日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

自分がいたい場所に身を置いた時間の中で。(タイ暮らし75日目)

   さてさて去年は1月に帰国していましたが今年はもう2月。ここサハイナンにはカシューナッツの木があります。2月から実がなりはじめるので村長さんに教わってカシューナッツをたべることにしました。

 

   まずカシューフルーツからナッツをとって天日干し。この形、お腹の中の胎児の最初の形に似てるなあと思いました。なんだかとっても愛しい形です。

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     そしてこれをすみの中に投入します。なぜかというと、からの部分に毒があるからその毒を飛ばさないといけません。唇につくと火傷してただれたようになってしまって非常に危険だそうなのです。英語がこれ以上理解できないので自分で調べてみることにしました。そうしてわかったことは。。カシューナッツってウルシ科なんですって。だからかぶれるってことなんですね。しかも強いんですね。そして中の実には青梅で有名なアミグダリンなどの食中毒の素があって、ダブルパンチを受けたらただれと強い下痢と腹痛になってしまうということなんですね。炭に入れるとジュージューいって中から液体が出てきます。これをだしきって火も通さねばなりません。何度か炭にし、研究の結果ようやく成功。

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  真っ黒。

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   そして石ころで割ります。

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   でてきたカシューナッツの実。中身も胎児。愛しい一粒。

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   この作業に要する時間、1時間くらい。これでようやく1人三粒ほどのナッツを口にできます。今回はみんなにおすそ分けしたので20粒は剥いたでしょうか。しっかり火を通したものの次の日に手の皮がわずかに向けてガサガサになってました。痛くもなんともないのでたべることには成功しましたが、こんなに手間がかかるんですね。おやつをいただくまでに子どもたちとこの作業、わずかな量を大切にいただきました。そしてやっぱり値段とこの手間との差を考えてしまいます。

 

   こちらは川で拾ったアーモンド。こちらもハンマーで砕いて中の身を干してからいります。

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   そしてふと思います。原始人食にはナッツとお肉とお野菜だそうですが、ナッツを拾い、食べれるようにして、お肉を猟して、畑を人力で耕していた時代と今を釣り合わせることができるのかな、とか、ベジタリアンの人が、お肉を食べないけれど、油やお砂糖をたくさんとっていたりとか、ヨガをしてファスティングをした後は絶対にこれを食べなきゃいけないってこだわっていたりして旅をするのにたくさんの調理道具をもちあるいていたりとか。。。私もこれが正しいなんて言えるものはないけれど、健康食を頭で考えるときりがないのかもしれないなと感じる今日この頃。それだけでストレスになってるのかなと、情報の溢れている今を感じた気がします。

 

   ただ私自身が経験をして感じたのは、3畳の畑を耕すのにこれだけ身体を使っていたことがあったということ。移動をするのにこれだけ時間と体力を使っていたということ。自分で家を建てメンテナンスができていたということ。大人も子どももお年寄りも同じ空間ですごしていたということ。そしてそこには自然があったということ。食べれないと人は生きられない、その食べ物は自然からしか頂けないものであるということ。。そしてもう1つ。コミュニティのわずらわしさから核家族化をしていったのかもしれないと仮設を立てていますが、どちらにもメリットデメリットがあって、自分が経験した限りでは、コミュニティの中でずっと育っていき方を身につけているのなら、人の思いに勝るものはないのかもしれないとみんなで育ち合う場がもっとあったらいいなと思います。

 

   そしてこんな生活をしてもう1つ、きづいたこと。自分の感情の怒りにぶつかった時、何が正しいか問うても答えはなく、それによって自分が苦しむだけのように思います。ここにいていろんな人と出会って、子どもたちはどんな人も受け入れたり受け流したりしているのに時折気になる人が出る私。以前の私と考えを変えられるように少しだけなってきて、何が正しいか問うのではなく、なぜ自分がきになるのかを問うてみたら自分の答えがそこにあったんですね。それは相手の問題ではなく自分の問題。相手の問題は相手が自分でむきあうこと。私の問題はなぜ相手のそこがきになるのかということ。そうして時には考え、時には考えるのをやめてみる。考えなくても行き着く場所はあるということに最近気づきました。その先にあるものがあるから。私のその先にあるものは、どうしたら穏やかに今を生きられるか、それを知りたいのだということ。

