日々は優しさで溢れてる。

心に傷を抱えてきた幼少期。我が子を授かり、それに苦しんだ。けれどもね、山が教えてくれたの。いきてる価値は誰かが決めるもんじゃない。自然は平等に、生きるための恩恵をいつも与えてくれてた。生きることの喜びは自分で感じていくものだから。そうして今を生きることを積み重ねてる。

人が育つということ(タイ暮らし45日目)

    今日は朝から建築現場で蚊除けのたき火。大ちゃん、焼き芋したかったなーと言いながら側で火遊びを始めます。コユも一緒にタバコごっこ。こうしてそれぞれが火傷をして、気をつけ合いながら火を身体で感じて行きます。火は危ないものではなく生きることを助けてくれるもの。だから大切に扱おう、そう思いながら子どもたちと火を使わせてもらいます。火を炊き始めると気持ちが入ってやめられなくなります。必需品であり、おもちゃでもあり、学びでもあり、神様でもあるのが火、なのかもしれません。

 

   お昼時、キッチンに手伝いに行くと、ケーキを作るシェンさんがみて〜と声をかけてくれる。みてみると、竹のロープで作った泡立て器!森、スゴすぎます。全てがここにはあるのだと改めて感じます。

 

   午後から急遽いつもの川へ。暑い一日、わたしも一緒に入ります。長いこと続いた雨で川が綺麗になり、水の底がよく見える。村の人が洗濯に来ています。子どもたちとざぶーん。コユは怖がらずに手を引かれて泳ぐけど大ちゃんはこわいー、、と身体がカチカチで浮きません。まあいいかと、遊び始めると足を踏み外した拍子に身体が浮いた!!と大興奮で話す大ちゃん。あらそうー。。というと、ちょっとみてて、と顔を水につけて浮いて見せてくれます。怖がりの大ちゃんだからちょっとびっくり。おー、やったねえ、という言葉に、5秒10秒と自分で記録を伸ばしていきます。

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   学びってこういうことなのですね。怖がってるところを頑張れ、なんて言わなくてよかった。怖いもんは怖いもんね。嬉しくて嬉しくて帰ってからもずっと話し続けます。これが自分が生きながらの学びなのだと教えてもらった気がします。その後は、泥を掘って温泉作り。わたしが側で泳いでいると、いかだ商売のお兄さんが子どもたちと遊んでくれていました。男に人が泥んこで遊んでくれるなんて、大ちゃんが生まれて以来、ここでだけ。長いことのんびりと遊んでくれていました。

 

   その中でちょっと気になったこと。村長さんちの一歳半のジョン君が大ちゃんの温泉に興味があって手を出したのを何度も止めていた大ちゃん。しびれを切らし、強い態度で ノー!! と身を押し出します。それを目の当たりにし、大ちゃんの気持ちもあるなあとおもいながらも、ここの子達のこういう瞬間に出会ったことがないなあとふと感じます。自分より小さな子には一歩引いて待ってくれるのです。それも焦ってるふうでもなく、笑顔でのんびりと。そして思いを巡らせます。

 

   村長さんがわたしの初めての挑戦による失敗を気にもとめずにいてくれるように、ここの子達は小さな頃から、周りの人に待っていてもらったり、丸ごと受け止めてもらったりした経験があるのだろうと。今、この村で大ちゃんとコユを受け止めてもらっている姿の行き先なのではないかと思ったのです。そう思った時に、子どもって、わたしだけの子ではない、きっと私のもとにきてくれたけど、大自然の子なのではないかってふと思ったのです。だからこうしてみんなの中で育ってゆくし、みんなに助けてもらう力を持ってうまれてきてる。

 

