日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

パーマカルチャーが好きな理由がわかった日。(タイ暮らし58日目)

    今日は朝ごはんの後、肥料の材料のバッファローのウンチをもらいに行くということで、村が大好きな私、行くと決めて、子供達同伴も確認を取る。たくさん積んでくると思うので確認しておかないと、車の荷台はなかなかハード。朝食を作りみんなで食べて即出発。

 

    村に着くと通りがかりの人が手伝ってくれる。日曜日の朝、みんなで家族でバイクに乗って、猟に行ったり畑に行ったり次々と通り過ぎて行く。みんな笑顔で挨拶を交わしながら。かなりのウンチを車に乗せ、もはや荷台ではなく運転席の上に乗り込む20代の男子たち。さすがに大ちゃんは私たちと助手席へ。村長さんの車、半端なく古いのにかなりの重労働。機関車トーマスのアニメを思い出すような人場面。私は若くないけれど若い頃から鍛えてきたからこんなにカラダは古くなっても体力だけは誰にも負けないのだと。なので山の坂道は助手席も含め人間は降りて荷物だけ車でゆく。そして急な坂道が終わったらまた乗せてもらう。川の橋にかかるとここも重すぎるので人は別に歩く笑。そうして村を巡り、通り道にある学校の先生に出会う。彼女は庭の手入れの途中。畑によって野菜を分けてもらう。そばの川で取れたアーモンドが硬い殻を外して干してある。一ついただくとほんのり甘くて美味しい。このかなり硬い殻をどうやってはぐのか聞いて見ると、やはりハンマーを使うとのこと。そうして軽くいって川の売店で売る。かなり入っているのに200円。ゴマも売っているが、殻と実をわけてふるいにかけるのだろう。その労力を思うとお金だけではいただけない。週に一度のこの村での小学校の1日を楽しみ大切にしたいと思うし 、自分のこれからの生き方をしっかり考えたいと思う。

 

   そうしてしばらく行くと、今度は川で魚を取るバイクに出会う。いってみよう!という好奇心旺盛な村長さんについて私たちもワクワク行くと、今度は幼稚園の先生と数人。嬉しそうに網で小魚をとってはカゴに入れている。綺麗な、綺麗な川なので、海藻も取れる。私たちも混ぜてもらい一緒にキャーキャー。これをマーケットで売るのかと思ったら、この後みんなで焼いて食べておしまいだそうだ。次に食べる分まで取らず、必要な分だけみんなでとって美味しく食べて、また必要になったら取りに行く。 シンプルな暮らし。みんなで分け合って、本当に楽しそうに食べる人たち。

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そして木に干しておいて乾燥してから使います。

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   シンプルライフ イズ ベスト でしょ。村長さんはそういって笑う。大きいのは自分の分、そういうこともなくここの人は分け合う。いつもカゴの中にカオニャオをいっぱいに入れてお昼ご飯を持って出かけるここの人たち、必ずご飯を分け合う。自分は大して食べないのに。

 

   そしてお金ではなくこうした関係でコミュニケーションがなされているから、あまりお金が発生しないそうだ。お互いに食べ物を助け合う。自然から、野菜をいただく。薬草をいただく。魚をいただく。狐をいただく。牛のウンチをいただく。森の癒しを感じる。スピリッツに祈って雨が降り、水が届く。人々が笑顔を交わし合う。身体を使うことで美味しく食べることができ元気でいられる。すごいね、村長さん。というと、

 

This is nature.

 

   そう語る村長さん。そう、自然の中にいさせてもらうと、食べ物が得られる。そして Food is medicine.なのです。だからお腹を空かせてありがたくいただく。自然のものをいただく。食べ物があれば死なないから困らないでしょ。だからパーマカルチャーが好きなんだ。という村長さんの言葉が腑に落ち、不安に囲まれた自分の暮らしを思い出す。そして私がこの暮らしが好きなのだと心から感じる。不安がなければ怒らずにいられる。自分も子供達も待つことができる。穏やかにいられる。そうしみじみと感じます。

 

   大ちゃんが葉っぱでお人形作ったの。と見せてくれました。首が外れやすいから、竹の枝で固定してね。。と工夫しています。素敵ね。一緒にやろうと自分で材料を集めてきてくれたので一緒に作ります。

