日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

夫婦で学び合うこと。(タイ暮らし82日目)

   カシューナッツ集めをしてから自分がコレクト好きだと知り、今日もちょっとした時間で集めに行きます。木の実拾いって面白くて、それも木々の間を探していくのが気持ちいい。葉っぱの上をカサカサ素足で歩きながら、カシューフルーツの赤と黄色い実を探す。こうして拾って集めていた時代があったのでしょうね。集めた数は前回と合わせて100個ですが、隅に入れて焼くときに失敗もするでしょうし、虫食いもあるでしょうし、みんなに分けるでしょうし、1人10個食べれたらご馳走おやつだろうと思います。でも他にも食べ物は十分にあるのでこうして分け合いながらいただくのがちょうどいい量なんだろうな。自然の中はこうしてバランスを保ちながら生きられるようになっているのかもしれません。そして人間が作った身体にとって偏ったものになるだろう油や添加物がないので身体も過度に欲することがないのかなと感じています。

 

   近くにスーパーもないので買い物にもいかないし情報もないので、シンプルで楽になりました。食も暮らしも。お腹が空いたらあるものをいただくため、木の実や畑のものを収穫し、必要なものがあればまた自然から頂いて作る。お皿や家やおもちゃを。今は服は作れませんが笑、子どもたちは葉っぱでふけるんだよと葉っぱで鼻をかんで、葉っぱのお金であそび、木のボッコで電車ごっこをしています。作るには根気もいるので本当に欲しいものしか作らないのも私にはかえってよいのです。ものが増えなければ散らからないし、できないのにやりたくてイライラもしない。自分の中での欲が増えると、イライラしたりと自己矛盾を生じてしまうので、のんびりのんびりが少し身についてきたように思います。日々が楽しい。

 

   カシューナッツを集めていると子どもたちがよってきて一緒に拾い始め、みんなに会いおしゃべりして、子どもたちは嬉しそうに収穫したものを見せる。そしてそんな子どもたちを見て笑う人たち、人との関係も循環しているのです。全てそうとは言い切れないけれど、でも私がここに3ヶ月いて感じたこと。本当に自然の中で暮らしていると、自然と自分だけの時間がよく訪れるのです。それぞれが作業に没頭している時間があるので人との関係に疲れないし、自然と自分だけの時間はヒーリング効果になっている気がします。例えば、土壁を作るために粘土土を踏み、竹を割り、自然のものに触れてる時って穏やかに没頭する。そして手作業効果で、なんとなく喋って見たり没頭したり相手が気にならない。ここではみんながそんな感じです。だから私だけが言葉ができなくてもそんなに関係ないのかもしれません。なんとなくお互いにできることをフォローしあう。あ、それがコミュニティでいきることなのかもしれません!

 

   それと私の癖で、相手の癖や性格が気になる時、勝手に妄想して嫌な人だなーって思ってしまうことがよくありました。これを聞いたら悪いかなって聞かずに黙ってしまうことに関しては日本人には良くある傾向なのかもしれませんが、私はそのあとマイナスに偏りがちでした。そんな私のつぶやきに対して、旦那さんは疑問は直接聞いて解消する人です。そんな彼にここで何度も学びをもらって、聞いてみること、その一歩を踏み出すこと、をするようになりつつあります。そうしてみたら、相手のその行為が、マイナスに受け止めている自分の行為の1つだったりすることに気づいたのです。相手に悪意はなく、その人も一生懸命に生きているだけ。そう気づいたときに、相手を受け流すことができることを知りました。と同時に、自分を受け入れたり向き合ったりということも。そうして必要な時は距離を置き、そうでない時は受け入れたら良い。そうすることで一番楽になるのは自分。穏やかに過ごしたいなあと思うので1つずつ、一歩ずつ。ありがとう、旦那さん。

 

   小麦の洋菓子やパスタ、ピザを取らなくなって一年、昨日久々にパスタを食べたら、大ちゃん、ここにきてはじめて咳で目覚める朝。ゴホンゴホンと胸からくる咳の音は久しぶりで、ここのところ暑いので風邪ではないはず。。身体から抜いてみてはじめて、本当に彼の身体にあっていなかったんだと学びました。彼の健康を願う私たち夫婦にとっても大ちゃん自身にとっても。シンプルになることでそんな変化を知ることができ、大ちゃん自身で身体に目を向ける習慣がつけられるのですね、きっと。彼の身体は彼が守れるようにできるサポートをしていくこと、それが私のできることだったんですね。今までは具合が悪くなってから対処したり、彼がいいって言ってるのに寒いから着ていったらーと厚着をさせそうになったりしがちでしたが、大きな学びでした。余計なことしてごめんよー、息子ー。反省の母ちゃんであります。