 

    マイペースを受け入れてくれる自然は、私を頭でなく、心で、足の裏で、匂いで、体感温度で癒してくれています。3ヶ月という間ここにいたということ、その事実が私の中に今、存在しています。

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   ゆっくり畑を耕すように、カシューナッツを加工するように、ゆっくりじっくり穏やかに自分と生きていきたい、家族と、他の人たちと生きて行きたい。そうカシューナッツの赤ちゃんのようなタネを見ながらここで過ごした日々を感じ直しています。

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自分の過去を受け入れられた日。(タイ暮らし日記74日目)

   ここで昨年からパーマカルチャーを学んでいるピュオさんという男の人がいます。いつも笑顔の彼。コユのことをとても笑顔で可愛がってくれます。わらいかけてくれたり抱きしめてくれたり、最近は片言の英語を話し始めたコユ、キッチンの手伝いをしたくてピュオさんに聞いてごらんと声をかけるとトコトコと歩いて話しかけます。キャナ アイ ヘルプ ユー?すると、イエース^_^と満面のスマイルで一緒にご飯のポットを持ってね、と2人で外に運びに言ってくれます。とっても優しく丁寧に。彼から学ぶ子どもへの接し方は頭で考えようとするわたしにたくさんの気づきと感動をくれます。大ちゃんへも同じように。7歳になった大ちゃん甘えたくて、人の肌も大好きで、私たちがみているとしつこいなあと思うこともしばしば。ちょっとふざけすぎだなあと思ってしまうこともしばしば。それでもいつでも彼は、丁寧に大ちゃんの思いに答えてくれます。高く積み上げた椅子にいつまでも遊んで乗っては彼に抱きかかえて運んでもらったり、彼が仕事をしているそばでずーっと大きな声で歌っているものだからパパに「ちょっと静かにしないと邪魔じゃない?」って言われた時も、彼は「その歌、教えてよ、大ちゃん!」といって一緒に ターラランララン なんて歌ってくれます。彼が、ノーと言うのは手伝う仕事ある?と聞いてなかった時くらい。

 

   この深い優しさと器に、両親との関係を訪ねたくなり、聞いてみました。日本のお母さんはよく怒るけどあなたのお母さんは怒らないの?と聞いたら、うん、おこらないよ。僕はそのことに関して心配したことは全然ないよ。と、答えてくれました。たくさん受け入れてもらったであろう彼はたくさん受け入れられる30歳の男性として今ここにいてくれます。私たちのことが好き、可愛くてたのしいかぞくだね、と素直に気持ちを伝えてくれます。自分のファームを持った彼、来年は遊びに行って彼のお母さんにもお会いしてみたいな。

 

   ただただ彼の姿を見て感じてすごいなあ、素敵だなと思い、そこから形のない言葉でないものを心に刻んでいます。彼と村長さんはにていて待つ事と自ら楽しむことのできる人。彼らと過ごした時間は私にとっての太陽です。だから私は思います。怒らない人になりたいと。責めない人になりたいと。そして不安を持たない人になりたいと。その方が自分が気持ちいい、これは自分のための目標なのです。ここにくるまでは無理だと思っていたけれど、きっとなれるとここで思えたのです。きっと苦しみだけだと思ってきた自分の過去も生きてくるでしょう。(いや、ここで1つ新しい経験をしました。わたしがようやっと自分の過去を整理できたので、サハイナンで少し問題が起こった時にそれを活かせるかもしれないと思って村長さんに私の経験を伝えたのです。あなたとあなたが愛する人を助けることができるなら使って欲しい、そういって手放した私の過去の経験、それを彼は愛する人を支えるためにシェアしてくれたそうです。私の過去の苦しみをやっと受け入れられた自分、そしてその経験は小さな優しさに変わった気がしました。初めての感覚でした。) 起こることには全て意味がある。Little by little. 少しずつ、自分がなりたいようになって行こう、ここで英語を身につけるように本当に少しずつ、私は変わって行きたいなと思います。愛する自分のため、家族への愛を持ち続けたいから。乗り越えてくれた自分にありがとう。悪役を演じてくれた両親にありがとう。お父さんとお母さんも生きる中での苦しみを抱えてきていた、その苦しみがいつか癒されますように。と心から願う今の私があります。