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   午後から建築現場の蚊除けも兼ねて、焼き芋!旦那さんは建築。家族で遊んだり仕事したりしていると、「お、ファミリー」と微笑んでくれる村長さん。ここの人たちのように家族で移動する。ここで過ごす。穏やかに過ごせます。

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自分で考え動くこと。それは生きることの積み重ね。(タイ暮らし56日目)

   昨日は早くからフレンチのお家に遊びに行くはずがお隣さんに会って立ち止まる。ゴムの木を持ってるノアイさん、樹液を集めるために木の幹を削ります。樹液が固まった元々の道に残った筋を取り、削ると新しい白い樹液がたらりと垂れてきます。大ちゃん、ノアイさんの前を行き、筋取りを手伝います。こちらの人は子どもたちをまってくれます。ありがとう、と言いながら笑って大ちゃんを見守ります。ノアイさんの足取りに合わせ、楽しむ大ちゃん。30本くらい手伝ってお昼ご飯に戻ります。

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   そして今日は学校の日。今日は滞在中のアメリカンの人たちが英語でクイズ。そのあとは畑を作るための堆肥づくりで先週いった村にバッファローのウンチを取りに行きます。私はお昼ご飯を作ることになったことを伝えると、大ちゃん、自分はみんなと行きたいからと、みんなと一緒に村へ。おーおー、好きなことを選べるようになったね、嬉しい気持ちで見送ります。

 

   さてわたし、今日はカオニャオマムアンを作ります。パパイヤ、マンゴーを切ってココナッツミルクに砂糖を混ぜます。砂糖だよ、って出してくれた袋、がっつりありんこが来ていますがおかまいなし。アリンコ避けて使うのね、と郷に従います。少なめにしたけれどレンゲに五杯入れたでしょうか。なのに冷めたら甘くない。。果物と一緒に食べるのでいっかとおもいますが、こんなにお砂糖が入っても甘くないという事実を感じ、ちょっと怖いなーと思います。学校のキッチン、お肉を使ったのでたくさんのハエ。でもこれが自然の現象だなあとかんじます。彼らは分解者たちですから。綺麗を保つことで、暮らしやすくなるけれど、分解者たちはいなくなり、ゴミ処理場で燃やす必要が出てくる。そしてそうしているうちに、分解されるゴミと分解されないゴミの意識が薄くなる。そうして増えて行く循環できないゴミたち。そんなことを想像したあと、堆肥づくりをともにします。

 

   バッファローのウンチ、まきを燃やした灰、果物を発酵させたEM菌を混ぜます。まずびっくりしたのは子供達、バッファローのウンチを汚いものと思っていない。乾燥してわらのようになったウンチ、確かに臭くない。そして草を食べたバッファロー、確かに、葉っぱを食べた青虫のウンチに近い気もします。そして灰とEMを混ぜたところで、ザボンの差し入れがあり、彼らその手でつまんで食べます。大丈夫なんですね。そして日本の昔もそんなだったのですね。ともに暮らしているということ、そのウンチがどこから来ているかりかいしていること、それをどうしても汚いと思ってしまう自分との違いはなんだろうかと考えています。

 

   自分がどのように生きているかを彼らは理解しているのだと感じます。だから受け入れられることなのでしょう。今日も私は学びます。この作業をしながら子どもたち、自分で考え動くのが本当に早いのです。バッファローのウンチを車から降ろし灰を混ぜ、EMを混ぜる。そのために使うクワが壊れているのを知った14歳の子は、そこいらにある竹の破片を拾い、クワの金属と持ち手の隙間にはまるようにはめて行きます。今度は目印の柵が必要になり、またそこいらで探して来て、ナタで切り、穴を開け柵を作って行きます。その早いこと早いこと。瞬時に考え動く。そして壊れていたら自分で治す。彼らはやらされているのではなくやりたいから、考え、動いているのだと見ていて思います。これが本当にすごい。身体も頭も、瞬時に使って動かしているのです。それもやらされているのではなく、やりたいから。学校で学ぶことも、暮らすことも彼らはやりたくて動いて生きているのだということに感動します。だから全員参加はしていません。大ちゃんと追いかけっこして遊んでいる子もいるし、掃除してる子もいます。それぞれが自分で選んだ時間を生きているのです。