 

この村には軒先にこんな風に誰でも飲ませてもらえる水が置いてある家が多いです。そしてうちの前にいすとテーブル。こうしてコミュニケーションを取っていたのでしょうね。こんな風に人と過ごす時間もゆっくりあればものがなくても大丈夫なのだろうな。 

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いつもよりもっと楽しみだけどいつもと同じ心地よい疲れのある1日でした。(タイ暮らし81日目)

      今日は記念すべき、旦那さんの建てたうちがとりあえず完成した日。私が手伝えたのは本当に僅かですが、手伝いつつ思います。こうして夫婦ですごすっていいなと。また来年来れたら自分たちの住む家になるから自分たちで作れたらいいなと。私たちが仕事をする傍らで子どもたちもカシューナッツ焼いたり、それぞれ好きなことをしたり。あまり声をかける必要もないので子どもたちはどんどん自分の好きなことを見つけてやっていく。お互いにハッピーな時間を過ごせました。2ヶ月間張り切っていたので怪我をしないことを祈りつつ、見守り続け、とうとう完成。床と屋根と柱さえあれば、まずは暮らせます。もやしっ子だった旦那さんが、、。よくやったねー。ありがとう。でも本当に怪我しないでよかった。お疲れ様。

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   そんなわけで帰国まで僅かな時間を家族で過ごしたくてかわへ。大ちゃんが竹を切ったものを船にしたから浮かぶか試したいとずっと言っていたので連れて行ってあげたかったのです。果物と灰のなかにつっこんでつくった卵と朝のたき火で作った茹で芋をお弁当に山道を歩くこと1時間。途中でにもつが重くなり、持ってきたマンゴーを1人ひとつ平らげて、ついでに卵も食べちゃいます。山道なので食べ終えた皮はガンガン投げて水筒の水で手を洗っておしまい。楽チーン。ついでの主食の茹で芋も食べながら歩きます。

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   そうして川に到着。なぜか今日は全裸で遊ぶ子どもたち。もうすっかり怖くなくなったのだろうなあ。

 

   大ちゃん、船を浮かべます。ういた、ういたよー!!!!いかだと飛行機を作りたい彼にとって自分で作ったものが浮いた喜びは奇跡だったのでしょう。こんなに重いものをここまでもってきて嬉しくて嬉しくてこの上にカメラを置いて動画までとって、またもって帰ります。この喜びが伝わってきて、ここに来れてよかったなー、大ちゃんの思いをひとつでも叶えられて嬉しいな。

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   コユはもってきたお芋をお魚にあげてます。ツンツンと食べる小魚を見て 水に落とすたびにキャハハ、キャハハと笑いながら二つもあげてました。この経験に軍パイ。足らなければ人のご飯は買い足すことにしました。こんなひとつ一つの経験が彼女の中に浸透して行くようで最近思い出しては話してくれます。なににも変えがたい経験です。

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   旦那さんが可愛い入ってくれたのでこんな可愛い一枚が取れました。大ちゃんを真似て、自分も浮いてみると水の中を泳ぎます。大きくなってきた大ちゃんに比べ恐怖は半分以下のようで楽しそうに浮いています。でも大ちゃんも自分で泳ぎの練習をしてみたいと口にし、手を貸してあげると嬉しそうにチャレンジしています。もう泳げるな、きっと。やる気になったらすごい、子どもたちは。

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   いかだに乗って遊んだ後、ここから飛び降りてみました。気持ちいーい!!

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   風がふくと冷たかったので大ちゃん以外は、川から上がり、大ちゃん1人で川に入ったり砂湯しながら遊んだり、自分の遊びに没頭しています。待つのが苦手な旦那さんも1時間以上は待ったでしょうか。大ちゃん自ら遊び切って上がる、といい着替えます。遊び切って満足した顔、旦那さんにとってもいい経験でした。上がったらお腹すいたからカオニャオ買ってきていい?と聞き、自分で買いに行きます。おお、立派だね。おかわりまで買いに行き、大満足でかわをあとにしたところで村のおばあちゃんに声をかけられます。ロットという単語だけが聞き取れ、車できたの?と聞かれたのかなと思い、「ノーロット。ウオークです。」と歩く仕草をするとおばあちゃん、わかってくれたようで笑顔でまた話しかけてくれます。去年よりわずかに聞き取れる単語が増えたけど、ほとんどタイ語ができない私たち、でもこうしてコミュニケーションが取れるんだという感覚を経験させてもらったことが大きくて、言語力よりも話したいという気持ちが大切なんだろうなあ、と感じています。

 

