないし食事をシンプルにした多分、掃除をちょっぴり強化。出し切ったら変わってくれるだろうか。私が親としてできることは、彼の身体を楽になるように手を貸すことだけなんだな。私のアレルギー引き継いだのにごめんよー。

 

で、次に我が子とトモエ幼稚園に行くこと。うちにいると家事やら何やら気持ちがそっちに向いちゃうので、ここにいる間だけは子どもに集中するようにしています。

そうして得たこと、子どもと心を通わせるということ。

これからどんどん巣立って行くだろう我が子に私ができることは幼いうちだけだと実感しています。今一緒におらずして、今、神経集中して彼らの話を聞かずにして、中学生になった彼らが私に相談事なんてしてくれないだろうと思います。私が我が子を理解する努力をすることで、彼らは私たち親の心をいつまでも思ってくれるのだろうなと、ここ、トモエの大きくなったみんなを見せてもらって思います。多分胎児から10年、我が子とどれだけの思いのやり取りをしたかで、その先の全ての関係が決まるのだろうなと。それとね、我が子が子どもを持った時、彼らがどのように孫と接するかも、私たちのこの10年にかかってるのだと思います。

 

私は我が子を叱る、という言葉は使いません。もちろんよその子にも。私の感情でおこることはあります。けれども、たくさんの人と時間をかけて関わり、自分と相手とに関わり方を考えながら接してきたトモエの子たちを見て、我が子を見て、彼らがどれだけ考えて接しているか、又は、その時起こったことから気づきを得て行くかを感じた時に、「大人が叱る」ということは彼らの学びの邪魔をすることではないかと感じたのです。

 

もし大きくなって、その人が あれ? と思うような行動をした時は、その人の中に人から愛される経験が少なかったり、自分でした行動が相手にどんな影響を与えるかを知る経験が少なかったり、したからなんじゃないかなって思います。(もちろん私にも、そんなことがない、とは言い切れません。でも私の場合は気づいた今から修正して行くしかないのですから。)

 

だから小さいうちに子ども自身が感じて起こす行動をたくさんしてほしいと思うのです。そして時には我が子が、私がしてほしくないことをして泣かせてしまった相手に謝りあるく。それをする覚悟を私が持つしかないのだなと。我が子がそれは相手に申し訳ないって気づくのは相手の感情を知るという経験を積んでからで、今申し訳ないと思っているのは大人である私の方なのだから。あまりに続きいたこのじょうきょうを、なきそうになりながら謝り歩く私を我が子は見ていましたから、いまはたくさん気づける人になっています。きっと私よりも。

 

繊細な気配り、素直な気持ちを持っていることを知っているから 叱る のは失礼だとすら思っています。そして我が子がそういう人だと知る、これからも知って行く努力をする。それが、我が子と信頼関係を持つ、ということだと思います。これからもいろんな姿があると思います。でもその都度考え、接しながら、私は理屈ではなく我が子の本質のところを信じて行ける、そう思えるようになった時、私は我が子との関係が変わったなあって感じました。

 

私がまだまだ未熟な母で、怒ったり泣いたり揺れたりしていても、このかんけいはきっとかわらない。私は子どもと学びながら成長して行く努力して行くのみなんだな。

 

そのために小さいうちに彼らに真剣に関わることは、おやである私にしかできない大きな責任なのだろうなあ、と思って過ごす子どもとの時間。

で次は睡眠時間。

で早起きしてお裁縫の時間。

 

今日作ったもの。サルエルパンツ。裏毛つかったからすこしおもくなっちゃった。今度はリネンで作るかな。

型紙、hoorayさん。

生地、マツケさん。

 

ちなみに上にきてるプルオーバーはmuniさんの型紙で作りました。

生地はたしかマツケさん。飾りのフードの部分が三つ折りにしてぬっただけだと既製品のようなクオリティが出ないんです。まあそれでもいいんだけど、技があれば知りたいなあ。

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