 

   言葉で表現しきれませんが、本当に生きたくて生きてる、そう感じます。そんな話を帰りの車で村長さんとかわします。タイにはこんなことわざがあるそうです。

 

   もしあなたが川に落ちたら、泳ぐことができるようになる。もしあなたが火の中に落ちたら、あなたは燃えることはないだろう。自分の頭を使い、心を使い考える。そして自分の身体を使って動く。自分自身が学ぼうとする。親は見ているだけ。何もしない。学ぶのは彼ら自身であり、机で学ぶのではなく、身体を使って学んだら、決して忘れないし、生きるために必要なことはできるようになるのだと。

だから大ちゃんもそうなるといいね、と言ってくれる村長さん。家の増築の手伝いを時々大ちゃんに頼みます。机上で学ぶことで今まで生きて来た私、違う生き方を今私が学んでます。今の私は子供達に余計なことをしないように、ここの人たちの中で暮らす日々を過ごしています。そうして今、彼らは自分でやりたいことを見つけて過ごしています。子どもたちが自ら学ぶこと、それを見守れる大人になりたい。それを我が子だけでなく、他の子たちとの関わりでも活かしたいのだと伝えると村長さんが言います。

 

Thank you.For future kids. Thank you.

と。村長さんのことばに心が震えます。この学校の子どもも世界の子どもへも思いは同じなのだと。子どもは宝。未来の希望。去年のこの言葉を思い出します。

 

   ありがとう。村長さん。そう、子どもは宝。未来の希望。大人も宝だね。自分を、相手を大切にする。わたしもそうありたいとおもいます。新しくくる旅人をバス停まで迎えに車を走らせてはいなかった、と帰ってくることも度々。それでもまた迎えに出かけて行きます。人を愛すること、を本当に感じます。

 

   ここで過ごして、ここで感じて、昨年より私の心が穏やかになったよ。ありがとう、とつたえると自然は人の心を癒してくれるんだ。という村長さん。だからここで受け入れていくのかなとおもいます。彼の大きな心が自然の中でさらに大きさを増しているのだと思います。ここで積み重ねた時間が私に自然の大きさを感じさせてくれます。自然には、本当にかなわない。心からそう思います。この森に、村長さんに、生きることをたくさん伝えてもらっています。今の私は感じて、愛して動けるようになりました。自分にも人にも。自然がある、だから生きられる。人がいる、だからもっと豊かに過ごせる。地球は美しい、心からそう思ういちにちのおわりです。

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自分が出会ってしったこと。世界はもっと優しくてここちいい。(タイ暮らし55日目)

   サハイナン暮らし2回目。さすがに一月単位の長期滞在者は少ない中、去年長くここで過ごして仲間がいました。その仲間が、私達に会うためにフランスからわざわざやってきてくれました。私が大好きな植物療法でもあるアロマをお土産に抱えて。フランスではアロマを作っていて、日本よりみんなが使っているそうで色々学びたいなと話していましたが、覚えていてくれて、わざわざ会いにきてくれて。。子どもたちのこともかわいがってくれて、去年の旅の話もたくさん。彼女はフランスとベトナムのハーフの女の子。おばあちゃんはカリフォルニアに住んでいて大きな旅をしたそうです。

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   そうしてもう1組。こちらも偶然にもフレンチ。私たちに合わせて日にちをとってきてくれた彼女たちは、これから3ヶ月ここで過ごします。とはいってもサハイナンではなく、タイ人の奥さんを持つ彼女の友人がここに暮らす場所を作るのを手伝いに。これらはすごくて学校まで作ろうとしているのです。会えただけで幸せなのに、おみやげまで抱えて。彼女のお気に入りの石鹸と、彼女のママが作ってくれてお茶、彼女の手作りのジャム。白砂糖は使わず黒糖を使い、量も減らしたの、と我が家と同じ思想。ローズの実を積んで手間暇かけて作ってくれたのを綺麗にラッピングしてくれたのに、早々にコユ、嬉しくて箱を壊してます。いつ食べるの?いつ食べるの?と目を輝かせる様子に何も言えません。特別にパンでも焼こうね。

 