   自分の生き方を振り返り見つめるように、大ちゃんとコユの生き方も静かに見つめてみよう、そう思っています。そして外に出ようとする彼らの前を邪魔せぬように。そしてそれは我が子だけでなく、他の人たちへも。そうして自分の器が少しでも大きくなるように。受け止めること、待つこと、他人の邪魔をしないこと。ここで生きるために静かに過ごす毎日は本当に豊かな時間をいただいています。生きるために生きてる毎日。感謝の日々です。

 

   果物を切らせた日の3時のおやつ。食べるものは野菜だけだったのでみんなで塩でいただきます。

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   村長さんの息子のジョン君と。コユはこの暮らしの中で小さい人に手を差し伸べることをしてくれるようになりました。その繊細な配慮を人との関わり、暮らしの中でみにつけて行く。どんなに言葉で学んでも行動につなげて行くことは難しいことだと思います。そういう行為になって行く、そういう考えになって行く、このことを忘れず子供達との日々を過ごしたいなと思います。

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毎日学ぶように暮らし、遊ぶように生きる。子どもを知らず大人になった自分もやっと子どもになれそうです。(タイ暮らし44日目)

   家の建築を手伝います。コユが離れた隙を狙って床板作り。竹にナタで割れ目を入れて一枚ずつ作って行きます。固くて難しいけれど、きっと慣れれば大丈夫。ここの村長さんは失敗しても、これは使えないけど、とそっと外すだけで何も言いません。竹を取りに行くだけでも大変なのに。だからたくさん経験をさせてもらってます。日本も失敗して3本目。竹が曲がっていたりありの巣があるものは使えないそうなのです。言葉がたどたどしい私なので、3本かけてやっと理解。ここにきた人は自分が望めば何でも経験できます。それを見守ってくれる村長さんがいます。だから、自分にできないことはないな、と感じられる今日この頃。

 

   I will try!が近頃の私の言葉です。成功するかわからないけど、やってみたいからトライしてみる!そう伝えるとにこりと笑う村長さん。わたしも子どもたちをこうして見守れるといいなと今日も感じて学ばせてもらっています。
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うちにはめて床になって行きます。
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こうして昔は自分たちで作って暮らしていたのだと実感します。なので、作れなければ自分が作れるようにオリジナルでやってみたらいい、ただそれだけなのかもしれないなと感じます。それがパーマカルチャー研究所の研究です。

 

でもこれは暮らしもだけで、自分自身のことでもそう。人と比べずに焦らずに自分にできることをやって生きて行くのが自分の生き方なのかもしれません。人並みにはできない、できなくていい、わたし並みにやろう。それがわたしだから。最近感じること、人は助け合わずには生きていけないようにできている気がします。だからわたしはわたし並みに。そして旦那さんは旦那さん並みに。子どもたちもそう。家族って近いからいつの間にやら、期待を重ねてしまっているわたしがいて、思うようにならずいらっとしてハッとします。それぞれが自分並みに生きていること、それだけ精一杯生きているのだからもう十分でしょ、とわたし自身に話しかけます。そうして誰よりも精一杯生きてるのが自分だとめぐりめぐって、きょうも感じています。


わたし並みに生きる。生きることを楽しむ。ただそれだけでいい、そう気づかせてもらった日。今日もありがとう。家族に、森のスピリットに、自分の身体に感謝して眠りにつきます。

人、虫、草木。自然の中でそだちあうこと。(タイ暮らし42日目)

   今日はチルドレンズデイとサタデーマーケット。この日は暗いうちから外で焚き火をしている旦那さんの火の音で目が覚めました。火のそばは暖かいのでシュラフからすぐ出れる。大きな火の前で楽しそうに巻を作ってる旦那さん。私は本でも読もうと外に出たものの、火を見ながらゆっくりおしゃべり。火の音だけで静かだし、ゴロゴロできるわけでもないし、話だけに集中できる。これからのこと、ここでのこと。ゆっくりこんなに心を入れて話せる時間。そうしているうちにみんなが起きてきて火を囲む。穏やかな朝。

 

