日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

山の恵み!

きょうは山のキノコを教えてもらってとってきました。

これ、ボリボリっていうんですって。 

 

私たちにこれをおしえてくれた山の料理人、sさんはお味噌汁にしてくれたんですけど、めちゃめちゃうまい。

 

私たちは畑の料理人yさんのアドバイスによりお醤油であえてみることにしました。

いつものようにまずはむしだし。

塩水につけること1時間。

このキノコはさほど虫がいなかった。

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そして軽く湯がいてお醤油とひしおでつけてみた。

これ、スーパーのと全然香りが違うのです!

自然の力は違うな。

ほかほかごはんがたのしみですー。

山の経験がない私たちだけの自給自足では叶わなかったゆめ、山のキノコ!

ここに住まわせてもらってることに感謝です。

 

山暮らしひと月。身体の変化でかんじること。

昨日の続きを。

国道まで4キロの山に住み始めた私たち。

大ちゃんの学校も国道のそば、よんきろのみちのりです。

でもね、昔はね、4キロくらい歩いて学校に行くのも当たり前だったそうです。

それにくわえてね、毎朝、自分ちのカメに満タンになるまで水を汲むのが子供の仕事だったそうです。

それ以外の仕事もあるだろうし、遊んでかなりの運動量だったのでしょう。

 

昔に戻ったらいい、そう、極端に思ってるわけではないけれど、それだけの運動量をこなして来たから

私の周りにいる先輩たちは80歳をすぎても、元気に笑い、はなし、シャキッと動いているのではないかと思うのです。

 

ジムでは長続きしない私がここで暮らすことで動く必要に迫られてるこのひと月。

アパートではだるくてゴロゴロしっぱなしだった身体が、このひと月で毎日動いてくれています。

何故だかわからないけれど多分、自然の力、この空気と、水と、微生物たちの力だとしか言いようがない、感じです。

あ、あと、冬を越えられるように家を整えなきゃという命のかかったことが目の前にあるから、笑。

 

ここは思っていた以上に、私たちにとって山の中の暮らしでした。ペーパードライバーの私が車を運転できるようになるのも一つの方法だけど、国道に出てバスに乗るまでの4キロの道程を歩ける身体になることもいいかもしれない、と思っています。

身体が動けることが、すべての基礎だと最近つくづく感じているので、子供達と一緒にまずがここで身体を作り直してみようと思います。

車はそれから考えてもきっと遅くない。

 

からだのだるさにくわえて、しせいのわるさや、骨盤が緩くて内蔵がさがってる感じが今でもあるのですが、ここでは日常で山の傾斜を登って野菜を取りに行ったりせんたく部屋に行ったりが日常で、今までは体操をして、内臓を下げないように筋肉の運動をしていたのだけれど、今は坂道を歩きながら、ぐっと力を入れる感覚がわかるようになりました。

 

アパートでめんどくさがって体操したり忘れたり、を繰り返していたころとちがって、確実に体幹がわずかながら変わり始めてることを感じています。人の身体は動物ですね。野山での暮らしをすることで、本来の身体の力を発揮できていたのかもしれない、と思わずに入られません。

 

整体師さんに頼るばかりではない(時には頼ってもいいと思っています。でも、いずれは自分で自分の身体をケアできるように、それをめざしているので。)くらし、お医者様に頼るばかりではない暮らしをしていけたらいいなってやんわりと思っています。

 

自然の中での暮らしが、身体が自ら自己調整へと導いてくれてる、そんな感覚の今日この頃。

小さな頃から運動もせずに、精神的にもストレスを抱えてばかりいて頑張ってくれた私の身体がどこまで変わって行くのか、今の私には想像もできません。

でも五郎さんの奥さんが50歳で農家さんになって身体が変わったって言っていたその言葉を希望に、まずは一年後の自分を楽しみに今を過ごしています。

 

さしあたってのここでの熊さん対策にポケットラジオは必需品。

熊鈴より、もっとしっかりした対策が必要なここでのくらしです。

 

カナチョロ、クワガタ、青大将。ここでは日常的に共に暮らす友達です。とは行ってもマムシもいるそうな。こどもたち、人生の先輩に聞いて直接学んでます。すばらしいことだよな。