   こうして私たちを愛してくれる人が海を渡ってもいること、ありがたくてありがたくて仕方ないです。これがここで時間を共に積み重ねたということ。リアルなコミュニケーションを積み重ねたということ。お互いに信頼関係が成り立っているということ。ずっしりと感じさせてもらっています。会いにきてくれてありがとう。また日々を共に過ごしてくれてありがとう。共に過ごせる時間は今、この時。いきていて良かったと思います。

 

   そしてこの嬉しい思いを伝えたくて知っている単語を組み合わせ文にし、動詞しか知らない時は、呼吸を入れて区切りながら、ボディーランゲージと共に伝えた私。どうしても話したかったから!理解してくれてありがとう、そう伝えたら、去年より英語上手になったね、すごいね。なんていってくれて、彼女のことを知りたい、話したいという思いが、言葉ではなく、伝えるという行為になったんだと感じます。伝えるって言葉だけじゃない。心、気持ち、空気、表情、言葉、間の取り方、その瞬間が全て、伝わる、伝えることなんですね。

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   だから英語教育もったいないなーって思います。世界はもっと優しい。それぞれの人がもっと世界と繋がったら、優しさと心地よさが増えるのかなあと勝手に想像する私。英語が苦手だった私が、彼女たちとの再会、村長さんとの心の会話のおかげで、楽しくなりました。言語というのは文法で理解するのではなく、伝えること、伝わることで理解するのだと知ったから。そして言葉も大事だとおもうけれど、それより気持ちの伝わる喜び、心地よさをまず感じられるようになること、そのためには小さい頃から人の中で過ごすことが大切なんじゃないかなって感じています。人が好きになった、これが今の私です。

暮らすことで1日が終わる。(タイ暮らし54日目)

   6時に起きて、ご飯を作る。パパイヤとバナナでフルーツサラダと菜の花スープとご飯。今日は少し豪華に筍のピクルスの炒め物つき。みんなでいただきます。そうして片付けてうちに帰って子どもたちの歯磨きを済ませ、おちばをはく。はいたものはたき火で燃やす。子どもたちがマキを作ったりタバコごっこをしたりして側で遊んでる。旦那さんは洗濯の後、建築へ。そしてガーデンに水をあげる。ホースが固くて蛇口にはまらないのと、少し遠くてホースが届かないので、大ちゃんの協力を得てたらいで往復。パパイヤと、スイカとかぼちゃと、シソとセサミとロングビーンの芽が出てきて可愛い。土が乾きやすいのでどうしたらいいかなあと日々研究中。その時点で10時半。旦那さんの建築現場に遊びに行きたいけど、昨日と今日は村長さんも自分のうちに増築をしているので協力したくて1人でキッチンで動く体制に入るのでそのままガーデンで野菜を摘む。ついてきたコユがそばのうちであそぶ。

 

   そして12時、ランチ。かぼちゃの皮と生もやしのサラダ、大人用はチリ入り。ご飯とかぼちゃとココナッツミルクのスープ。蒸し野菜。シエスタして2時。1人ずつシャワー浴びて、建築に少し顔だしてもう夕飯を作る時間。お豆を煮て野菜を炒めて、筍のスープ。そして即席チリソース。それをみんなで食べて6時。暗くなり始めてうちに帰って歯磨きして布団へ。そうして終わる1日。暗くなったら火のそばでおしゃべりする以外何もできなくなります。

 

   暮らしているだけで1日がすぎてゆきます。あといくらか、やりたいことはあるけれど、そこまでは届かず終わって行く一日。でもそれはいつかできる。突然時間が得られて。昨日がそんな日でした。だからそれで十分。(日々の仕事をする中に子どもたちがいる。)