   食事の後は、サタデーマーケットへ。今日は8時半に出発、森を歩きながらまたおしゃべりです。子どもたちは遊びながら森を歩きます。いろんなことに好奇心旺盛でなかなか進まない子どもたち。でもそれもいいね、と言ってくれた旦那さんとのんびりのんびり。そうしていたら通りかかった人が街までのせてくれました。英語も話せないのに乗せてくれる優しい村の人たち。こうして自然に使える優しさ、忙しくしている私の住んでいる日本の街の中では残念だけどなかなかありませんから。車はほとんど日本製、みつびし、イスズ、ホンダ、ですがかなり古いものもパワフルに走っています。こうして大切に使えるものなんだなあ。

 

   ここの村は洗濯機があるうちがあまりないようです。なのでランドリーショップがあります。そして各家庭に、冷蔵庫とテレビと炊飯器はあるようです。でもそれ以外はどこでトイレを借りてもうちの中にはそれとマットレスと蚊帳くらいしかないのです。こどものおもちゃもほとんどない。チルドレンズデイに行って、その理由がなんとなくわかりました。はじめてあった他人の子ですら写真撮らせて、っていうくらい可愛がってくれる周りの人たち、ああ、こんな風にみんなが関わってくれたらおもちゃは必要ないな、と思います。話をしたり、こどもの好奇心に付き合ってくれたり、周りの人がこんな風にしてくれるから、親もピリピリする必要がないのですね。そうして森と遊ぶ、川と遊ぶ。水はみんな大好きで中学生も川に飛び込みます。カヤック持って遊びに来ていたどこかのこと遊び始める大ちゃん。どんな状況でも自分のペースで遊ぶ、そうしているうちにお互いに楽しんでる、子どもってすごいなあと思います。コユも乗せてもらったのですが自分たちが楽しんでるのに、コユのことも気遣ってくれた小学生くらいの小さなお姉さんに感謝。言葉でなく心で思ってくれてるその配慮が素晴らしいなあと思います。きっと私にも真似できません。帰り際、バイバイ、って手を振ると満面の笑みで返してくれます。こんな風に他人のために、ではなく自分に無理せず自然な優しさを持っていること、生きる上で大切な宝物だなあ。

 

 

   さてさて話を戻します。うちに本棚もない、毎日暮らすことを楽しんでいるのかな、と旦那さんと話しながら想像します。確かに日曜日以外は、どのお店もやってますので。そしてお店でもおしゃべりしたりこどもときたり、遊暮動学なのです。子どもも、近くで働いているお母さんのうちの子なのでしょう、お互いに遊び仲間のようで 暮らしが回っているなあという気がします。お母さんがそばにいるので必要な時はお母さんのとこに来て行ったり来たりしながら遊んでいます。

 

   こうして暮らしているところを感じると、物を持つことで失ってしまうものも多いなあと改めて感じます。人と会う必要がなくなるから。人と会う必要のない暮らしをして大人になった自分と比較してしまう私がいます。人の心の育ちは、物がいくらあっても満たされない気がしている私です。自分が自分であることは、自分が人との暮らしの中で得られるものなのではないかと。周りの人を鏡にして自分を感じたり、共感したりすることで、自分は自分のままであることを感じてゆくのだと思うのです。そしていろんな人の中で育てることが、親にとっても子どもにとっても、豊かなことだと思うのです。いろんな人がいていろんな感覚があっていろんな生き方がある。じゃあ自分はどう生きたいかな、と。繊細な自分の感覚の中で、繊細な生き物の感覚を感じてゆく。我が子は自分ではない、確立した1人の別の人間だとは思いつつ、つい自分の思いを押し付けそうになってしまいますが、我が子が、私たちの元にいてくれる、この人たちもつかの間私たちの元にきてくれた 借りもの なのかなとふと思います。なので 私を育てるのではなく、彼らの育ちを見守るのが私にできるわずかなこと。人の助け、自然の恵み、彼らはきっと自分に必要な助けは得られる大きな生き物なのだと思います。人や虫、自然の中で彼らが生きる直感を失わずに育てるように、邪魔をしないようにいたいな。