 

   そんなことを考えながら今日はここにきて初めて1人、WiFiをしに村の中心まででます。裸足で歩くやまはきもちがよく、すれ違う人と話をしながら山を下ります。そして日頃は子どもたちが話しかけてくれるのでいつも途中で止まってしまう思考を、今日はいろいろ考えながら歩きます。なんだか歌を歌いたくなり、ふと思います。もうあえていろいろ考えることはないのかもしれないと。必要な時は身体がうごきだすことをしったので。そうして歌いながら歩いていると、声をかけられます。せっかく山を登ってきた人が山の麓までバイクに乗せて送ってくれるというのです。ありがたく、ありがたく甘えさせてもらいます。そして山を下り今度は国道を裸足で歩きながら歌いながら歩く私。あまりに気持ちがいいので 変な人でもいいかあ。。と笑。途中で捕まえた赤バスに乗り、村の中心につき、レストランに入ろうかと思いつつ、アイスを食べようかと思いつつ、今日食べてもまた食べたくなるだろうな、とやっぱりシンプルフードに落ち着きます。カオニャオ食べながらカフェで甘い飲み物を1つ。これで十分。

 

   カシューナッツのなり始めた木々の中を歩きます。 

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   カシューナッツはまず身がなりその次にカシューフルーツが膨らみます。こうしてなるって知っていましたか?ここからも調理するのが難しいのです。殻の中の水分がかぶれやすく、もしその水分に触れてしまうと火傷したように唇がただれてしまうそうなのです。すごく危険だよと、教えてもらいました。殻ごと火に入れたり、手袋して殻をむいてローストしたりするのですがまだうまくいったことがありません。日本で有機栽培のものを1キロ3500円ほどで買っていましたがこの手間を考えるとかなりやすいと思います。物の価値はどうやって手元にくるかを知らないとはかれない、だから食べ物は大切にしよう、という言葉ではほとんど伝わらないのだろうなと思います。

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   私自身暮らしの中でどれだけのことを経験して口にしているのだろうと日々ハッとします。子どもたちに対して、そしてイライラしている時に発する言葉。もっと自分の経験を増やしながら生きていきたいな、そうすれば頭で考えずとも優しくなれる、そんな気がしています。

 

   5日ほど前に隣の畑で野焼きをしていました。これから種を植える準備です。自然の力を貸してもらいながら。

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   家具屋さんにて。手彫りのドアです。素晴らしい彫刻。こうして丁寧にほって作られたものは人を癒してくれる力があるのだろうなあと感じます。

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子どもが身体を動かすということ。大人になっても身体を動かすということ。(タイ暮らし73日目)

   さてコンポスト作り2日目。今日はもみ殻燻炭をあつめて牛のウンチ、もみ殻、EMの順に重ねて行きます。牛のウンチが足らなくてもう一度とりに。30キロ以上あるこの荷物、赤ちゃんを背負うように背中に乗せて運びます。ゆっくりゆっくりと。素足で大地をしっかり掴んで、腰を落として全身を使って荷物と体を支えます。そうしてはじめて運ぶことができる。クワで畑を耕す時もそう。長い時間かかるのでしっかり全身を使ってバランスよくやらないと身体がもたないのです。でもここの人たちはこれくらいは毎日のことなのだろうな。そして日本の昔の暮らしを思います。こんな風に重い荷物を持って歩くのが日常だった頃、足腰の強さは全然違ったのだろうな。自宅出産をしたいと思った時に、助産師さんが昔のひととは身体の作りが違うから誰でもそうできるわけではないといっていたけれど、本当にそうだなと思います。全身をバランスよくしっかり使うこと 、そうすることで心のストレスもなくなる気がします。