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   この2年くらい、毎日を丁寧に暮らしたいと思ってきたけれど、1つ思ったことがありました。山での暮らし方を感じた最近。落ち葉はあるのが当たり前だと思ってきたけれど、村長さんも近所のタイの方のうちもうちの周りはきれいにはかれていて土が見えています。気持ちがいいのとたき火での火が移って火事にならないようにという知恵。言葉で言わない村長さんの行動からそれを理解し、きれいにし始めたら村長さんが嬉しそうに、「気持ちがいいでしょ、meditation のようでしょ。」とはなしてくれました。meditation 、本当に祈りと瞑想のようだと心の深くで感じます。暮らしている場所を心を込めてきれいにすること、そうしているとこの暮らしを見守ってくれる森に感謝の気持ちでいっぱいになります。そうして少しの間没頭して掃除して、少しだけ火を眺めて。小さな芽を出し始めたタネに喜びを感じてもっと大きくなあれと祈って。ご飯をたべる家族とみんなの笑顔を見て嬉しくなって。1日2食を目指す私。フルーツサラダが食べたいのと、あまり食べていないのに夜中に胸やけがすることも多く、消化系が強くないことを感じて夜を抜いたら、寝るときに楽だったので夜を抜くようになりました。そして体を温めるためにレモングラスと生姜のお茶を飲んでみんなと共に過ごします。美味しいよ、ありがとう 。そう言ってくれる何人かの言葉が嬉しく、言葉がなくとも食事を囲んでみんなが楽しそうな笑顔を見せてくれること、きっと旅の中でみんなで囲んだ食事は忘れないだろうなあと思いながら、それぞれの幸せを願います。おしゃべりで賑わっていても、お茶を飲みながらみんなの様子を一度は眺めるその時間は、不思議なことに、私にとって心静かな時間になります。ああ、暮らすことって 祈りと瞑想かもしれない、そう感じます。虫も人も植物も、みんなで暮らしているということ、支えてくれる森。

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   それを感じて気づきます。丁寧に暮らしたいと思ってきたけど、それは私の言葉ではないんだなと。私は、私並みに、日々を感じながら祈りながら、ゆっくりと、生きるために暮らしていきたいのだなと。血の繋がった家族とともに。時には地球の大きな家族とともに。暮らしの中でわずかに没頭する時間もきっと祈りの穏やかな時間。今日も気持ち良く過ごせるように。そう思ったら暮らすことがもっと楽しみになります。森の中にいると同じことなんて1つもなく、子どもたちと同じように感動がたくさんの日々。昨日は大きな蜂の集団が蜂の巣を作り始めてびっくり。どうしよーと怖がる私たちに、静かにしていれば大丈夫、私たちにはちみつも必要だから、と穏やかにいう村長さんにもびっくりします。風船くらいにたくさんの蜂が身を寄せ合って木にぶら下がっているそばを息を潜めて通り過ぎる私たち。音を出すとやはり番兵蜂が羽を震わせ出すのです。こうして自然を学ぶ日々。自然の中で私は知らないことだらけだと感じます。だから暇になることも一度もなくて。何もしなくても、ふと下を見た瞬間に見つけたアリを目で追いかけるだけでそこから目が離れないこともしばしば。せっかく子どもたちが離れているから何かしなくちゃもったいない、と自分で欲をふやすこともなくなりました。本当に暮らしているだけで私は十分だということを感じています。

 

   そして自然に私はとうていかなわないのだということも。そう改めて感じて、自然に近い小さな子どもたちにも私はかなわないな、ということも感じます。この森でなぜ?なぜ?と疑問をなげかける大ちゃんとコユ。私にはっきりと答えられることはほとんどないのだと知り、経験と知識の伴わなかった生き方を振り返ります。人間の作ったものには答えてきたけれど、今思うとそれすらも知識として知っているだけで経験としてはほとんど知らない。壊れた電化製品を私に直せないから。そう感じ、自分がどんな人間かまた1つ気づきます。そしてどうしていきたいかも考えます。その中で自然の中の生き物たちが、ここで暮らした仲間たちが様々な生き方を見せてくれ、感じさせてくれます。

 

   そんなものに囲まれていること、それが私の幸せなのだと、私は幸せだったのだと感じます。そしてそれが最近祈りに変わりました。幸せなんてなったことないから知らない、それが口癖だった母の幸せを毎日、祈ること。イライラしている人を見ると引いてしまう自分でしたが、その裏の事情を想像しつつ、その人が穏やかであるよう祈ること。引いたり、一緒にイライラしていた自分から、そうではなく、祈りという行動に変わった自分を感じます。それが正しいというのではなく、穏やかな方がいきやすいと私が思っているので、ただ黙って祈ってるだけなのですが、そうしていたらこないだ祖母が夢の中で、笑っていました。そしていいます。「あなたは大丈夫。」と。母と私を含め、みんなを見守ってくれていたのだと感じて、自分の過去がすっと軽くなりました。ありがとう、おばあちゃん。