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小さな太陽光発電機。

台風一過の翌日の晩。

大きな揺れがあった。

北海道地震。東京で経験した東日本大震災を思い出す揺れだった。

揺れが止まっても体の震えが止まらない。明るくなってようやく落ち着きを取り戻した。

ちょうどこの日から3泊で東京に行く予定だったのでリュックの荷物を車に積んで万が一の準備もした。

慌ててつけた電気がしばらくしてパッと消えた。

あ、多分停電だ。そう思ったが、山暮らしを初めて、私たちは電気のない暮らしに慣れ始めていたので、いつものように太陽光の小さな卓上の明かりを灯した。

その明かりにホッとした。タイでの暮らしとこの山に移ってからの暮らし、約一年間のライフラインのない暮らしの経験で、家族全員が電気、ガスのない暮らしを知っていたので誰も慌てず、この明かりの安心感にその場で感謝をした。

これがあればまずは大丈夫。暮らすことに関する明かりはこれ一つで賄える、それを知っていたことは私たちにとって大きな支えになっている。日が登ってから明るいうちに全てを済ませる。暗くなって月明かりがこうこうとともる日はラッキー。天からのプレゼントで少し余裕が出る。

 

まだ暮らしが落ち着かず、トイレが別棟なので外でトイレを済ませることも多い子どもたちには、これは大きな自然エネルギーなのです。蛍雪の功、って本当にあったのだろうと思います。

 

小さな携帯太陽光充電機能威力がかなり発揮されています。日常では携帯しか充電できないものなのに、今は携帯が充電できるありがたさを感じます。そして小さな卓上ライトの充電もできる。旦那さんが考えてくれたこの充電グッズに頼って暮らしてます。

 

明かりは安心感をくれます。電池は無くなる不安がある。けれども太陽の力がある限り、毎日ではなかったとしても明かりが灯せるってすごいことだと思うのです。灯らない日は暗くなったら寝たらいい。

 

ライフラインのない暮らしを経験していることにより、先の見通しがたち、わずかだけど不安を減らすことができている気がしています。

 

明かりは一つで家族4人賄える。ろうそく使う手もあるけど、結婚式で使うようなそんなに大きなものは結構持ってないからね。

火は落ちた枝で起こせる。そうすれば鍋さえあれば料理ができる。

食べ物と水は大事にして、我が家の今のご飯は毎食雑炊です。温かいものを食べると体温が上がるからかホッとするから。

 

小さなこの充電器ははっきりいって電気代が減らないからあまり需要がなかった。旦那さんが接続しやすくセットにして身近な人に進めてたけど需要はかなり低かったけど、やっぱりここが始まりだなって思った。必要最低限がここにつまってる。

便利について考えるならば、必要最低限を経験してると気づきが広がる。

経験は自分自身の暮らしに浸透するから経験してみることにより、自分にとっての現実性、できることが見えてくる。

 

我が家な小さな電力使用節約だけど、ほんとうに必要なところに電力が渡ってくれることを祈って続けています。

 

やまぶどうをとりたくてきのぼりするだいちゃん。一年後にはもっとたくましくなるなあ。。

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ここに来て、最寄りの学校まで、片道4キロの道のりになりました。住宅街を抜けて3キロ以上も1人の道のり、ただここ数年の変化として熊の痕跡が見られるようになったそうです。ここ数年、らしいけど、昔と比べてどんな変化があったのか、しらべてみようとおもっています。

 

長くなるので次回に続く。

 

 

 

 

 

 

山暮らし始めました、妻の記録。

いろんなことが、今、起こり過ぎて今しか見えない一週間が過ぎて行きました。

 

初日から大雨。

テント暮らしもできず、慌てて家の掃除をして室内にテントを張って寝室に。

なぜテントかってね、もともと土足で使っていた小屋だから拭いても砂っぽかったから布団まで砂だらけにしたくなかったのと、蚊帳の代わり。

この小屋の掃除もはいてふく、にとどまらず、はいてタワシでこすって磨き、ふく。そしてまたはく。をしてもなかなかすっきりとは行かなくてね。しかも、雨で乾かず、初日から課題勃発、笑。

 

素敵な古民家暮らしには程遠いということを経験から感じた初日、笑。

でもね、トトロのメイちゃんたちが引っ越して来たお家もそのレベルで掃除したのかなあって思ったりできて、今までより想像できることが増えていくのだろうなあと自分のこれからの成長にワクワクしています。。トトロの背景の時代には掃除屋さんなんてないだろうし、家の隙間もあったろうから、うちの中は結構汚れてたんだろうと想像してます。きっとおばあちゃんが掃除した後も、子どもたちの足は砂っぽかったんだろうなと。まっくろくろすけもね、こうやって掃除してると、見える気がする!!