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こうして身体を使う日々。日本にいて身体を動かすためにしていた散歩が続かなかったのは、私は身体のためとはいってもどうやらあえて散歩に行くのは好きではないからなのだと気づきます。旦那さんは二年間毎日散歩を続けました。彼は日にちを記録し続け、それを楽しんでいたから。ここでは身体を動かすために動くのではなく、好きなことをするとからだをうごかすことがついてくる。なのでそんな風にできるよう、自分にあった暮らし方に変えてみようと思います。

 

コンポスト一つにこんなに身体を使い、動いてできました。とはいってもこれから3日くらいは発酵のために寝かせます。ぷくぷく発酵してくれることを願って。

 

と、ハードな時間でしたが、午前中は学校へいってました。今週は村長さんが不在で私たちがクラスを手伝うように頼まれたのです。学校に行って自己紹介のあと、日本語のクラスから。旦那さん、以前やった簡単な自己紹介をできるようになってほしくてまた、繰り返します。自分の年をいう練習の前に数字の読み方を伝えます。タイ語でルビをつけると、学校の長のお坊さん先生(モンク先生と私たちはよんでいます)が、旦那さんにこの読み方ならこっちの方がいいよ、と教えてくれます。どっちが教わってるんだろう笑。でもここのモンク先生、素敵な先生で好奇心旺盛。いつも私たちの話を楽しそうに熱心に聞いてくれて、今日も日本語のクラスのあと、フランス語の数を教えてくれました。とはいっても、サハイナンのそばにいる友人のフレンチファミリーの子がタイ語をかけるようにここに通い始め、彼女から習ったのだと、モンク先生は笑いながら言います。先生が本気で楽しんでるから、子どもたちが食いつくのだなあと勉強になります。

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   子どもたちがそわそわし始めると、モンク先生、子供達に尋ねます。今、遊びたい人ー!と。パッと手をあげる子どもたち。そのあと何か言っていたので、今は勉強してるから、っていっているのかとおもいきや、本当に遊び始めるのです笑。子どもたちから上がったゲームは3つ。ハンカチ落としのようなものと、牛とその友達と虎に分かれて友達が円を作り、その中にいる牛を守るゲームと、2つのチームに分かれて椅子をむかいあわせにはなして2つおいてひとりづつそこを一周し、戻ってくるまでに、相手チームに近づけばタッチをしてタッチをした方が得点というゲーム。7歳から15歳までが同じゲームをして遊びます。本気で。牛と虎のゲームはかなり激しくて14歳男子が向かってくるのは本当に虎のような力で、こちらも本気です。

 

   椅子の周りを回るゲームはよく考えているなあと思うのですが、お互いが相手の動きを見て対等のレベル同士の子が競っているのです。並んでいるけどただ順番にやるのではなく、瞬時に入れ替わります。身のこなしも早い彼らだからすごい瞬発力だと思います。大ちゃんは彼らの瞬発力には敵わないのでいつも一番小さな子との組み合わせ。みんなができるように大きい子が配慮してくれていることに感動です。そしてみんな本気で身体を動かして遊んでいます。それが終わると今度はパーマカルチャーデザインのクラス。自分たちで作り始めたガーデンをどうしたいか、グループに分かれて話し合います。週に一度しか参加しない大ちゃんですが同じグループの仲間がどんな風にしたい?と聞いてくれます。自然に受け入れてくれる彼らの器の大きさに脱帽です。道徳教育をせずとも、村でみんなの中で育っている彼らに身についている力なのでしょうね。本当にすごいなあと感じます。そしてグループごとに発表。先生が一番熱心に聞いています。どんなガーデンになるのかな、楽しみです。

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   お昼ごはんはみんなと。こうしてゴザを引いて食べるのがここのスタイル。大ちゃんと同じ歳の男の子。無邪気に自分の好きなものばかりを食べていますが大きい人、文句を言いません。食べることには満足して日々があるのと、こうして受け入れてもらって育ってきたのだろうな。

