日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

大ちゃんの学び。

先日、我が家にお客様が来てくれました。

パーマカルチャー研究所の取材に来てくれたライターさん。

 

詳しくはパーマカルチャー研究所のブログに載ってる西村さんて女性の方。

その方の生き方に私は感銘を受けました。

 

通勤電車に乗りたくないからOLはできない、ってとこから自分の仕事=生き方をつかんで行った。

その生命力がすごいなって思って。

自分に素直にやりたいことに突き進む。

これって自由奔放に見えて大変なことをたくさん含んでると思うんです。

いまの自分を超えていかなくちゃならないことがたくさん迫ってくる。

 

でも彼女はそうやって自分に素直に生きて、今回ライターさんとして私たちに会いに来てくれた。

 

取材のあと、そんな彼女のお話を聞いて感銘を受けました。

でね、そんな私に共感するかのように子どもたちが彼女の周りを取り囲む。

 

彼女のライターさんとしてのお仕事、カメラや記事を書くこと、パソコンのことも独学で身につけたそうだ。

カメラ小僧の大ちゃんがカメラの使い方を彼女のそばで聞きまくる。

よくもまあ、初めてあった方にそんなに質問することがあるなあってくらいに聞きまくる。

 

でね、ありがたいことに、西村さん、丁寧に答えて下さるんです。

こうしてね、大ちゃんは、子どもとしてではなく、人として受け入れてもらってるんだってすごくすごく感じさせてもらっています。

 

彼の日々の学びはここにあるんだって、こう言う場面から教えてもらっています。

自分の興味のあることを、同じことに興味を持つ方から丁寧に教えてもらう。

これ以上の学びはないだろうと思うので、このかけがえのない時間に親として本当にありがたくて。

 

こうして人として西村さんの生き方を感じ、温かさを感じ、コミュニケーションを学び、技術を学んでゆく。大ちゃんのペースで日々の学びがあります。

 

自分を大切に生きるために旅をしてみよう、という彼女の経験からくる生きたメッセージに私は希望を感じます。自分の心と身体を大切にする生き方を、と伝えてくれる彼女の話をぜひ若い人に生で聞いてほしいなって思います。

 

人と会うを仕事にし始めた旦那さんについて行くのが好きで、ついて歩く大ちゃん。

いろんな生き方に触れ、感じ、自分で経験し、日々学んでいます。

 

月に一度のトランジッションタウン札幌のお話会にも最年少で毎回参加。いろんな生き方をする方達の生の思いをグッと気持ちを入れて聴いて、嬉しそうに自分の中に取り込んで話をしてくれる、そんな姿が素晴らしいなあって思います。

 

これが好き。

その人の本気の姿に触れることができる、学ぶって面白いっていう大ちゃんの生き方がちょっぴり羨ましくもあります。

人生は学び、その中に喜びも苦しみもある。

一つずつが自分だからそれを包んで温めて育てていけるといいね。

これが我が家のホームスクーリングの形の一つなのだと思います。

 

大ちゃんだけでなく私たち家族は、皆さんに支えていただいている今の暮らしに、日々ありがたいなあって思っています。

理想のじんせいのせんぱいがいてくださることに、くじけそうになった時に家族でも声をかけあえて、身近な方も助けてくださる。

 

私たちはまだ学びの渦中にいます。

すごく豊かな、ね。

みんな、いつもありがとうございます。

 

ほんじつの私の学び。石膏ボードをぶち抜きました。こうして、家ってできてるのね。

でもできることなら私はきの家がいいな。石膏ボード砕くの臭かったから。

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ちなみにこうらこやのかべを旦那さんがぶち抜いてくれて、うちの中にまどがある!面白い、笑。

でもこの隙間から空と地面が見えてます、笑。

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今日のお楽しみは。

子どもたちとこくわ 採り。

これね、サルナシって本当は言うのだけど猿が喜んで食べちゃうからそう言うんですって。

 