 

   人、虫、草木。音、光、風。その中で育ちあうこと。人は生まれてからその形を失うまでいつまでも感じ続ける、それが学びであるとしたら生きている限りずっと学びであるのだろうと思います。 自然と、人との関わりの中で、そう感じています。

 

   一人一人を大切に思ってくれてる村の人たち。人懐こくてもシャイでも一人一人に丁寧に関わってくれます。満面の笑みで笑いかけてくれるから、私が一番嬉しくなります。このゲーム、割り箸鉄砲と同じ原理で矢を飛ばします。パワフルで当たったら痛いだろうけどたのしかった笑。
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帰りは恒例の川遊び。泥んこスライダーしてカヤックでひっくり返って。みんなでパンツで入ります笑。
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お昼ご飯は川辺の屋台で。わらで作った掘っ建て小屋に、わらを束ねた机と椅子。自然は私たちの暮らしをどこまでも助けてくれます。使った後はそのままにしておけば、未来にゴミを残さず循環される。未来への希望と、地球への感謝を込めて、循環できる暮らしを行動に移せるようになって行きたいなと改めて感じています。
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雨の日は家族でのんびり。(タイ暮らし37日目)

   今日は朝から大雨。旦那さんも在小屋、ということでのんびり家族で暮らしを楽しみます。先日いただいてきたココナッツでカオニャオマムアン風を作ります。もちろんおさとうはなしで我が家風。ココナッツを割るところからスタートです。

 

   こんなに厚い皮で守られた上、タネの周りには殻。なぜこんなにしっかり守られているのだろうな。高い木から落ちても身を守るため?乾燥する前のフレッシュなものはジュースとして、かわいたものは加工していただきます。旦那さん、なたで皮を剥いでゆきます。

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   そして中の種を割ります。ココナッツジュースはタネの中に入ったジュース。ご存知でしたか?こうして殻を割って。。

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   うさぎと言われるこの道具で中をゴリゴリけずります。これが固くてなかなかの重労働。コユも挑戦です。ほのかに甘いこの中身。

 

 

   そうしている間にお米を炊きます。今日はカオニャオではなくノーマルライス。ブラウンライス入り。ありとの戦いの日々。ビニールを破って100匹は入ってます。水でうるかさせてもらいます。ごめんね、ありんこ。このタライ、ユーズフルでコユのお風呂、洗濯、食べ物にも。。衛生状態、、、を気にしながら生きてきた私ですが、多分今の方がいい菌が育ってくれてる気がします。すごいな、人間。何度も洗い、何匹かは混ざってるかもしれません、が、プロテイン。笑。

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   そうしているうちに削り終え、袋に入れて熱湯の中で絞り出します。ここもなかなか大変。熱湯ですから。

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    そうしてできたココナッツミルク。ほんのりとした味で、さらっとしてます。なんせほとんど熱湯ですから。パックのココナッツミルクのようにたくさんの油は出ません。ここから大さじ1杯か二杯程度。

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    ここにご飯を入れてあえて水分を飛ばして塩を入れます。普通はここでお砂糖投入。けれど我が家は締めにたくさんのバナナを。

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   そしてココナッツミルクの絞りかすを。もう味はしないのですが食物繊維か何かなのかな、ここの人たちはこれも芋などにかけたり、おやつにまぶして食べます。なので、私たちもこうしてかけます。パパイヤも熟す前から食べますが、この国は食べ物を無駄にしない国なんだなあって時折思います。自分たちが残したものは動物たちにあげる。こういう精神も学びになります、丁寧にいただいてるのですね。