   かえり道は急な坂をひたすら登ります。最近食欲があり、食べているものの、畑を耕したり、坂道を登ったり、背中のお肉がすっきりしました。こうして自分のしたいことのために動きながら身体を使う気持ち良さを感じます。ちょっと疲れましたが無事帰村。大ちゃんも疲れたなんて一言も言わずにうちにつき、たくましくなったなあと思うと同時に、満足し切ったことがかれのちからになることをしみじみと感じます。今日もいろいろ感じた一日でした。

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    日々暮らすために働いて、たまにこうして家族で出かける。とはいっても自然の中はお金もかからず、自分の身体が資本。身体を使って川に行き、思いきりあそんでまた帰ってくる。本当にお腹が空いて使ったお金は280円ほど。食べ過ぎもせず、物を買いすぎもせず、身体をたくさん動かして家族で遊んで喋ってそれで大満足して帰ってきてご飯を食べて眠る。色んな不安で心を使ったり、いっときの興奮で使い切った風船のようになったりもせず、今日も楽しく疲れて眠れることが嬉しいなあと思います。こういう暮らし方なら旅行に行きたいと思わないようなそんな気がします。今日もいい1日でした。

 

   

人との関わり(タイ暮らし80日目)

   先週のパスタパーティ。本場のパルメジャーノにいたく感動したコユ。美味しかったとずっと言っています。ちなみにコユはその日、バジルソースもトマトソースも全くかけず、パルメジャーノとしお

だけでパスタをいただきました。本当に美味しくて私も真似したくらい。それにチリもテーブルに並んでるのがタイっぽい笑。ちなみにパスタはインドネシア風でロングマカロニ。これでジュースを飲んでみたかったそうでストローのようにパックに突っ込んで飲んでました。子どもってこういうの好きですよね。はじめは止めましたが、泣かれてふと考えてみたら、これはやってみたいよなあと、経験の方に軍パイがあがりました。いつまでもやってはいないでしょうし、ここでやって満足する方が長い目で見たら確実にイイはず。本当に飲めたようでご満悦。ついでに大ちゃんも。。

 

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   そして今週は買い物に出かけたオレンジマートで夕飯食べにおいでとお誘い。一緒に食べるのだと思っていたのに、私たちの分だけ作ってキン ローイ(食べて食べて)とご夫婦で言ってくださる。レタスに米粉麺とハーブと焼き魚をのっけてソースをかけたもの。あとはカオパット、タイ風チャーハンです。お土産に持っていったはずのスイカも、好きじゃないからと私達のお腹に。日本では好きじゃないからとあまり言わないけど無駄にならなくてイイかも、、とふと思いました。メインの手作りのお料理ももちろん美味しい。タイの人は薬草づかいが上手。バジルやレモングラス、生姜やガランガ、などを使いこなす、すごいなあ。こうしてハーブを使ったり野菜を使うのもシンプルで手間がかからずいいなと思いました。夏野菜はこうしてみようかな。

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   ちなみにここではキッチンが外にあるうちも多くて、こうして外で調理しています。そして庭に畑もあったりしてお店の合間に畑仕事して暮らしも仕事も繋がっている感じがします。ここ、アパートにもなっているのですがみんながここで調理するのか親戚の人なのか、私たちが食べている隣でまた調理していて、ものはそれぞれが持たなくてもいいなあと感じます。ちなみにお呼ばれですが、サハイナンと変わらず、ボウルに野菜が入り、いつもの飾りっ気のないお皿に盛り付けたおかず。シンプルに暮らしています。美味しいご飯に感謝していただきました。

 

   ちなみにここでの滞在の間、いろんな人にキンローイ(食べて食べて)とご飯を食べさせてもらいました。ラオスに行くバスを待つ間、軒先で待たせてもらったお家で、買い物に行きトイレを借りた時に、お昼ご飯を買ったお店で食べていたら店の人の昼ごはんまで笑。庭先でお酒を飲んでいる時は必ずと言っていいくらい声をかけてくれ、飲み物食べ物を出してくれます。私は家族の1日分をまとめて作ってるから考えちゃうのにここの人たちはそんなことおかまいなしでなくなったら、また作ればいいし、買いに行けばいいじゃない、と考えているようなのです。それよりもお互いに関わり合うことを大切に考えているのでしょうか、ほんとうにフレンドリーに声をかけてくれるんですよね。こうして人と人が関わり合うことの豊かさを感じます。歩いていると、車にのっていきなーって声をかけてくれることもそう。カフェでどこから来たのーって話が弾むこともそう。疑うことが先に来ない、心穏やかに暮らすってこういうことでもあるのでしょうね。そして人と関わりって学校や幼稚園のように存在する年齢が限られた世界では学びきれない、言葉でももちろんまなびきれないものなのかもしれません。我が子だけでなく、他のうちの子もよその国の子も同じ。みんなが目をかけていくことで、豊かになっていくのかもしれないなと思います。それは、疑うことが先に来てしまっている大人に対しても同じかもしれません。疑うことは日々を不安にしてしまい、自分が辛くなる、そう思うので不安を持たずに行きて行くにはどうしたらいいのかなあと時折考える今日この頃。そんな中で何かに気づかせてくれようとしてるこの気づき。