うちのそばのおじちゃんがとっていいぞーって言ってくださったので、ハシゴ担いでとらせてもらいました。

でも私、そう言うことをしてきてない子どもなので小屋の軒にハシゴかけて登るのにドキドキ。

ついでに小雨なんて降ってきちゃったものだから自分のできる範囲のことしかしないと決めて登りました。

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山の恵みはお薬。おじいちゃんたちはみんなそう言います。

キウイフルーツみたいで美味しくて子どもたちは食べ足りなくて週末にまたお願いしに行こうかな。

これはこくわ酒に。

そしてもう一つ、子供達用にこくわシロップも作ってみようと思います。山の恵み、うれしいですね。

 

それと昨日、幼稚園のやぎさんの冬のご飯に草刈りしていたら(手刈りでヘトヘト、かなりの運動をする日々)、うちの庭にこんなお宝がー!!

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ぼりぼり(ナラタケってきのこです。塩水につけて虫出し中)。

おつゆに入れて今日はお月見の代わりにだんご汁。

大ちゃん、ちょっと喘息に近い胸の音がするので甘いものは控えることにしました。

私も断食あけなので甘いものはお休み。

特別にお揚げさんも入れてあげよう^_^

 

今日は壁に穴が開いて寒いから、ニンニクと生姜を入れたお汁で身体からあっためて早めに寝ちゃおうね。

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穴が開いてるとこに布かけて隙間風を少しだけ抑えてる、つもり、笑。

今週を逃すとますます寒くなるからうち作りも勝負です。

 

昔はきのこには大根おろしを入れておつゆにしていたんですって。毒消しだったみたい。

そういうの、知っておくといいなと思うので覚書兼ねてね。

そうそう、こくわを熟成させるためにはお米の中に入れておくといいそうな。ただいま実験中

おばあちゃんおじいちゃんの知恵袋。

 

不便であると言うこと。

山暮らしを始めて人生の先輩の話を聞かせてもらうことが増えました。

 

私は結構それが好き。

でね、五郎さんの奥さん、お裁縫の達人。

こんど昔のミシンを見せて欲しいんだと、お願いした時に、昔は名前の刺繍もジグザグミシンを使って手作業だったの、なんてはなしてくれました。

確かに考えてみたらそうだろうけど、そうぞうもしたことなかった。

刺繍も自分でミシンの塩梅変えながらしたのよ、って。

 

あいうえおの練習した布や綺麗な紅葉模様のミシンを使った手刺繍、寿の刺繍を見せてもらって感動しきりの私。

字を書く癖が出るって言ってたけど、すごく可愛くて素敵だなって思った。

 

2年ほど前に買った私のミシン。10年以上使おうと思って思い切って買った相棒。

それをどう手入れして修理できるとこはしていこうって考えた時に、五郎さんの奥さんの相棒の50年もののミシンを見せてもらおうって思ったの。

ジグザグミシンが出かけた頃買ったものだって奥さんは言う。

 

私のミシンもたくさん使ってもっと相棒にしていきたいけどどう使ったらいいかな、って相談したら、今のは精巧すぎて難しいかもしれないね。って言っててね、その後、刺繍の話になってそうかもしれないなって思った。

 

昔のはシンプル。

色々やろうと思ったら勉強して技術を身につけていく必要がある。

でもシンプルが故にできることがたくさんあり、次々にツールを買い足さなくても自分で生み出して行けるのかもしれない。

修理することも手入れすることもね、もっとしんぷるなのだろうとおもう。

 

不便は可能性に満ちてる、私は最近そう思うことが増えた。

だからね、私は不便を楽しいと思う。

だから私は昔の暮らしを知りたいと思ったのかもしれないな

 

私のミシンは便利で、精巧で、素人の私でも機能を買い足せばなんでもできる。

でも一つ壊れたら高いお金で修理してもらうしかない。

相棒だもの、自分で治したいと思うのにね。

 

でも昔に戻れるわけではないから、このミシンを自分で50年使いこなせるように祈って、自分で知ろうとしていこうとおもう。

五郎さんご夫婦の暮らしにはこうして直しながら作り上げて行く=希望があると私は感じてます。

直して使って行くものは愛しい、そして無駄がない。

タイの田舎に住むサンドットさんと同じことを五郎さんは言う。

自然には全てがある。

 