 

   そんな私の暮らし。週に一度のネットに繋ぐ時間。フレンチのお友達が子どもたちの声を歌にしてくれることになりました。歌を作れる彼女の彼氏はスペイン人。世界が近い暮らし。人との繋がりがあたかく心地よい。素晴らしい経験をいただいています。

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自分のために生きる日々。(タイくらし53日目)

   ここの所、村長さんが建築で忙しいので、私が三食作っています。こうするとご飯作りだけで1日が終わってしまうので今年はそうするには避けよう、そう思って来ました。

 

   けれども、子供たちの生活リズムがあるので母としての動きは必要だなと思っていて。もちろんみんなもたすけてくれます。けれども子どもたちは起きるのが遅い大人の動きを待ってられないので自分が動いた方がいいから、ということからスタートしました。やりたいことが制限されるし、できるかな、できなかったらフルーツでつないでほかの人のフォローを貰おう、そう思いましたが、始めてみたらこれが楽しい。美味しいよと言ってくれる人がいること、村長さんが助けてくれてありがとうと少しでもたすけになっていること。そして、一人で旅をする人がここでみんなと食事を囲む時間、楽しみながら過ごしている笑顔をみて、みんながホッとする気持ちと幸せな気持ちを感じてくれているのだと思うと、嬉しくなるのです。そしてそのために動いている時間、子どもたちは私の手から離れて旅をします。自分だけの時間を味わう旅。

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   コユはことりのさえずりのような可愛い声で、英語で会話を交わし村長さんの家に入らせてもらい、彼の仕事の傍らで遊びます。大ちゃんは旦那さんの建築を見て、自分も自分のための小さな小さな小屋を立てたいと、鍬をもって動き始めました。その名も札幌イミグレーション建設プロジェクト!ビザを取る所場所をイミグレーションと言うのですがなぜその名前なのか不明。そのこやで椅子に座って、かったるそうに「パスポート(見せて)」といい、スタンプを押す遊びをしたいのだそうです。そのためにこの気合いと時間。そして村長さんに建設許可までとってます笑。もう面白すぎる、わが子よ。あなたの人生 、今楽しいことしかないでしょ?と聞いてみたら「うんっ!」。おうおう、いいじかんをいきてるね。こうして生きた時間は彼の優しさと、力に変わって行くのだろうなと想像します。ここの人たちのように。彼の生き方を見守れるように、もう二度と一人で子育てはしないと決めた私、旦那さんや村長さん、ご近所さんのうちにも遊びに行きます。その様子はまた今度。さてさて札幌イミグレーション 建設プロジェクト、たき火をし神様に祈り、鍬で土地を平らにする。大人の動きを真似てワクワクしながら毎日の仕事っぷりを伝えてくれます。

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   自分のやりたいことを自分で動いてやること、本当に目が、心が、身体が輝いているのです。そしてぐんと英語を理解し始めた二人は英語と、人に興味をもちはじめます。いつの間にやら、彼らの言葉がえいごになっているのです。とりわけ感嘆詞はスラスラ入り、気に入ったことがあると、「アメイジーング!オーマイガー!! 」。

 

   「アメイジーング!」なのはあなたたちですから!面白いのは、コユが新しい日本語を覚えるときのように頭に入れて行くこと。オーマイガーオ!だって、と言ったりして面白い。ライオンガーオ、と繋げたようなのです。私も忘れません笑。

 

    私も同じように自分の料理中に言ってもらった感嘆詞はすっとはいります。昨日聞いた言葉、「ヤミー!」。これは うまそう って意味だそうです。早速使ってみたくなる私。英語もタイ語もフランス語も、面白いのです。勉強したいなというより、知りたいなーという感じ。楽しんで生きることは、学びも遊びも暮らしも仕事も区切れないのだと本当によく感じます。どうしても必要なことがあるとしたら心を通わせ合う柔軟さ、愛、それだけ。きっと。

 

   さて話を戻します。そんなわけで食事係と去年はいってきたけど、係りではなくやりたいからやってる。自分のため。今年はシンプルにそれだけになりました。作ることが好き、その私の気持ちが食事になり、大好きなみんなの幸せの時間の一部になる。楽しい気持ちで作ってるからきっと不味くはならないだろうな、という根拠のない思い込みでちょっと思い通りにいかなくてもそれでオッケー。ああ、少しは飾らない自分になれたかな、と嬉しくなります。日々自分でかけているプレッシャーを無くしたいと思っているので。