 

家と自然の中の境目が木の板一枚だから、そういうものが入って来て住んでる気がするのもわかるのです。その話はまたおいおい。

 

慌てて掃除してテント張って、綺麗なスペースを確保。二畳の小さなベッドルームの出来上がり。

入ってみるとね、落ち着くんです。この囲まれた小さな洞窟みたいなスペースが。

子どもたちも大喜び。

電気も引けてないから、日が落ちると小さな太陽光ライトのみで過ごします。

本も読めないけど、子どもたちとこの薄暗い明りの中、いろんな話をします。

7時には布団に入るからあとはおしゃべりの時間なのです。この感じがすごく気に入っています。

 

でね、一週間たってきづいたもうひとつのこと。いや、日々何かあるんですけれどもね、結構大きな事態が、笑。

 

梅雨のような雨が続き、布団の裏がカビになっていて、困りました。

とりあえずわずかな晴れ間に干す。

でね、どうしたらいいかなあって考えながら、屋根の雨漏りに塗装してたら、たまたま山暮らしの達人さんたちが入れ替わりでやって来てくれてね、話を聞けたのです。

 

そうしてね、ある達人さんの言葉がすごく腑に落ちました。

「山の中は酵母酵素がいっぱいだからね。変な色じゃなきゃ、そんな悪い菌じゃないと思うよ。」

と!!!

 

そっかー!!!!

白神こだま酵母白神山地に住んでる菌、だよなあ。

「じゃあ、仲良くお付き合いして行く方法を考えたらいいんですね。」と、達人さんに話すとそうそう、と言ってくれたのでまずは布団に話しかけてここではあまり増えないでくださいーと、お願いしました、笑。

 

そっかあ、酵母酵素

コロポックルもいるようなきがします。

このうち、風は抜けないけど日もあまり当たらないけど不安にならない家なのです。安心するというか。きっとこうして守ってくれるなにかがいてくれるのだろうと思います。八百万の神様ってこういうことなのかな。人が偉いわけじゃあないんだよなあ、って感じています。

 

なるべく長い年月ここに土地を守ってくれた木を切りたくなかったので、木は切らないつもりでした。少しだけ自分たちの住むスペースをもらうだけのつもりでいました。でも、こういう状況で建物が腐っては住めないので、来年はもう少しお日さんが当たるようにタイミングをみて木を切らせてもらおうと思っています。

 

いろーんなことをきろくのために書いておこうと思います。

引っ越し1日目は豪雨の中、ブラシで家の中を磨いてテントを張って寝床を作り、2日目は雨漏りにおおいそがし。3日目は全く乾かないどころか、乾いてるものまでしめる湿度に悩み衣類を含めたものはタイのようにハンガーにかけて風通しよく収納してなるべく床に置かない、4日目はキッチン水道がないので雨の中、食事作るために往復するのに困ったねえ、と悩み(これは慣れで解消、笑)、5日目はカビ問題に悩み(布団の下はすのこ、少しでも晴れ間がある日にいろいろほす)。6日目はやっと、雨漏り対策に塗装を始めることができました。そうそう、トイレの排水は旦那さんが作ってくれたけど給水ができておらず、これじゃあ、ぼっとんのほうが便利じゃないかとすらおもえました、笑。トイレを使った後、三往復してトイレのタンクにジョウロで水を入れなきゃならなかったのです。これは一週間ほどで完成。でもまだトイレに行くのに、一度外に出ないとならないので昔の厠みたいな感じなのだろうと想像しています。めんどくさいかもって思ってたけど、慣れればどうってことはなくて水洗なだけでそれはとてもありがたく。

 

そして雨漏りの塗装のこと。これって塗るだけじゃないんですね。まずは屋根をブラシで掃除して泥をおとすとこから、笑。そして雑巾で拭いて綺麗になった状態で初めて塗装を始められます。

急に気温が上がった時は鉄板の上で暑い暑い、言いながら明後日からの雨に向けて塗装を必死でやる!