 

    さてさてここでの話に戻ります。そしてみんなが見返りを期待していない。。したいからそうしているのかもしれません。自分たちがそう暮らしているから当たり前なのかもしれません。でもこうして相手が喜ぶこと、自分がされたいことをする、そういうことを自然にできている人たちのようでだから穏やかなのかな、表と裏が矛盾していないって素晴らしいなあってしみじみ思います。

 

   ここで学んだこと、感じさせてもらったこと、本当に宝物です。大事なことは少しずつ私の中で消化して行動に変えて行けるといいな。

頭で知ることと経験で知ること。(タイ暮らし79日目)

   カシューナッツ集めをしてから自分がコレクト好きだと知り、今日もちょっとした時間で集めに行きます。木の実拾いって面白くて、それも木々の間を探していくのが気持ちいい。葉っぱの上をカサカサ素足で歩きながら、カシューフルーツの赤と黄色い実を探す。こうして拾って集めていた時代があったのでしょうね。集めた数は前回と合わせて100個ですが、隅に入れて焼くときに失敗もするでしょうし、虫食いもあるでしょうし、みんなに分けるでしょうし、1人10個食べれたらご馳走おやつだろうと思います。でも他にも食べ物は十分にあるのでこうして分け合いながらいただくのがちょうどいい量なんだろうな。自然の中はこうしてバランスを保ちながら生きられるようになっているのかもしれません。そして人間が作った身体にとって偏ったものになるだろう油や添加物がないので身体も過度に欲することがないのかなと感じています。

 

   近くにスーパーもないので買い物にもいかないし情報もないので、シンプルで楽になりました。食も暮らしも。お腹が空いたらあるものをいただくため、木の実や畑のものを収穫し、必要なものがあればまた自然から頂いて作る。お皿や家やおもちゃを。今は服は作れませんが笑、子どもたちは葉っぱでふけるんだよと葉っぱで鼻をかんで、葉っぱのお金であそび、木のボッコで電車ごっこをしています。作るには根気もいるので本当に欲しいものしか作らないのも私にはかえってよいのです。ものが増えなければ散らからないし、できないのにやりたくてイライラもしない。自分の中での欲が増えると、イライラしたりと自己矛盾を生じてしまうので、のんびりのんびりが少し身についてきたように思います。日々が楽しい。

 

   そしてその間旦那さんは建築、みんなはそんちょうさんちの増築を手伝います。

土壁を作ってます。粘土土の中で素足を入れてモミモミ。

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竹で作った下地にねんどを貼ります。

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   カシューナッツを集めていると子どもたちがよってきて一緒に拾い始め、みんなに会いおしゃべりして、子どもたちは嬉しそうに収穫したものを見せる。そしてそんな子どもたちを見て笑う人たち、人との関係も循環しているのです。全てそうとは言い切れないけれど、でも私がここに3ヶ月いて感じたこと。本当に自然の中で暮らしていると、自然と自分だけの時間がよく訪れるのです。それぞれが作業に没頭している時間があるので人との関係に疲れないし、自然と自分だけの時間はヒーリング効果になっている気がします。例えば、土壁を作るために粘土土を踏み、竹を割り、自然のものに触れてる時って穏やかに没頭する。そして手作業効果で、なんとなく喋って見たり没頭したり相手が気にならない。ここではみんながそんな感じです。だから私だけが言葉ができなくてもそんなに関係ないのかもしれません。なんとなくお互いにできることをフォローしあう。あ、それがコミュニティでいきることなのかもしれません!

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   それと私の癖で、相手の癖や性格が気になる時、勝手に妄想して嫌な人だなーって思ってしまうことがよくありました。これを聞いたら悪いかなって聞かずに黙ってしまうことに関しては日本人には良くある傾向なのかもしれませんが、私はそのあとマイナスに偏りがちでした。そんな私のつぶやきに対して、旦那さんは疑問は直接聞いて解消する人です。そんな彼にここで何度も学びをもらって、聞いてみること、その一歩を踏み出すこと、をするようになりつつあります。そうしてみたら、相手のその行為が、マイナスに受け止めている自分の行為の1つだったりすることに気づいたのです。相手に悪意はなく、その人も一生懸命に生きているだけ。そう気づいたときに、相手を受け流すことができることを知りました。と同時に、自分を受け入れたり向き合ったりということも。そうして必要な時は距離を置き、そうでない時は受け入れたら良い。そうすることで一番楽になるのは自分。穏やかに過ごしたいなあと思うので1つずつ、一歩ずつ。ありがとう、旦那さん。