さてさてお味見。。。パクリ。わお、おいしい!!お砂糖のココナッツミルクご飯に慣れているので物足りないかと思いきや十分な甘さ。そしてココナッツミルクもパックのものほど香りも油も強くないのです。ほんのりココナッツ。大満足のおやつになりました。ここまでで3時間近く、昔はこうして暮らすことに時間をかけていたんだなあとしみじみ。だからこのご飯もご馳走だったのかもしれません。

そして午後から急遽ジャパニーズおやつを作ることになり、餡子の代わりにブラックビーンズをにてサツマイモとバナナとお昼の残りのココナッツをかけまるめます。しばし実家に帰るとのことであと三週間ほどでお別れになる料理好きな村長さんの奥さんにプレゼントの一品。

 

   もち米の粉を蒸して記憶を頼りに初めての大福作り。蒸した米粉をこねてこねてこねます。コユも嬉しそうに参加。おおー、餅になった!!でも日本のとはわずかに違うお米の味。塩を入れたらもっと私好みの味になりました。

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   それを丸めてあんに包みます。1つは焼いてから味見。炭火焼きが大好きな私。子どもたちも味見味見です。ルックスはしっかり大福!中身はジャングル風。旦那さんと感動しきりのジャングル和菓子。もう一度作って今度はヤキモチにしてみようと思います。こちらの国ではチリソースかな。

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   そんなわけでクッキングざんまいの一日。家族で過ごした一日、行動範囲が狭くうちも狭いので、しっかり会話が成立してみんなでのんびり、楽しい1日になりました。

我が家のハレの日ご飯。(タイ暮らし36日目)

   朝食後、ハプニングがあり、みんなで泥にハマった車を助けることに。女子四人、男子二人、ロープを使ったり持ち上げたりして人力で頑張ります。1時間半ほどかかったでしょうか、アイデアを駆使し、あるものを駆使して、乗り切ります。泥にタイヤが取られないように稲わらを引いて、少しづつ押しては引っ張ってを繰り返して、ようやっと脱輪解消!!!このいつまでかかるかわからない作業をやりきった喜び、みんなで両手を上げて喜びます。こうして自分の力を信じて、乗り越える。昔はこういう生活だったのかな。暮らすための毎日、暇になる暇がないなあとつくづく思います。

 

   そしてそのあとはサタデーマーケットの予定だったのですが、急遽予定変更。英語がわからなくて、流れのままにみんなと一緒に車で移動。ついたのは小学校のある村。ここ、最近観光地になってきたらしく、いかだがあるのです。村の人々の手作りのいかだ。大ちゃんがいかだを作ってみたいから乗りたい、ということでおまけで乗せてもらいます。初めて乗ったいかだに感動しきりの大ちゃん。いつか空知川のいかだレースに参加かな笑。

 

   村に用がある村長さんと一緒に村を訪れます。そして途中でココナッツをゲット。これでココナッツオイルと家族ご飯をしたいという大ちゃんのためにココナッツミルクを作ってみようと思います。そうそう、私、ココナッツミルクが好きで時々日本でも買っていましたが、フレッシュなものと違うなあって思います。パック詰して輸入されるまでにどれくらいの月日がかかるのでしょう。ここでいただくカオニャオマムアン(ココナッツミルクともち米を和えたものをマンゴーと食べるデザート)と同じ味が日本では出せなくてここでいただくだけにしようと思うようになりました。

 

   そうしてもう1つ、私はマクロビアンではないけれど食べ物は自分の住む土地の近くで取れたものが一番いいのだろうなあと思います。ポストハーベストや輸送のエネルギのことだけでなく、その土地で暮らすのに必要な微生物や力がその植物などに備わっているのでしょうから。医食同源、自分の身体をどれだけの微生物が助けてくれているのだろう、どんなエネルギーをもたらしてくれているのだろう。いろんな理屈や情報を得るより、シンプルな暮らしと思考の中で、その恩恵を素直にいただくこと、そして特に食べ物は新しいものを得すぎないことが負担をかけないのかもしれないなってかんじています。晴れの日ご飯は晴れの日に食べるから晴れの日になる。シンプルご飯をはじめてもうじき一年。こどもたちが、たまの麺の日にすごく喜んでくれます。それだけで幸せを感じられる幸せ。それと、うどん打ちを経験した大ちゃんに自分で打つうどんなら好きな時にどうぞ、といっているので、こちらも晴れの日。私の誕生日にもうってくれました。