 

   暮らしの中に自然との関わり、人との関わりがあることがどれだけゆたかなことかを感じます。毎日が違いすぎて二日前のことがもうおもいだせない。昨日村長さんが言っていた私は人の名前もすぐ忘れてしまうんだよね、忘れっぽい。って笑っていた言葉のいみがよくわかります。そして覚えていることもないのだと。必要なら再度連絡が来る。お互いにそうして暮らしているからそれでせめあうこともない。食べ物を分け合い、感謝を素直に伝え、相手が助けを必要としている時はできること、したいことをする。ただそれだけ。

 

   生きてきた時間の中で凝り固まった考えはまだまだくっついているけれど 、本当に頭が軽くなりました。やりたいようにやるだけ。感じさせてもらってきた人の暖かさの分、自分の中に優しさの地層ができており、それがあるからあとはやりたいことをやっていても平和なのだと感じます。だまって優しさを使い合うここの人たちの暮らしに関わらせていただいて、ものが豊かになった背景の大家族の煩わしさを想像してきたけれどそうでないものをたくさん感じました。人もすばらしい感性と脳を持った生き物だからそれを豊かに使っていけたら、もっと楽に、もっと毎日のために暮らせる気がしています。それが我が家にとってのパーマカルチャー。パーマカルチャーは農業でも言葉のいいライフスタイル提案でもなくきっと生き方そのものなんだろうな、そう旦那さんとはなしています。

 

   生水はもちろん、たくさん生姜を入れたレモングラスティーをよく飲みます。これにココアを混ぜたりもしつつ、このお湯が基本です。暖房のない暮らしで寒さを乗り切る方法を学びます。チャイニーズ妊婦さんライフもたくさんのジンジャーティーを飲むそうです。身体を温める。大事なことですね。

ココナッツオイル作り(タイ暮らし49日目)

   今日はココナッツオイル作り。作るのが好きな大ちゃんと3時間かけて作ります。ココナッツの果肉を絞るのが重労働。固いし地道な作業です。

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   そうして疲れ切った頃、これだけの果肉をしぼりおえます。

そして熱湯で絞り出します。

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   少ない熱湯で絞ったのでこないだより濃厚。思わず味見の子どもたち。美味しいのコユの顔。

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   そうして袋に入れて気に吊るしておきます。寒い日の朝、三層にわかれて固まったら取り出します。ここのところ暑いのでしばらくこのままかな。

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   3時間、二個のココナッツを割ってできた油は大さじ四杯ほど。やっぱりまだ固まっていません。貴重な油です。ココナッツの香りがいい匂い。

 

   それからこちらは川で取れたほんとうにローのアーモンド。普通に売っているアーモンドとは種類が違うのかもしれませんが、多分あちらは機械でしっかり乾燥させた色をしていますね。それをいったり焼いたりしているので、ローではないのでしょうね。またまた知らなかったこと、です。こちらのは独特の味がしておつまみのアーモンドとは違うテイストですがここの人たちのスナックです。

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   固い殻から1つずつ割っていってありますが、もう少し炙り直します。薄皮を割って頂きます。これを1人でやろうと思うと、5つ食べるのに15分くらいかかりそうです。こうして手間のかかる食べ物ってほんとうにたくさんあるのだなあと感じます。でも手間のかかるものってきっとそれだけ手間がかかる分、たくさん食べすぎないようになってるのでしょうね。油分もたくさんでもうたくさんだって思って終わりになります。

 

   村でセサミを買いました。たくさん入ってます。お金ではなく、人との関係、笑顔でコミュニケーションをして手に入れる、だから安いのだと思います。感謝して、ここの村の人の幸せを願って買わせてもらいます。そうしたらこんなに安く分けてもらうことも自然に受け入れられるから。

村で生きる子どもたち(タイ暮らし48日目)

   今日は金曜日、いつもの小学校へ。旦那さんの日本語の授業の後、子どもたちの親御さんたちのファームへ行きます。ファームとはいっても田舎の畑。こんなにゆったりとした暖かな空気の流れる村です。段々畑にバッファロー、バナナの木、稲わらが積んであります。