もちろんごろうさんちにも金属のものもある。

けれども五郎さんはそれを一回きりの人生にはしない。

それが五郎さんの手で二度も三度も生まれ変わる。

これが大切に使う、ってことなのかなって教えてもらった気がする。

暮らしそのものの中に五郎さんご夫婦のワクワクが詰まってるのはそれも一つのエッセンス、なのだろうな。ただただすごいなとおもう

。すごい先輩に出会えたことがありがたいです。

自分の手で治せるようになること、私も70歳になる頃にはもっとそう言うことが増えてるといいな。

 

うちの物干しもそうして五郎さんが今朝、作ってくれたもの。

現場の足場みたいなポール。

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我が家にはこうしていろんなとこからやってきた廃材が組み込まれ、私たちの暮らしが始まっています。

ただ今二棟のスーパーハウスの壁をぶち抜いてるとこです。電車の連結部みたいになってます。もう一枚の窓のとこもぶち抜かねばなりませんー。トイレに行くまで外を通らねばならなかったのが、扉ができるまでこのぶち抜いた壁をそのまま通っていけます。

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いえってこう言う風にできてるんだ、って解体しながら納得してます。

そんな自分に手の届く暮らしが形になり始めたこと、この家にいるだけでワクワクします。

 

札幌市内より寒さの早いこの土地、雪虫も飛び始めたし、この通路がなるべく早く室内になるように私もお手伝いしまーす。

 

 

 

山の中での暮らしを楽しむ子供達。

子どもたち、どんな風に過ごしてるかというと。。

あのネットの手前の穴の中で土木作業してます。

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本日の札幌は薄めのジャケットが必要な木枯らしと小雨の降る1日。

うちの前の雨が降った時の山の水が溜まる穴に温泉掘ってます。

 

大人はかなり寒いので上着来なよーっていうけど、いい、ってきません。

本人がそういうのでそのまま続けてますが、この熱中が終わったら、寒いって言い始めるとおもうのでお風呂の準備しないとね。

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えーっと、この方達、水が湧いてきたのを見て温泉入って、と。。。

( ̄◇ ̄;)!!!!!!!!

ちょっとあったかくなってきたっていうから手を入れて見た。

( ̄◇ ̄;)( ̄◇ ̄;)( ̄◇ ̄;)!!!!寒中水泳か!?

大人にその温かさは全くわからない。

あの、全然あったかく無いです。

悪いけど大人はムリです!!!

ダッシュでうちに引き返す。

 

けれども、彼らは、ねえ、入ってと言い続ける。

あったかくするから、ってお湯まで沸かし始める。

(T ^ T)(T ^ T)。。。。。

子どもの気持ちに共感するんじゃなかったのか?

心の中の私が言う。。。。

…はい。ハイ、そうでした(T ^ T)。覚悟決めてできる限りやってみます。

 

そんなわけで足湯。

ミントの湯らしい。

そばに足ふきタオルもある。

寒そう。。。。頑張れ、私!!!

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あぢー!!!!

熱湯!!!熱湯やん!

 

水足して入浴。

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おお、あったかい。

アーシング風呂だそうだ。ああ、確かに。

 

娘とくっついて足湯。私の腰に抱きついて下見てます。左側の丸いのが頭。

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小雨降る中、笑。

ミントの匂いして以外にいい。

やっぱり経験してみるもんだ、笑。

 

 

さて、出ますか。

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足が赤くなってる。

ほら、気持ちよかったでしょ。と言う大ちゃん。

ちょっと足痛いけどね。

 

まあ、楽しい時間でした。

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で、5分後。。。

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( ̄◇ ̄;)!!!

