日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

パーマカルチャー暮らし日記(10日目)

今日も朝ごはんをつくります。マレーシア出身の村長さんの奥さんが作るご飯は美味しくて楽しい。今朝はフルーツとビリヤニ風。ココナッツミルクとスパイスにパンプキンスープをかけてわさびリーフを添えていただきます。

美味しいご飯の後は森へ。今日はみんなで水源まで行ってそこでランチタイム。車で入り口まで、、と思ったらこれがサバイバルドライブ。車幅のでこぼこ道を、1キロの長さの水道管を積んだ荷台に乗り、いや、しがみつき移動です。笹やら猫じゃらしが容赦なくやってくるし、ボッコンボッコン車が跳ねます。コユは車内に無理やり乗せてもらい、大ちゃんと数人の大人は荷台へ。そうして森についたと思ったら今度は手作業で笹をかり、みちをつくります。私たちと村長さんの奥さんとジョン君、そばで遊んで待ちます。イチジクを拾ったり、虫を見つけたり。ポンコツ君のにだいのよじのぼってはおりたり。少しずつ道をきりひらきながら進みます。

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そうして今度は違う道から森の中へ。これが本当に森!!全く整備されていない森は棘のある木々や蔓に覆われています。足元もツルツル。はぐれないようについてゆくのが精一杯の私、後ろから来る大ちゃんも自分の力で歩いてもらいます。そんな大ちゃんをイタリアンの男性が大ちゃんを助けてくれていました。こうして優しさに支えてもらっていることをしみじみと感じます。
容赦のない道なき森をみんなで歩くこと1時間半、やっと水源へ。ここでランチタイムです。火を起こし、持ってきたわずかな材料と道中で見つけた食べ物でランチを作ります。そばの竹を割って、ポクポク鉢とコップ、お皿を作り、バナナの皮をシートにしていただきます。持参したサツマイモで焼き芋。摘んだばかりのイチジクも並びます。コユはここにきてから毎日果物ばかり。後はカオニャオ、焼き芋。本当にシンプルな食事を好みます。

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こんな大自然の中でご飯を頂き、水があることの奇跡を改めて感じます。この水があることで自分は生きていられるのだと。この水を飲み、身体を潤し、またお日様で温めシャワーが浴びられる。(ここではお水ですが)。そう思うと、私はどれだけ生まれながらにして支えてもらってるのだろうって、深く感じます。水、お日様、大地。微生物、空気。そして助けてくれる動物や人間の仲間がいる。本当にありがたいこと。そして母として我が子がどれだけの支えの中で生を受けたのか、ということにも思いを寄せます。余計な口出しはせずにもっと謙虚で入られたらいいな、そう深く思います。

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ランチを終え、母子組は早めの帰宅。落ち着いて、今日を振り返ります。ここでは日常のこと、でも日本で私がこんなに歩くことはそうそうないなーって思います。いくら家事をしても、ここのマイハウスからキッチンに行く時のように、バランス感覚、あしのうら、太ももまでは使っていないなあと。
そして満足感も全然違います。日本にいた頃、私は身体のためにウオーキングをしていましたが、ここではあえて歩かなくても自然に動きます。洗濯場まで行って足踏みで洗濯をする、水道管を作りに森に入る。果物を取りに行く。歩いた、だけではなく、それによって得られたことの 満足感がもれなく付いて来るのです。それに気づいた時に、もののある豊かさってなんだろうってふっと思います。機械があってもやることはようしゃなくふやしてしまう私。どのように豊かさを感じるかはそれぞれだと思うのでなんとも言えませんが、自分はどんなことに豊かさを感じ、これからどう生きてゆきたいのか、それを見つめてゆきたいなって思います。

 

そんなこんなな一日。ここにいて身体のだるさがだいぶ和らいでいます。こんなに動けるんだってびっくりするくらいに。でも先週の移動から身体が少し気張っているようなのでゆっくりゆっくりのペースをここでも保ちたいな。今日も森の神様にありがとう。