 

でも、今年の北海道は他の地域と違って、涼しくて、もうストーブ入れたいくらい寒い日の方がおおかったから昼間はその屋根の上がとっても心地よくって。

菌のおかげかな。子どもたちも登ったり降りたり、楽しんでくれてます。

 

こんな風に色々あるけど、びっくりするけどそれを超えるときの一つ一つが楽しくて、家族で共有しています。

それから今この瞬間に気持ちを注げるから、ここに越して来て母としてのイライラも、色んな不安もぱたっとやみました。

森の神様である菌のこうかもあると感じています。

 

理屈じゃなくて、ここにいられることが幸せだな。

 

引っ越して来た時。

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夜はこの太陽光充電ライト一つで過ごします。

7時にはテントに入って子どもたちとおしゃべりタイム。

小さな明かりってなんでしょうね、心がほっこりして火を囲むようにそこにいる人と集いたくなるのです。

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魔法の言葉。

幼稚園のスタッフ研修に参加させてもらって、母であると言うことをあらためてかんがえなおしてる。

 

そんなきょうあったこと。

ささいなことで、こゆにうるさくいってしまった。

ひとしきりバトルし、泣いて部屋に閉じこもったこゆにこえをかけた。

わたしが言いすぎてのは分かってる。

言いすぎてごめんねと膝に抱いた。

 

こゆはわたしにいいました。

「さっこちゃんじゃない、こゆがわるいんだ。」

わたしは違うってはっきり思って伝えた。

「こゆはじぶんのきもちをつたえただけ。わるくないんだ。それを受け止めきれなくてこまっておこってしまったの。そんな気持ちにさせてしまってごめんね。」

「なんでさっこちゃんはこゆをだっこしようとおもったの?」

「こゆが今何を考えてるか知りたかったの。だって今、わたしは大人の権力を使った。大人の方が言葉を知ってるから、次から次へとたくさんのことを言って、こゆのことばをきくすきをあたえなかった。わたしが間違ってる、っておもったの。それをどう伝えようか、かんがえていたけどわからなかったの。こゆが自分の気持ちをせっかく伝えてくれたのにね、それなのに打ち消した。聞かなきゃこの状況は変わらないのに。ごめんね。」

 

こゆはしばらくひざのうえでわたしの顔を見ながらおしゃべりしてまた遊びに部屋に戻って行きました。自分は母としてのわたしとしてこの人とどう一緒にいたいのか日々、積み重ねています。

 

もう一つ。

大ちゃんが調子に乗ってついでの壁にぶつかり、いたいーいたいー、さっこちゃんきてー!!といってぶつけたとこを抑えてた。

 

もう、調子に乗ってるからじゃん、めんどくさいなーって言って家事をしようとしたら、「もう、さっこったらー。」と、こゆがわたしの前からだいちゃんとこにはしっていった。

 

こう言う時、わたしは母に何もしてもらえなかったのだと思う。今も、「めんどくさいなー自分でふざけてぶつかったんじゃん。もう小さくないんだからどうなるか、わかるじゃん、気をつけてよ。」、そう部屋の外からのぞいていった。

でも大ちゃんとこに走って言ったこゆのこうどうがきにかかり、そばにいって、こゆにきいた。

「わたしどうしたらいい?」

「だっこしてあげなよー。」と、こゆがいってくれた。

大ちゃんのとこに行って抱っこしたらこゆが安心して微笑んだ。

「抱っこしたらなんでいいの?」

もう一つおまけに教えてもらった。

こゆは笑いながら言った。

「だって、お母さんだからだよー。」

いつもわたしを名前で呼ぶこゆがそういった。

そっか、お母さんってそういうことしてくれる人なんだね。

 

抱っこがいいんだよ。

それは知ってる。本も読んだし、耳がいたいくらいきいた。

でも今、100回くらい聞いたことのある言葉の意味が初めて分かった。

こゆのおかげで。

子どもの言葉は魔法の言葉だとおもう。

もう絶対忘れない。

母にしてもらって9年。母であると言うことの今の記録。

こゆが熱性痙攣を起こして一年。

今年の今日も夏風邪引いてる。

あさから両鼻から吹き出すような鼻血でめざめる。

なぜか、あの日の記憶が手に取るようにまざまざと蘇ってきてるのでああ、びっくりしたね、といつもより穏やかに、丁寧にむすめにせっしているわたしがいる。

 