 

   小麦の洋菓子やパスタ、ピザを取らなくなって一年、昨日久々にパスタを食べたら、大ちゃん、ここにきてはじめて咳で目覚める朝。ゴホンゴホンと胸からくる咳の音は久しぶりで、ここのところ暑いので風邪ではないはず。。身体から抜いてみてはじめて、本当に彼の身体にあっていなかったんだと学びました。彼の健康を願う私たち夫婦にとっても大ちゃん自身にとっても。シンプルになることでそんな変化を知ることができ、大ちゃん自身で身体に目を向ける習慣がつけられるのですね、きっと。彼の身体は彼が守れるようにできるサポートをしていくこと、それが私のできることだったんですね。今までは具合が悪くなってから対処したり、彼がいいって言ってるのに寒いから着ていったらーと厚着をさせそうになったりしがちでしたが、大きな学びでした。余計なことしてごめんよー、息子ー。反省の母ちゃんであります。

 

   自分の身体に取り入れるものをシンプルにすることで、じっくり身体の変化を観察することで余計な心配をしないですごせる。そうすることでじっくりと今を過ごして行ける。ついでに裸足で道を歩くと足が地面を掴んで、姿勢が良くなる気がします。足の裏のツボは全身に繋がってるとマッサージの先生に教えてもらいましたが、今は情報としてではなく、自分がそうしてみた経験で身体の不調が調整されている感覚を得ることができました。もちろん靴があることで得たものもあるのだろうし靴が必要ないとは思いません。それは興味があれば自分で感じて考えてためしてみたらいいことなのでしょうね。自分にとっての今のベストを、自分にとっての事実を知ろうと行動に移せるようになりつつある今。

 

   昨日気まぐれにさせてもらった幼稚園でのパネルシアター。我が子も自分もここの人たちもみんなで楽しい時間を過ごせて嬉しかったなあ。自分の好きなことを喜んでくれる人がいて無理なく過ごせる時間を経験させてもらってよかった。ありがとう。

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ここで過ごした3ヶ月。共にそだちあった仲間と。(タイ暮らし78日目)

   今日は学校最終日。村長さんは家を増築中なので我が家が代表でみんなを連れて行くことになりました。学校についてまずは自己紹介。そしてお坊さん先生が私たちが今日が最終日だと言うことを話してくれます。私も大好きなこの学校と先生と子どもたち。ちょっとさみしくなっていると、お坊さん先生自ら大ちゃんに手紙を渡してくれます。大ちゃんの今の写真を丁寧にラミネートまでして。そして続いて子どもたちからコユと大ちゃんに手紙のプレゼント。思い思いに絵とメッセージを添えてくれます。先生からも大ちゃんには手作りのしおり、コユには手作りのブタちゃんのノート。胸がいっぱいになる私たち。

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   ありがとう。今は学校で学ぶことを望んでいない大ちゃんにとって、ここが初めての学校でした。毎週楽しみに待っていた金曜日。ほとんど言葉は通じないけど片言の言葉のやりとりを楽しみ、身体で関わり、少し大きな友達の大きな心遣いに支えてもらいながら本当に楽しんでいました。私たち家族一人一人にとって学びがありました。本当に、ありがとう。

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   そう伝えるともっと一緒に過ごしたかったよ、と言ってくれる友達や、あなたたちとの時間が幸せだったよと言ってくれる友達がいて、またまた大ちゃんより先に胸がいっぱいになる私。ありがとう、ありがとう。言葉を伝えることで精一杯です。あなた達の純粋さに私達、たくさんの気持ちを感じることができました。

 

   そうして始まった1日。今日もゲームから始まり、だるまさんがころんだのフランス語バージョン、英語バージョンで楽しみます。だるまさんがころんだの部分が フレンチでは 1、2、3を表す アン デュー トロワ ソレイル(太陽)と言ってフリーズするのです。面白い!!おとなも子どももお坊さん先生も夢中で遊びます。そして次は英語の言葉を聞いて5人チームで表現をします。例えばハウス、と言ったらチームで話をし家の形を作るのです。7歳から15歳で表現する世界は、何だかわからないものができたり、立体敵だったり平面的だったりと面白い。そしてそれを引っ張るお坊さん先生がいい関わりをしてくれているのです。ライトを表現した時はスイッチを入れてみようと各グループの表現したものをいじってみたり、虫を表現した時は、スペシャルなお願いをしたいと思う、と言ったあと、動いてみて!と声をかけます。本当に一緒に楽しんでいるのです。