でもこの顔見たらもうなんでもいいやねー。

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この名湯に入りたい方は是非予約を〜、笑。

 

 

 

 

 

 

 

私がオフグリットな暮らしをしてるわけ。

が、昨日ふと言葉になった。

 

私ね、悔しかったんだ。

東日本大震災原発事故の後にね。

私たちの代で解決し得ない核の廃棄物を生み出す機械を使いながらくらしていることを、知らなかった。知っていたのは原発で電気が作られてる、ってことだけ。

 

これが事故を起こした時に自分の子どもたちが健康に生きて行く、その一番大切なところを失ってしまうかもしれない、ってことを、知らなかった。

 

私はスイッチ一つでストーブつけて、便利なマンションに住んで何もせずに水をうちの中で飲めて、いつでも好きな時にコンビニ行って買い物して、週末はレジャーして。

電気もガスも、水道も石油も、たくさん使ってたのしんできた。

でも我が子たちはここから生まれた副作用を背負って行く。2人目を持つことに罪悪感を得たりもしながら、母としての苦しみも味わった。

 

食べるものも吸う空気も、生きてる間中あしかせになる。

日常の中で身体がだるくて動かせない苦しみを私が知ってるだけに、放射能による身体の問題がもどかしい。

誰のせいなのさ!

どうしたら放射能は消えるのさ!

答えのない中をぐるぐる考え、それが麻痺するくらいの時間を考え続け、ある日ふと、答えが言葉になってポンと出た。

 

知らなかった自分のせいさ。

こうして暮らすことを当たり前だと思い込んでる自分のせいで起こった事故だと。

 

人のせいにするのをやめた私がいた。

母としての子どもたちに幾らかでも背負わせるものを減らしたいという思いが、これからの自分は子どもたちに何を残して生きたいのか考える方向を与えてくれた。

 

でね、もう絶対嫌なのさ。

知らずに恩恵しかないと思って生きてきて、こうして苦しみに出会うのは。どうしようもないことが悔しくて仕方なくなるのは。

 

でね、7年かけて歩いてきたのは、自分がどうやって暮らしてるのか知ろう、ってことだったようなのだ。計画的に物事を進めるのが苦手な私だったけど、きっとこう思って、願ってきたから、今、この暮らしをしているのかもしれないってね、ふっと先週気づいた。

 

原発事故の時の悔しさはもう繰り返さない。

自分のできることから歩いていく。

それが、私が今、山暮らしをしているわけ。

 

暮らしは生きる上での基礎。

それをどうできてるか知らないことへの違和感を今は感じています。

わたしにとって知識は役に立たない。自分で経験して感じることの中から学んで調べて、きいてゆく。

 

 

むずかしい本を読んだりしない私だけど、こういう暮らしを始めてみて、どうして教育制度は生まれたのか、とか、農薬を使うようになったのか、とか、なんとなくわかることが出てきました。

必要な時もあったのだろうと想像をしています。

 

けれどもうつ病も増えている世の中、教育制度が正しいとか間違ってるとか、そういう議論では変わらないと思います。私たちの生きる上での必要なものはなんだろうと問うて、それぞれに必要な選択をしていく必要があるのだろうと感じています。

 

あとね、昨日の続き。ふっと思ったことがあります。

日本は農薬大国なんですって。

 

いつかね、原発事故のように突然、発達障害やガンは農薬のせいだって言われるんじゃないかってね、おもったのです。

私ね、また原発事故の時のように騒ぎ始めたその時になって、知らなかった、どうしようって、途方も無い悔しさを持ちたくなくて。

あの辛さを繰り返したくなくてね。

誰か一緒に考えませんかー、っておもってます。

もちろん今の私が勉強会なるものを設ける余裕はないのでそれはしないけど、それぞれが考え、聞いて、知って行ったらいいとおもうのです。

突然、私たちが慣行栽培のお野菜を買わなくなって今まで私たちを助けてくれた農家さんが苦しむのも違うと想うので、移行を願うならそれに伴い考えなきゃいけないこともあるのでしょうしね。

人にも自分にも優しい世界がいいなと想うのです。

 

農家さんが農薬を使わねばならないのは、私たちのせいでもあります。

誰が悪いわけでもない。

ただ日本は農薬大国なのだそうです。

こんなに綺麗なお野菜を売ってるのが日本だけ、というひともいます。

 