 

   こどもたちが我が子を持った時にその子がアレルギーなどで悩むことにならないような綺麗な身体をできるだけ残したいなと思っています。私自身がそうなのですが食べることが好きでいろんなものを食べてきたけれど、いつまでも新しい食べ物は目の前の人参のように出続けるんですよね。そしてなぜか食べれば食べるほど欲しくなる。それを作るための材料がどこからきているのかすらわからないものばかりなのに。これ以上、体調を崩したくない、脂を溜め込みたくない、という思いと矛盾しはじめていることにきづき、もう今好きなもので十分だなってかんじています。でも欲しい欲求と、身体の記憶は簡単には変わらないので、自分が納得するように時間をかけている今。そんな自分の経験から、幼い頃食べていた身体の記憶は重要だなと感じるのでシンプルがいいな、と我が家は思っています。大人になって食べるのは自由だけれど、こどものうちは知らない方が幸せだろうなって思うものもたくさんあるので、ストイックになりすぎないよう、食には心をかけていきたいなと思って暮らしています。

 

   ここタイではほとんどわかるもの、をいただいています。はるかかなたからくるものが本当に少ないから。そしてそれで十分満足できる自分たちがいます。こうして今日も一日、生きるためのエネルギーをいただいているのだと思います。ちなみに我が家の人たちが好きなもの。日本では、玄米ご飯、お味噌汁、おつけもの。麺。時々塩シャケ、卵。手作りのココア蒸しパン。素焼きせんべい。タイではごま塩、カオニャオ、カレー、米粉の汁あり麺。菜の花の炒め物、ふかし芋。カオニャオマムアン。ココナッツジュース、フルーツ。屋台で買っても作った人から買っているからいいのかなと思っています。これだけ好きなものがあれば十分だなあって、いま思い返して思います。本当に十分な暮らしをさせてもらってます。そう思い、また身体の声を聞けるようになってゆきたい、そう自分に話しかける今日の私でした。食べすぎて胃が重いのを繰り返してしまう欲があるので。。

 

   サタデーマーケットの日に一キロのカオニャオを買って四人でお昼に食べます。夜が早いのでお昼はご飯だけ。でもこれがすごく美味しくて大好きな私たち。プラ袋を使いたくなくてこの竹かごを持ち歩きます。日本でもたまに食べたくなります。帰国したら日本のものでもち米使ってジャングル風ランチ会でもしようかなー。

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   大ちゃん干し芋を作りました。

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   そして屋台ごっこ笑。

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見守られて育つこと。森とともに生きること。(タイ35日目)

   10日間を共に過ごしたイギリス人を送りに街まで出かけます。パーマカルチャーを真剣に学んだ彼女に私はメディカルハーブのことを学びます。イギリス式のハイタッチを教えてもらってこどもたちもすっかり仲良しに。別れ際、自分からハイタッチを求めて、挨拶をする大ちゃん。英語も自分で積極的に聞くようになり、すごいなあと思います。そしてしっかりハグをして別れ、帰りに市場に顔をだします。大ちゃんの好きなおやつを購入。昨年おまけしてくれたおばあちゃんのお店がまだありました。大ちゃんが自分で買い物をするとにこにこと笑いながら倍くらいのおまけをしてくれました。カオニャオとココナッツミルクで炊いたご飯をバナナを入れ、バナナの皮で包んで蒸したもの。大ちゃん、みんなに配って分けてくれます。来年の幼稚園でのこどもまつりで作りたいそうな。笹の葉のしげる時期になったら練習してみようね。