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   そうしてまた午後から川へ。タイ語で川のことを、メーナームと言うそうです。これは母と水という単語を組み合わせたもの。水の母という意味だそうです。ああ、なるほどなあ。いい名前だなあって思いました。この森に囲まれた川が大好きなわたしたち、ターザンロープで遊ぶ大人笑。ここにくると一度はずぶ濡れになりたくなります。頭まで浸かって、身体にたまったものをざぶんと出し切って受け止めてもらう。その感じが気持ちいいのです。だから動物たちは水浴びをするのかな。

 

   1日動いていましたが自分のペースなので疲れたなあなんてぶつくさ言わずに1日を終えるようになりました。夜は11時間は休むのでこれくらい動いても日々、疲れは抜けて行きます。今日も楽しかった。そんな暮らしの心地よさを知ったここでの暮らしです。

畑を耕すことと自分が知ったつもりになっていたということに気づいた日。(タイ暮らし72日目)

    大ちゃん、言葉を自分のノートにメモするんだ、と記録してます。私の名前は・・というフレーズをいろんな国の言葉で覚えたのが楽しかったようで、自分でイントネーションまで記録してます。興味を持って自分で育てて・・・、こうして学んでいったら楽しいね。朝ごはんが足らなくて、パンケーキを追加。ココナッツミルクとバナナと米粉と塩を混ぜて焼いただけ。優しい甘みです。ココナッツミルクと果物で食べても美味しい。

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   昨日は久々に三食とりました。以前の量に比べたらはるかに少ない。けれど朝、だるくて起きれなくなってしまいました。今までの生活を変えてみて、自分の身体にとってどんなふうに接したらいいのか、感じて考える日々。こうして今、毎日毎日という、今を生きています。

 

   帰国まで16日、ここでの暮らしも好きだし、帰国してからの日々も楽しみ。ここで今やりたいことがあって、終わるかな。。昨日は段々畑作りに再チャレンジしました。自分で作った二箇所の畑、一つがウオータリングが大変なので私が帰ったら水をあげてもらえなくなるとかわいそうなので移動しようとしたら村長さんからアドバイス。すでに三段作った段々畑、山の斜面に平行に作っていて、水をあげても地面にとどまりづらく、大雨が降ったら土が流れていってしまうよ、というのです。ああ、そうか!今まで何度も見た段々畑。わかっていたつもりでした。今思えば簡単に納得できるような簡単なこと。。。なんて気すらしてそんなふうに思う自分がちょっぴり恥ずかしい。実際には簡単には気づけなかったことだから。村長さん、私が気づくのを待っていてくれたようなのです。

 

   何度も眺めた自分の畑、わーい、自分で耕せた、そう思っていたけれど言われてみてはたと、ほんとだ、違う景色だと気づく。坂道を滑り落ちないように鍬で耕すのも大変でした。灰をまぜて稲藁をかける作業も。でも斜面に対して垂直に耕すともう少し作業が楽になりました。後はこの斜面が斜めにならないようにすること。そうすることで水が平均的にとどまります。粘土質と、石の混ざった山の地面を鍬一つで耕すのはなかなかの重労働ですが知ったつもりになっていたことに気づき、そんな自分と向き合いたくて、小さな芽をだしてくれたこの畑の植物を守りたくて再挑戦です。ついでに牛のウンチを使ったコンポスト作りにも挑戦。30キロのウンチの入った袋を担いで畑に行き、EMを集めに移動し、灰を持ってきて重ねて行きます。食事の支度もあるので1日では終わらず、2日目に持ち越し。コンポストを作って寝かせている間に畑を広げるつもりです。体力のない私にとってはハードワーク。ここのところ、しっかりお腹が空く日々です。