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    そうしてみている大人も表現する子どもたちも引っ張る先生も楽しんだあと、小さなカードを使ってゲームをします。小さい人と大きい人に分かれての時間。小さい人はそれぞれが好きな遊びをしていたのですがみんな自主的に遊んでいるのが素晴らしいなと思います。したいことがない、とボーッとしている人がいないんですよね。

 

   大ちゃんは言葉はわからない部分が多かったようですが、少し大きな人が声をかけて気遣ってくれる配慮のおかげで、1人別の空間にいる気持ちになることもなく、この日も思い切り楽しんでいました。この絶妙な配慮がすごいなといつも思うのですが、大人の社会を反映しているにでしょうね。こうしてお別れの日は過ぎて行き、お昼を終えてここを出るときには、さみしくなってセンチメンタルになっていた大ちゃんでした。みんなにお別れを告げて、学校を出るとき、サハイナンをセカンドスクールのしている男の子が、もう1つプレゼントがあったんだ!と追いかけてきてくれて、先生も何だろうと笑いながら最後のひと時。渡してくれた贈り物は、木を削ってキーホルダーにして、丁寧にニスまで塗ってくれて気持ちのこもったハンドメイドでした。ここで過ごした時間はお金に変えられない宝物。今のこの時間を、この年齢の大ちゃん、コユ、旦那さんとここに来れたこと、ありがたいなと思います。思い切り今を過ごす尊さと幸せを思います。

 

   この三日間でhappiness という言葉を知り、二回も聞きました。これは幸せという意味。私のhappiness は今だよ、と言ってくれたピュアさん、happiness の時間をありがとう、と言ってくれた学校のお友達、happiness と共に生きている彼らのおかげで私も少し変われた気がします。幸せって言葉が自然に身体の中にあること、尊いことだなあと思いながら。

 

   そうしてサハイナンに帰ってから、旦那さんの家づくりを家族でフォロー。昔はこうしてたんだろうな。旦那さんの手伝いをする妻とそばで遊ぶ子どもたち。広い広い自然の中は大人も子どもも走り出したくなるくらいの気持ちよさと興味がいっぱい。そんなわけで助っ人のいない今日も旦那さんの仕事が進んだようでよかった。

命綱して屋根作りです。

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   夜はそばに住むフレンチファミリーがお別れ会をしてくれました。パスタパーティ!お料理の上手な奥さん手作りのハーブソースとトマトソース、インドネシアスタイルというロングマカロニのようなパスタとフランスのパルミジャーノ。そして私たちの持参したフルーツ。いくつかのビールとココナッツジュースというシンプルな食卓。フランスのパルミジャーノの美味しいこと。感動しまくりの私のそばでいつもほとんど食べないコユが、パスタにパルミジャーノといういたってシンプルな盛り付けを自分で選び、黙ったまま黙々と食べていました。パルミジャーノが無くなるとあれが欲しいと声をかけるだけで、こんな風景はじめてだったので、本当に美味しかったのだろうと思います笑笑。この感動の感覚、忘れないだろうなあ。ハーブソースも美味しくて、英語がほとんど話せない私ですが、不思議と盛り上がります。教育の話、夢の話、来年はタイ料理と日本料理の教え合いっこもしようねと盛り上がったので、また同じ時期に会えたらいいな。これも実は奇跡なことなので。そしてシンプルなパーティだったので次の日までお腹が重くなることも誰かがずっと動くこともなくいいですね、こういうスタイル。

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   国を超えてこんな夢の話をし合えること、それもたどたどしい英語で、笑笑。理解しようと耳を傾けてくれたフレンチファミリーに感謝です。こうして関わっていくことで世界の人々の優しさと平和を感じると共に、これは日本でもできることですね。まずは自分と家族が平和であること。自分の周りと穏やかに関わって行くこと。責められて、責めて、の感覚の強い中で育った私ですが、平和になりたいと祈りながら、自ら平和を感じて変わって行くこともきっとできるのだろうなあと今日も思います。

 

   私に平和を。まずは私が。今日も自分らしい穏やかさが在る1日をありがとうございます。全てに感謝して。楽しかったな。あ、昨日蜂に刺された傷は夜中に突然かゆみに変わり、腫れと熱を持ってます。熱は毒と戦い、かゆみは毒を散らすためでしょうか。何か意味があるのだろうと思いながら観察中です。私の身体も自然の一部、観察をして何が必要なことなのか、感じて行くしかないですね。身体にも感謝です。

いまをおだやかにいきたいから、忘れてしまうこと。(タイ暮らし77日目)