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   それからここのところ、パーマカルチャーをセカンドスクールとして学んでいるファース君が我が家に遊びにきてくれます。素直で好奇心旺盛な彼、うちにきてキッチンにあったレモンに塩をかけて食べ、他にも楽しそうに物色、笑。こういうところ、この国の大人はおおらかなんだなあ、と感じました。この国はうるさいとも言われないし、小さな子がいると周りの大人が可愛い可愛いってみてくれます。だからカリカリすることもなく、お母さんも過ごせるのでしょうね。こうして丸ごと受け止めてもらってる彼らは小さい子への優しさも深くて、わざと脅かしてみたり、泣かしてみたりはしません。小さな子も人見知りなんてなく、みんなに自然に接しているのです。

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マシェティ(ナタ)を持ってる彼、大ちゃんとコユに素敵なものを作ってくれました。バナナの皮とツルで作った、お馬さんと鉄砲。大喜びの二人、大事にうちの入り口にかけてます。そして森の中でクルクルと動き回り、木の枝に飛び移ったり、狭い隙間もなんのその、自分の身体を使いこなします。なんかない?つまんない。って言わないんだろうなあ。次の日もやってきて、稲わらの束の上でトランポリンして前転したり、崖から飛び移ったり。あまりに楽しそうなので大ちゃん、コユ、ジョンくんも参加です。遊んで遊んで遊びまくります。遊ぶ力は生きる力、たくさん遊んだ分、しなやかに生きれるんだろうな。

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こうして今日も遊び倒し、バナナのそばにタライを置いただけの、バナナ温泉笑、にはいって1日を終えます。オープンエアなおかげで毎日の生活が少しずつ違って面白すぎる日々です。

クワ1つで道を作る(タイ34日目)

   家を建て始めたパパについて建築現場へ。でもこのうちに行くまでの足場が悪くてコユには歩きずらそうなので階段を作っていたら、村長さんがもっと緩やかな道の方が材料を運びやすいよと、新しい道を作ることに。階段の横にリヤカーの通れる幅の道を作ります。

 

   クワ1つで、道を広げます。一日がかり、しかも雨上がりのため、サンダルに泥が1キロくらいつき、あしかせじょうたいなので裸足での作業に切り替えます。少しずつ広げては足で踏み固めます。水道管が壊れないように丁寧に丁寧に。私にしてはだいぶ労働なのですが、ひたすらひたすら続けたくなります。無心で雨上がりの冷たい土を踏みしめながら、でも泥の感触が気持ちいい。

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   家族でうちができたらどんな気持ちだろう。。そう思いながら私も建築に参加です。コユが離れないので順番に子どもたちを見つつ、家族で過ごす時間を楽しみながらの作業。そんなわけで図らずも夫婦の会話もうまれます。そのためにコユが離れないのかな。 そうして1日半かけて手にできた豆が割れる頃、ようやくリヤカーの通る道が完成です。図らずも入口がアーチになり、この森に迎え入れてもらった気持ちになりました。

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   そうそう、昨日は雨の間をぬって、畑作りをお手伝い。バッファローのウンチに甘い果物の皮で作ったEMとはいを混ぜ、発酵させたものを畑に混ぜ込みます。女子二人とコユの3人でやるには大仕事。またもサンダルが履けない状態で、素足での作業。発酵させたものとはいえ、ちょっと抵抗がありながらも、こうして昔は循環させていたんだろうなと思いを巡らせます。そうしているうちにありがたい循環だなと思えるから、経験はすごいですね。

 

   ゴキブリの住む鳥の巣のように重ねられた稲わらも、鶏のウンチのまざるもみ殻も、不思議なくらいに循環していて、衛生状態・・・って考えるけどここではどうにかなっているのが不思議です。どうにもならない土地もあるのでしょう、けれどあまり神経質にならなくても人間の身体は私が思うよりもっと対応できるのだなって感じています。