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   そして今日も予定外に三食いただきました。しっかり動いてお腹も空いたのでありがたく少なめに夜はみんなで火を囲んでワイワイ、いただきました。釜焼きパンにバンブースティッキーライスに、パクチーの効いた春雨麺にパイナップル。コリアンの女の子が作ってくれたスープもスパイス効いて美味しかったな。バンブースティッキーライスは、ココナッツの殻むきから1人でこなしましたがこれがかなりの肉体労働。男の人がやるところはいつもみていましたがみているのとやるのとでは全然違うなあと実感。1時間もかかってしまいました。が、やってみてできないことはあまりないのかもしれません。2時間かかってココナッツミルク完成。こうして自分でやってみる。ココナッツミルクの缶詰があるのは当たり前ではなく、レトルトもお弁当屋さんも当たり前ではないのですね。海外のものも手軽に手に入る時代、それが豊かなことなのかどうかわかりませんが、こうしたものが自分の手元にどう届くのか、自分で作れるものなのか、本当に必要なものなのか、時々立ち止まって考えたいなあと感じています。今日も美味しくいただけたことに感謝して。

人と感じあうこと、そして自分の身体に起こったことを自分で知って行くこと。(タイ暮らし71日目)

   足の小指が腫れ始めた日、しもやけのような痛みを抱えて過ごしました。2日目、痛くてびっこをひきながら歩いていたら夜になってとうとう歩けなくなりみんなの優しさに甘え、一人小屋で夕飯。スペインの女の子が 心配してレスキューフラワーレメディーを貸してくれ、ぬったりのんだり。次の日に返す予定が今の自分に必要ないから帰る日に返してくれたらいいよ、とその優しさに心がほんわか暖かくなりました。ここで初めてあった私に対する優しさに。そのことについて旦那さんが言ってくれた言葉の意味を改めて感じます。私の作ったご飯を3日間くらい食べてきたからじゃないかな、と。こうしてつながること、関わること、身体で自然に感じあうことの大きさを。心は頭で豊かにするのではなく、身体で感じあい、豊かになってゆくのですね。教えてくれた彼女に感謝でいっぱいになりながらもう一つ。

 

   この日の夜、痛みで度々目が覚め、ほとんど眠れなかったのです。じくじくじんじん迫るような痛み、何もせずとも痛いし、少しもちあげたら激痛。けれど痛みと腫れだけなのでありか何かに噛まれたのだろうと不思議なくらい不安にならず落ち着いている自分。旦那さんに痛み止め飲む?と聞かれて、気づいたのです。ふとここで痛みを感じなくしてしまったら、自分の身体の変化に気づけなくなってしまう。これでも激痛だったけど、もっと痛くなったら痛みの箇所を観察して、何か対処をした方がいいかもしれない。ここで病院にかかるという選択肢がほぼ無いからこそ、自分で自分のことを知るしか無いと思っての行動でした。日本では激痛になったら、妊娠していない限り痛み止めを飲む、これが私のいままでの生き方でした。けれど、何があったかよくわからないからこそ、全てから見ないと判断しようがないと思ったのです。

 

   それと痛むにも理由がある。その痛みはなんだろう。何を示してるのだろう。それも考え始めました。それでもやっぱりわからなくて3日目。この日はずっと動けなくてうちにいました。激痛から、痛い、に変わり、痛みの箇所が小指に2箇所。全体的に腫れているけど、よく目で見ると、触ってみるとわかるその腫れ。それはきっとずっと観察し続けたからだろうと思います。ああ、これはやっぱり打撲ではなく、何かに噛まれたんだな、それを実感。でも気持ち悪くもないしやっぱりまだ様子をみていたらいい。

 

   そうして4日目、痛みをわずかに残し、一気に落ち着き始めあと少し。動けるようになりました。そして今日は身体が軽い。近頃動いていたので休んでね、というお告げだったのかもしれないな、そう感じています。今日もみんなに甘えて食事もおまかせ。自分の家族のことだけやって子どもたちとのんびり過ごしています。

 