   今日は身体がだるくてノーランチで昼寝。参ったなあと思いながらも昼寝をしたら少し調子が上がり、お腹が空いたので焼きバナナをしながら買い物に出かけた旦那さんが帰ってくるのを待ちます。お土産に頼んだカオニャオが買えなかったことと、体調が悪いのになんの言葉もくれない、とここに来てはじめて旦那さんに怒ってしまった私。お腹が空いてるのでとりあえず塩持って畑に行って、豆でも食べようと向かう途中、木々の中に入り込んだら気持ちが良くて、ついでにカシューナッツが落ちているのを見つけて、怒っていたのもお腹が空いていたのも一気に忘れて夢中でカシューナッツの実をひろいます。

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   裸足で歩く枯葉の上は時々チクチクと痛いけれど、本当に気持ちが良くて怒っていたことがスカンと身体から抜けていました。夢中で集めた実は70個!サソリを踏まないようにだけ気をつけて子どもたちと一緒に夢中で過ごした時間。最後の1つは大ちゃんが特別に大きな実を見つけて大喜び。おやつにやいて少しずついただこうとお日様に当てて乾燥させます。自分で焼くカシューナッツは、香ばしくてかりかり甘くて美味しいのです。そうしてひろいおえたら旦那さんの仕事場で、さっきはごめんねーと行って畑に向かいます。森が助けてくれました。森の中にいると、こうして忘れてしまうことが度々あります。村長さんが自分は忘れっぽいから、って言っていたけれどもしかしたら、忘れるようにさせてくれているのかもしれません。こうしてリセットしながら今を生きると、気持ちが良いのと、心が楽になるように思うのです。

 

   そして畑でロングビーンをつんでそのままボリボリ。。。これ、私大好きなのです。きっと近くにお店があったら、甘いものを買ってしまっていたでしょう。けれどここではこれができる限界。でもすでにカシューナッツ拾いで心が満たされていたので十分でした。我が家のお世話になっているお医者様が言っていました。子どもたちが甘えることができれば甘いものはいらないと。本当にそうだなと思います。満たされていたらイライラや寂しさを埋めるのに甘いものを一気ぐいする必要はないから。

 

   こんな経験を日々積み重ねて自然の中で生きるとはどう言うことかを、感じます。考えることにはもう限界があって、感じることが多くなって来ていまして。ここで時間をかけて身を置いているから感じられること。そしてそれが私の経験であり、私そのものなのだと思います。

 

   素足生活が気に入り、怪我をしててもきもちよくて素足ですごしました。傷口に傷を重ねていることもしばしば。けれどもこれになれたら、街にでても素足でいたくて、そうしていたら笑、季節の変化を足の裏で感じられるようになって来て、自分のセンサーが面白いなあと発見しました。そして地面と身体が近くなって、すっかり身体中真っ黒砂だらけ。土の上に寝転んで星を見たり、葉っぱをお皿にしたり。子どもたちもそこらへんで枝を拾って来て、バナナにさして焼いてます。自然がどんな存在なのかを感じ、汚いと思っていたことがそうでもなく、人間の身体は思っていた以上に強いことを知り。そして多分、たくさんのバクテリアが私を助けてくれていて、虫たちが一緒に生きていて。。今日蜂にさされたことさえも(痛いと思って覗き込んだ時点でいなくなってました。針を残して逃げるって本当なのですね、)、共存だな、、とおもい、痛いけど嘆くことでもなくなっているのが不思議です。

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   化繊の服が汚れきったので燃やした時に出る煙と液体。サハイナンで燃やして荷物を減らし、石油が溶けて残るのでそれだけとってゴミ捨て場に持っていこうと思っていたのですが、眺めていてふと、これらはどこへ行くのだろうとおもいます。煙は空気と混ざり、自分たちの身体に戻り、液体はゴミ焼却場の地下まで汚す。自分のいる場所を汚さずに他の場所を汚していいのかな、そうしてまた水として自分のところにも帰ってくるし、未来への贈り物になってしまう。汚れた自分の身体から生まれる命に、そして汚れた自然から食べ物をいただくその命たちに。自然からたくさんのものをいただいていて、私は未来に何を残そうとしているのかな、とはっとしました。我が子だけでなく、未来を生きるすべてのものたちに。みんなが穏やかであること、幸せであること。それを祈ることだけでもできたらいいなと思う81日目でした。

だんだん畑ができた(タイ暮らし76日目)

   段々畑、ようやく完成!!やりたいこととできることを絞って、1つのことを自分の経験にすることに集中。1週間かかってようやく完成。かなり急な斜面を耕し、埋まったたくさんの石を掘り出し、平面にして行く。そして次はコンポスト。森のあちこちにちった稲藁とカオプーと灰をあつめる。カオプーは30キロ越え。そして発酵臭のするEMと混ぜ、寝かせておく。

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   何度と石の混ざった斜面は硬く重く、何度も鍬が壊れて直しての作業。そうしてこれだけの畑になった。