あれから一年、色々あったけど、元気に生きていてくれたこゆ。

親孝行なんてそんな言葉がどうして生まれたのだろうというくらい、わたしはこゆにまいにちおやこうこうしてもらってるからいらないよな、この言葉っておもう。

 

思えばいつもこゆは、いのちがけで教えてくれる。

そもそも本来子供達というのは毎日命がけで生きてるから当たり前なのかもしれないが、こゆのばあい、本当に要所要所で命をかける。

今回2回目。

1回目は仮死でうまれ、2回目は熱性痙攣。

わたしはこの経験で、命がけでわたしに訴えようとしていることがある、と受け止めるようになった。

わたしの未熟さに命がけで訴えてくる、、泣。そりゃそうだしまだまだまなばねばなたないことがあるんですね、、、、、、。分かってるけどおもわずつぶやきたくなる。。

 

子どもは神に近い存在、って本当だとわたしは感じてます。

彼らが教えてくれたことは、わたしを変える。

彼らが「わたしが変わらなくてはならない状況」にしてしまうから。

覚悟を決める、なんて悩んでる暇もなく、「かわるしかない」のだ。

 

日々を生きてる彼らに、自分の日々も重ねて寄り添うというのはそういうことも含まれる。

 

だから虐待も起こるのだとおもう。

子どもの人生に寄り添うということは、自分の人生も揺るがす。

それが母であるということだから。

 

申し訳ないけど母にしかわからないことがある。父にはわからない苦しさがある。

それは我が子に人生を揺るがされるというくるしみだ。

それに気づいた頃、わたしは父である旦那がそこを理解できないイライラを抱えていた。なんて無神経、っていつも思ってた。でも、旦那さんは彼なりに頑張ってた。私たちを支えてくれていた。

 

わたしは自分の苦しみを彼が理解できるように伝える努力をするべきだった。彼の優しさからくる気持ちを彼の言葉で聴きながら、それを忍耐というエネルギーにかえて、何度も何度も伝えていくべきだった。

感情と伝えたいことは別だと、自分に言い聞かせ穏やかに気持ちを伝えるべきだった。イライラして彼に怒りという感情を乗せて伝えたぶん、彼は傷つき、わたしをせめた。今思うとわたしの配慮不足が招いた、わたしの責任だと思う。世のお父さんたちが奥さんのそういうとこに傷ついてること、けっこうあるのだろうとおもう。お父さんたちだって家族を思うから頑張っていてくれたのにね。

 

いつのまにか、わたしばかり頑張ってる、っておもいこんでる。そうじゃないのに。

 

わたしはたくさん揺れた。

外に働きに出かけず、子どもと共にいる選択をしたから。なぜそれをえらんだのかはわからない。けれども多分、わたしは自分が子どもの頃、母に寄り添ってもらえず悲しかったのだと思う。自分が我が子に寄り添う方法を知らなくて探すために、専業主婦になった。

 

その世界は想像以上に厳しかった。はたから見てきた頃は、専業主婦って気楽そう、楽しそう、って目で見ていた。

 

でもね、共にいる時間が長いほど昔の傷が自分が気づかない形で、えぐられていくのです。

いつまでも泣かれるとイラつく。

食べても食べてももっと食べるもんないの?って一日中聞かれて、与えてないみたいで頭にくる。虫歯になるんじゃないかって心配になる。

兄弟喧嘩が絶えずに、上の子にあんたそんなに人のこと責めて、といらついてせめる。下の子だって思いの丈をぶつけてるのに、結構上手にやるから彼らは上手いこと逃げていくんだよね。

あまりに頭にきすぎて、毒を吐く。これ、自分が育ってきた環境が壮絶であるほど、ひどい言葉をはきすてるんです。。。。。

自分が選んだ道だから全て自分の時間なのに、そうせいりできたらいましかないこのともにあるじかんがかけがえないのに、自分の時間がないって愚痴ってた。

 

可愛いはずの我が子に一日中怒って夜を迎えてる自分に愕然としていました。

 

どうしてこうなるんだろう。。。

何日も何年もかけてわかったこと。自分はそう育ってきたのだということ。自分が生きて行くために忘れ去られた辛い過去、でも身体が覚えてた。だから同じように我が子にしてしまう。

 

ごめんね、ママ。

我が子にそう言われるたびに涙が出ていた。

この子は悪くないのにわたしにはどうしようもない!!!!