   病院に行くことが前提だった日本での暮らしを自分で振り返っています。不安の方が先で自分の身体の変化を自分で見れていなかったなと。いい経験をもらいました。あせらずに自分の身体を知ろうと思えたこと、もっと自分の身体を信じても待ってもいいのだと感じています。今回のことが我が子でなく自分に起こってくれてよかった。そう思います。

 

   コユ、始めての金槌。上手にゆっくりうっています。パパのようにお家を建てているそうな。

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   新築現場の周りに果物の木をうえました。大きくなってねと家族で。そうしたら大ちゃん、水場が上だから、水の道を作ると自ら動き始めます。おー、すごいなと感動の私。水を流してみたらあまり流れず調整。そうしようと気付けるのも経験ですね。すごいなあ。

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ついでに自動水やりき。お醤油の詰め変えボトルがからになったのでお水と布の切れ端を入れておきます。こうすると布を伝って水が流れていくのです。ノーテクノロジー、リユース、素晴らしい発明だと思います。

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最後に足の悪い私に変わって昨日は大ちゃん大活躍。昼寝してたらコユをお風呂に入れて、夕飯を作り始めてくれていました。昼寝から起きると食材がなかったのでガーデンでとってきたと、帰ってきました。麺とサラダ、大ちゃんシェフの想いのこもったご飯を家族でいただきました。家族で日々を積み重ねてるなあと感じています。

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ここでの日々。(タイ暮らし70日目)

   いろんなことがある日々。今日は写真をいくつか。コユがこけて鼻血を出しました。ちり紙がないのでタオルで拭いて考えます。鼻に詰めるものはないか。。あ、そばに綿の花が落ちていたはず!急いでいってみるとありました。ふわふわになるまでもんで鼻に詰めます。お日様の光を集めたコットンは優しいお日様の香りが本当にするんです。ホッとしたコユの鼻血顔^_^を一枚。

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   森の水の源泉に出かけました。すごく神秘的な場所でした。パーマカルチャー教室の人たちについて大ちゃんも竹細工をします。初めてナイフを使って1人で作った竹のスプーンはコユへのプレゼントだそうです。ありがとう。

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   みんなで火を焚いてご飯を作ります。森からいただいたものと自参した野菜でサラダを作ります。

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   こちらもコースの一環。ガソリンに発泡スチロールを溶かしてノリを作ります。私には衝撃的だったけど、リサイクルです。

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2月は人の多い日が続きました。こちらはウエスターナーのみんなが作った夕飯。少しづつみんなでいただきます。でも一リットルの油が一食で半分も無くなったのにはびっくりしました。あちらの国は一体何リットルのボトルで売ってるのだろう。。

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 とつぶやきの1日でした。笑。

 

 

 

   

日々の暮らしの中での暖かさ。(タイ暮らし日記68日目)

   トイレのドアが3日くらい前から外れている。旦那さんに直してもらおうと思っていたけれど建築に忙しい旦那さん。そうだ、自分でやってみたらいいじゃない!!なんで人に任せてしまっていたのだろう、と自分のくせに気づく。

 

   他のドアを見てやり方を見よう見まねで考えてみる。ドアを取り付けるには紐が必要で、紐といえばバンブーロープ。ロープから作ろうと思ったがロープようの竹がなくて村長さんにお願いして今回はロープを分けてもらって挑戦。バンブーロープ。この村の人たちは当たり前のように使いこなすがこれは張りの調整もねじりも技が必要なのです。見よう見まねでやってみたが、無事に直せました!!おー、できるんだ、と嬉しくなる。なんでもやってみよう、そうしてみたら必要なことで意外にできないことは少なくて、始めと同じでなくても自分らしくやって仕舞えばそれで使えることに気づいた。そして自分で大切につかえたものが愛しくてならない。日常が少し豊かになった気がします。