農家さんの人参の5割以上がハネ品で畑の肥やしになるそうです。

とうもろこしもかぼちゃもじゃがいももそうなのを私も知っています。

綺麗なものばかりスーパーにならんで、って文句言いたいのではなく、苦労されて育ててくれた分の大半が無駄になることに悲しくなります。

農薬かかっていることを私たちが認めているなら、そんなハネ品も売れて、せめてもう少し農家さんの暮らしが楽になる方がいいなあっておもうのです。

昔はそれぞれのうちで食べ物を作っていたみたいだけど、今は農家さんがまとめて作ってくれるでしょう。そんな風に大量に食べ物を作るってすごく、すごく大変なのです。

野菜だけでなく卵も肉もそうなのでしょう。

 

山暮らしの師匠の五郎さんが、ハネ品でほとんど捨てちゃうからもったいないんだよなあっていってます。

 

もったいない。

本当にもったいないっておもいます。

 

それをしれたこともこの暮らしを始めたからで、よかったなって思います。

 

 

今年はオクラがならない。花はつくのにね、実が育つ途中で腐ってきちゃうのです。

だから小さなオクラの実と足らない分を花で補充。

オクラって花もネバネバなんですよー。

普通の食用花より美味しいと思います。

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山暮らしをしながら考える。その1、農のこと。

一年かけて食べるお野菜を自分で作るということ。

 

を、私たちの世代は知らない。

もちろん私もそうで、今年、それを半年と少し経験して思ったことがある。

 

旦那さんと子供達という核家族の暮らしの中で、そして今の世の中の状況的に無理だっていうこと。

私は自給自足をするために、まだちいさなこゆを保育園に通わせるつもりはない。

 

一緒に暮らすという経験を積み重ねる中で伝えていける私の思い、生き方、愛は計り知れないものだと思っているから、この感受性豊かで、私を求めてくれるこの時期を人様に委ねたくないなあと思うから。本能で親を求めている時がきっと一番、関係が深くなって行くはずだろうなあと。この時期にしっかり関係を気づけたら、あとは本人が家の状況も感じて、自分のベストの人生を歩んでいってくれるんでないかと思ってます。だから大きくなってからからの学費の心配をするより、今のベストにかけてみる、そんな生き方をしています。

 

なのでこゆといっしょにようちえんに通ったり、気持ちが不安定な時は、2人の時間を作って彼女の気持ちに寄り添ったり。大ちゃんの時はそんな気持ちがまだ私の中に育ってなかったから彼は今も現在進行形で関係を深めているのでこれは同じ。

家族関係にかけたい時間も多いから、正直一年分の野菜を自分メインで管理するのはやはり今は無理だって改めて感じています。

 

種を植え鉢で育て、大地に植え替える。芽かき、間引き、雑草抜き、支柱たて、野生動物から実を守る作業。そして収穫の終えた畑から待つ次の季節に向けての野菜を植えるのです。秋を過ぎると冬支度も入ってくるので、これもまた想像を超える作業量。これに日々の食事作り、掃除、いまは家づくりも入ってきます。

 

我が家は家族でどう今をいきたいかをメインに考えてるから、雑誌のようなステキな自給自足をするのは無理だね、そう旦那さんと言っています。なので自分たちは楽しんでるけど、ステキには見えてないと思います、笑。

 

だからもちろん、ブログを綺麗にして発信するもの今は後回し。記録の範囲を超えてません、笑。

日々、生きたいように暮らしてるぎりぎりのところです、笑。

 

私たちの世代が農作業をするには多くの場合、片っ端から情報を頼らないとわからないことだらけの世代だろうと思います。だからちょろっと庭で菜園も簡単ではないですね。楽しいけれどもね。

 

いろんな自給自足をしてる人がいます。

それぞれが大切にするところは違うんだなあとふとおもう。

私たちは自分たちで暮らしを作ってみる、という実験、といったほうが近いかな。

自給自足より、助けてもらってるほうがよっぽど多くて、でも実は、こういうことが、古き良き暮らしだったのかなってふと思った今日の畑作業。

 

今日は室で保存するためのジャガイモの選別。

5時間くらいかかってようやく終了。

これをもう少し寒くなるまで紫外線があまりかからないよう保存するのが難しいのです。

写真はとりわすれましたが。

 