育児書も、子どもはこう育てろっていろんな人が書いた本も何も意味がない。自分でゆっくり読んで心で感じて理解していく余裕を与えられないその時のわたしに、なにもひびかない。保育士であったわたしに書いてあることは頭では分かってることばかりだったから。書いてあることは全て美学にすぎないのだ。

 

保育園とかでやってる子育て支援ですら意味がない。自分がこどもにしていることを整理できてない状態で話を聞いてもらってもその場しのぎに過ぎないから。それ以上踏み込める保育士さんはごくごくわずかだとおもう。でも、そうでないと意味がないのだ。やはりこれも美学にすぎない。カウンセラーでさえも多くはそう。心を入れて聞いてくれる人がそばにいればカウンセラーという仕事は必要なくなってしまうんだろうな。

 

人が言うことはそんなことはほとんど頭では分かってる。だってわたしの本心はこの子が愛しくて愛しくて仕方がないのだから。それを邪魔する感情をコントロールできれば、それさえできればね。

事件は現場で起こっており、絶え間無く起こっていることであり、頭で分かったからってコントロールできることじゃない!!!!!

 

わたしの育ってきた道は新しいタイプの虐待だった。

現代社会の問題を抱えた密室で起こる、核家族だから起こる、虐待だった。

でも気づいたことがある。

わたしと同じ母も苦しんでいた。きっと自分がどうしてこううまくいかないのかくるしんでいたはずだ。

 

心の傷があれどもわたしは自分の子と生きていかなきゃならない。

自分の子の幸せをこころから喜べる母でありたい。

専業主婦になったのはそのためだったといまではおもう。

 

自分が願っていたものと違う生き方となってしまった自分の幼少時代。

何がおかしかったのかすらわからない現代社会のプライベート空間。他の家と比較するということができなかったから。子どもにぶつけて初めて気づいたことの数々。

 

我が子も傷つけた。自分もたくさんたくさん傷ついた。同時に旦那さんも傷ついていた。

 

そうしてぼろぼろになって、わたしはそのとき恵まれたかんきょうに大人になってであっていたことに気づいた。

 

母である女性の精神衛生が大切だという人がやってくれている幼稚園があった。家族全員一緒に通って1日を過ごせる幼稚園だった。そこにわたしも一年通って、でもそこの幼稚園の園長の本当の素晴らしさに気づいていなないまま、はなれたとこだった。

 

そこにもどろう、と思った。すでに通い始めた普通の幼稚園、そこの園長先生もやさしいひとでしたけれども、子どもを預かってお母さんがリフレッシュできたらいいよね、と心を込めてくれていたけれども、そこにいって、離れてリフレッシュしただけじゃ解決できないことばかりだった。

 

預かってもらってお互いに疲れて帰ってきて、子どもの気持ちを考えずに早くお風呂はいって片付けて!って怒っていたのでは子どもと過ごす日々は豊かになっていかなかった。家族と共に自分がどう生きて生きたいかを考え、実行していく必要がある、それが母の仕事の1つなんだろうときづいた。

 

その園長は母の精神衛生についてを考える研究をしていた。

園長はいつも園長の椅子に座って事務処理してイベントの挨拶するだけの人だと思っていたのに、その人は研究者だった。

母の精神状態が安定していると子どもはどう育って行くのか、毎日毎日、ずっと母や子ども、時にはお父さんやおばあちゃんに寄り添い考えてくれる人だった。動物学、犯罪学、心理学、わたしはそこで、母から引き継いだ負になるものを引き継いで行く怖さを知った。そして違う場所でそれをまのあたりにもしていたことに気づいた。母から引き継いだ苦しみは世代を超えるともっとおもくなってゆくということに。わたしはわたしの代で断ち切る必要がある、それは子孫にとって、これからの未来にとって何よりも必要なことだと思ってます。わたしにとって壮大なプロジェクト。

 

研究しながら、でもいつも、幼稚園に通う今より1秒先の私たちの幸せのために力を貸してくれる人でした。79歳になってもたくさん悩むし今よりもっとよくなろうって考えているんだよ、とすなおにか立ってくれたなんとも人間臭い、園長先生ではなく、人生を重ねて深く柔らかく大きな心をもった人、だった。先生ではなく、地域で暮らしていた頃にいた面白いおじいちゃん、好奇心旺盛なおじいちゃんって感じかな。