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   サハイナンにパーマカルチャーを学びにきてるファースト君が自分の山をパーマカルチャーの山にするために村長さんが直々に教えるための土地を見に行きます。子どもたち、よく歩きます。みんなの暮らす村、途中の崖から登ったり、高い木に板を渡してジャックフルーツをとったり、お猿さんのような身のこなしに見入ってしまう私たち。彼らの生きる力に惚れ惚れしてしまいます。棘のたくさんある山道へもスタスタ歩いて行きます。子どもたち同士、時間も関係なくここで遊びまわっているのでしょう。大きなこの大地を自由自在に駆け巡る、ほんとうにそんなことばがぴったりです。

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   途中でグアバの木を見つけてよじ登ります。みんなの分をとって分けてくれます。ほんとうにほんのりしか甘くなくて渋みもあるけれど、子どもたちは美味しそうにかじります。私たちもこの大自然の宝をいただきます。コユはびっくりするくらいよく食べます。そしてまた登ったところで小さな実を袋いっぱいに積んで塩をつけて食べます。これはほんとうに渋い!けれども子どもたちは美味しそうに食べるのです。それを見て思わず私たちも2つ3つといただきます。

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   医食同源。この言葉を思い出します。きっとこうして食べ物は薬としての役割も果たすのでしょう。子どもたちは昼食後のデザートにもこれを食べていました。日本では今や果物は糖度を表示して売っているくらい甘いものばかり。トマトまで甘いものを求められています。けれども、こうして渋くても苦くても身体が必要としているものがあるのだって知り、甘い程いい、という流れがほんとうにいいのかなってふと思います。それと、お砂糖。お砂糖はほんとうに強い薬のような力を持っているのかもしれません。他の国の文化に足を踏み入れてしまうものだなあと複雑な気持ちにもなります。サトウキビの取れる地方でサトウキビをかじるなら、それは必要な食べ物なのでしょう。そして中毒にはならないのでしょう。

 

   こうして昼を過ぎるまで山と村を歩きます。最後にたどり着いた農小屋でお芋を見つけた子どもたち、小さな二本のいもを10人近くの子どもたちで分けて食べます。この子たちは分けて食べるのが当たり前なのです。お水も自分が飲むときは いるかい?と声をかけてくれます。面白いことにグアバやレモンにも塩をかけて食べるのがここ流。がっつり塩が必要な気候と動く量なんでしょうね。こうして山を歩きながら村長さんが私たちに話してくれます。

 

   山に住む人たちはこうして食べるものがあるかな、など周りを見て歩く。けれども都会に住む人たちは周りを見回すのを忘れてしまっている、と。これが彼らの生きる力なのだと思います。こうして自分で食べるものを探す力をつけ、そうして自分で自分の身を守れるからこそ、人と分け合う、人を思う余裕が持てる。それと同時に楽しみながら友だちとこの山を歩き、ふざけたり、果物を摘んだり、今を生きている、楽しんでいる。防犯対策をし、人を警戒する力をつけ、おもちゃがないとつまらないーという。机に座るのはわずかな時間で、自分で動き、目の前で起こることを経験し、身体で覚えながら生きることを学んで行く。人々の中で、自分自身で学び生きている。それを目の当たりにし、心が震える1日でした。今の私たち家族もそんな日々です。生きること、それが目的の人生。自分が楽しみ、村と我が家の子供達の笑顔を見て、今日も生きたことにありがとう。そう思った1日の終わり。

 

   ここにいられた今日1日に感謝をして眠りにつきます。今日もレスフード、身体の調子はいいのですが、のみにやられてかゆい。。まだまだ血が汚れてるのかなあ。。

   

   学校で日本の季節の話をしました。マーケットで買った生地でやっとパンツを作りました。今後アップします。

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   タイの農作業の人が覆面してるのを見て、タオルを巻いてーときたコユ。面白い。でもこうして笑ってなんぼの毎日だね。ともに暮らせる時間がありがたいです。

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   14歳の子が建てたニワトリ小屋。暮らしを丁寧にしたい、そう思っていたけど、生きるために暮らす、それも丁寧な日々になるのではないかなって思います。日々学び。遊暮動学です。

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