 

   前に耕した畑も村長さんのアイデアで活用。鍬を通すとふわっと軽い。すごい。様子を見にきてくれた村長さんがベリーソーフト!!と満面の笑みで言ってくれたのは、この耕すことの大変さを知っているからだったんだと今思います。

 

   私たちがここを出た後も水をあげてもらえるようホースと水道をつなげ完成。以前の畑から移動した苗の他に、かぼちゃ、ロングビーン、大豆、ごま、パクチーを植えました。土曜日にサタデーマーケットで村長さんにプレゼントのタネを買おうと思います。村長さんにリクエストはないかを英語で尋ねます。これも去年はできなかったこと。1つ1つが嬉しいなあ。今を生きる喜び。

 

   そして午後、シエスタをしていたら村長さんをサポートしつつ自分のパーマカルチャーファームを開拓中のピュアさんがうちの前を通ります。ピュアさんのことが大好きな大ちゃん、Where do you go?と尋ねると、I go to market by moter bicycle.Do you go with me?と言ってくれて、しっかり理解した大ちゃん、張り切ってYes! と答えてついて行きます。バイクの後ろに乗せてもらって出発。大好きな人がいてくれて自由自在にここでの生活を楽しんでいます。大ちゃんを見送り、夕飯の支度をしながら遅いけど楽しんでるんだろうなあ。。と思いを馳せていると、帰って来て嬉しそうにかけて来て教えてくれます。ピュアさんがジュース買ってくれて2人でアイスとクッキー食べて来たんだよ!と。ピュアさんに御礼を言うと、パパとママには内緒ね、って言ってくれたようで笑いながら大ちゃんを見て、おれの弟だから、って言ってくれます。そういえば先週もわたしが1人で出かけて旦那さんが建築をしている間も楽しいことがあったそうな。サハイナンの中を自由に駆け巡る大ちゃんとコユ、前の日に帰った滞在者さんが置いて行ったカップ麺をおやつ代わりに、ピュアさんと3人でボリボリ食べたそう。パパママ、シッシーだよ(内緒ね)、と行ってくれたそうなのですがコユがしっかりばらし、ピュアさんと大爆笑。私もピュアさんとのそんな関係が宝物だなあと思えて、よかったねー。。とただただ嬉しいなあと自分の経験したことのない関係に胸がいっぱいになります。こうして愛をしっかり感じながらいきている大ちゃんとコユ。人を信じること愛すること、自分を受け止めてもらうこと、愛することの経験を積んでいる2人を見ているといろんなことを感じます。

 

    大ちゃんは人と触れ合うのが好き。時にしつこいくらいではありますが、これも彼の長所なのだろうなあとここで感じさせてもらっています。そしてその想いに応えてくれる人の方が多くて、私が学ばせてもらっています。丁寧に今の大ちゃんと関わること、今のコユと関わること。そのために私はこの人たちといる生活を選んだんだなと自分で改めて感じながら日々、自分が無理なく関わるにはどうしたらいいかなと考えます。

 

   大ちゃんとコユ。1週間を共にした家族。韓国人のヘナちゃんとアメリカンのホイソンさん。母子で川に行ったときにはコユをずっとせおって崖を登ってくれました。笑顔と愛がたくさんの2人。この後はボルネオ島にゆくそうです。どんなところなのだろう、自分の目で見て感じた世界。どうか楽しんでね。

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   一番幸せを感じるのはどんな時?、そんな質問に「今だよ。」と答える30歳の男性。彼を見ていると、日々焦ることなくその時間を過ごし、待ち、巡って来た仕事をイライラすることなく穏やかにこなしていることを感じます。そしてもう1つ、育ちのことを聞いて見ました。日本にいる時はスーパーに行くとしょっちゅう子供を叱るお母さんを見かけ、子どももお母さんも辛いよなあと思う私ですがこの村で母親が子供を叱っているところを見たことがありません。なのでピュアさんにも聞いて見たくなり尋ねます。「あなたの親は怒るひとだった?」と聞いたら、「子供の頃からそのことを心配したことはないよ。」と答えてくれました。だから今のピュアさんがあるのですね。今を、毎日を幸せに生きるピュアさんが私たちと出会ってくれたことにただただありがたいなあと思います。そして思います。自分が穏やかにありたいと。そうなっていこうと。ありがとう、ピュアさん。そしてピュアさんのご両親へ、ピュアさんと出会わせてくれてありがとうございます。

 

パパが立てているうちの二階からヤッホーと叫ぶコユ。壁がなくてコユとはまだねれないけれど。。

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その場所からコユのみている景色。

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そしてシャワー上がりにおやつ。甘いものは果物ともち米、サツマイモ。

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