 

わたしだけじゃない、母としてそういう苦しみを抱えた人はきっとおおいとおもう。

愛しいのに愛しかたを知らない、自分が待ってもらったことがないために子どもの成長の待ちかたを知らない、ただそれだけ。しかも世の中が、待ってくれないから、母となった自分が責められるのが怖くて身を守った結果、子どもが犠牲になってるだけ。そうしてその子が次の代に苦しみを引き継いで行く。恨みとなるかもしれない。

 

恨みは自己肯定感を潰して行く。自分の幸せも人の幸せも思えない、そんな苦しみを我が子にさせたくはないから。

 

母である自分を愛しく思えたら、子どもを愛せる。

あいするきことができたら、安心の中で子どもは育ち、家族である幸せを知る。

動物だから身を守るために群れをなす必要があるのかもしれない。少なくとも助け合える安心感は自分を支えてくれる。そうして豊かさは巡っていく。

綺麗事ではなく、それを経験してわたしは感じているからそうありたいとおもう。

 

母であることは、自分の中に宿った1人の違う存在を受け入れること。

その作業は実はとてつもないことなのだとおもう。

その受け入れる力で、人の生き方が出来上がって行くのだから。

時には実母がそうできないこともあるとおもう。それを支えてくれる人が必ずいつかどこかにいる。それを伝えられる人間に育つのは愛を感じられる人間に育たないと無理だと思う。

 

わたしは我が子に愛を伝えたい。けれども、わたしのように実母から愛を受け取れない人もいる。その苦しみもいたいくらいわかる。でもそんなわたしを救ってくれた人は、ははからあいをもらった園長でした。だから今度はわたしが血の繋がらない誰かを支えることがあるかもしれないし、我が子がそうであるかもしれない。

 

自己存在意義がなさすぎて、いつだって不安だったわたしが、母として我が子と向き合うために命をかけて変わったこと。いまでもかわりつづけるしかない日々。

 

でもそんな子どもたちのおかげでわたしはずっと生きやすくなった。また苦しみと課題はすぐにやってくる。本気で苦しくてもきっとそれを超えて、もっと生きやすくなって行くことが見えているから、ただただあるいていくとおもいます。

いまは楽で楽しくてしあわせになった。

 

母が本気で愛を伝える、わたしは母として、人として、わたしとして今、本気で生きています。

1日が穏やかで楽しく過ごせるかは自分次第、そうなるように日々を生きて生きたいとおしえてもらいました。そんな感覚を持った女性として生まれてこれたことに感謝をしています。

 

自分の持った豊かさ、優しさがたくさん溢れていく人にいつかなってたらいいな。

母としての苦しみが、かえてくれたこと。母にしてもらって、生まれ変わったように生き直させてもらったのだと思います。

 

家族は命の恩人。今日もいっしょにのじかんをいとしみながら過ごして生きたいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自然から分けていただいたもの。

こちらきのこ。いただきました。買ったら高いであろう立派なキノコ。

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名前は覚えられなくてわかりません。

スーパーのように管理されたとこで育ったものでないこのキノコは、、、、、。

だいぶ水変えちゃったけど、芋虫のような虫がいます。

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いしづきや、傘の裏のひだにね、小さな芋ちゃんが隠れています。

それを水に浸して出す。苦しくて虫がぞわぞわ。でも出しきれないのでそしてもう一度傘の裏、いしづきのとこに黒いものが顔出してないかみる。

今回は結構少なかったけど、それでもいます。

 

わたししらなかったです。スーパーで買ったキノコは洗わなくてもいいんじゃないかってくらいキレイだから。

でもね、これが現実。

気持ち悪いって食べれない人もたくさんいるんだろうな。

でもこうして切磋琢磨で人間に着くさいきんもそだててもらってるのだとおもいます。

 

我が家はこんな生活なのでうちの中にアリンコがいたり天井に何かしら蛹がいたりします。

だいぶなれて受け入れてたのしんでるこどもたち。

田舎暮らしはサバイバル力。綺麗事だけじゃないのだと経験して感じています。

 

今日はキノコ汁とキノコ炒めに決まりだ!