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   そうして愛しさを持てたもの。直したドア。耕した段々畑。自分で作ったまき。ココナッツのお皿。タイパンツ。掃除をしたばかりのうちとキッチンの庭。自分で起こした火。朝、火をみながらお友だちがくれたお茶を飲む時間。ここに旦那さんがいて一緒に火を眺める時間。私の穏やかな日常をみて喜んでくれた村長さんの口癖、ベリーグーッド!! 私を癒してくれたうちから見える森と月。子どもたちのお気に入りの木登りの木。大ちゃんの観察してるネギ。真似をしてホースで水まきをしているコユの後ろ姿。日常の中にこんなことがちょくちょく散りばめられていてその都度嬉しくなるのです。

 

   今は子どもたちの遊びに無理して付き合うこともなく彼らの嬉しそうな姿を見て楽しめる私がいる。旦那さんがうちを立てるのに集中して帰ってきたときに、子どもたちが大変だったんだよって愚痴らない私がいる。大変な時は私も新築現場に行くのです。そしてそこで手仕事したり、火を起こしたりしながら子どもたちといます。そうして家族全員で過ごす。時にはみんなの集まる場所で過ごすとみんなが子ども達に、私に声をかけてくれるのです。

 

    子どもたちがそうして私の機嫌に合わせるのではなく、自分がしたいように表現して過ごせるようになりました。そして他の人の動きにも興味を持つので彼らの興味が増えました。時には1人で遊び、ときには他の人とともに経験をする。

 

    家族で過ごす時間が増えたから、共有できることが増えてたのしくなりました。食事の時間になるのに火のそばから離れない子どもたちの気持ちがわかる。私が待てるようになってきたから、先に行くね〜って時に言っても不安がらないようになりました。火を眺めるのがみんなが好きだから早起きして焚き火してると起きてくる旦那さん、私、子どもたち。なんとなく自然に集まれるのです。なんとも心地の良い時間。それぞれの居場所があり、いてくれるだけで嬉しい穏やかな時間になっているのが不思議です。そうしてシェアできる夫婦の気づき。それを喜んでくれるコユとだいちゃん。ああ、家族っていいな。嬉しいな。心からそう感じる時間を今、頂いています。こんな気持ち、知らなかったな。本当に、こんな気持ちになれたことにただただ感謝しています。

 

    ここにはいろんな滞在者さんがいるのでいろんなことが垣間見えます。けれど、それぞれがそれぞれの階段を上りながら生きているのだとふと思うのです。これは自分が、自然に支えてもらっていることを感じているから、他の人のことを気にしていても仕方ないと思えるのだと、思っています。相手に悪意がないのなら、私が気にする必要はない。自分のことにしてもそう。自分が愛を持って行動するなら、後々まで気にすることではないのだと。今を精一杯生きるしかなく、みんなもそうなのだろうなと、今気づいたのです。これはきっと自然の力。癒しの力。

 

    誰からも追われることなく、自分の気持ちにとらわれることなく生きる練習をさせてもらっています。ここから離れてもこの気持ちを忘れないように。そうなった時に自分がどうしたいか感じて動けるように。

 

   毎日が愛しさでいっぱい。なので私の暮らしは十分。そう思ったら今夜は少なめのご飯が十分だって思えてきました。気持ちがやっと満たされてきたのかな。今を生きることが出来なければ未来への不安は消えないのかもしれません。

 

    昨日の昼から小指が痛い。。今朝から腫れ始めてマックスの痛み。どこにもぶつけてないので打撲ではないでしょう。裸足で生活してるので、虫に刺されたのかな。今夜は歩かなくてもじんじん辛くて、歩けなくなりご飯を運んでもらいました。今更死なないだろうし、と自分でもびっくりするくらい心配してません。ただただ痛いのは少し辛いけど休んでね、ってことなのかなと心穏やかに小屋に一人残ります。トイレに動くのも激痛でちょっと大変だなってことだけが頭をよぎります。明日は緩んでるといいな。

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飛行物の好きな大ちゃんが 初めて飛ぶものを自作しました。ラジコンだそうです。袋に糸をつけて、走ると、おーっ、飛びます。コユがよろこんで駆け回ります。

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もう一つ。温水シャワー。ペットボトルに水を入れて袋に入れて1日温めます。こうして研究に余裕がありません。さすがパーマカルチャー研究所所長!

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