うちの敷地内で石拾い。

何億年もの歴史が詰まった石たち。

思いをはせるとすごく楽しくて、拾ってから、これを先日できたお風呂の床に埋め込みました。

自分で作るって思いも自然に詰まって行くものなのだなあと思います。

ものを大切にしようとか、食育で農家さんのご苦労を知ろうとか色いろ言葉は飛び交っているけど、暮らしの中にこういうことがあることが、そういう気持ちを自然と育むのかも、しれません。

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大好きなお父さんやお母さんが大変だから手伝ってあげたら喜んでくれた、お手伝いの元祖はそこからきてるものなのでしょうね。親子関係の積み重ねの中で生まれてきた優しさに本気で嬉しいな、ありがとうって大人が返す。お手伝いは偉いわけではないし、ましてや宿題や約束にするものではないと思うので、夏休みにそんな課題が出て書いてきても私はスルーしちゃってるのでうちの子は忘れてます、笑。。その人の思いから生まれた暮らしの中の自然な行為、な訳で、ふとそうしてもらった時の子どもへの感謝の思いはおおきいです。助けてあげたい、って思ってくれたことが嬉しくて。

 

そうして一番近い人との関係の中で交わされた思いが、相手の状況を想う、ということに繋がって行くのでしょうね。我が子が日常の中で想いを馳せる時をどれだけ邪魔しないでいられるか、その経験を見守れるか、が私のまだまだ未熟な課題の一つです。

 

農のこと、書ききれなかったのでまた次に。

 

 

我が家のキッチン。

我が家のキッチン公開。

 

地震の時もいつもと変わらず稼働してくれたキッチン。

こうして地震直後も数日は生きていけるイメージが立てられ、私たちの心を支えてくれた。

数年のいろんな経験を生かしてある今の暮らしに感謝しています。

 

室内の給水システムはアウトドア用のタンクのみなので基本的に外で調理してから始めます。

タイでの暮らしは3ヶ月間、外のキッチンだったので私には特に違和感もないのです。

でも北海道の冬は早い。あとひと月もすればかなり寒くなります。

お湯は出なくてもいい、できれば室内キッチンができてればいいけれど、できてなくても雪が降るまでは私は多分耐えられるだろうな。

 

ずっと街で生きてきた私のこの一月での身体の劇的変化。

日中の数時間起きていると、夕方にはだるくなっていつもゴロゴロしていたここ数年。

朝も朝食の支度を終え、少し横になると動けなくなる日も度々。

そんな私の身体がこのひと月は1日しか寝込んでないのです。

朝晩と冷えるこのごろ、でも外に出てトイレに行き、洗濯部屋に行く。そして食事の仕込みも外で。

理屈ではわからないけど、外の風を浴び、地面を踏むことで身体が動物本来の姿に戻って行くようなのです。

それは心も同じ。

だから多少寒くても、私は外にキッチンがある方がいい気がしています。

からだにあぶらがささったようにしなやかに動くのです。

その感覚をたった1月で感じたから、なるべく外に出る暮らしをして日常を生きて行きたいとおもってます。

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室内のにたきシステム。

ガスを引いてないので石油コンロでご飯を炊き、野菜を煮込みます。

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もちろん、こんなだから手間のかかる調理はしません。

一夜漬けきをげっとして畑の野菜をそのままつけるだけ。

 

冷蔵庫もないので調味料は塩、味噌、醤油、おす。ときどきあぶら。

多分昔の台所もこんなだったのかな。

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玄関にある食料庫には時々買ってくるチーズなどの冷蔵物もそのまま置いてます。納豆もお豆腐も数日ここにいるし、お魚もその日に火を通せば次の日までちゃんともちます。これからの季節は生でも持ちますしね。今年は魚を干物か燻製にして日もちさせる技術をつけようと思ってます。

 

上の段には畑からとってきたお野菜とたまご。

お腹を減らした子供達がここから自分で好きなやさいをとって食べたりゆで卵にしておやつにしたり。自分で楽しみながら作ったものは全部おやつになります。なので野菜のかごのなかみは気づいたらなくなってます。

 

暮らしが目に見えてシンプルでたべものをまったく無駄にすることもなく楽です。

 

そんな我が家の台所。サハイナンスタイル。きにいってます。